左肩が痛い
からと言って、
左肩の治療を
すると、
それがまったくの
的外れだった
ということは多い。
痛みのある
場所に、
痛みの根源が
あるわけではない。
特に
心はそうだ。
表面的な
現象があり、
その現象により
心が痛んでも、
原因はまったく
別のところにある。
ということの方が
圧倒的に
多いだろう。
現象に
捕われ過ぎては
ならない。
現象は
大事だが、
現象は
引き金でしかない。
きっかけ
でしかない。
現象に対して
現象で
対策を打つ。
これも
時には大事だが、
それだけで
問題を解決した
つもりになるのは
逆に危険だ。
心が
痛む時、
この心の痛みは
どこから
来るのだろう?
と
私は素直に
実直に
自分自身に問いかける
ことにしている。
心を鎮めて、
痛みと
対坐する。
呼吸を
静かにして。
痛みそのものを
直に
感じるようにする。
すると突然に
まったく別の
痛みに襲われる。
すると、
その新たな痛みと
対坐する。
するとさらに
また
別の痛みが・・・。
これを繰り返す
うちに、
ついには
その根源に
たどり着く。
この根源は、
最初の痛みとは
まったくもって
関係のないことすら
ある。
表面的な
痛みでもって
根源的な痛みを
誤魔化している
わけだ。
人間の
やることは、
思っている以上に
奥深いのだ。
そういった
意味で、
痛みに鈍感で
あってはならない。
変な表現だが、
痛みの感受性を
高めた方が
良い。
心は
痛むように
できているのだから。
つづく