「命の捧げる」
というと、ちょっと重いイメージが
ありますか?
自己犠牲的な
ニュアンスを感じますか?
私達は自らの命を
捧げています。
誰に捧げているかと言いますと、
自分自身に捧げています。
この3次元世界においては
時間は過去から未来へと
一方向に一定のスピードで
流れ続け、
その流れに乗る私達の命は
時間という視点から見れば、
限られています。
その限られた命を
私達は自分自身に捧げ、
自分自身に委ねています。
この命をどう使うか?
をすべて
自分に委ねています。
命の使い方。
これを
『使命』
と言います。
この言葉もちょっと
重い感じがしますか?
でも私達の真本音は
自分自身の命の使い方、
つまり使命を
決めています。
どうせ限られた時間であれば、
その中で
何のためにどのように
この命を使うか?
を明確に決めています。
自らが真本音で決めた
その使命に
素直に生きている人は
内側からエネルギーが
湧き続けます。
常に魂と心が満ちている
非常に安定した状態
となります。
その結果、
どのような現実が
目の前に現れても、
どことなく常に
「ゆとり」
があります。
そして、どのような現実に
対しても
しっかりと向き合い、
納得の一歩を出し続ける
ことができます。
結果として、
現実は開かれていきます。
しかし残念ながら、
自らが決めた命の使い方を
していない場合は、
私達の心は非常に
脆弱になります。
ちょっとしたことで
すぐに揺れ動き、
外的な要因に左右され続け、
人生のハンドルを
外部環境の何物か、
つまり、自分以外の何物かに
握られ続けます。
自分の人生なのに、
自分でハンドルを
握っていない。
その不安定さ。
その不安。
それがあるために、
常に何かを恐れ続けて
生きることになります。
同じ人なのに、
使命に素直か
そうでないのか
によって、
真逆の自分になります。
真逆の人生に
なります。
何が幸せか?
何をもって
成功と言えるのか?
それは
その人その人それぞれ
です。
現実・現象レベルで
どうなっているか?ではなく、
その人の生き方そのもの
つまりは
使命に向かっているかどうか
によって、
その人の抱く
幸せ感や成功感は
は左右されます。
そういった意味で、
自分の命を
自分とは分離して
捉えることを
私はお勧めします。
自分=命
ではなく、
自分は、
この与えられた命を
どう使おうか?
というように、
命を与えられたプレゼントのように
見つめるのです。
そう捉えた時、
あなたの命は今、
どこにありますか?
あなたの体の
内側にありますか?
それとも
外側にありますか?
あなたが命を
包んでいますか?
それとも
あなたが命に
包まれていますか?
その命は今、
どのくらいの輝きを
放っていますか?
その光は
何色ですか?
その光は
輝きを日々、
増していますか?
それとも
輝きが
減退していますか?
その命の光を見つめると、
命からあなたへの
メッセージを感じますか?
もし感じるとすれば、
あなたのその命は
あなたに何を
伝えようとしていますか?
・・・このように
自分自身の命と
対話をしてみると良いですね。
これはつまり、
真本音との対話と
本質的には同じものです。
命を大切にするとは、
自分を大切にする
とは少し異なるものです。
命を大切にするとは、
命との対話を大切にし、
命からのメッセージを
大切にし、
命の使い方を
大切にするという
ことなのです。
つづく