観えない

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時々、

物事をあるがままに

観れないなぁ、

思うことがある。

 

その場合は

その状態を

素直に楽しむことに

している。

 

観れないなら

観れないで

いいや、

と。

 

そして

自分の意識を

今の自分に

預けてしまう。

 

すると、

自分が今

何に巻かれているか?

 

何を

グルグルしているのか?

 

なぜ

あるがままに観れないか?

 

などが

よ〜く観えるようになる。

 

多くの場合、

 

例えば、今の今

だが、

 

私の頭は

まるで巨大な雷雲

のようなものに

巻かれている。

 

真っ黒な雲。

 

稲妻が走る。

 

頭が痛い。

 

当然、

何も見えないし

観えない。

 

というのが

観えてくる。

 

そこまでわかれば、

意図的に

その黒い雲の

中に

意識を埋没させる。

 

決して

それは取り除こう

とはしない。

 

埋没して、

それ自体を

味わい尽くそう

とする。

 

当然それは

とても苦しいし、

 

頭も

余計に痛くなるが、

 

しかし

あえてそうする。

 

すると

いろんな叫び声が

聴こえる。

 

多くの苦しみの

声みたいなのが

聴こえる。

 

あ〜これはやっぱ、

私の心では

ないな。

 

誰から受け取った

ものかな?

 

それとも、

今の世の中全体から

伝わってくる

ものかな?

 

などなど、

ちょっとは客観的に

なりながらも、

 

しかしあまり

客観的、評価的に

なり過ぎないように

そこに自分を

ただ預ける。

 

するとだんだんと

それらは

浄化されていく。

 

ゆっくりと。

 

私は最後まで

ただ感じるだけ

にする。

 

そして

すべてが消え、

スッキリと周りを

観れるようになると、

 

今度は私は

その

あるがままの世界に

そのまましばらく

自分を預けておく。

 

そうすると

自然に、

私の中から

光のような一つの

「願い」

が湧いてくる。

 

ちょっとした

願いだ。

 

言葉には

ならない。

 

それでいい。

 

しかし

その直後に

ちょっとした指針が

浮かび上がってくる。

 

「もうちょい、

ゆっくり行っても

いいか・・・」

 

今回は

こんな呟きだ。

 

そして私は

それに素直に

動くことにする。

 

つづく

 

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