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人の個性は
花開く。
確かに
「開花」
という言葉が
ピッタリだ。
その人にしか
ない
その人の
魅力。
能力。
そういったもの
は
確かにある。
しかしだ。
「好きなことに
向かえば、
それは花開く」
とは
限らない。
もちろんそういう
人もいる。
でも、
そうとは
限らないのだ。
これまで
(私自身も含め)
数多くみてきたのは、
真本音度が
高まることで、
ある時、
ふと、
これまで自分が
苦手としてきて
最も避けてきたこと
を
本当にふと、
やってみようかな
と
思う瞬間だ。
クライアントさんが
それを口にすれば、
私はほぼ
間違いなくそれを
強烈に
進める。
「ぜひやって
ごらんよ!」
と。
自分の準備が
整うまで、
あえて
「それ」
から自分を遠ざけて
おく。
ということを
する人は
多いのだ。
自分から「それ」を
遠ざけ続けるために
自分にとっての
「それ」を
「苦手である」
「嫌いである」
という
「印象」
にしておく。
そうして「それ」に
ずっと関わらずに
生きる中で、
自分の準備
(「それ」に向かう覚悟)
を
養い続ける。
そして
覚悟ができた瞬間に
「それ」に関しての
制約を
一気に心の中から
取り払う。
・・・そういう
離れ技のような
進み方を
する人は結構
多いのだ。
だから
苦手だし
嫌いだし
絶対やりたくない
のに
なぜだか
気になる、
なぜだか
やってみようかな
試してみようかな
と
思ってしまう、
そんなことが
あれば、
それはもしかすると
自分の準備が
整ったという
合図かも。
実は
「それ」の方向にこそ
あなたの
天職
があるのかも、よ。
つづく
海に
いくつかの島が
浮かんでいます。
その島々は
海の上のみを見れば
別個の存在ですが、
水中に潜れば、
すべての島は
つながっていることが
わかります。
当たり前の
ことですね。
すべての島は
「地球」の大地の
突起です。
ある一つの島に
多大なるエネルギーが
溢れたとします。
しかしそのエネルギーは
その島のみが
発しているものでは
ありません。
それはもともとは
「地球」から
湧き出ているものです。
「地球」から
湧き出るものということは
そのエネルギーは
無尽蔵に近いです。
ところがその島は
「このエネルギーは
俺が出しているものだ。
俺はすごいぞ」
と思い込むことが
あります。
これを
「傲慢」
と言いますし、
「過信」
とも言います。
私達人間も
まったく同様です。
人の心は
深奥ではすべて
つながっています。
実在レベルでは
高い次元の私達は
「一つ」
であり、
「すべては私」
です。
つまりそれは
「地球」のようなものです。
そして私達は
その「地球」から
エネルギーを
いただいています。
人にはそれぞれ
得意分野があり、
それを開発できれば
その人ならではの
力が発揮されます。
その力を
目の当たりにした時、
私達は
愕然とすることが
あります。
なんて凄い
力なんだ、と。
もしその人が
自らの真本音に
素直に生きている人で
あるならば、
その力の発現の仕方は
本当に自分自身を
愕然とさせるでしょう。
そして
自然に思う
はずです。
「これはもう
私の力ではない。
私の範疇を
超えている。
これは天から
与えられたものだ」
と。
そして
その力に対しての
畏敬の念と
感謝の念が
心を満たすでしょう。
それくらいに
私達一人一人が
本来持っている力というのは
凄いものです。
ところが、
そうはならない人が
います。
つまり、
「なんて凄い力だ。
これが俺なんだ。
俺は凄い。
俺はやれる。
俺にしかできない。
俺がナンバー1だ」
となる人がいます。
つまりこれが
「過信」ということですが
人が自分のことを
過信するというのは、
その力の発現が
まだ「中途半端」である
証です。
過信しているうちは、
その人はまだ
自分自身の
本来の力とは
出会っていないのです。
もし
本当の本当の力、
本来の力を
まざまざと実感できたら
「過信」などという
悠長な気持ちには
なりません。
この力を
一体、私は何のために
活用すれば
よいのだろうか?
という
真摯な問いが
湧いてくるはずです。
そして、
私の人生は
本当にこのままで
よいのか?
私が本来為すべきことは
何だろうか?
という、
人生そのものへの
根本的問いと
真正面から向き合うことに
なるでしょう。
・・・・・・
本来の力を
自分に与えるかどうか?
を決めるのは
その人自身の
真本音です。
単純に言えば、
真本音に素直に真摯に
生きれば生きるほど、
本来の力は
発動されやすくなります。
そしてそれは
多くの場合、
一気に開花します。
もちろんそこには
努力は必要です。
努力とは
「始めること」
と
「続けること」
です。
しかし、
本来の力は
続けることで徐々に
現れるのではなく、
ある瞬間を境に
一気に花開きます。
それは
自分の真本音が
自分に対して
「ここまで努力したのだから
もう準備はできたよ。
私が本来発揮できる
この力を
解放させてあげよう」
と自らにOKを
出すのです。
その瞬間から、
その力は
まるでダムが決壊
したかのように
放流されます。
そしてその力を
まざまざと実感すると
その人は
畏敬の念と
感謝の念に
満たされるでしょう。
と同時に、
その人の
本当の人生
本来の人生
が始まるのです。
つづく