自信がなくてよかった

LINEで送る
Pocket

 

今から振り返れば

とても

感謝なのですが、

 

私はこの人生において

本当に自信を持てた

という経験が、

 

恐らく

一度もありません。

 

もちろん今も

自信は

ありません。

 

「自信」とは

多くの場合、

自分の持っている

能力に対して

持つものだと思いますが、

 

私は、今、

そして、これから、

私がやろうとしていることや

私が進もうとしている道に

対して、

それに見合った能力が

あるとは

到底思えないのです。

 

ですから、

どうしても

自信を持つことが

できません。

 

ずっと

そういった人生

でした。

 

以前はそれが

いやでいやで

しょうがなかったのですが、

今はそれに

感謝しています。

 

なぜなら

私のような人間が

自信など持ってしまっては

間違いなく

真本音の道を

踏み外していたと

思うからです。

 

・・・・・・

 

これから自分が

やろうとすることに

対して、

それに見合った

充分な能力が

自分にはある。

 

もしそう

思えたとしたら、

私は間違いなく

自分の能力に

依存

していたでしょうね。

 

能力を発揮する

そのこと自体に

気持ちよくなり、

能力を発揮するための

人生に

なっていたでしょう。

 

能力至上主義。

 

ここに陥ると

自分の真本音の想いが

わからなくなります。

 

能力とは

あくまでも手段

だからです。

 

能力を発揮することが

自分を活かすこと

だと

思われがちですが、

 

いえいえ、

それを目的にしてしまうと、

自分の本当の人生は

観えなくなって

しまうのではないでしょうか。

 

私だけかな?

 

本当の意味で

自分を活かすとは、

自分の真本音の想いや

願いに向かって

進むこと。

 

その道を進むことで

人は進化を始め、

 

進化の過程でこそ

本来の能力が

芽生えます。

 

しかも本来の能力は

他者との調和を

生み出します。

 

つまり、

真本音の道を

進めば進むほど、

どうしようもないくらいの

苦手分野が見つかります。

 

あっここは

自分には無理だ、

と。

 

ここは

自分はできるけど、

ここはできない、と。

 

ここは、

自分が探究すべきだけど、

ここは探究しては

ならない、と。

 

そういったことが

実に自然に

わかってきます。

 

それにより、

他の人達とのコラボが

進みます。

 

真本音の願いとは

自分一人の能力では

決して実現できない

ものです。

 

人は

人と関わることで

初めて進化をし、

 

その進化を求めることが

人の本能の中心

ですから、

 

人は、人とコラボすることを

前提に

生まれてきた生き物

なのです。

 

それが

自然の摂理。

 

そこを外れること

自体がもはや、

自分の本当に望む道、

つまりは真本音の道から

外れることなのです。

 

・・・・・・

 

私は

自信のない人生で

よかった、と

今は本当に思えます。

 

そしてこれからも

人生を終えるその時まで

自信がないままで

進めるといいな、と

思います。

 

自信がないことで、

私が得ることが

できたのは

「確信」

です。

 

人と関わりながら、

一歩一歩を歩む

その瞬間、

その現場の中で、

「確信」は

必ず生まれます。

 

あっ、今

これをすれば

いいんだな。

 

今は、

これを伝えれば

いいんだな。

 

今は、

これはしては

ならないんだな。

 

今は、

これは後回しに

すべきなんだな。

 

そういった、

一歩一歩の「確信」が

日々、発生します、

当たり前のように。

 

自信を持った私だったら、

これは決して

得られなかったと

今になって

しみじみわかるのです。

 

つづく

 

コメントを残す

*