心の痛みと
魂の痛みの
区別がつくようになると、
人のサポートは
非常にやりやすく
なる。
対応を
誤らなくなる。
今のこの人の
行動は、
心の痛みに
よるものか?
それとも
魂の痛みに
よるものか?
それによって
対応は
180度変わるからだ。
心の痛みは
現象であり、
魂の痛みは
実在だ。
・・・と書くと
わけがわからなくなる
と思うが、
基本的に
現象の痛みとは
幻影だ。
つまり本当は
「ここ」にはない。
その苦しみは
幻で、
その幻を人は
自ら創り続け、
その中に埋没し、
溺れる。
溺れた状態から
その人を救い出そう
としても
実は、キリがない。
何度救えたとしても、
その人は
同じ幻影を自ら
創り続けるからだ。
だから、
「幻影創り」そのものを
その癖を
直さなければ
ならない。
しかし実はこれは
それほど難しい
ことではない。
真本音度合いを
高めれば良い
からだ。
それをすることで
癖創り(幻影創り)は
だんだんと
止まる。
その人は
幻影に苦しむ人生
から
脱け出せる。
問題は、
魂の痛み
の方だ。
これは通常は
あまりに苦しい
ため、
多くの人は
この痛みに
麻痺がかかっている。
痛みを
自覚できない。
自覚できないが、
それは
とてつもない痛みなので、
その痛みを
感じていなくても
その痛みが
怖いので、
そこから逃れるための
行動パターンを
自ら無意識に
創り出す。
そしてその結果、
今度は
心の痛みを伴うような
現実を創り出して
しまう。
つまりは、
実在の痛みから
逃れるために
幻影の痛みを
創り出す、
・・・というのが
我々人間が
常にやり続けている
ことだ。
だからもちろん
対処法としては
真本音度合いを
高めることは必須だ。
しかしながら、
それによって
心の痛み(幻影)は
消えていくが、
実在の痛み(魂の痛み)は
残る。
実在している
からだ。
むしろ人によっては
真本音度合いが
高まることで、
麻痺が取れて、
痛みを感じるように
なることも。
しかしその痛みは
やはり
尋常な痛みや苦しみ
ではない。
尋常ではない
のだが、
それでもしかし、
麻痺していたのが
痛みを自覚できるように
なるのは
大きな進歩だ。
痛みがわかれば
対処ができるから。
いやむしろ、
対処ではなく
根本解決ができる
のだ。
だから
変な言い方だが、
私はクライアントさんが
魂の痛みを感じるように
なると、
やった!
と、密かに
喜んでいる。
これでこの人は
生きながらにして
生まれ変わることが
できるからだ。
生まれ変わる
と言っても、
別の人間や人格に
なるのではない。
これまでずっと
苦しめられてきた
痛みから
解放されるのだ。
その人の
本来の姿、
本来の行動、
本来の人生を
その人は
痛みのないところで
健康的に
創り出せるように
なるのだ。
こんな
嬉しいことはない。
しかしそのためには
魂の痛みを
超えていかねば
ならない。
これが私のサポート
の本質であり、
これができる人を
私は「コーチ」と
呼んでいる。
「コーチ」を
増やしたい。
一人ひとり
丁寧に。
つづく