コーチングの
素晴らしいところの
一つは、やはり、
定期的に
そして連続的に
そのクライアントさんと
正面から向き合い続ける
ことだろう。
継続性というのは
とてつもなく重要だ。
継続的に向き合い
続けていると、
ある時ある瞬間に、
そのクライアントさんの
『世界』
が入ってくる。
「世界」というのが
何か、というのは
上手く説明が
しづらい。
表面的に言えば、
その人の物事への
「見方」とも言えるし、
その人の
「解釈の仕方」とも
言えるし、
その人の
「生き方の特徴」
とも、
「その人から見た
現実の捉え方」
とも言えるが、
しかしどれもが
表現としては
とても浅い気がするし、
正確ではない。
「世界」という
表現が最も的確で、
その「世界」が
スーッと、
私の中に入ってくる。
するとその瞬間に
なってようやく
私は
そのクライアントさんと
「一つ」
になれた感覚を
得る。
そのクライアントさんへの
「理解」
が始まった感覚を
得る。
もちろん、
人が人を理解する
というのは
簡単なことではないし、
自分自身のことさえ
理解できないのが
人間なので、
ましてや
自分以外の人のことを
理解しきる、
などと考えるのは
傲慢の極みだと
よ〜くわかってはいるが、
しかし、
その人の「世界」が
入ってくると、
その人のことを
「理解」はしきれては
いないが、
その人ととても
近づくことができ、
その人と何か
とても大事なものを
「共有」できたような
気がする。
そして
そこからコーチングは
次元の壁を超えていく。
そのクライアントさんと
私は
別人であり、
別の存在であり、
分離しているが、
その前提と土台
の上で、
常に
「一つ」
として生きることが
できるような、
そんな不思議でしかも
とても心地よい感覚が
ずっと続くようになる。
私は
人と人が共に生きる
ということの
本質は
こういうことなのではないか、
と
コーチという仕事を
させていただくことで
知ることができた。
この、
理解を超えた繋がりと、
感覚として
常にあり続ける悦びを
知ることは、
コーチの悦び
ではなく
これは私は
人間としての悦びの
一つであると
思うのだ。
お互いがお互いの
「世界」を
大事にし合いつつも、
お互いがお互いの
「世界」を
共有する。
そんな関係が
増えると、
それこそ本当に
世界は変わるのでは
ないか。
つづく