想像を絶する展開、
という書き方をすると
なんと大袈裟な、
という印象になるでしょうね。
このような文章を書いている時
私はいつも思うのです。
事実をなかなかその通りには
書けないなぁ、と。
なぜなら、事実をその通りに書けば、
なんか嘘っぽくなるんです。笑
本当にそんなことあるの?
という疑問符が、
初めての人にはついてしまうでしょう。
でも、
事実は小説よりも奇なり
という言葉があるように、
本当は
私達人間が頭の中で想像するよりも
遥かに凄いことが
実際には起こります。
で、私はそういうことを
日々、当たり前のように
体験しています。
すげーなぁ。
こんな展開になるんだなぁ・・・。
と感嘆することが
毎日の日課のようなものです。
人間とは本来、
想像を絶するものです。
ですから私は、
想像することを、ある時から
やめてしまいました。
どれだけ想像しても、
それ以上のことが起こるからです。
想像するだけ損だな、
と、ある時から思うようになりました。
そして
想像するだけ、自分を枠にはめてしまうな
とも気づいたのです。
私達は私達自身を
あらゆる方法によって
枠にはめています。
枠とは限界です。
限界にはめることで、
想像を絶する展開を
起こらないようにしています。
しかも
想像を絶する展開を起こそう!
と意図すればするほど
それは、自己満足になります。
自己満足の想像を絶する展開は
想像内の展開に過ぎません。
しかも自己満足は、
自分の次元を著しく下げることにも
なります。
すべての意図を手放した時、
初めて想像を絶する展開は起こりますし、
それが起きているその瞬間は
想像を絶する展開、とは
認識しません。
その時その瞬間には
当たり前のこと
当たり前の展開が
起きているように思います。
普通に
物事が進んでいる。
そう思えるのです。
でも、ちょっと時間が経った後で
振り返ると、
すげーなぁ、なんでこんなことになったんだ?
とびっくりします。
しかもそれはもう
起きてしまったことなので、
後には引けません。
先に進むしかなくなるのです。
で、ある意味あきらめて
先に進みます。
するとそこにはまたもや
凄い展開が待っています。
真本音で生きるということは
そういうことになります。
そして、
真本音とは
その時の自分自身の最高次元の意識
と言うこともできます。
私はすべての人が
真本音度合いが100%になれればいいなぁ
と思っています。
そうすれば、
すべての人が
その時その瞬間の最高次元の自分として
物事の判断と決断が
できるからです。
すると、
その人にとっての
想像を絶する展開が起こります。
しかし、想像を絶してはいても、
その人の心が壊れてしまうほどのものでは
ありません。
あくまでも、
その人の範疇です。
ちょっと変な言い方になりますが、
その人の魂での範疇
になります。
でも、
その人の心では
想像を絶しています。
魂では範疇であり、
しかし心では想像を絶する。
その絶妙さ。
それを味わえるのが、
その時その瞬間の最高次元の自分で生きる
と言うことです。
真本音で生きる
と言うことです。
そうなると人は
人生をとてつもなく面白く
感じます。
一般的によく言われることですが、
人は、
安定を求めます。
その一方で、
安定を手に入れると逆に
冒険を求めます。
例えば、
毎日安定した日々を送ることが
できるようになった人は、
ジェットコースターに乗るような
刺激が欲しくなる、
と言うことですね。
これはよく言われることですが、
しかし本当は
安定と冒険は反対のことを言っているのではなく、
安定と冒険は一致するのです。
なぜなら人は
自分に出せる最速で前に進んでいる時
こそが
最も安定を感じるからです。
魂では範疇にあり、
しかし心では想像を絶する展開を
生きる。
これは、
安定と冒険を同時に実感できる
私達人間にとって
最も幸せな人生です。
そしてその人生は、
誰もが、
そう、人類全員が
手に入れることが可能なのです。
つづく