次元

次元で変わる

 

やはり

次元だな、

つくづく思った。

 

同じメンバーでも

その時その時の

次元が異なる。

 

次元の高い状態での

話し合いと、

次元の低い状態での

話し合いでは、

 

まったく同じテーマ

だとしても

 

話の展開が

根本から変化する。

 

私はコーチの仕事を

続けることで、

 

その場の次元

 

が、

ある瞬間にグッと

高まるという経験を

日常的に

させていただいている。

 

その瞬間は、

本当に空気が

変わる。

 

私の目に映る

その瞬間は、

その場全体が

一瞬、蜃気楼のように

観える。

 

グググッと

場全体が

透明なまま光り輝くのが

観える。

 

その瞬間から私は

私が場を引っ張るのを

やめてしまう。

 

その場の人達に

完全に委ねてしまう。

 

すると、

想定を超える面白い

展開となる。

 

創造的な展開と

なる。

 

次元が高まる

ということは、

その場の一人ひとりが

 

「私は何者か」

 

を思い出している

状態だ。

本質的には。

 

たとえそれを

顕在化していないと

しても、

 

その人は

本来のその人

 

となっている。

 

で、後ほど私は

そのお一人お一人に

対して、

 

あなたは側から

観ていたら、

まるで◯◯でしたよ、

 

フィードバックする。

 

それをすることで

さらに次元が高まる

頻度を上げていく。

 

次元の高い自分。

次元の低い自分。

 

人はあらゆる次元の

自分を最初から

持ち合わせている。

 

それこそが

人という存在の

魅力だ。

 

人生の魅力と

言ってもいい。

 

その魅力を

もっともっと味わう

ためにも、

 

もっとみんな

高い次元の自分を

知れるといいね。

 

つづく

 

次元を変えてみよう

 

皆、

答えがほしい。

 

答えがわかれば

道がわかる。

 

間違わずに

道を進みたい。

 

だから

答えがほしい。

 

しかし、

今、どれだけ

考えても考えても

答えが出ないので

あれば、

 

今、どれだけ

試行錯誤して試行錯誤して

それでも答えが

出ないのであれば、

 

次元を変える

しかない。

 

次元を変えるとは、

喩えて言えば、

この地球上から

抜け出るようなもの

である。

 

例えば

地球上でどれだけ

旅をしても、

何年旅をしても、

 

地球上での旅は

地球上での旅だ。

 

どれだけ経験を

積んでも

同じ地球上での

経験だ。

 

同じ次元での

経験だ。

 

次元を変えるには

宇宙に旅立つしか

ない。

 

宇宙に出て、

地球よりも巨大な

自分となり、

 

自分の掌に

地球を乗せる。

 

それくらいの状態に

なれて

次元が変わった

と言えるのだ。

 

今、

あなたは

超巨大化し、

 

あなたの掌に

地球がある、

イメージしてみてほしい。

 

地球をじっと

見つめてほしい。

 

その地球を

ただのイメージだとは

思わずに、

 

本物の地球、

実在の地球が

掌にあると

思えるくらいの状態で、

 

「この地球には

何が必要か?」

 

問うてほしい。

 

そしてあなたなりの

真剣な答えを

一つでも見出してほしい。

 

ここまですると

ひょっとすると

次元の異なる発想が

一つ出るかもしれない。

 

もしその発想が

出たとしたら、

 

しかしそこで

終わってはならない。

 

今度は、

「ここ」に

地球上に

戻って来ねばならない。

 

そして、

先程の発想を得た

あなたとして、

 

「では私は

今日、何をしようか?」

 

問うてほしい。

 

もしくは、

 

「私の欲しかった

答えは

何だろうか?」

 

問うてほしい。

 

どれだけ次元を

変えても、

「今ここ」に

戻らねば意味はない。

 

高い次元の発想を

得たら、

必ず、

 

「今ここ」と

結ぶこと。

 

日常の自分と

結ぶこと。

 

自分の次の一歩

現実の一歩

結ぶことだ。

 

なぜなら私達は

「ここで」

生きているのだから。

 

つづく

 

曲がり角を迎えたら

 

人生には

曲がり角

がある。

 

曲がり角が

見えてきたとき、

 

あなたは

どうする?

 

角を曲がる?

 

それとも

これまでの通り、

まっすぐ進む?

 

「時と場合ですよ」

 

という答えが

返って来そうだ。

 

もちろん

そうなのだが、

 

私の場合、

曲がり角を

感じたら、

 

とりあえず

曲がってみる

ことにしている。

 

「とりあえず」

と書いたが、

実は

全力で曲がる。

 

曲がるなら

全力で

曲がる。

 

すると必ず、

これまでの自分では

まったく知らなかった

世界が

そこに広がる。

 

そうしたら、

その世界に

やはり

全力で入って行く。

 

その結果、

その世界が

自分の新たな道

となることもある。

 

いや、これは

違うな。

 

・・・と、たとえ思ったと

しても、

私の場合、

曲がり角を

曲がってしまったことを

後悔はしない。

 

違うのなら、

この新たな世界

新たな道と、

 

これまでの道

 

統合・融合

してしまおう。

 

・・・とする。

 

すると

面白いことに

本当に

それができる。

 

しかもその場合、

統合・融合に

よって

明らかに

「次元」が一つ

上がる。

 

人生の次元が

上がる。

 

でもよくよく

考えれば、

統合・融合とは、

次元を上げる

ことなのだ。

 

ということは、

結局のところ

曲がり角は

曲がらねば損だ。

 

ということだ。

私の場合。

 

私は

曲がり角とは、

 

人生の

プレゼントだと

思っている。

 

ここまで

人生に対して

真摯に向き合い、

懸命に進んで来た

からこそ

プレゼントされるもの。

 

それが

曲がり角。

 

そのように

受け止めることに

している。

 

つづく

 

一体全体、何をするんだ?

 

人類にとって

今からの30年というのは、

その後の歴史を

決定づけるだろう、

私は見ている。

 

どのような歴史を

創っていくかは

すべて

私達人類の

「自業自得」

である。

 

どうせ世の中は

自分の力の

及ばないところで

勝手に

進んでいくから。

 

という人が

多ければ多いほど、

歴史は

混乱と混沌の方向に

進むだろうし、

 

自分の人生を

真剣に生きることが、

人類そのものの

歴史に大きな影響を

与えるだろう。

 

という実感を得る人

が増えれば増えるほど、

調和と進化の方向に

歴史は進むだろう。

 

この30年間で、

私達はどれだけ

それを自覚できるか?

 

ここに

懸かっている。

 

・・・・・・

 

「一体全体」

という言葉が

あるが、

 

「一体」が

「全体」を

決める。

 

「一体」が

「全体」を

決定づける。

 

・・・ということだ。

 

「全体」が

「一体」に

影響を与えることも

もちろん多いが、

「全体」とは

たったの「一体」から

大きく揺らされ

変わっていく。

 

組織サポートを

させていただいて

いると、

そのことはとても

よくわかる。

 

たったの一人が

本当に

この組織を良くしたい!

決意することで、

それが一気に

「全体」に影響を与える

という場面を

私は数知れず見てきた。

 

それは

組織上における

立場の上下は

関係ない。

 

新入社員さんの

たったの一言で、

その会社の命運を

左右する

新規事業や新会社が

立ち上がったことも

あった。

 

しかしまた、

逆もある。

 

例えば、

どれだけ組織のトップである

社長が

組織を変えたいと

願い行動をしても

つゆとも変わらず、

という場面も

たくさん見てきた。

 

「全体」に

影響を与えられる

「一体」と、

そうではない

「一体」。

 

この違いとは

何だろうか?

 

・・・・・・

 

その答えは、

私の言葉で表現すれば、

単純である。

 

「真本音かどうか?」

 

である。

 

つまり、

その「一体」が

発しているその言葉が、

行動が、

真本音と結びついて

いるかどうか?

だ。

 

と同時に、

次のようにも

言える。

 

「次元が高いかどうか?」

 

もちろんこれまでの

人類の歴史では、

次元の低い意識が

世の中を

動かしてきたことも

多かった。

 

しかしこれからは

少々、様相が

異なってくる。

 

実在(心の中の現実)

現象(心の外の現実)

結びつきが、

この数年で

格段に強くなっている

からだ。

 

今後もこの傾向は

ますます高まる。

 

次元の高い

発想ほど、

現実化しやすい

という傾向が

日々、高まっている

のだ。

 

意識の次元が

高まれば高まるほど、

私達はすべてを

「一つ」

と捉える。

 

「捉える」という

よりも、

真実はそうなのだが、

その真実を

自然に思い出せるように

なるのが、

「次元が高まる」

ということだ。

 

つまり高い次元では、

「自分の幸せ=周りの幸せ」

という発想が

当たり前のように

生まれ、

 

自分のために

がんばっていることが、

すべての人のためにも

なる、

という状態になる。

 

ここに真剣に

なれる人が

一人でも現れれば、

その組織(全体)を

大きく揺るがす。

 

社会(全体)を

大きく揺るがす。

 

という真実を

皆が思い出していけば、

私達の歴史は

調和と進化の方向に

向かうだろう。

 

・・・・・・

 

人類は

生き延びることが

できるか?

 

混乱と混沌に

よって

疲弊する歴史ではなく、

 

本当に人々が

幸せを追求できる

歴史を

創り出せるか?

 

そのために、

「私」は

今日、何をするか?

 

ちょっと大きなことを

言っているようだが、

実は決して

そうではなく、

 

私達が

日々の日常に対して

自分のすべきことを

しっかりとし続ける

ことが、

「一体」が「全体」に

影響を与える

最も近道だ。

 

自分自身が

かけがえのない

「一体」

であるという自覚。

 

自分の今日の

生き方が

(特に実在のレベルでは)

「全体」に影響を

与え続けている

という自覚。

 

今こそ

それを持ちつつ、

進もうではないか。

 

つづく

 

妥協なく進もうではないか

 

私達の中にある

真本音の願いは、

 

何があっても

揺らぐものでは

ない。

 

それは

生まれた瞬間から

存在し、

 

人生経験を経る

ことで、

徐々に明確に

なっていく。

 

そして、

ある時ある瞬間に

一気に

その姿を

見せる。

 

それは

「準備」が整った

証だ。

 

「準備を整える」

ための

人生のステージと、

 

「準備完了から」

始まる

人生のステージと、

 

私達の人生は

明確に二つに

区別される。

 

残念ながら、

最初のステージを

終える前に

人生を終えてしまう

人が

これまでは

ほとんどだった。

 

しかし

これからは

違う。

 

二つ目のステージに

人生の大半を

費やす人の割合が

劇的に

増えていくだろう。

 

つまりは、

人は

間違いなく

変わっている。

 

時代は

間違いなく

変わりつつ

あるのだ。

 

・・・・・・

 

この、

時代の変化を

私達はきちんと

受け止めねば

ならない。

 

これまでと

同様の

世の中が続く

と思っては

ならないし、

 

これまでの

「やり方」

の延長線上に

これからのやり方が

あるとは

思ってはならない。

 

もっと端的に

言おう。

 

これまでの時代は、

 

自分の使命を

見つけるために

人生の大半を費やす

時代だった。

 

これからは、

 

自分の使命を

見つけるのは

当たり前。

 

使命を見つけた

人達が、

使命を実現するために

人生の大半を

費やす時代

だということだ。

 

当然、

人と人の

関わり方、

 

そして、

組織のあり方、

仕組み

そのものが

 

大きく変貌する

はずだ。

 

ゆくゆくは

資本主義そのものが

何か別のものに

変換されるだろう。

 

そしてそのための

変換点は、

ほぼ、

この30年以内に

集約されると

私は観ている。

 

「観ている」

というのは、

予測している

ということではない。

 

「実在を感じ取っている」

ということだ。

 

この30年で

ほぼ、すべてが

決まる。

 

人類の

行く末が、

この30年間で

決定される。

 

と、

私は感知

している。

 

・・・・・・

 

この3次元の世界

では、

「時間」とは

過去から未来へと

一方向に一定の速度で

進むものだ。

 

つまり、

「時間」に自由は

ない。

 

これが、

この世界の宿命

だ。

 

しかし、

それ以上の次元に

なれば、

「時間」は自由

となる。

 

次元は

高まれば高まるほど、

「すべてが一つ」

になっていく。

 

つまり、

高い次元では

過去も今も未来も

「一つ」

である。

 

そして私達の中には

高い次元の意識が

確かに存在している。

 

ある意味、

3次元の私達の

見方で表現すれば、

高い次元の私達の意識は

「未来を知っている」

ことになる。

 

もちろん、

3次元的に言えば、

未来とは

無数にあるものだ。

 

しかし、

高い次元からいえば、

それらすべてを

含めても、

私達は「一本道」の

中にいる。

 

「実在」とは

心の中の現実。

 

それを感知する

とは、

高い次元の意識を

感知する

ということ。

 

私達は

真本音度合いを

高めることで、

誰もが

それができるようになる。

 

・・・・・・

 

高い次元の意識は、

「脳」を使わずに

ダイレクトに

理解できるものだ。

 

そこにチャンネルを

合わせれば、

今後のこの30年が

いかに重要かが、

理屈ではなく

感覚として

よくわかる。

 

恐らく、

遠い未来から

今を振り返れば、

この30年は

新たな時代の

「始まりのとき」

という位置付け

だろう。

 

そしてその

「始まり」の

始まりが、

 

この

2019年

だ。

 

この一年で

私達が

・何を成し、

・何を成さないか、

によって

この後の流れが

大きく変わるだろう。

 

だからもう私は、

妥協せずに

進もうと

決意を新たに

しているところだ。

 

つづく

 

屈託のない笑顔はあるか

 

屈託のない

笑顔というのは、

いいねぇ。

 

どれだけ

年齢を重ねても、

まるで

子どものような

無邪気な笑顔を

見せる人が

いる。

 

その瞬間は

ハッとするような

風が吹く。

 

実は。

 

真本音度合いが

高まると

そういった笑顔が

増える。

 

心の中の

余分な何かを

手放せば手放すほど

そういった笑顔が

増える。

 

人間は

まずは

笑顔から

変わるもの

なのかもしれない。

 

・・・・・・

 

実は。

 

今、

日々

感じていることであるが、

 

赤ちゃんでも、

2〜3歳の幼児でも、

険しい笑顔の

子ども達が

増えた。

 

笑顔の奥に

苦しさが

観える。

 

すると私も

とても

息苦しくなる。

 

電車の中などで

そのような

子ども達を見ると、

いったいこの社会は

どうなってしまったのか、

思わざるを得なくなる。

 

私は日々、

次世代の子ども達に

よりよい社会を

残したい、

との想いで

今のお仕事を

続けているが、

 

それよりも前に

子ども達が

子ども達でいるうちに

潰れてしまうのでは

ないか、

という危機感を

 

今はとても強く

持つようになった。

 

私は、

子ども達の

真本音度合いを

もっと

高めたい。

 

そのためにも

これまでは

大人達に向かって

きたが、

もっと子ども達に

直接何かを

する必要は

ないだろうか?

 

そんな問いが

浮かぶように

なった。

 

今は何も

わからないが。

 

・・・・・・

 

ところで。

 

先日、

私のビジネスパートナーと

ミーティングを

しているときに、

 

これまで何度も

問われ続けていた

質問を

また受けた。

 

「たけうちさんは

何のために

企業のサポートに

向かっているのですか?」

 

ふと。

 

これまでとは

まったく

別視点の答えが

浮かんだ。

 

「私は、

若い人達が

真に成長できる

組織を

増やしたいのだ」

 

と。

 

今の多くの組織は、

若い人達の

成長を助長できる

ものには

なっていないのでは

ないか。

 

若い人達は、

我々の世代よりも

間違いなく

「意識の次元」が

高い。

 

という実感が

私にはある。

 

次元の高い

人達が

本来のその人らしく

伸び伸びと

活躍しながら

成長を続ける。

 

それができる

組織は

あまりに少ないのでは

ないか。

 

今の子ども達は

さらに

意識の次元は

高そうだ。

 

そんな彼らは

あまりに低い次元の

今の社会の

空気感の中で、

もうすでに

絶望感を抱いている

のではないか。

心の深奥で。

 

我々の世代が

創った組織のままでは、

恐らく

ダメだ。

 

我々の世代の

発想の範疇で

創られた組織では

恐らく

ダメだ。

 

これまでにない

まったく新しい

組織を

若い人達と共に

創り出していく、

 

もしくは、

若い人達が中心で

創り出すことを

我々の世代が

サポートする。

 

そんな

意識の転換が

必要なのではないか。

 

私は思う。

 

だから。

 

だから。

 

だから・・・。

 

私は強く

思うのだ。

 

今の世の中には

コーチが

必要だ。

 

若者達を、

子ども達を

きちんとサポート

できる、

コーチが

必要だ。

 

つづく

 

今の場所に答えはない

 

目の前に

大きな川が

流れています。

 

対岸は

遥か彼方に

見えます。

 

こちらから

対岸に

大きな橋が

架かっています。

 

その橋を通ることで、

私達は

対岸に行くことが

できます。

 

ところが、

超巨大な台風が

この地を襲い、

その橋は

破壊されてしまいました。

 

橋は粉々に

砕け、

対岸に行く術が

なくなってしまいました。

 

いったい

どうしたらよいのだろう?

と、

私達は茫然と

佇んでいます。

 

・・・・・・

 

時間がかかっても

新しい橋を

もう一度、

作り直そうか?

 

それとも

ここから何10kmも

先にある

別の橋まで

迂回しようか?

 

それとも

いっそのこと

泳いで渡ろうか?

 

船は

用意できない

だろうか?

 

どうしても

対岸まで行かなければ

ならない時、

私達はそのように

悩むでしょう。

 

しかしどの方法も

どうしても

最善だとは思えません。

 

どうしたら

よいでしょうか?

 

・・・・・・

 

人生では、

このような場面に

何度も出会います。

 

組織活性化の

サポート現場においても、

どの企業様でも必ず

このような場面に

出会います。

 

暗中模索。

 

五里霧中。

 

八方塞がり。

 

こんな時に限って、

次々と

台風が襲ってきたり

します。

 

そうなるともう

あきらめるしかないのだ、

どうしてもなりがちです。

 

確かに

私自身も

お手上げ状態に

なります。

 

・・・・・・

 

この

「お手上げ状態」に

なってからが、

私は、

組織活性化の本当の

スタートであると

思っています。

 

「お手上げ状態」

の時、

私は本当に

「お手上げです」と

マイッタをします。

 

もう

どうしようも

ありません。

 

と、

素直に認めます。

 

しかし、

目の前の現実、

・・・つまりは、

大きな川と

激しい台風から

目を反らすことは

決してしません。

 

お手上げのまま

じっと、

それらの「現実」達と

向き合い続けます。

 

もちろん

私だけでなく、

その組織の皆さんにも

同様にして

いただきます。

 

そして、

皆さんが

本当の意味で

開き直った時。

 

私達は

次元を一つ上がる

ことができます。

 

組織の「脱皮」の

瞬間です。

 

・・・・・・

 

次元が上がる

とは、

これまでとは

まったく別のステージに

上がる

ということです。

 

すると、

同じ現実でも

「現実の観え方」が

根本的に

変わるのです。

 

上記の喩えで言えば、

 

目の前に

存在していたはずの

大きな川が

実は

存在していなかった、

ということに

気づいたりするのです。

 

激しい台風だと

思っていたものが

実は単なる

思い込みに過ぎなかった、

とか。

 

もちろん

そのように解釈し直す、

という話では

ありません。

 

物事をすべて

前向きに捉えましょう、

という話でも

ありません。

 

本当に、

すべてが

違って観える

ようになるのです。

 

「世界」が

変わるのです。

 

「現実」は

同じなのに。

 

すると、

これまでは決して

観えなかった進み方が

明確にわかるように

なります。

 

それはそうです。

 

大きな川も

激しい台風も

ないのですから。

 

そこには

何の問題も

初めからなかった

かのように、

私達は

淡々と前に進むことが

できます。

 

これが、

次元が上がる

ということです。

 

・・・・・・

 

同じ次元に

いては、

私達が本当に

欲している道には

たどり着けません。

 

ましてや、

同じ次元の中での

「どちらが正しいか?」

をやっている間は、

決して進めませんし、

 

そこには、

争いや戦いや諍いが

あるだけです。

 

誰が正しいか?

 

何が正しいか?

 

ではないのです。

 

私達は

そこから早く

抜け出さなければ

ならないのです。

 

これが今の

私達の

共通のテーマです。

 

特に、

最高速で進もうと

する者の

最重要テーマ

なのです。

 

つづく

 

もう思惑なんていいじゃない

 

これまでの

延長線上の未来を

描くことは、

 

もういっそのこと

やめて

しまいましょう。

 

そこに

私達の

本当に望む未来は

ありません。

 

よくよく考えると、

人生が

きれいな比例直線

のように

進むことは

ほぼありません。

 

どこかで

これまでの流れが

断絶し、

 

どこかで

これまでとは

まったく別の

地点に飛んだり、

 

別の世界に

ワープしたり、

 

非直線的に

進みます。

 

要するに、

思惑通りには

進まないのが

人生です。

 

なぜなら

私達の真本音が

「思惑を超える」

ことを

望んでいるから

です。

 

非線形

の人生。

 

これが、

普通の人生です。

 

・・・・・・

 

どうせ

思惑通りに

いかないのであれば、

 

その

思惑通りに

いかないこと自体を

楽しみましょう。

 

思惑通りの法則に

則らない、

という法則を

そのまま受け入れる

ことで、

 

私達は

ある種の

次元の異なる

安定感を得ます。

 

何が

起きてもいいし、

 

何も

起こらなくても

いいや。

 

というところに

立ち、

 

すべての思惑を

手放し、

 

ただ

「ここ」

にいる。

 

そのような状態に

入ることで、

非線形の人生は

 

一気に

加速します。

 

反応本音のレベル

では、

それを

「怖い!」

と認識するかも

しれませんが、

 

それは

あくまでも

反応本音。

 

その反応本音すら

そのままに

しておきます。

 

つまり

心もそのまま。

 

何がどのように

動いてもいい。

 

という状態に

しておきます。

 

・・・・・・

 

ということは

つまり、

 

現実で、

何が起きても、

何も起こらなくても、

いい。

 

心の中も、

何が起きても

何も起こらなくても

いい。

 

という状態にします。

 

これを

私のよく使う言葉で

さらに端的に

言えば、

 

実在も

現象も

どうなっても

いいや。

 

・・・という状態。

 

実在も

現象も

あるがままで

いいや。

 

・・・という状態。

 

こうなることで

私達は

完全なる自由を

手に入れます。

 

非直線的で

非線形の

人生を、

 

まったく

思惑を持たずに、

 

完全に

コントロール

する状態と

なります。

 

そこに至って

私達は

知るのです。

 

なんだ、

すべては

「一つ」

ではないか。

 

すべては

「私」

であり、

すべては

「あなた」

ではないか。

 

私がこれまで

「思惑」と

呼んでいたものは、

 

全体の中の

たった一個の

細胞が、

全体から

分離された

とてつもなく狭い

視野の中での

とてつもなく

小さな意図に

過ぎなかったのだ、

と。

 

本当の意図は

ここにあった。

 

本当の意図は

「すべて」に

あり、

そして

「私」にあり、

さらに

「あなた」に

あった、

と。

 

言葉にすると

ややこしく

なりますが、

 

以上を

「感覚として」

完全に

理解している、

・・・というよりも

思い出している

意識を

 

『8次元の意識』

 

と私は呼んでいます。

 

・・・・・・

 

8次元の意識を

思い出したと

言っても、

低い次元の意識が

なくなることは

ありません。

 

すべてが一つである、

とわかっている

意識もあれば、

 

すべてが分離した

中で生きる意識も

あります。

 

すべての次元が

共存する

世界。

 

それが、

「人間」

です。

 

そんな「人間」が

繰り広げる人生

なのですから、

 

それが

面白くないわけが

ありませんね。

 

つづく

 

コーチングを超えたコーチになろう

 

真のコーチとは

真のコーディネイター

でもある、と

私は思っています。

 

例えば、

Aさんが何かに悩んで

いたとします。

 

Aさんの悩みの

解決策を

見つけようとする場合、

「答えはAさんの中に

あるから」

ということで、

Aさんに様々な問いを

投げることを、

一般的にはコーチングと

言われています。

 

もちろん必要に応じて、

コーチが何らかの

アドバイスや提案も

するでしょう。

 

しかし私は

そういったことをする

以前に、

次のことがとても

重要であると思っています。

 

すなわち、

 

Aさんの悩みの

解決策は、

誰と一緒に考えれば

よいだろうか?

 

もしくは、

 

誰がAさんに

アドバイスをすると

よいだろうか?

 

もしくは

 

Aさんのその悩みを

誰にぶつけると

よいだろうか?

 

という視点です。

 

特に組織においては

これはとても大切で、

 

一人の悩みを

一人の中だけで

解決するのは

もったいないと

私は思うのです。

 

これは別に

「悩み」だけに言える

ことではなく、

例えば、

「目標」についても

同様のことが言えます。

 

Aさんの目標を

達成するために、

誰が関われば

よいだろうか?

 

ということです。

 

人と人との

関わり。

 

そして、

人と人との

相乗効果。

 

そして、

相乗効果の上での

一人では到底

実現できないであろう

「現実」の創造。

 

そういったことを

促すサポート役が

コーチであると

私は考えます。

 

ですから

真のコーチとは

真のコーディネイター

である必要があります。

 

・・・・・・

 

AさんとBさんが

タッグを組んだら

100のパワーが出た。

 

でも、

AさんとCさんが

タッグを組んだら、

10000くらいのパワーが

生まれた。

 

ということは、

日常茶飯事のように

あります。

 

ですからその意味でも、

今、このAさんと

誰が組めばよいのか?

 

これを見極める力は

コーチには必須です。

 

しかしその見極めの

力をつけるためには

かなりの経験が

必要である。

 

・・・と、

ちょっと前までの私は

思っていました。

 

しかしどうやら、

そうでもないようです。

 

実は、

経験値の低い

若い人達の感性で、

この見極めができてしまう

という場面に

最近、多く遭遇しました。

 

最近の若い人達の

感性は凄い、

です。

 

しかしそれは

「若い」から凄い

のではありません。

 

次元の高い人達が

どうやら、

今の若い人達には

多いようなのです。

 

誰と誰を

組み合わせれば

よいか?

を見極める力は、この

次元の高さが

直接影響します。

 

・・・・・・

 

今の若い人達、

つまりは

10代や20代、そして

30代前半くらいまで

でしょうか、

 

これらの人達には

次元の高い人が

多いようです。

 

しかしもちろん

そういったことを

彼らは自覚していません。

 

天然で

やっています。

 

そういった彼らに

対して、

彼らをどのように

育成するか?

ということについては、

これまで私達の世代が

培ったやり方では

まったく通用しません。

 

次元の高低によって

育成の仕方は

根本的に変わるからです。

 

そういったことも踏まえ、

そろそろ私は

「次元」について

真剣に語らねばならないかな

と思い始めています。

 

物事には

「区別」が必要です。

 

区別すべきをしっかりと

区別することによって

次の一歩が

初めて観えてきます。

 

人の成長という視点では

最も基本的な区別は

「真本音と反応本音」

でした。

 

そして、次の区別が

「次元」

なのだと思います。

 

ですから「次元」について

多くの方々が

知る必要のある

時代になったのだな、と

今、強く思います。

 

このブログでも

いよいよ「次元」について

ダイレクトに

切り込んで行こうかな、と

思っています。

 

つづく

 

後悔とは、チャンスである

人はなぜ

後悔するのでしょうか?

 

後悔にも

様々なものがあります。

 

次元の低い後悔も

あれば、

次元の高い後悔も

あります。

 

次元が低いからダメ

という話では

ありません。

 

高くても低くても

後悔ときちんと

向き合いながら進むことは、

間違いなく私達に

進化をもたらします。

 

ただ・・・。

 

一つ、しっかりと

お伝えしなければ

ならないことがあります。

 

それは、

後悔には

「真本音の後悔」

もある、という

ことです。

 

・・・・・・

 

「真本音の後悔」

とは、

正確に表現すれば、

「真本音が

もたらしている後悔」

と言えば

よいでしょうか。

 

どういうことかと

言いますと、

一言で言えば、

 

「後悔のその奥に

願いあり」

 

ということです。

 

つまり、

真本音レベルの非常に

強い願いがあり、

その願いに気づくための

後悔の経験であった、

と。

 

その後悔が

あったからこそ、

自らの真本音の願いに

気づくことが

できた、

と。

 

願いに気づくための

重要な経験としての

後悔。

 

ということです。

 

しかも、

そういったもので

あればあるほど、

後悔の念は

深く、強く

なります。

 

ある意味、

立ち直れなくなるくらいの

魂が慟哭するかのような

後悔。

 

それが、

真本音のもたらす

後悔です。

 

ところが、

そういった強い後悔からは

どうしても私達は

逃げたくなります。

 

その後悔と

向き合うことは

非常に辛いことです。

 

そこでその後悔から

逃げ続ける一生を

続ける人も多いです。

 

でもそれは、

自らの真本音の願い

に気づくチャンスを

逸していることになります。

 

何のために

自分の人生が

あるのか?

 

自分は

何に向かって

生きていけばよいのか?

 

その大事な大事な

答え、

人としての

幸せをもたらしてくれる

答えに

気づくチャンスを

逸していることになります。

 

・・・・・・

 

では。

 

後悔との向き合い方。

後悔についての

セルフコーチング法の続き

をいきましょう。

(→【後悔する自分を責めてはならない】)

 

後悔の出来事の中でも

自分が特に

どのポイントにおいて

深く後悔しているか?

を特定するところまで

きました。

 

それが特定できたら、

次にまた

とても大事な質問を

「後悔の念」に対して

投げます。

 

それは、

 

「君は私に

何を伝えたいの?」

 

もしくは、

 

「君は私に

何をわかってもらいたいの?」

 

という問いです。

 

これも、

自分自身の「後悔の念」を

理解しようとする

質問です。

 

理解しようとすることで

自分自身との

信頼関係を深めていきます。

 

この問いに対しての

答えとは、

多くの場合

反応本音レベルのもの

です。

 

例えば、

 

「もう俺は嫌なんだよ。

逃げたいんだよ!」

 

とか、

 

「俺がこんなに苦しんで

いることを

知ってもらいたいんだよ!」

 

とか、

 

「俺はもう、

あいつとは一緒に

やっていけないんだよ!」

 

とか。

 

そしてここから先は、

まるでカウンセラーになった

気持ちで、

自分の後悔の念と

向かい合ってください。

 

「それは

どういうことなの?」

 

「もう少し

詳しく教えてくれる?」

 

「どんな理由から

そう思うの?」

 

「そう言いながらも、

本当は私に

何を伝えたいの?」

 

「本当に、一番

解消してもらいたい

苦しみは何?」

 

「私に直してもらいたい

ことはある?」

 

「私にしてもらいたい

ことはある?」

 

「君はどうすれば、

もっと楽になれる?」

 

「君は本当は

何を望んでいるのだろう?」

 

「君は何のために、

私の両肩に乗っかっている

と思う?」

 

「君の切実な

願いとは何だろう?」

 

・・・などなど。

 

すべてが

「理解しよう」

とするための質問

です。

 

大切なのは、

返ってくる答えに対して

いっさいの

評価・判断をしないこと。

 

つまりそれは

否定をしないことは

もちろんですが、

肯定もしないこと

です。

 

否定も

肯定も

なし。

 

「知ろう」と

するだけです。

 

「あなたのことを

もっとよく知りたいんだ」

という意志を

その後悔の念に

向けていきます。

 

「愛」

という言葉がありますが、

愛のファーストステップは

「理解しよう」

という意志です。

 

私は、「愛」というのは

「エネルギー」だと

思っていますが、

「理解しよう」という

意識を向けることで、

そのエネルギーは

発生し、相手に

伝わります。

 

これは、

他者との人間関係でも

まったく同じですね。

 

・・・・・・

 

「理解しよう」という

愛のエネルギーを

受けることで、

後悔の念はさらに

浄化されるでしょう。

 

ポイントは、

その「後悔の念」が

最も伝えようとしていること、

わかってもらいたいと

思っていることを

ピンポイントで

特定・理解することです。

 

そこが特定できれば、

後悔の念は

ほぼほぼ浄化されます。

 

両肩がかなり

軽くなるのを

感じるでしょう。

 

そうなったところで

初めて、

いよいよ

「真本音」の

登場です。

 

つづく

 

この世界の限界を超えていこう

3次元の世界に住む

私達の目は、

何かと何かをすべて

分離して捉えています。

 

例えば、

私とあなた。

私とパソコン。

パソコンとマウス。

マウスと書類。

書類とコーヒーカップ。

コーヒーカップとコーヒー。

コーヒーと時計。

時計と壁。

壁と窓。

窓と隣の建物。

・・・

 

すべてが分離され

区別された世界。

 

それがこの

3次元の世界です。

 

ここで私達が見ているものは

すべて

私達の脳が感知している

ものです。

 

脳が感知できないものは

私達は感知できません。

 

そしてその脳そのものが

3次元のもの。

 

3次元世界のための

もの。

 

最近は脳科学もかなり

進んできたようですが、

それでもまだ私達は

脳のことについて

1%も理解できていない

と聞きます。

 

間違ってならないのは、

脳の理解が

人の理解である、

と思い込むことです。

 

あくまで、

脳の理解とは、

この3次元世界の理解に

過ぎません。

 

・・・・・・

 

3次元世界に生きているから

3次元のことを理解できれば

いいではないか。

 

という考え方もあるでしょう。

 

しかし、

私達の実在、つまりは

心の中の世界とは

4次元以上の世界です。

 

最低次元は4次元。

 

そこから

5次元、6次元、7次元・・・

と階層ができています。

 

実は、

そういった数字を当てて

「階層ができている」

という捉え方そのものが

3次元的理解なのですが、

それは

3次元で生きる私達には

3次元での表現の範疇でしか

物事の理屈的理解はできませんので、

致し方ありません。

 

3次元以上のことを

3次元世界において少しでも理解するには

3次元表現をするしか

ありません。

 

ただ、

真本音度合いが高まり

意識の次元が高まることで

頭(理屈)での理解を超えて、

感覚や実感として

私達は4次元以上の世界を

理解できるようになります。

 

それは、

「理解」というよりも

「思い出す」という

表現がぴったりです。

 

そうです。

 

私達は

忘れてしまっている

だけなのです。

この3次元の世界の

中で。

 

・・・・・・

 

実在の世界、

つまり心の中の世界とは

最低次元が

4次元です。

 

そして

5次元、6次元、7次元、・・・

と上がっていって、

最高次元はそれこそ

無限大と言ってよいでしょう。

 

無限大とはつまり、

3次元における数字では

表現しきれない

ということです。

 

それくらいに

私達の心の中というのは

広くて深いのです。

 

それが

人の可能性でもあります。

 

人の可能性は無限大、

とよく言われますが、

本当にそうであることを

私はよく理解できます。

 

ただ、

先ほども書きましたとおり、

3次元に住む私達は

3次元の見方しかできませんので、

その範疇に留まります。

 

つまり

3次元的に考えられる

発想の中で、

さらに3次元的な

「限界」を

自ら設定し、

その中で細々と

生きています。

 

そうです。

 

細々と、です。

 

・・・・・・

 

限界を、

超えましょう。

 

そろそろ。

 

私達は私達の

限界を超えたがって

います。

 

それが私達の

真本音の共通の

意志です。

 

ここまでの世の中は

ほぼすべてと言って

よいですが、

3次元世界の中でいかに

上手く生きていくか?

という3次元発想に

基づいています。

 

人としての

生き方もそう。

ビジネスの仕方も

経営の仕方も

すべて、

3次元世界の中で

いかに上手く生きていくか?

に基づき

開発されてきました。

 

3次元世界における

成功者とは

そのやり方を上手く

実践できた人達です。

 

ただ、

もう誰もがすでに

わかり始めているように、

それらのやり方では

それこそもう「限界」が

きているのです。

 

私達はやり方を

抜本的に

変えていかなければ

なりません。

 

そうしないと

この世界は

どうなってしまうのか?

 

という危機感を

持ち始めているのが

今の私達です。

 

私達は

危機感を

共有しています。

 

しかしその危機感に

対して、

これまでと同様の

3次元的発想で

対処していては、

何も解決できません。

 

これまでの私達は

3次元という現象(現実)の

世界の中で、

3次元的発想によって

生きてきました。

 

しかしこれからは、

実在の世界における

できるだけ高い次元の

意識ややり方を

この3次元世界に

反映させていく必要が

あります。

 

3次元の世界に

高次元のやり方を

持ち込むのです。

 

それによってのみ、

これまで解決できなかった

様々な問題が

一気に解決できる

可能性が広がります。

 

そしてそのやり方は

すべての私達が

心の中ではすでに

わかっていることばかり

なのです。

 

答えはわかっているが、

忘れてしまっている。

 

それだけのこと。

 

忘れてしまっていることを

思い出す。

 

それが私達の

本質的テーマです。

 

高次元の話をしますと、

ついつい人は

「現実とはつまらないものだ」

と考えがちです。

 

しかし

そうではありません。

 

私達はこの

現実世界に生きていますから、

今、目の前にある

「現実」を大切にすることが

私達自身を大切にすること

です。

 

高次元で生きる、とは

現実から離れることではなく、

ますます

現実に向かい合っていく

ことです。

 

高次元の意識で

現実に向かい合い、

高次元のやり方で

一つずつ現実を

変えていく。

 

それが今の私達が

為すべきことです。

 

私はこれまでも

そしてこれからも、

そのためのサポートを

し続けます。

 

そして、

私と同じく

そのためのサポート役を

したいと思っている

人達が今、

増えています。

 

そんな人達に、

「サポートのやり方」

をお伝えするのが、

私のミッションです。

 

サポート役の

サポート役かな。

 

そのための活動を

さらに増やしていこうかと

考えています。

 

つづく

 

心の中が変わっただけでは進化とは言えない

私達は現実世界に

生きています。

 

現実世界に生きるとは、

この世界の空気を吸い、

この世界の様々な現実に触れ、

この世界で行動をする

ということです。

 

逆に言えば、

その実感がなければ、

それは「生きている」とは

言えません。

 

今年に入ってから

このブログでは

一貫したテーマとして

「次元を上げる」

ということについて

お話しさせていただいています。

 

次元というのは

「実在」レベルでのお話です。

つまりは、

心の中のお話です。

 

ところが、

どれだけ次元を高めたとしても

それを「現象」レベル、

つまりは現実レベルで

それが発揮されていなければ

それは、何も変わっていない

のと同じなのです。

 

つまりは、

「心の中」と「行動」の

一致をさせること。

 

「心の中の願い」と

「現実のカタチ」を

一致させること。

 

それをせずに、

心の中のみで

「私は次元が高まった!」

と喜んでいても、

それは自己満足に過ぎません。

 

次元の高まりを

実感できたのであれば、

それをすぐさま

行動に移すことです。

 

自分の振る舞いの

たった一つでもよいですから、

実際に変えることです。

 

もちろん、

次元が高まれば

無意識にそれが成される

ことも多いです。

 

自分の意識しないところで

自然に空気感が変わったね、

自然に振る舞いが変わったね、

自然に行動パターンが変わったね、

ということはあります。

 

しかし

私達には顕在意識があります。

 

この世で生きているのは、

顕在意識です。

 

顕在意識レベルでの

「意図」が

大事です。

 

私は、

ここが変化した。

こんな風に

次元が高まった。

だから、

私はこれから、

この私の想いを

このように行動に反映させよう。

 

・・・そんな「意図」が

大切です。

 

無意識に変化する部分と

顕在意識的に

変化させようとする部分、

それが一致した時に初めて

「脱皮」が成立します。

 

片方だけでは

成立しないのです。

 

「今の自分の状態」と

「理想の自分の状態」の

あまりのギャップに

悩む人が増えています。

 

ギャップがあるのは

当然です。

 

どれだけ「実在」レベルで

成長しても、

それを「現象(現実)」レベルで

実現するのは、

私達の顕在意識に

他ありません。

 

ギャップを感じるからこそ、

その気持ち悪さがあるからこそ、

私達は

行動を変化させることができます。

 

では、

私は、私の何を

変えれば良いだろうか?

 

・・・この問いを

常に大切にすることですね。

 

昨日の私と

今日の私が

同じであるはずはありません。

 

実際に、

実在レベルでも

この3次元世界においては

それは別物です。

 

以前のブログでも

書かせていただきましたが、

0.1秒前の自分と

今の自分と

0.1秒後の自分は

すべて別物なのです。

 

分離しているのです。

 

それが同じであると

思っているのは、

単なる「思い込み」にしか

過ぎません。

 

分離しているからこそ

できることがあります。

 

分離しているからこそ

チャンスがあります。

 

私達は

いつでも自分を

「変化」させることが

できるのです。

顕在意識を使って。

 

自分を本当に

成長(進化)させようと

思うのであれば、

本気で

「変わろう」

としてください。

顕在意識レベルで。

 

すると、

「実在」での変化と

「現象(現実)」での変化の

一貫性が

取れてきます。

 

それにより、

私達は本当に

望む方向に

変化できます。

 

心の中だけを

変えてもダメです。

 

行動を

変えなければ。

 

急速な次元の高まりを

しているあなたにこそ

お伝えしたい

メッセージです。

 

つづく

 

無理な自己肯定は苦しみしか生まない

「私はなぜ、こんなにも

これまでの自分に

固執してしまうのでしょうか。

自分の殻を破りたいと思っても、

どうしても、それができません。

これまでの自分のまま

行けばいいじゃないか、という

自分が出てきて、

自分を支配してしまいます。

私は一生、このまま

行くのでしょうか?」

 

あるクライアントさんの

この切実な声を聴いたとき、

私は、

あぁこの人は大丈夫だな、

と思えました。

 

もうすでに

ちゃんと自分を

否定しています。

 

これまでの自分ではいけない、

ちゃんと自分を否定しています。

 

そして、

これまでの自分に

固執してしまう自分を

ちゃんと否定しています。

 

私は、

 

「自己否定感」

 

って、とても大事だと

思っています。

 

よく、

「自己肯定感を大事に

しましょう」

と聴きます。

 

もちろん、大事です。

 

でも同時に、

自己否定感も私は

私達人間にとっては大切な

宝物だと思うのです。

 

大事なのは、

・どこを肯定して

・どこを否定するか

です。

 

これは、

私達自身の真本音が

決めることです。

 

ところが、これが

ずれている人が

います。

 

すると、とても苦しい人生展開と

なります。

 

よく、やみくもに

「自己肯定感が大事だ」

と言い続ける人がいますが、

それは間違いです。

 

肯定の裏には

必ず、否定があります。

 

「肯定しよう」と思う心の裏には

必ず、

「否定しよう」という自分が

隠れています。

 

否定する自分を消して、

肯定だけの自分になる

というのは、

自然の摂理に反しています。

 

自然の摂理に反することを

すれば、

私達人間は苦しみます。

 

15タイプというお話を

最近は書かせていただいて

いますが、

(→【最も苦しい状態に入ると、人はどうなるか?】)

なぜ人は15タイプにまで

落ちてしまうかと言いますと、

それは、

いびつな自己肯定感に

よるものです。

 

何でもかんでも

自己肯定しようとする

不自然さが、

多大なるストレスを生み、

そのストレスの苦しみから

逃げるために、

現実逃避に走り、

その結果として

15タイプにまで落ちてしまいます。

 

「肯定」

という言葉の裏には必ず

「否定」

があります。

 

「肯定」と「否定」は

同次元です。

 

同次元による

「解釈」にすぎません。

 

大切なのは、

すべてを

「あるがままに見つめる」

こと。

 

それをすることで、逆に、

「今の私は自分自身の

何を肯定し、

何を否定すればよいか?」

が観えてきます。

 

観えてきたら、

肯定すべきをしっかりと

肯定し、

否定すべきをしっかりと

否定する、

ということをすればよいのです。

 

それによってのみ、

私達は

本当の一歩、

つまりは、真本音で望む一歩を

進むことができます。

 

しっかりと、

自己否定できる人は、

しっかりと、

自己肯定することも

できます。

 

中途半端にしか

自己否定できない人は、

中途半端にしか

自己肯定できません。

 

上記のクライアントさんの

言葉に対して、

私はどのようにお応えしたと

思いますか?

 

皆さんなら、

どのように対応

されますか?

 

私は、そのクライアントさんに

次の問いを投げました。

 

「では、あなたは

あなたの何を肯定していますか?」

 

です。

 

それをすべて明確に

しました。

 

すると、

素晴らしかったです。

 

そのクライアントさんは

ちゃんと自分のことを

観ている。

そんなことがよく

わかりました。

 

自分で自分の何を

肯定しているか?

 

をすべてきちんと

列挙すると、

 

自分で自分の何を

否定しているか?

 

もわかります。

 

そのクライアントさんは

言われました。

 

「あぁなるほど!

私は本当は、私のことを

全否定しているわけでは

なかったのですね。」

 

そして、

 

「なんだ、結局は、

私は、これから取ろうとしている

私の行動(選択)に対して、

恐怖を抱いていただけ

なのですね。

なんだ、そうか・・・。

私がこれから本当に行きたい

と思っている選択肢に

行くのが怖かっただけですね。」

 

・・・と。

 

で、私はさらに問いました。

 

「怖ければ、

やめてもいいんですよ。

自分でちゃんと決めるので

あれば、

行くのもよし、

やめるのもよし、

ですよ。」

 

すると、

そのクライアントさんは

きっぱりとお答えになりました。

 

「いえ、行きます。

ここで行かなきゃ、後で絶対に

後悔します。

なんだ・・・。

この一歩を踏み出せば

良いだけのことだったか・・・。」

 

あぁ、今この人、

次元が一つ、上がったな。

 

と実感できました。

 

う〜む。

 

人って、やはり

本当に凄いですね。

 

つづく

 

こんな迷い方をしてみよう

次のようなご質問を

いただきました。

 

「真本音が迷うことは

ないのでしょうか?」

 

お答えします。

 

真本音が

迷うことはあります。

 

ただしそれは

私達が通常捉えている迷い方とは

少し異なります。

 

一般的に言えば、

「迷い」とは

AかBか?

ということですね。

 

どちらを選択することが

メリットが大きいだろうか?と

通常は考えます。

 

しかし

真本音の「迷い」とは、

AとBという選択肢があった場合、

 

ABか、Cか?

 

・・・という迷い方をします。

 

これは

どういったことだと思いますか?

 

まずは

「AB」について。

 

AかBか?と

迷っているうちは、

私達は同じ次元にいます。

 

AもBも

どちらかが正しくて

どちらかが間違っていたとしても、

それは同じ次元にいます。

 

迷う、戦う、争う、・・・

ということは同じ土俵にいる

ということです。

 

どちらがより良いか?は

その人その人の解釈によるもので、

同じ土俵にいる以上は

同じ次元です。

 

「AB」とは

AもBも両方大事にする、

ということであり、

AもBも両方を尊重する、

ということであり、

AもBも超えたところにある解を

見出すということです。

 

それは

次元を一つ上がる

ということになります。

 

さて、次に

「C」について。

 

これは、

AとBとはまったく異なる

視点の答えということです。

 

次元が上とか下とかも

ありません。

 

AやBとは関係のない

ものです。

 

例えば、

次の休日にどう過ごそうか?

と迷っていた場合、

  1. 映画に行こうか
  2. ハイキングに行こうか

という選択肢だったとして、

Cというのは、

「今晩は寿司食べよう」

と言っているようなものです。

 

一見、まったく

関係がありません。

 

しかしまったく関係のない

方向に進むことで、

面白い展開になることが

あります。

 

例えば、

今晩、寿司食べよう、と思い、

その通りに食べに行ったら、

お寿司屋さんの大将の一言が

きっかけとなり、

次の休日の過ごし方が

決まった、とか。

 

つまり、

「AB」・・・

次元を超えた発想を自分に直接

与えるか?

「C」・・・

何らかの体験・経験を通じて

答えに気づくか?

この二つについての「迷い」を

真本音は持ちやすいのです。

 

この真本音の傾向を知っておくと、

セルフコーチングが

非常にしやすくなります。

 

私の場合、

何か「迷い」が発生した場合、

まずは、

あぁ、今の私が思いもつかない

次元の高い発想が生まれるんだろうな、

・・・と楽しみに待つ気持ちになります。

 

そして次に、

その答えは、今こうして発想するだけで

この場で生まれるものだろうか?

それとも、何らかの体験が

必要だろうか?

・・・という問いを自分に投げます。

 

で、直観的に

前者であると思った場合は、

じっと、答えが浮かんでくるのを

待ちます。

 

すると本当に

浮かびます。

 

直観的に

後者だな、と思った場合は、

じゃあ、自分は何をしようかな?

どんな体験を自分に

プレゼントしようか?

と発想します。

 

で、ふと「こうしよう」と

思ったことをそのまま

行動に移します。

 

するとその行動がきっかけとなり

「答え」が浮かびます。

 

真本音はよく

迷います。

 

それは、端的に言えば、

・今、このまま答えを見出すか?

・体験を通じて答えを見出すか?

の迷いです。

 

これは、

今の自分の状態を観ながら、

自分の「進化」のための

最善の道のりを見出すという

ことです。

 

その真本音の「迷い」を

尊重しながらセルフコーチングすれば

かなり面白いです。

 

もし皆さんの中に

「迷い」が生じたら、

ぜひやってみてください。

 

楽しいですよ。

 

つづく

 

自分の中には確かに道がある

「直観力」とは

もともと私達誰にも備わっている

当たり前の力です。

 

それを発揮するためには、

私達は人間としての

「普通の生き方」

をすることが大切です。

 

それができていないので、

本来持っている直観力が

発揮されなくなっているのが

現在の私達です。

 

では、

「普通の生き方」を取り戻すために

大事なのは何でしょうか?

 

その最初のキーワードが

『観察』

でした。

 

この「観察」について

前回まで書かせていただきました。

(→前回記事)

 

ここからは次の

キーワードをご紹介します。

 

「普通の生き方」を取り戻す

次のキーワードは、

 

『道』

 

です。

 

私達の中には

「道」がすでに

できています。

 

私達は自分自身の

「道」を

決めているのです。

 

それに一度でも気づいた人は

もう決してその道を

変えることはありません。

 

どんな環境に自分がいようとも、

そこでどのような現実が

起きようとも、

どのような妨害や障害に

遭おうとも、

その道をあきらめたり、

変更することは

ありません。

 

それは

本人にとっては

とてつもなく太く、

まっすぐで

安定して

気持ち良い

これ以上ない「確かさ」を湛えた

道なのです。

 

一瞬でもそれを

感じ取った人は

そのあまりの存在感に

ある意味、

我を忘れます。

 

しかしそれは本当は

「我を忘れる」のではなく

「我を思い出す」

という状態です。

 

本当の自分、

本来の自分を

思い出すのです。

 

あぁなんだ、

これが私の人生だった、

これが

私の生まれた意味だった、

と単純に

思い出すのです。

 

思い出したらもう

そこを進むだけです。

 

間違っていただきたくないのは、

それは、

「あぁこの会社は違ったな」

とか

「この仕事は違ったな」

とか、

そういったレベルの話では

ないということです。

 

どのような会社にいても

どのような仕事に就いていても、

要するに

どのような環境にいても、

その「道」を進むことは

できるのです。

 

むしろ、

「この環境は違う」

とか

「環境が悪いから自分は

自分の人生を歩めないのだ」

と言っているうちは、

決してその「道」は

見つかりません。

 

一人ひとりに必ず

その人ならではの

「道」

はあります。

 

そしてその「道」を

辿ることは、

今この瞬間から

すぐにできることです。

 

その「道」に

気づいた瞬間から

できることなのです。

 

何の難しさも

複雑さも

準備も

必要ありません。

 

そしていざ

その「道」を歩み始めれば、

人生の時間の

一刻一刻は

本当に満ち足りたものに

なるでしょう。

 

なぜならそこには

「自分を生きている」

という実感が

半端ないからです。

 

傲慢ではなく、

本当に心の底から

「世界の中心は自分である」

と思えます。

しかしかと言って、

自分以外の全ての存在が

ありがたくてしょうがありません。

 

「自分」と「自分以外のもの」

という分離は

あるのだけれども、

しかし確かに

すべては一つであると

感じ取ってもいます。

 

つまりそれは

高い次元の自分の意識が

発動しているからですが、

それは

「道」を歩み始めることで

成されるのです。

 

そういった

自分の「道」。

 

これを見つけるためには

やはり、

自分自身を「観察」することが

必須です。

 

特に、自分の心を

区別しながら観察することが

重要です。

 

その区別こそが、

「真本音」と「反応本音」

です。

 

つづく

私達は人間であることを見失っていないか

「直観」とはまるで、

過去の出来事を思い出す

かのような感覚で

現れます。

・・・ということを、

前回の記事で書きました。

(→前回記事)

 

なぜなら「直観」とは

高い次元の自分自身からの

メッセージでもあるからです。

 

今、どうすれば良いか?

次の一歩は何が最善か?

 

その答えはもう

私達自身がよくわかっているのです。

正確には、

高い次元の私達自身が

知っているのです。

 

それを思い出すような感覚で

浮かび上がらせながら進むのが、

直観で生きる、ということで、

それは何も特別なことでは

ありません。

 

それが私は

「人が普通に生きている状態」

であると思います。

もしそれができていないのであれば、

今の状態が「普通ではない」

ということです。

 

そういった意味では

私達は

「普通」に戻らねばなりません。

 

「普通の生き方」

に戻すのです。

 

実は、「直観力を高める」ための

方策を一言で表現すれば

そうなるのです。

 

『普通の生き方に戻す』

もしくは、もっと端的に

『普通に生きる』

ということです。

 

では、

現在の私達は

何が「普通ではない」のでしょうか?

 

そのまず根本的な一つは、

「自分のことを

あまりにも見ていない」

「自分のことを

あまりにも知らない」

「自分の心に

あまりに目を向けていない」

「自分とあまりに

向き合っていない」

・・・ということになります。

 

日々のお仕事や生活のために

「すべきことをこなす」

ことにのみに私達は時間と意識を

使っているのではないでしょうか。

 

自分を見つめるよりも

ネットを見たり、テレビを見たり、

人の様子を伺ったり、

人の評価を気にしたり。

 

自分以外の何かに

意識を向け過ぎです。

 

いえ、外の世界に意識を向けることは

大事なのですが、

後々の記事で書きますが、

外の世界に意識を向けているように

見えて実は、それもできていない、

というのが今の私達の状態です。

 

上手く表現できませんが、

「外の世界も見ていないのに、

自分の心にも意識を向けていない」

という状態です。

 

つまりは、

「何も見ていない」

状態と言ってもよいでしょう。

 

これが、

現代人の特徴の一つだと

私は日々、実感しています。

 

私達現代人は、

「何も見ないまま」に

毎日を過ごしているのです。

 

「何も見ないまま」に

ただ、自分自身で勝手な解釈をし、

その解釈が事実であると誤解し、

その解釈に揺らされ

その解釈に脅され

ながら生きています。

 

要するにそれは

「生きている」

とは言えない状態だと

私は思います。

 

どう見ても、

「普通」ではありません。

 

かなりドギツい言い方を

していますが、

決して大袈裟ではないと

思います。

 

何も見ずに解釈のみで生きる

というのは

本当に辛いし苦しい生き方だと

思います。

 

その状態で

「直観」など出ようはずが

ありません。

 

高い次元の自分と

つながれるはずも

ありません。

 

さらにドギツく言えば、

なんか、人間ではない、ような

気さえするのです。

 

人間ではない生き方を

まるでそれが人間の生き方で

あるかのように思い込み

日々を過ごしている。

 

そんな状態。

 

ここを私達は

抜け出さねばなりません。

 

早急に。

 

残念ですが、

これまで様々な組織を

拝見してきましたが、

そのほとんどの組織が

そういった状態でした。

 

そこを「普通」の状態に

戻すのが

私の役割であると

いつも認識していました。

 

私の中では、

「すごい組織を創ろう」

というのとは違い、

「普通の組織になろう」

という感覚です、いつも。

 

普通の人間として、

普通に生きて、

普通にみんなでチームを創り、

普通に共に幸せになっていく。

 

そんな当たり前のことが

できるようになればよいなと

思います。

 

そんな組織が増えることで、

社会全体が

「普通」に戻っていくのではないかと

私は思っています。

 

では、

「普通の生き方」に戻すには

どうすればいいか?

 

次回はそこから

始めます。

 

つづく

 

直観と直感の感覚には、大きな違いがあります

前回記事から

「直観」と「直感」の違いについて

書かせていただいています。

(→前回記事)

 

直観力の高め方について

これから書かせていただく予定ですが、

その前にもう一つ重要なことを

お伝えしたいと思います。

 

それは、

「直観の感覚」

についてです。

つまりは、

「直観と直感の感覚の違い」

についてです。

 

直観と言うと、

ひらめき、とか、気づき、の

イメージがありますので、

ハッとして、

「あっそうか! こうすればいいんだ!」

と、まるで目が覚めるような

ことが起こるのだろう、

と思われるかもしれません。

 

もちろん、ある意味においては

そうなのですが、

実は、

ハッと気づくような感じ、

というのは、それほどのパワーは

持っていません。

 

その瞬間のパワーは強く、

その瞬間は本当にそれが

正解であるかのような気持ちになるし、

目の前が開ける感じもするのですが、

しかしそれがずっと

長続きするとは限らないのです。

 

例えば、一日経てば

やっぱりそれほどの発想ではないなぁ、

となったりもします。

 

そういった

ハッとした感覚というのは、

どちらかと言えば、

「直感」の方に近いです。

 

では、

「直観」の感覚とは

どのようなものでしょうか。

 

それを一言で表現すれば、

 

『思い出す感覚』

 

に非常に似ています。

 

「あぁそうだった。

こうするんだった」

と、

これからの未来のことだと言うのに、

まるで過去を思い出すかのような

感覚なのです。

 

なぜなら「直観」とは、

高い次元の自分の意識からの

メッセージだからです。

 

高い次元においては、

過去も今も未来も

「一つ」です。

分離していません。

 

その次元からの発想なので、

喩えて言えば、

「もうそれを成した後の未来の自分が

これまでやってきた自分の道のりを

思い出している」

ような感覚として

私達の心に浮かび上がってくるのです。

 

ですから、

そこにはそれほどの

感動はありません。

 

答えを見つけた感動というよりも、

あぁそう言えばそうだったな、

という安堵感のようなもの。

忘れていたことを

思い出したような

ちょっとほのぼのとした感覚、

それが起こります。

 

ですから実に

淡々としています。

 

さらに喩えて言えば、

学校のテストをして、

テストの後で、

答え合わせをしているような感覚

とも言えます。

 

あっそうだった。

この問題の答えはこうだった。

なんでこんなことを

思い出せなかったのかな。

こんな簡単なことだったのに。

 

・・・みたいな感じです。

 

それが直観の感覚。

 

真本音度合いが高まり、

高い次元の意識が活性化すると、

こういった発想が、

毎日のように、・・・というよりも

いついかなる時にも

今この瞬間に

起こり続けます。

 

それが当たり前の状態であり、

普通の状態なのです。

 

しかもこういった直観が

最も多く働きやすいのが、

人と向き合っている瞬間

なのです。

 

本当の意味で人と向き合い、

語り合っているその瞬間に

私達は様々なことを

「思い出す」のです。

 

あぁ、こうすればよかったんだ、

と。

 

そういった意味で、

コミュニケーションというのは

私達人間が持つ

大いなる力の最も代表的な一つ

であり、

組織やチームというものが

私達人間にとってなくてはならないもの

である最大の理由の一つです。

 

人は人と向き合うことで

直観が働き、

未来に向けての最善の道を見出す

答え合わせのようなことが

できるのです。

 

ですから、

直観力を高める方法は

大きく分けて二つになります。

 

一つは、

一人で直観力を高める方法。

 

もう一つは、

人と向き合いながら

直観力を高める方法です。

 

これからは

この二つの視点から

お話しをします。

 

二つを同時に行ない続けることで、

効果は何倍にもなります。

 

直観力を高め合うチームになる。

・・・これが私が組織をサポート

させていただく理由の

一つでもあるのです。

 

つづく

 

直観と言っても、二つあるんです

「自分の直観を

どうしても信じられないのです。」

 

・・・そんな方と出会いました。

 

実は、結構そういった方は

いらっしゃいます。

 

その多くの場合は、

「直観」と「直感」の区別が

ついていないのです。

 

「直感」とは

広い意味でのひらめき。

単なる思いつき程度のものも含めた

広い意味での気づきです。

 

もちろん、こういったものも

必要です。

 

しかし直感の多くは、

反応本音レベルのものや、

低い次元の意識から発生するものも

あります。

その場合は、

それほどの力強さはありません。

 

ですので、

ひらめいたのだけれども、

あくまでただ、ひらめいただけで、

自分の行動を変えるほどの

パワーを持っているわけでは

ありません。

 

それに対して、

「直観」とは

真本音から発生するものであり、

高い次元の自分の意識からの

メッセージです。

 

多くの場合、

そこには強いパワーが内包

されており、

直観を得ることで、私達は

動きたくてしょうがなくなります。

 

根拠のない自信、

という言葉がありますが、

どうしてそう思うのか?という理由を

本人もよくわからないのに、

でもどうしてもそれをしたい!

それをすれば必ず道が開く!

という強い気持ちが湧き上がります。

 

私のクライアントさんで、

ある商品を開発し、大ヒットを生み、

日本全国で一つのブームを起こした人が

います。

 

その人がその新商品を

社内に提案した時、

社内ではその人以外全員が

反対したそうです。

 

でもその人は、

絶対これを世の中に出す!

という根拠のない自信が湧き、

その自分の直観を信じて、

強引にその商品のプロジェクトを

推進したそうです。

 

マーケティングリサーチなどをしたり、

理論的にその商品が売れる根拠を

社内に示したりしたそうですが、

「実はそれはすべて、

まずは私の直観ありき。

それに合わせた理論づけでした」

と、その人は舌を出してニッコリ。

 

で、いざ商品を世に出し、

宣伝を始めた途端に

爆発的に売れ、

その人自身の当初の予定の

何倍もの利益を出すことが

できたそうです。

 

その後、その会社は

いくつものヒット商品を生み出すことに

なるのですが、

理論的に答えを導き出そう

というよりも、

まずは人間としての直観に

素直になろう、

という社内文化がそうさせたのだと

その人は言います。

 

そういった意味で、

「直観」とは、「確信」と

言い換えることもできます。

 

よくよく考えますと、

高い次元の意識というのは、

すべては一つ、

というところからの意識です。

すべてがつながっています。

 

その意識からの直観であれば、

皆が喜ぶのは当然です。

 

ただし、

「皆が喜ぶ」と言っても、

低い次元の皆の意識が喜ぶ

というものもあれば、

高い次元の皆の意識が喜ぶ

というものもあります。

 

世の中には

両方のヒット商品がありますが、

今後は

高い次元の皆の意識が喜ぶ

商品やサービスが

求められていく度合いが

高まるでしょう。

 

つまり、

低い次元の皆の意識調査をすることで

生み出される商品・サービスよりも

高い次元の皆の意識を

高い次元の自分の意識として

直観的に感じ取ることで

生み出される商品・サービスが

世の中に浸透していく時代に

なっていくでしょう。

 

そういった「直観力」が

これからはますます求められます。

 

では、「直観力」を高めるには

どうすればよいでしょうか?

 

次回からはそんなテーマで

記事を書かせていただきます。

 

つづく

 

迷いと向き合い、人生を進める方法

人生に迷っている人が

増えています。

そして、

「迷い」には2種類あります。

 

・低い次元の意識による迷い

・高い次元の意識による迷い

です。

 

・・・ということを前回の記事で

書かせていただきました。

(→前回記事)

 

では、この二つの迷いを区別する

にはどうすればよいでしょうか?

 

まず大事なのは、

「迷い」を「問い」の形として

明確にすることです。

 

例えば、

「私は今、転職すべきだろうか?」

というような、

問いの形にするのです。

 

迷いとは、

答えがわからずに悶々と

することです。

どんな「?」に対して、

自分は悶々としているのかを

明確にするわけです。

 

「問い」が明確になれば、

次に、

その「問い」の「手前の問い」を

見つけます。

 

「手前の問い」とは、

その問いの答えがわかることで、

最初の問いの答えも

自動的にわかる問い

のことです。

 

上記の例で言えば、

「私は今、転職すべきだろうか?」

という問いがわかれば、

その「手前の問い」としては、

例えば、

「私は本当は、どんな仕事を

したいのだろうか?」

とか、

例えば、

「私は今の職場で、

すべきことはすべて

やり尽くしただろうか?」

などが考えられます。

 

もちろんこれは

本当に「例えば」です。

人によって

全然違う問いが

出てくるでしょう。

 

しかも「手前の問い」は

ほとんどの場合、

たった一つです。

最もピンとくる問いを

見つけることです。

 

さて。

 

「手前の問い」を特定できたら、

人によっては

「手前の問い」のさらに手前に

問いがあるかもしれません。

 

そして、

さらにさらにその手前にも・・・。

 

つまりこのように

迷いの「問い」を明確にし、

その「手前の問い」を明確にし、

必要があれば

さらにその「手前の問い」を

明確にし、

さらにさらにその「手前の問い」を

明確にし、

・・・と、

自分が納得できるまで

それを続けます。

 

この「問い探し」をした時に、

この「問い探し」自体に

自分が真剣になれるかどうか?

です。

 

早く「問い」を見つけたい。

早く「その答え」を

明確にしたい。

 

そんな想いが湧き上がり、

「問い探し」に真剣になれるので

あれば、

その人の悩みとは

「高い次元の意識による悩み」

です。

 

どうしても「問い探し」に

真剣になれない。

それをしようとすると

無気力感や虚脱感や倦怠感が

発生する、

という場合は残念ながら、

それは「低い次元の意識による悩み」

です。

つまりは、

自己満足の悩みであり、

現実逃避するための悩みであり、

悩む必要のない悩み

です。

 

そういった場合は、

悩んで止まっていることよりも、

今目の前にある現実に

立ち向かっていくことこそが

大事です。

 

「自分が今、

立ち向かうべき現実とは

何だろう?」

という問いを自分自身に

投げかける必要があります。

 

以上のように、

自分の中に発生している

「問い」

を、明確にするのは

セルフコーチングの基本です。

 

私はいつもそこに

敏感になっています。

 

「あっ、今、自分の中に

問いが発生したな」

とわかった瞬間に私はすぐに

自分の心と向き合い、

「問い」を明確にします。

 

そして「手前の問い」が

ある場合も、

すぐにすべてを明確にします。

 

これを日々続ければ、

人生の展開がすごぶる

速くなりますし、

快適になります。

 

自分の人生と向き合うとは、

自分の中の「問い」と

向き合う、

ということなのかもしれません。

 

つづく

 

それは本当の迷い? 自己満足の迷い?

人生に迷っている人が

増えています。

 

しかしそれは

健全なことです。

 

これまではどちらかと言えば、

本当はみんな迷っているのに、

迷っていることに気づいていない

状態でした。

 

しかし今は、

自分が本当は凄く迷っていることを

多くの人が自覚し始めています。

 

健全になってきたのです。

 

迷う、ということは

良いことです。

 

なぜなら、

答えがもうすぐ見つかる

からです。

 

迷いの感覚とは、

答えが見つかった証です。

 

答えが見つからない内は

私達には迷いの感覚は

訪れません。

 

つまり、

・答えがわかった。

・それを顕在化したい。

・だから迷いの感覚を発生させる。

・・・ということを私達はしています。

 

ですから、

迷ったら必ず

その「迷い」としっかりと

向き合うことです。

 

決して「迷い」から

逃げてはいけません。

 

「迷い」とは

人生を大きく進めるチャンス

なのです。

 

ただし・・・。

 

「迷い」には2種類あります。

 

①低い次元の意識による迷い

②高い次元の意識による迷い

です。

 

①の場合は残念ながら、

本当の「迷い」ではありません。

 

本当には迷っていないにも関わらず、

迷っていると思い込んでいる状態です。

 

なぜわざわざそんなことを

するかと言えば、

それは現実逃避をするためです。

 

本当は、前に進めるにも関わらず、

前に進みたくないために、

わざと「迷う」という状態を

無意識的に創ってしまうのです。

 

もしくは、

向き合いたくない「現実」から

目をそらすために、

わざと関係ないことで「迷う」という状態を

創ってしまいます。

 

そういった場合の多くは、

答えは見つかりません。

なぜなら、

答えはないからです。

つまり、

迷わなくてよいところで

迷っているのです。

 

私はこれを

「逃避のための迷い」

とか

「自己満足の迷い」

と呼んでいます。

 

それに対して②の「迷い」は、

本当の迷いであり、

しっかりと向き合うことで

人生を進めることのできる

大切な迷いです。

 

まずはこの二つの迷いの

区別をつけることが

大事です。

 

そのためにもまずは、

自分の中にある「迷い」を

しっかりと見つめることです。

 

では、

どうすればこの二つの迷いの

区別をつけることができるでしょうか?

 

それについては

少し長くなりますので

明日の記事で書かせていただきますね。

 

つづく

 

我欲とは、人にとってなくてはならないもの

ここのところ

「意図を手放す」

というテーマで記事を書かせて

いただいています。

(→前回記事)

 

これは、

「次元を上げる」という意味では

非常に重要な部分ですので、

さらに詳しく見ていきましょう。

 

まず、

「意図」

とは何でしょうか?

 

ここではちょっと乱暴な

書き方を、

あえてしますね。

 

「意図」とは

我欲です。

 

我欲とは、

「すべてが分離している」

という前提において、

自分だけが良ければよい、

という意識の塊から

発せられるものです。

 

我欲と言うと、

それは良くないもの、

という印象があるかもしれませんが、

我欲はもちろん

すべての人にあり、

我欲があるからこそ

人間であるとも言えます。

 

「私にはもう我欲はありません」

と言う人がたまにいますが、

嘘です。笑

乱暴な言い方ですが、

自らの我欲を見つめていない

だけのことです。

 

我欲があるのが、

人としての尊厳である、

と私は思います。

 

人の素晴らしさとは、

高い次元から低い次元まで

すべての次元の意識を

包含しているところです。

 

それこそが

人であることの意味と

価値です。

 

「私には我欲がありません」

とか

「我欲を捨てなければなりません」

というのは、

人としての価値と意義を

自ら放棄していることになります。

 

とは言え、

我欲のみを尊重し、

我欲のみに巻かれて動けば、

ほぼ必ず

不調和が起きます。

 

争いや諍いが

起きます。

 

我欲とは、

人として

あるべきもの。

 

しかしその我欲は

我欲単体であるべきもの

ではなく、

高い次元の意識によって

活かされるもの

なのです。

 

高い次元の意識は

愛のエネルギーが

高いです。

(愛とは、については

またいずれ触れることに

なります。

今はあえて飛ばします。)

 

高い次元の意識が

我欲を活かすということは、

我欲が

愛のエネルギーで満たされる

ことになります。

 

愛のエネルギーで

満たされた我欲は、

「その人がこの世で発揮すべき個性」

となります。

 

別の表現を使えば、

「その人のミッション(使命)」

への道しるべとなるのです。

 

「意図」とは

我欲です。

 

ただしその我欲は

ここまでご説明したように、

高い次元の意識とつながっている場合と

つながっていない場合が

あるのです。

 

つまり、「意図」にも

ざっくり言うと、

2種類あるのです。

 

①単なる我欲のみによる意図

②高い次元とつながった我欲による意図

の2種類です。

 

私が

「意図を手放す」

と言っている「意図」とは

①の方です。

 

①の意図を手放すことで、

②の意図が発動するからです。

 

②の意図が発動すれば、

すべてが調和します。

 

争いも諍いも

非常に起こりづらくなります。

 

スムーズに道が

開きます。

 

・・・ということなんですね。

 

そして前回の記事で

申しました通り、

①の意図を手放すためには、

しっかりと思考レベルで

①の意図について考え尽くすことです。

 

①の意図を持ってはならない、

とか、

①の意図は、私にはもうない、

と言っている内は、

自分の知らないところで

①の意図に自ら

取り込まれてしまうのです。

 

自分と

向き合いましょう。

 

自分の心の中にある

あらゆる意識と

向き合いましょう。

 

高い次元から

低い次元まで、

たくさんの意識があるのが

私達人間です。

 

そこが

人の素晴らしさであり、

だからこそ我々は

進化できるのですから。

 

つづく

 

人の最大の力とは、適応力かも

『自分に委ねる』

という言葉を

私は時々、使います。

 

「自分に委ねる」とは

どういうことでしょうか?

 

もし皆さんが

自分に委ねたら、

皆さんはどうなるでしょうか?

 

実は、

「委ねる」という言葉は

一種の魔物です。

 

「委ねる」という言葉は

聴き心地がよいので、

それができたら楽チンだな、

と思われるかもしれません。

 

もちろん、

本当にそれができたら

楽チンです。

 

ですが、

本当にそれをするだけの勇気が

なかなか出てこないのです。

 

もし、

「東京スカイツリーのてっぺんに

ハンモックを用意しました。

このハンモックは実験により、

決して落ちることはないし、

人を落とすこともないことが

判明しています。

そのハンモックに

東京スカイツリーのてっぺんで

1時間ほど身を委ねて

楽しんでみませんか?」

と言われて、

何の迷いもなく喜んでできる人は

どれだけいるでしょうか?

 

勇気を持って挑戦する人は

何割かいるかも知れません。

 

しかしハンモックに身を委ねている間、

本当にリラックスして

その時間を楽しめる人は

なかなかに少ないのでは、と

思います。

 

「自分に委ねる」とは、

実は、これくらいの怖さが

あります。

 

でも、

それをわかっていて、

あえて私は

「自分に委ねる」ことを

お勧めしています。

 

なぜなら、

人って

本当に凄いからです。

何が凄いって、

その適応能力です。

 

例えば、

上記のスカイツリーのハンモックの

喩えで言えば、

勇気を出して

スカイツリーのてっぺんの

ハンモックに身を委ね、

この時間を楽しもうと

全身の力を抜いたとします。

 

すべてを開き直って

力を抜いたとします。

 

すると、なんと

その状況に合わせるように、

自分自身に羽が生えるのです。

つまりは、

自分で空を飛ぶ力が

急激に発達するのです。

 

自力で空を飛べるのであれば、

東京スカイツリーのてっぺんだろうが、

どこだろうが、

安心してハンモックを楽しめます。

 

こういった適応力が

私達人間には

本質的に備わっています。

 

そしてそれこそが、

次元を上がる

ということなのです。

 

次元を上がることで、

これまで怖かったことが

怖くなくなります。

 

しかもそれは

根拠なく怖くなくなる

のではなく、

ちゃんと怖くなくなるだけの

力が発揮されるように

なるのです。

 

私はこの

本質的な成長力こそが、

恐ろしいまでの人の凄みであると

実感しています。

 

では、

「自分に委ねる」とは

実際には何をすることでしょうか?

 

単純です。

 

自分自身の真本音に

委ねる、ということです。

 

私達の真本音は、

時には突拍子もないことを

しようとします。

 

多くの人は、

それを顕在意識で止めて

しまいます。

「それは無理だよ」と、

自分の頭で解釈します。

 

その解釈を

やめるのです。

 

真本音で「こうしよう」と

思ったら、

その瞬間に行動に

移すのです。

 

それが、

「自分に委ねる」

ということ。

 

皆さんもぜひ、

やってみませんか?

 

つづく

 

今まさに次元を上がろうとしている人へ

以前にも一度、書かせていただきましたが、

次元を一つ上がる、

というのは相当に大変なことです。

 

ですが、

今はそれを成そうという人が

急増しています。

 

次元が一つ上がるというのは、

私がいつも表現している

「脱皮」

というもののの中でも

最大級のものです。

 

その直前にいる人が今、

急増しているのです。

 

次元が上がる直前まで来ますと、

人は、どんな人であっても

極度の不安定になります。

 

すると、

自分の最も弱い部分が

クローズアップされます。

 

例えば、

以前は新しいことにチャレンジしよう

という場面になると

非常に臆病になり、そこから

逃げ出そうとする、

・・・そんなパターンを持っていた人が

自分の努力によって

新たなことにも躊躇なく

チャレンジできる自分創りが

できていたとしましょう。

 

次元を上がる手前に来ると、

その人は、

まるでこれまでの努力が

まったく水の泡ではないか、と

思ってしまうくらいに

臆病になります。

 

新たなことに対するチャレンジ

どころか、

ほんの些細なことに対しても

気弱になり、

少し極端に言えば、

生きることそのものに対しても

気弱になります。

 

いったい自分は

どうしてしまったのだろう?

 

これまで自分で自分を

成長させて来たのに、

これまでのがんばりは、

いったい何だったのだろう?

 

・・・とショックを受けることに

なります。

 

しかし本当は

次元を上がるという

滅多にないような脱皮の手前の

不安定期にいるだけのこと

なのです。

 

それを教えてくれる人が

傍らにいればよいのですが、

ほとんどの人が

わけがわからないままに

もがき苦しみます。

 

私はこの時期こそ、

人が人生において

最もサポートが必要な瞬間であると

思っています。

 

もしこの文章を読んで、

ひょっとして自分は

次元が上がる直前かもしれない、

と思われた方は

以下のことをお勧めします。

 

まず、

自分自身の「中心軸」を

意識します。

 

「中心軸」とは

・おへその奥の体の中心と

・頭のてっぺんの中心を

結んだものです。

 

まずは、自分自身のその「中心軸」

を感じ取ってください。

 

そして、

どれだけ心が不安定に

揺れ動いているとしても、

その「中心軸」には

何ら影響がないことを

自覚してください。

 

「中心軸」はとてもしっかりし、

しかもしなやかで柔軟性もあり、

光り輝いているはずです。

 

まずはその安定感を

自覚してください。

 

そしてそれができたら、

常に「中心軸」に意識を向け、

そここそが自分の立ち位置であることを

自覚し続けてください。

 

すべての現象を

「中心軸」から観察するように

します。

 

特に、自分自身の心の動きを

あるがままに観察してください。

 

心は大揺れに揺れている

と思います。

 

その揺れを止めようとせず、

それをそのままに

しておきます。

そして、

ただ観察のみをします。

 

その揺れは、まるで

終わることのない大嵐のように

感じるかもしれません。

しかし

それでよいのです。

 

心の大揺れ具合を

「中心軸」から観察し続ければ、

だんだんと慣れて来ます。

 

どれだけ揺れていても、

その揺れ自体を

「おぉ、すごいなぁ・・・」

と客観的に映画を観るかのように

少しずつ楽しめるように

なります。

 

そこまでできたら

ほぼ大丈夫です。

 

その状態を日々、

維持してください。

 

次元を一つ上がるまでの時間は

人それぞれです。

 

数日で終わる人もいれば、

数ヶ月かかる人もいます。

 

大事なのは、

今のその状態に抗おうとせずに

ただ「あるがまま」を

観て、感じてください。

 

すべての自分の行動は、

「中心軸」にいる自分で

決めます。

 

それだけであとは、

自然の成り行きに

任せましょう。

 

次元を一つ上がることが

できれば、

それまでの大揺れが

嘘だったかのように、

晴れやかで安定した自分に

なれます。

 

パワーも

見違えるほどに内側から

湧き上がって来ます。

 

パワーは湧いて来ますが、

自分自身は

淡々としています。

 

極めて普通の状態。

 

でも、頭はクリアで、

目に映るすべてのものが

輝いて見えるでしょう。

 

すべてを

愛おしく感じるでしょう。

 

無理に、意図的に、

そういった状態をつくろうとは

しないでください。

 

ちゃんと時が来れば

自然にそうなれます。

 

せっかくなので、

滅多にない「今」を

楽しんでくださいね。

 

つづく

 

人は、課題に取り組みたい生き物

どれだけ意識の次元が

上がったとしても、

私達の前には

次から次へと

「課題」が現れます。

 

こう書くと、

えぇ!そうなの?

次元上がれば何の悩みもなく

過ごせるんじゃないの?

・・・と思う人も

いらっしゃるかも知れません。

 

しかし私達人間は

「課題」のない日々を、

極度に嫌がります。

 

私達は平穏無事な日々を

望んでいますが、

いざ、それが手に入ってしまうと

途端につまらなくなり、

生きる気力そのものを

失います。

 

前に進まなくなる、

からです。

 

これまでも何度も

書かせていただいてますが、

私達すべての人間の

根本欲求(本能)の中心には

「進化への意欲」

があります。

 

進化とは

「次元を上がること」

です。

 

次元を上がる実感がなくなることを

私達は皆、

極度に嫌がります。

 

自転車の運転と同じで、

前に進めている時は

安定していますが、

止まってしまうと途端に

不安定になります。

 

それが、

人間という存在の

本質です。

 

ですから

私達の真本音は

私達自身に常に

「人生の課題」

を与えます。

 

その「課題」に取り組むことで、

進化スピードは

加速します。

 

その加速感が

さらなる安定を

もたらします。

 

最近の私はどうも

不安定だ。

 

最近の私は

調子が悪い。

 

最近の私は

モヤモヤが続いている。

 

・・・そんな感覚があれば、

 

今、私の真本音は

私自身にどんな課題を

与えているだろうか?

私はその課題に、

真摯に向き合っているだろうか?

 

・・・をチェックしてみてください。

 

真本音から与えられる

課題のことを私は単純に

 

『真本音の課題』

 

もしくは

 

『真本音のテーマ』

 

と呼んでいます。

 

真本音の課題に取り組むことは

人生の悦びです。

 

その課題の解決策が

まったく見えなくても、

暗中模索だったとしても、

その課題に向かっている

というその事実だけで、

私達は悦びを覚えるのです。

 

毎日に

張りが出ます。

 

毎日に

目的意識が芽生えます。

 

内側から

エネルギーが湧き続けます。

 

そして

すべてのことに自然に

感謝の念が湧いてきます。

 

ちなみに、

私の今の真本音の課題の一つは

「後継者育成」

です。

 

私と同じような役割で

私と同じような力を持ち、

私と同じように人や組織を

サポートできる人を

世の中に増やしていくこと

です。

 

この課題に気づき

取り組み始めたのが2015年

です。

 

そこから、

様々な人と出会うことが

できました。

 

まだまだ少人数ですが、

私の人生の展開を大きく

変化させた大切な出会い

ばかりです。

 

このブログも、

出会いのきっかけとなるといいな、

との想いから

始めました。

 

昨年の8月7日にスタート

しましたが、

まだ一日たりとも、

休んでいません。

 

記事の書き溜めは

しません。

 

必ず毎日一記事ずつ

書いています。

 

その方針も自分で

決めました。

 

それが、出会いを助長してくれると

何となく思うからです。

 

実は最近、

一週間ほど39度の熱が

続いていました。

 

そうなると一記事を書くのに

4〜6時間かかります。

 

しかしどれだけ

体調がヒョロヒョロでも

その分のパワーは

必ず湧いてくるので

人間というのは

不思議なものですね。

 

真本音の課題は

私達に

根源的なパワーを

与えてくれます。

 

あなたの今の

真本音の課題とは、

何でしょうか?

 

つづく

 

もう私達は未来を知っている

一本道を歩いて来たら、

目の前に分岐が現れました。

 

道は二つに

分かれています。

 

右の道を、A

左の道を、B

とします。

 

Aを行くか?

Bを行くか?

答えを出すのに非常に

苦労したとします。

 

どうしても

決められない。

 

どうしても決められないけど、

決めなければならない。

 

自分の気持ちをしっかり

見つめると、

Aに行きたい気持ちが51%

Bに行きたい気持ちが49%

であることが

わかりました。

 

そんな場合、

あなたはどちらの道を

選びますか?

 

第3の道は

ないものとします。

AかBか、

必ずどちらか一方に

決めなければならないと

します。

 

あなたはどうしますか?

 

恐らく、

多くの人が、

51%であるAを選ぶと

思います。

 

ほんのわずかでも

気持ちが多く傾いている方に

向かうと思います。

 

ところがその場合、

Aに行ったとしても、

「本当はBの方が

よかったのではないか?」

という気持ちが

49%も残っているのです。

 

49%の気持ちが

後ろに引っ張られながら

Aの道を進むことになります。

 

するともし、Aの途上で

何か壁にぶつかった場合、

「ほらやっぱりBの方が

よかったじゃん」

と、その時点で進むことを

諦めてしまう。

・・・そんな恐れが高まるでしょう。

 

迷いながら進む、

葛藤しながら進む

というのは、そういうことです。

 

では、どうして私達は

迷ってしまうのでしょうか?

 

その最もシンプルな答えは、

「未来がわからないから」

ですね。

 

AかBか、どちらに行けば

どうなるか?

そういった未来の結果が

明確にわかるのでしたら、

私達は迷うことはありません。

 

未来がわかっていて

進むのであれば、

たとえ壁があっても、

それを乗り越えられます。

 

では、

未来がわかる方法は

ないのでしょうか?

 

実は、

あるのです。

 

ただし、正確に言えば、

未来がわかるわけではありません。

ですが、

未来がわかっているのと同様の

選択をすることが

できるのです。

 

それが、

高い次元の自分の意識で

物事を進める

・・・ということです。

 

この3次元の世界では、

時間は過去から未来へと

一方向に同じスピードで

流れ続けています。

ですから、未来を見ることが

できません。

 

しかし、高い次元においては、

過去・今・未来という分離そのものが

もともとありません。

 

過去も今も未来もすべて

ここにあるのです。

すべてが、「一つ」なのです。

 

その自分自身からの

判断や選択に素直になれば、

上手く行くだろうか?

上手く行かないだろうか?

という葛藤や不安をすべて超えたところでの

確信的な決断をすることが

できるようになります。

 

「なんかそれ、

答えを教えてもらって進むみたいで

つまらないじゃないか」

そう思われる人もいるかも

知れませんね。

 

でもご安心ください。

 

たとえ高次元の自分で

進んだとしても、

壁や課題はいっぱいいっぱい

現れます。

 

実は、

私達の真本音は、

どの道を選ぶか?については

何もこだわっていません。

 

大事なのは、

どの道を選んだとしても

一歩一歩をどのように進むか?

です。

 

高次元の迷いのない自分で

進めば進むほど、

そのレベルに見合った

壁や課題は降って来ます。

 

それらを一つずつ乗り越えることに

私達は人生の生き甲斐を感じます。

 

高次元の道であればあるほど、

難易度は高まりますが、

それが楽しくてしょうがなく

なります。

 

なぜならそれはまさしく、

進化への道のり

だからです。

 

つづく

 

せっかく自由になれたのに、自分が自由に動けない

10年間、家の中で

一人で閉じこもっていたとします。

 

雨戸も閉め、

外の光がほとんど入らない中で

10年間一人でした。

 

しかし、

電気は使えるし、テレビもインターネットも

見ることはできました。

読みたい本があれば

読むこともできたし、

着るものや食事にも困りませんでした。

つまりは、生活には支障がなかった、

とします。

 

そんなあなたが、ついに

外に出る日がきました。

 

玄関の扉を開けた途端、

まず真っ先に目に飛び込んで

きたのは、

真っ青な雲一つない空でした。

 

太陽の光でした。

 

あなたは、一瞬

クラクラと佇みます。

 

空気を吸い込んでみると、

明らかに家の中とは違う

生きている空気、

流れている空気

でした。

 

世界はなんて

気持ちがいいんだ!

 

あなたは素直にそう感じ、

喜びました。

 

なぜ私はこれまで

家から出なかったのだろうか?

 

これならもっと

早く出ていればよかった。

 

そう思いながら、

あなたは走り出しました。

 

ところが・・・。

 

ドタッと

足がもつれて転んでしまいました。

 

あなたは起き上がり、

今度は歩いてみました。

 

もちろん家の中でも

歩くことはできました。

だから体は普通に動くものと

思っていました。

 

とは言え、

ずっと家の中でしたから、

体は鈍りに鈍っていました。

 

少し歩いただけで

もう、疲れを感じました。

 

あなたは

座り込んでしまいました。

 

こんなに気持ちがいいのに、

体が思うように動かない・・・。

 

あなたは落胆しました。

 

なら、こんな気持ちよさ、

体験しなければよかった。

 

あなたは

家の中に戻り、

また雨戸を閉めました。

 

私はもう、

家の中で楽しむ人生で

いいんだ。

 

あなたはそう決めましたが、

しかしどうしても、

先ほどの外の世界の気持ちよさ

を忘れることができません。

 

しかも今度は逆に、

これまで家の中で楽しいと

思ってきたあらゆることに

魅力を感じなくなっている自分に

気づきました。

 

家の中にいても

楽しくないどころか、

ストレスばかりが積もっていく。

 

しかし、外に出ても

まったく思うように動けない。

 

あなたは、

自分の人生を

放棄したくなりました。

 

・・・・・・

 

家の中を、「これまでの次元」、

外を、「もう一つ上の次元」

と置き換えてみてください。

 

今、

上記のお話のような状態の人が

急速に増えています。

 

上記の喩え話で言えば、

いざ、家の外に出たときに、

自由に動ける自分であるために、

家の中にいるうちから、

自分自身の準備を整えておく。

 

・・・それが、

真本音で生きる、ということです。

 

家の中で真本音で生きていれば、

外に出た自分は

自由に走り回ることができます。

 

なぜなら、

真本音で生きていると、

現在の最高次元の自分よりも

さらに一つ上の次元の自分からの

メッセージが届くことも

あるからです。

 

「今のうちに

こういうことをしとけよ」

という、

準備のためのメッセージです。

 

それを、

家の中にいるうちに、

着実に実行していれば、

私達は、外の世界をすぐに

満喫できるようになるのです。

 

せっかく次の次元に

上がれるのに、

その境目で、

人生を放棄したくなる。

 

・・・実にもったいないことです。

 

そして、

以上は、個人だけの話ではなく

組織についてもまったく同様です。

 

この、実にもったいないことに

ならないようにサポートするのが

私の役割であると

日々認識しております。

 

つづく

 

すべては私である感覚を探そう

海に沈む夕日を眺めた時、

美しいなぁ、

と思う人は多いと思います。

 

しかし、

あの美しさは

私の中にもあるものだ、

という感じ取り方をする人は

どれだけいるでしょうか?

 

こんな書き方をすれば、

「いやそれは気持ち悪いでしょ」

とか

「そんな感じ方する人って

傲慢じゃないの?」

とか

「自己陶酔だ〜」

とか、

そんな声が聴こえてきそうです。

 

確かにそれを

頭(思考レベル)で思っていたら

そうかもしれません。

 

しかし

いかがでしょうか?

 

ほんのわずかでも

皆さんの中には

その「感覚」が

存在していないでしょうか?

 

あくまで

「感覚」

です。

 

世界は美しい。

だから私も美しい。

・・・という

「感覚」

です。

 

ほんのわずかでも

確かにそれ、

あるかもしれない、

と思えたのでしたら、

今度はその感覚を

体のどこで感じ取っているのか?

を特定してみて

ください。

 

すぐにはわからない人は、

美しいものを観察しながら、

身体中に意識を向け、

その美しさを最も敏感に

感じ取っている部分を

探します。

 

体の部分が特定できたら、

そこが皆さんの

高次元の自分の意識を

最も感じ取りやすい場所

です。

 

とても単純に言えば、

その、体の部分が

・気持ち良いという感覚にあるか?

・気持ち悪いという感覚にあるか?

にいつも意識を向けておいて

ください。

 

気持ち良い時は、

高次元の自分の意識が

出やすくなっている瞬間です。

 

気持ち悪ければ、

低次元の自分で

考えたり動いたりしています。

 

そして、

自分が

・どのような想いに基づいて、

・どのように物事を発想し、

・どのように行動している時が

気持ち良い時なのか?

を理解できるようになると

とてもよいです。

 

そういった自分の傾向を

大切にしながら

日々を過ごせば、

高次元の自分の意識が

出やすくなり、

真本音度合いも高まります。

 

大切なのは

すべて「感覚」で

行なうことです。

 

「感覚なんてわからない」

と言われる人も

いるかも知れませんが、

感覚というのは

養うことができます。

 

自慢ではありませんが、

昔の私は

こういうことが誰よりも

からっきしダメな人間でした。

 

でもやり続ければ、

ある時から途端に

わかるようになりました。

 

ほとんどの力は

継続によって

身につけることができます。

 

こういうことは

継続することを

お勧めしますよ。

 

つづく

 

人間である以上、誰もにもともとあるもの

現在このブログでは、

今年に入ってから

「意識の次元」ということについて

様々な視点から

書かせていただいています。

 

その中でよく、

高い次元の意識

という表現を使いますが、

こういった書き方をすると

それは何か特別なものであり、

特別な人のみが持っているものであり、

自分には馴染みのないもの、

という印象を持ってしまう方も

いらっしゃるかもしれません。

 

私にはそんな

高い次元の意識なんて

ありませんから・・・、

と。

 

まっ、面白いことに

高い次元の意識で動いている人ほど

そう言われる傾向が

あるのですが。

 

・・・それは置いておいて、

高い次元の意識はもともと

誰にでも存在しています。

ただそれを

使っているか、使っていないか、の

違いだけなのです。

 

例えば、海岸から

海を眺めているイメージを

してみてください。

 

海は広大ですね。

広くて深くて、

本質的にとても安心できますが、

でも一方で、

海は荒れると怖いです。

 

私達人間の心を

私はよく、海に喩えます。

 

人の心の中は

海のように広くて深いものです。

何が潜んでいるか

まったく未知数でもあります。

 

時々、すごく怖いものも

出てきたりしますよね。

 

しかし、海はなぜ、

海としてそこに存在できて

いるのでしょうか?

 

答えは簡単です。

 

地球があるからです。

地球という大地の塊が

あるからです。

 

海は液体ですので、

大地がなければ存在し得ません。

 

もし地球がなくなれば

海もなくなります。

 

海は、

広大で深遠で神秘的です。

 

しかし海は、

地球に支えられています。

 

高い次元の意識とは、

地球のようなものです。

 

そして海は

低い次元の意識と

ここでは喩えるとしましょう。

 

高い次元の意識

という存在があるからこそ、

低い次元の意識

が存在し得るのです。

 

ですから私達が

今ここに存在しているのであれば、

私達には

高い次元の意識という大地が

間違いなく存在しているのです。

 

そしてその大地は、

地球は、

一つです。

 

高い次元の私達も

もともとは一つなのです。

 

私が、

真本音と呼んでいるものは、

高い次元の意識、

つまりは地球から発せられる

あらゆる想いです。

 

ただしその想いは、

私達それぞれの

「個性」

も大事にします。

 

すべてが一つだから、

個性なんてなくていい、

ということではありません。

 

私達人間の素晴らしいところは、

高い次元から低い次元まで

あらゆる次元の意識が

混在しているところです。

 

「一つ」である部分と

「分離」している部分。

 

その絶妙のハーモニーが

「人間」です。

 

ですので、

「人間」としての私達の真本音は

高い次元も低い次元も

すべての意識を尊重した

次の一歩を示してくれます。

 

つまり、真本音とは

反応本音を活用しながら

生きていくのです。

 

反応本音は

100人いれば、100通りです。

 

真本音と反応本音が結びつけば、

そこに、

『真の個性』

が発現します。

 

真の個性に基づいて生きている人は

周りとの調和度が

凄いです。

 

自分自身は自由だし、

自分らしさを存分に発揮しているのに、

周りとは調和するのです。

 

(本当は、

自分の個性を発揮せずに

周りと調和することは

調和とは言いませんが。

それは、迎合と言います。)

 

真の個性、

真の自分らしさを

際立たせながら、

周りと調和する。

 

そんな組織になれたら、

素晴らしいと思いませんか?

 

つづく

 

溢れ出るエネルギーほど大切にしよう

最近、増えているのですが、

急激なエネルギー上昇をする人が

います。

 

真本音の度合いが高まり、

常に高い次元の自分の意識に

基づいて

物事の決断と行動を続けることで

そうなるのですが、

その上昇度合いが

あまりに急激なのです。

 

どんな傾向の人が

そうなりやすいかと言いますと、

「これまで自分を抑え続けてきた人」

です。

 

これは、

現象レベルというよりも

実在レベル(心の中)において

ということです。

 

本当は

エネルギーが高まってきているのに、

心の中で自分を抑え続けてきた人。

 

しかし、ついには何かの拍子に

その押さえつけていた枠のようなものが

一気に取れてしまう。

それにより

エネルギーが一気に溢れ出ます。

 

それはもちろん

良いことなのですが、

あまりに急激な場合、

溢れ出るエネルギーに

その人本人が呑み込まれてしまう

ことがあります。

 

パワーが強過ぎて

制御が効かなくなるのです。

 

その結果、

そのエネルギーを何かに

ぶつけなくてはいられない状態に

なったりします。

 

それが、

喜びなどのエネルギーに変換されれば

まだ良いのですが、

人によっては、

怒り系の気持ちに結びつくことが

あります。

 

何か知らないけど、

いろんなことに腹が立つ。

・・・という状態になります。

 

真本音度合いが高まることで

発せられるエネルギーは

強大です。

 

発すれば発するほど

どんどんさらに

溢れてきます。

 

それに対して、

反応本音によって生まれる

エネルギーは

それほど強いものでは

ありません。

 

エネルギーそのものを

存在承認し、

あるがままに感じることで

すぐに消えていきます。

 

あぁこれは、

真本音レベルのエネルギーだな

と思われた場合は、

そのエネルギーを

体の中心部分に抱くように

大切にしまってください。

 

最初は

溢れるエネルギーを抑えるのは

大変かもしれませんが、

体の中心部分であれば、

そのエネルギーはすべて

収まります。

 

そして、必要な時に必要なエネルギーが

外に向かって発現されるように

なります。

 

では、

体の中心とはどこか? ですが、

単純です。

 

おへその奥のちょうど中心部分

です。

(人によって少しズレるケースも

あります。)

 

そこは

無尽蔵にエネルギーを

蓄えることができるのです。

 

そうすることで、

落ち着くことができるでしょう。

 

体の中心に

エネルギーのすべてを集約したら、

少しそこに意識を

向けてみてください。

 

何とも言えない明るさと

深さと

安堵感を

感じると思います。

 

このエネルギーこそが

私達人間が誰もが持ち合わせている

真のエネルギーです。

 

意識の次元が高まれば

高まるほど、

そのエネルギーの度合いは

2次曲線的に高まります。

 

そういったエネルギーを

常に感じることで、

自分自身が常に満たされ、

そして周りの人達を満たすことが

できるようになります。

 

一人一人がそうなれると、

すごい組織になると

思いませんか?

 

つづく

 

なぜあの人はそんなにゆとりがあるのか

どうすればもっと

ゆとりを持って生きることが

できるのでしょうか?

 

そんなご質問を

本当によくいただきます。

 

ゆとり、というと、

まず第一に思い浮かべるのは

時間です。

 

時間的なゆとりが

あるかどうか?

 

いつも仕事が溢れていて、

大忙しになればなるほど、

ゆとりはなくなります。

 

・・・と一般的には

考えられています。

 

しかし私はこれまで

本当に仕事量の凄い人で

あればあるほど、

ゆとりを持っている

という現実を

多く見てきました。

 

一番、ゆとりがないのは

中途半端に忙しい人

のような気がします。

 

中途半端に忙しい人は、

仕事をこなそうとします。

 

仕事をこなす

というのは、反応本音レベルの

行為です。

 

すると、ちょっと忙しくなると

すぐにゆとりがなくなります。

 

ゆとりがなくなれば、

視野が狭くなり、

いろんな仕事のミスが起き、

さらにゆとりがなくなります。

 

私は、ゆとりとは

時間があるかないか?

ではないと思っています。

 

ゆとりとは、

心の(もしくは魂の)エネルギーの

大小で決まると

思っています。

 

心の中にいつも

エネルギーが満ちている人は

どんな状況でも

ゆとりがあります。

 

実際に、

恐らく私は20年前の私の仕事に

比べれば、

今の仕事量は10倍くらい

多いかもしれません。

 

でも明らかに

20年前よりも今の方が

ゆとりがあります。

 

心が常に

エネルギーに満ちているから

です。

 

現実世界では

想定外のことがたくさん

起こります。

 

想定外がない、

という方が不自然でしょう。

 

例えば、想定外の

仕事が割り込んできた

とか。

 

「私の仕事は、想定外の仕事が

どんどん割り込んでくるので

ゆとりを持てないんです」

 

と言われる人が

本当に多いのですが、

それは、想定外がいけないのではなく

仕事をこなそうとしているから

ゆとりがなくなるのです。

 

しかも仕事をこなす人ほど

想定外が多くなります。

 

真本音で生きるということは

想定外が想定外では

なくなる、ということです。

 

高い次元の私達は

すべてをわかっているから

です。

 

3次元にいる私達の

顕在意識が

「うわっ、想定外だ!

まいった〜〜!」

とやっていても、

どこか根底では、

すべてを楽しんでいる自分が

います。

 

ここでこんな想定外を

私は私にもたらしたんだ、と

どこか客観的な目で

自分と現実を見つめています。

 

そこに、

その現実の意味を解釈として

考える必要はありません。

ただそれを

楽しめばよいのです。

 

高い次元の私達の意識は

それができます。

 

低い次元の自分は

オロオロとうろたえている。

でもその一方で

高い次元の自分は

そのオロオロも含めて

すべてを楽しんでいる。

 

そんな状態で生きていくのは

人間として生きることの

醍醐味の一つかも

しれません。

 

つづく