今日という日は
いったい
何のために
あるでしょうか?
このような問いを
自身に
投げたことは
ありますか?
今日という一日が
存在している
意味。
自分の人生に
とって。
そして
世界にとって。
当たり前のことですが、
今日がなければ
明日も
ありません。
今日という一日が
明日という
新たな一日を
決めます。
そんなことは
当たり前だと
誰もが思いますが、
しかし本当は、
今日という一日と
明日という一日は、
完全に
分離しています。
この
3次元世界に
おいては。
・・・・・・
完全に分離
しているのに、
なぜ
続いていくのか?
それは、
この3次元世界に
存在している
慣性の法則
の影響に過ぎません。
「慣性」を
別の表現で言い換えれば、
「惰性」
とも言えます。
要するに、
今日の惰性のまま
明日を迎えている
のが
私達のほとんどです。
ちなみに
「惰性」を辞書で引きますと、
今まで続いてきた習慣や癖
とあります。
そうです。
癖なんです。
今日と明日が
続いているのは、
そういった私達の
癖でしかありません。
なんで
こんな極端なことを
書くのかと言いますと、
「私達はもっと
自由になれる」
と言いたいのです。
「癖に負けるな」
と言いたいのです。
癖って
強いんです。
なぜなら
私達人間にとっては
癖とは
とても大切な
「能力」だから。
癖という能力が
なければ、
私達は
何もできなくなるでしょう。
例えば、
自転車に乗れるように
なるのも、
要するにそれは
自転車に乗れる癖を
自分自身につけている
ということになります。
癖という能力が
なければ、
私達は、何度練習しても
自転車には乗れません。
そういった意味で、
私達の心と体とは
癖の塊です。
癖の宝庫です。
でも、
それが「癖」であるとは
認識していません。
で、
自分で認識していない
「癖」に捕らわれたまま
「明日」を
迎えます。
昨日と同じ延長線上に
ある
新たな日を
迎えます。
・・・・・・
癖は
大事ですが、
癖を超える
日々を
今の私達は
創り出さねば
なりません。
本当の
「創造力」
とは、
そういうことを言います。
癖の延長線上にある
創造力は
本来の創造力ではないと
私は思っています。
癖によって
新たな一日を
迎えるのではなく、
常に
原点に戻り、
毎日を
原点から
始めること。
それができるように
なると、
一日一日が
劇的に変化し
進化し始めます。
実は、
真本音で生きるとは
そういうこと
なんですけどね。
私が推奨している
セルフコーチングとは、
癖を大事にしつつも、
そういった癖を
超えていく力を
発揮するものです。
すべての人が
癖に捕らわれた人生から
自分自身を
解放できるといいなぁと
私は思います。
癖が
自分の人生を決める
のではなく、
自分が
自分の癖を活かす人生。
そんな人生に
シフトチェンジ
しませんか?
つづく