ここのところ
「意図を手放す」
というテーマで記事を書かせて
いただいています。
これは、
「次元を上げる」という意味では
非常に重要な部分ですので、
さらに詳しく見ていきましょう。
まず、
「意図」
とは何でしょうか?
ここではちょっと乱暴な
書き方を、
あえてしますね。
「意図」とは
我欲です。
我欲とは、
「すべてが分離している」
という前提において、
自分だけが良ければよい、
という意識の塊から
発せられるものです。
我欲と言うと、
それは良くないもの、
という印象があるかもしれませんが、
我欲はもちろん
すべての人にあり、
我欲があるからこそ
人間であるとも言えます。
「私にはもう我欲はありません」
と言う人がたまにいますが、
嘘です。笑
乱暴な言い方ですが、
自らの我欲を見つめていない
だけのことです。
我欲があるのが、
人としての尊厳である、
と私は思います。
人の素晴らしさとは、
高い次元から低い次元まで
すべての次元の意識を
包含しているところです。
それこそが
人であることの意味と
価値です。
「私には我欲がありません」
とか
「我欲を捨てなければなりません」
というのは、
人としての価値と意義を
自ら放棄していることになります。
とは言え、
我欲のみを尊重し、
我欲のみに巻かれて動けば、
ほぼ必ず
不調和が起きます。
争いや諍いが
起きます。
我欲とは、
人として
あるべきもの。
しかしその我欲は
我欲単体であるべきもの
ではなく、
高い次元の意識によって
活かされるもの
なのです。
高い次元の意識は
愛のエネルギーが
高いです。
(愛とは、については
またいずれ触れることに
なります。
今はあえて飛ばします。)
高い次元の意識が
我欲を活かすということは、
我欲が
愛のエネルギーで満たされる
ことになります。
愛のエネルギーで
満たされた我欲は、
「その人がこの世で発揮すべき個性」
となります。
別の表現を使えば、
「その人のミッション(使命)」
への道しるべとなるのです。
「意図」とは
我欲です。
ただしその我欲は
ここまでご説明したように、
高い次元の意識とつながっている場合と
つながっていない場合が
あるのです。
つまり、「意図」にも
ざっくり言うと、
2種類あるのです。
①単なる我欲のみによる意図
と
②高い次元とつながった我欲による意図
の2種類です。
私が
「意図を手放す」
と言っている「意図」とは
①の方です。
①の意図を手放すことで、
②の意図が発動するからです。
②の意図が発動すれば、
すべてが調和します。
争いも諍いも
非常に起こりづらくなります。
スムーズに道が
開きます。
・・・ということなんですね。
そして前回の記事で
申しました通り、
①の意図を手放すためには、
しっかりと思考レベルで
①の意図について考え尽くすことです。
①の意図を持ってはならない、
とか、
①の意図は、私にはもうない、
と言っている内は、
自分の知らないところで
①の意図に自ら
取り込まれてしまうのです。
自分と
向き合いましょう。
自分の心の中にある
あらゆる意識と
向き合いましょう。
高い次元から
低い次元まで、
たくさんの意識があるのが
私達人間です。
そこが
人の素晴らしさであり、
だからこそ我々は
進化できるのですから。
つづく