本当は見えていないが

LINEで送る
Pocket

目の奥から、
自分の瞼を
内側から
見つめている。

瞼まで
かなりの距離が
ある。

ここは
どこだ?

あの目の形を
した目が、
私のいつも見ている
目か。

あの窓のような
部分から
外の世界を
見ているのか?

狭い窓だ。

あれでは、
見えるものしか
見えないだろうに。

すべての波長の
わずか特定の
ものしか、
察知できない
だろうに。

でも思えば、
人は皆
あのような狭い窓から
世界と接しているんだ。

あの、
目隠しをしているのと
同じような
状態のまま。

しかも
各々の経験によって
各々の目には
フィルターが育つ。

色眼鏡が
育つ。

もうそうなったら
むしろ
目隠しをしていた方が
まだマシだろう。

小さな窓から
わずかに差し込む
光。

薄い光。

しかしここまでは
届かない。

何もわからない。

私は何をすれば
良いのか?

このような状態で
皆、生きているのか。

窓が遠のく。

私はこれから
どこに行くのか?

・・・

自分が感知した
ものが

すべてである

と決めつけるのは
危険だ。

しかし、
それをわかった
上で、

自分が感知した
ものを

自らが愛そう。

「愛す」とは
解釈を加える行為
ではなく、

ただ
意志を持って
意識をそのものを
向けること。

より深く
知ろう!
として。

小さな窓で
生きる我々。

我々にできるのは
それだ。

つづく

コメントを残す

*