後悔と反省
という言葉があります。
時々、
「後悔せずに反省しなさい」
と言われたりしますが、
後悔のない反省は
あり得ません。
悔恨の念。
これは、
とても大切です。
真剣に生きれば生きるほど、
自分が何か
間違っていたな、と
思ったら、後悔は
生まれます。
生まれなきゃ
不自然ですよね。
後悔や、悔恨の念には
私達は呑まれてしまいます。
それで良いのです。
思いっきり
とことんまで
呑まれることこそが
大事です。
ただそれを
まるでゲームのように
行ない続けている人も
います。
毎日後悔することで、
それを言い訳に
前に進まない状態を
つくっています。
それは、
後悔とは
言いません。
ただの
怠慢です。
本当の後悔や悔恨は
呑まれます。
落ちるところまで
落ちます。
そこに意味があります。
中途半端ではなく、
落ちるところまで
しっかりと落ちること。
それをすれば、
必ず、
「底」
にたどり着きます。
底にたどり着くことで
私達はもう
どうあがいてもこれ以上
落ちることができないことを
知ります。
頭での理解ではなく、
実感として
知ります。
それにより
私達は
「再浮上」
を始めます。
本当に後悔し、
本当に落ちるところまで落ち、
再浮上する。
この一連の流れを
私達は真本音で望むことが
あります。
その真本音の望み通りに、
しっかりと後悔をすれば、
再浮上の直前から
「反省」
が始まります。
「反省」とは
「解放」であり「開放」
です。
「反省」とは
本来は
すがすがしいもの
です。
なぜならそれは
次のステージに上がるための
気づきだからです。
私達はどうしても、
自分が落ちようとすると
まるで無限に落ちていくような
恐怖に苛まれます。
それにより、
バタバタとあがきます。
しっかりと
後悔すればよいのに、
中途半端に
後悔や悔恨の念から
逃れようとします。
そして、
中途半端な反省を
します。
中途半端な反省は
中途半端な浮上しか
もたらしません。
ゲームではなく、
本当の意味で後悔する
ということは、
真剣に生きている
証拠です。
真剣に生きていることを
一番よくわかっているのは
自分自身です。
そんな自分を
私達は見捨てることは
しません、決して。
ですから、
後悔に呑まれたら、
とことん後悔し尽くしましょう。
素直に
落ちていきましょう。
底に着いたら
底で大の字になって
休みましょう。
そして、
自然に浮上するのを
待ちましょう。
今、
人生の転換点を
迎えている人が
増えています。
大事な転換点。
後悔すべきをしっかり後悔し、
反省すべきをしっかり
反省しましょう。
つづく