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「私」の範疇で
物事を進めようと
するから、
複雑化
するんだ。
わけが
わからなく
なる。
わけがわからないままに
次の一歩を進むから
余計に
わからなくなる。
自分を失うのは
当然のことだ。
「私」の範疇に
いようとすると、
結果として
自分を失うんだ。
とても乱暴な
言い方だが、
今は
次の心の声が
とても大事な時代(時期)
のような気が
どうしてもするんだ。
「私なんて、
どうだっていい。」
この一言。
これを呟きながら
決断するといい。
もちろんこれは
自暴自棄になる
ことではない。
でも、
「開き直る」ことだ。
自暴自棄と開き直りは
真逆のことだ。
自暴自棄は
自分もすべても
捨ててしまうこと。
自分を失った状態で
進むこと。
もしくは、
進まないこと。
そこにあるのは
「虚無」だ。
「開き直り」は
真逆。
それは
自分を超えること。
それにより、
これまでの自分では
到底為し得なかった
「すべてを大切にする」
「すべてを活かす」
「すべてを統合する」
ということが
結果的に
成されるんだ。
そのためには、
今の「私」という
小さな範疇にいては
ダメだ。
「私」を超えて
本当の
本来の
『わたし』の声を
聴き、
『わたし』の
決断で行くんだ。
開き直って
「私」を捨てた時、
その奥から
『わたし』が
悠然と
屹立する。
でも、
それを意図しては
ならない。
頭で考えて
行なっても意味は
ない。
行なうのは、
真剣に、
「私なんて、
どうだっていい。」
と呟きながら、
進むことなんだ。
今はね。
つづく
どうせ雨に
打たれるならば、
その土砂降りの
中に飛び出し、
全身を
晒してしまえばいい。
雨から
逃げようとするから
余計に辛い。
諦めて、
全身をそこに
委ねてしまえばいい。
開き直り。
そう、
開き直りだ。
開き直ることで
初めて開く
道もある。
いや、
そんな道ばかり
かもしれない。
人生は。
・・・・・・
土砂降りに
全身を晒して、
目を瞑りながらも
上を向き、
大きな雨粒の
一つ一つを
味わおうとする。
すると案外、
その激しさこそが
気持ちよさ
かもしれない。
なんだ、
飛び出す前は
土砂降りほど
怖いものはない、
と
思っていたけど、
結構
気持ちのよい
ものなんだな。
と思えた瞬間に、
その人は
何かから開放された
感覚を得るだろう。
何かを一つ
脱ぎ捨てることが
できたような。
もしこれが面白いと
思えるようになれば、
その人は
次から次へと
脱皮する人生へと
人生の質そのものが
変貌していくだろう。
一つの脱皮から
次の脱皮への間隔が
どんどん狭まり、
毎日のように、
毎時間のように、
脱皮を続ける人
すら現れる。
そうなると次に
何が起こるかと言うと、
その人の周りの
人達が
多大なる影響を
受ける。
脱皮する人は、
その存在だけで
影響を与える。
つまりは、
周りの人達も
脱皮を始めるのだ。
だから、
組織においては、
たった一人の
開き直りと
脱皮が、
組織全体の
脱皮に繋がることは
多い。
実は私は
これを起こすための
サポートを
させていただいている。
組織とは
たった一人の
「開き直り」から
変わっていくのだ。
・・・・・・
そのたった一人の
ことを、
私は
『要』(かなめ)
と呼んでいる。
私のサポートとは、
「要」となりやすい人を
見出すこと。
そしてその「要」候補に
適切な刺激を
入れること。
そしてその人が
「要」としての脱皮を
始めたら、
それを適切に
周りに波及させること。
そして
次々に「要」を
増やしていくこと、
だ。
ここまで、
「組織」という言い方を
したが、
これを
「社会」と言い換えても
きっと
同様のことが起こるのだろう。
組織の要
となる人は、
社会の要
にもなり得るだろう。
そのための
新たな動きを
今週末から始めようと
思っている。
つづく
人の成長には
段差がつきもの。
比例直線のような
成長は
普通はしない。
緩やかな
成長を普段は続け、
しかし
ある時、突如として
「段差」が来る。
階段のステップアップ
と同じ。
段差を登り、
次の緩やかな大地に
たどり着くまでは、
恐らく人生の中でも
最も
あらゆるものが
不安定となるだろう。
「あらゆるもの」とは、
心の内と外の
あらゆるもの。
心の内は常に
不安と不安定で
いっぱいとなり、
結果として、
過去の最も
戻りたくない自分の
心のパターンが
復活することもある。
心の外では
環境が大きく変わる
ことがある。
仕事が変わる
とか、
人間関係が変わる
とか。
いずれにしても
「変化」
が大きく始まる。
多くの人はここで
「変化を収めよう」
としてしまう。
不安定はもちろん
嫌なことだからだ。
しかし
何をやっても
収まらない。
収めようと
すればするほど、
より不安定になる。
実はそういった
状態の人が
私にコーチングの依頼を
されることが
多い。
収めるために
サポートを受けようと
するのだ。
しかし私は
逆のサポートをする。
「不安定のままで
いてください」
と
お願いしたり、
時には、
「もっと不安定さが
増す方向に
進みましょう」
と
提案することもある。
すべては
「段差」をしっかりと
乗り越えるためだ。
「段差」を乗り越える
ことで、
真の安定と
次の人生のステージが
始まることが、
側から観ていれば
よくわかるからだ。
「不安定さ」は
恐れるものでは
ない。
いや、
恐れてもいいが、
逃げるものでは
ない。
恐れつつも
立ち向かって
ほしい。
ここで後退すれば、
間違いなく
より多くの不安定が
自分の前に
立ち塞がり、
今後は、
その不安定さから
逃げ続ける人生へと
悪い意味で
変化してしまう。
ちょっと酷な
言い方かもしれないが、
「不安定さ」を
楽しんでほしい。
今は
段差を乗り越える
時。
そんな時は
何をやったって
どうせ
不安定だ。
ならば、
人生において
そんなに頻繁には
起こらない
今の時期を
味わいながら
進もうか。
・・・そんな
開き直りを
してみてほしい。
あなたなら
できるはずだ。
つづく