「私はなぜ、こんなにも
これまでの自分に
固執してしまうのでしょうか。
自分の殻を破りたいと思っても、
どうしても、それができません。
これまでの自分のまま
行けばいいじゃないか、という
自分が出てきて、
自分を支配してしまいます。
私は一生、このまま
行くのでしょうか?」
あるクライアントさんの
この切実な声を聴いたとき、
私は、
あぁこの人は大丈夫だな、
と思えました。
もうすでに
ちゃんと自分を
否定しています。
これまでの自分ではいけない、
と
ちゃんと自分を否定しています。
そして、
これまでの自分に
固執してしまう自分を
ちゃんと否定しています。
私は、
「自己否定感」
って、とても大事だと
思っています。
よく、
「自己肯定感を大事に
しましょう」
と聴きます。
もちろん、大事です。
でも同時に、
自己否定感も私は
私達人間にとっては大切な
宝物だと思うのです。
大事なのは、
・どこを肯定して
・どこを否定するか
です。
これは、
私達自身の真本音が
決めることです。
ところが、これが
ずれている人が
います。
すると、とても苦しい人生展開と
なります。
よく、やみくもに
「自己肯定感が大事だ」
と言い続ける人がいますが、
それは間違いです。
肯定の裏には
必ず、否定があります。
「肯定しよう」と思う心の裏には
必ず、
「否定しよう」という自分が
隠れています。
否定する自分を消して、
肯定だけの自分になる
というのは、
自然の摂理に反しています。
自然の摂理に反することを
すれば、
私達人間は苦しみます。
15タイプというお話を
最近は書かせていただいて
いますが、
なぜ人は15タイプにまで
落ちてしまうかと言いますと、
それは、
いびつな自己肯定感に
よるものです。
何でもかんでも
自己肯定しようとする
不自然さが、
多大なるストレスを生み、
そのストレスの苦しみから
逃げるために、
現実逃避に走り、
その結果として
15タイプにまで落ちてしまいます。
「肯定」
という言葉の裏には必ず
「否定」
があります。
「肯定」と「否定」は
同次元です。
同次元による
「解釈」にすぎません。
大切なのは、
すべてを
「あるがままに見つめる」
こと。
それをすることで、逆に、
「今の私は自分自身の
何を肯定し、
何を否定すればよいか?」
が観えてきます。
観えてきたら、
肯定すべきをしっかりと
肯定し、
否定すべきをしっかりと
否定する、
ということをすればよいのです。
それによってのみ、
私達は
本当の一歩、
つまりは、真本音で望む一歩を
進むことができます。
しっかりと、
自己否定できる人は、
しっかりと、
自己肯定することも
できます。
中途半端にしか
自己否定できない人は、
中途半端にしか
自己肯定できません。
上記のクライアントさんの
言葉に対して、
私はどのようにお応えしたと
思いますか?
皆さんなら、
どのように対応
されますか?
私は、そのクライアントさんに
次の問いを投げました。
「では、あなたは
あなたの何を肯定していますか?」
です。
それをすべて明確に
しました。
すると、
素晴らしかったです。
そのクライアントさんは
ちゃんと自分のことを
観ている。
そんなことがよく
わかりました。
自分で自分の何を
肯定しているか?
をすべてきちんと
列挙すると、
自分で自分の何を
否定しているか?
もわかります。
そのクライアントさんは
言われました。
「あぁなるほど!
私は本当は、私のことを
全否定しているわけでは
なかったのですね。」
そして、
「なんだ、結局は、
私は、これから取ろうとしている
私の行動(選択)に対して、
恐怖を抱いていただけ
なのですね。
なんだ、そうか・・・。
私がこれから本当に行きたい
と思っている選択肢に
行くのが怖かっただけですね。」
・・・と。
で、私はさらに問いました。
「怖ければ、
やめてもいいんですよ。
自分でちゃんと決めるので
あれば、
行くのもよし、
やめるのもよし、
ですよ。」
すると、
そのクライアントさんは
きっぱりとお答えになりました。
「いえ、行きます。
ここで行かなきゃ、後で絶対に
後悔します。
なんだ・・・。
この一歩を踏み出せば
良いだけのことだったか・・・。」
あぁ、今この人、
次元が一つ、上がったな。
と実感できました。
う〜む。
人って、やはり
本当に凄いですね。
つづく