君、捨て身だよな

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最近、

 

『捨て身』

 

という言葉が

よく浮かぶ。

 

私のクライアントさんは

「捨て身」な人が

多い。

 

もちろん

良い意味で

である。

 

ひょっとすると

私のサポートとは、

 

「捨て身」な人が

ちゃんと

身を捨てられるように

するためのもの。

かもしれない。

 

身を捨てる、

というよりも

身を捧げる、

という感じか・・・。

 

とはいえ

「身を捧げる」

というと、なんか

自己犠牲的かな。

 

でも

クライアントさん達は

決して

自己犠牲ではない。

 

むしろそれをすることで

イキイキと

ワクワクと

輝いている。

 

笑いながら、

身を捧げている。

・・・いや、やっぱり

身を捨てている。

 

あぁこっちの方が

やっぱり

表現としては

しっくりくるな。

 

身を捨てて、

「魂として」

そこにすべてを

込めている。

 

魂の願いを

込める。

 

・・・それが

身を捨てるという

ことかな。

 

心を込める

のと

魂を込める

のは

根本的に異なることだ。

 

そう。

 

だから私は

心を込めるレベルの

サポートは

しないのだ。

 

それが良いことか

どうか、

というのはわからないが、

 

私は

魂を込める人の

サポートを

したいのだな。

 

しかも

最近の私はだいぶ

厳しくなっている

ようで、

 

「魂の込め方を

教えてください」

 

という人には

 

「そんなのは

自力でできるように

なってください」

 

返しているように

思えるのだ。

もちろん本当に

そんなやりとりを

しているわけでは

ないよ。

 

でも結局は

そんなことをしている

気がする。

 

だって、それは

自分でやることでしょ。

人生で、

試行錯誤しながら。

 

そこをサポート

してしまうと逆に、

肝心なところで

「覚悟」

を持てなくなるのでは

ないか。

 

自身で、自力で

魂の込め方を

見つけ出した人には

やはり

「覚悟」がある。

 

面白いことに

本人にはその自覚が

ないケースが多い。

 

でも

「私は魂を込めて生きる」

とか

「私は捨て身で生きる」

とか、

 

その意味を自力で

見つけ出した人には

独特の空気感がある。

 

それを言葉で表現すると

「覚悟がある」

ということになる。

 

しかもこの「覚悟」は

年齢によらない。

 

最近は

社会経験も少ない

もしくは

まったくない若者で

 

すでに「覚悟」を持った

人達が

多い。

 

最初からもう

覚悟を持って生まれてきた

としか思えない

人達だ。

 

そして、

年齢が高く、

これまでそういった

「覚悟」のないままに

生きてきた人も多い。

 

が、

そんな人生であっても

今、急激に

一気に「目覚め」、

(・・・そう。

まさしく「目覚める」という

言葉がぴったりだ)

 

急に「覚悟」をし

「捨て身」になり、

「魂を込める」ように

変貌する人もまた

多いのだ。

 

私の身近には

そういう人が

溢れてきた。

 

あっそうか。

 

で、結局

そうした人達の

サポートで

手一杯になってきた、

 

というのが

今の私の正確な

状況かもしれない。

 

ということで言えば、

それはとても

良い傾向だな

と思う。

 

なるほど。

 

だから私は最近は

またさらに毎日に

楽しさを実感できている

わけか。

 

私自身は、

というと、

やはり私自身も

「捨て身」だなぁ、

よく思う。

 

ヤバいやつだよな、

と時々

思う。笑

 

で、そんな私が

共鳴できる人達が

増えているということは、

ヤバい世の中に

なってきたというか。笑

 

これからは、

心を込めて社会を

良くする

のではない。

 

魂を込めて

社会を変えていく。

 

社会の次元を

根本から高めていく。

 

そんな時代

なのだろう。

 

でもそれが

本当にできるかどうか。

 

それは

わからない。

今、ここにいる私達

一人一人に

かかっている。

 

きっと

そんじょそこらの

覚悟では変わらない。

 

捨て身にならんと

何も動かない。

 

それを本能的に

ちゃんと捉えられる人が

増えてきたんだろうな。

 

つづく

 

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