私の原点

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目の前にある

「現実」

を、

 

ただあるがままに

捉えよう、

 

真剣に思うように

なったのは、

ちょうど20年くらい前

だ。

 

しかし当然だが、

そう思うようになった

からと言って、

すぐにできるわけでは

ない。

 

そこから試行錯誤が

始まり、

 

ようやく

「あるがままに

観れるようになったな」

思えるようになるまで

10年くらいを要した。

 

すると、

急に

「実在」

がわかるようになった。

 

私達が「現実」と

呼んでいるものは

「現象」

であり、

 

あらゆる「現象」の

根っこには

「実在」

がある、と。

 

それはまるで

映画のようで、

 

映画のフィルムという

実体が

「実在」であり、

 

映し出される映像が

「現象」である、

という事実。

 

それがわかるように

なった。

 

ところが。

 

この世の中の

現実と

映画との大きな違い

があることも

わかった。

 

映画の場合は、

フィルムの通りに

映像が映し出される。

 

しかし今の私達の

この世の中の

現実では、

 

実在という

フィルムがあるのに、

 

そのフィルムの内容とは

まったく異なる映像が

映し出されることが

多い、

 

という

実に驚嘆すべき事実

にぶち当たった。

 

フィルムがないのに

映し出される映像。

 

それがだいたい

9割を占めるのだ。

この世の中は。

 

実在のない

現象。

 

それはいわゆる

「幻影」

のようなもの。

 

一つの「現象」が

次の「幻影」を

生み出し、

 

その「幻影」に

惑わされて

次の「現象」が

創り出されてしまう。

 

そんなことが

この世の中では

当たり前のように

起きている。

 

そして

それをすると、

私達人間は

単純に苦しみ、

 

幻影の中で

自分を失う

ということもわかった。

 

自分自身が

大切に持っている

フィルム、

つまりは「実在」を

 

ちゃんと映像として

映し出すこと。

 

実在に基づいた

現象を生み出すこと。

 

それこそが

私達人間が

 

人間としての

 

喜びや幸せを

感じ取るための

根本要因であり、

 

それを外しては

 

どれだけ

いわゆる「成功」という

ものを手に入れても、

 

それが

幻影である以上、

 

私達は決して

幸せを感じることは

ない。

 

たとえ一時的に

感じたとしても、

その幸せは

次の「不安」と「枯渇感」を

生み出すだけの

幻影となってしまう。

 

ということが

わかるようになった。

 

と同時に、

 

無意識にせよ、

その辺りのことを

感覚的によく

わかっている人も

実はかなり多い、

 

ということも

わかり、

 

かつ、

 

自分の実在を

感じ取れる体験を

一度でも積めば、

その感性を

(人として誰もが

最初から持ち合わせている

その感性を)

 

私達は取り戻す

ことができる

という事実も。

 

そう。

 

もうおわかりかと

思うが、

 

実在から来ている

私達の想いを

『真本音』

 

幻影のみの

私達の想いを

『反応本音』

 

私は名付けた。

 

真本音度合いを

高める、

とは

 

実在を現象化する

度合いを

高めること。

 

つまりは

自分自身を

正常化し、

 

幻影の世界から

救い出すこと。

 

他ならない。

 

そしてもし

その状態で

人生を送り、

 

もしくは

ビジネスを行なう

ことができれば、

 

世の中はもっと

幸せなものに

なるだろう。

 

大変嬉しいことに、

 

今は

実在を感じ取れる

人が

本当に

急増している。

 

それは今の世の

希望だな

思うんだな。

 

つづく

 

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