在命

 

これは

皆さんにお勧め

するわけではなく、

 

あくまでも

私個人の考え方

であるが、

 

私は

与えられたものは

すべて

 

命である

 

捉えるように

している。

 

目の前の

物。

 

与えられた

考え方。

 

与えられた

経験。

 

与えられた

課題。

 

与えられた

夢。

 

・・・

 

もちろん

夢とか自分の

想いとかは、

自分の中から

湧いてくるものだが、

 

それについても

 

自分が

自分に与えた、

 

という捉え方を

私はする。

 

すべてを

命であると捉え、

 

命として

大切にしようと

する。

 

だからこそ、

逆に

捨てる

こともある。

 

大切にしようと

するが故に

捨てる

のだ。

 

もそうだな。

 

時間も

与えられた命だ。

 

だから

とてつもなく

大切にする。

 

大切にするが

故に、

 

今は

ダラダラ過ごそう

決めることもできる。

 

無為な時間を

過ごそう

真面目に決めて、

ダラダラする。

 

命だからだ。

 

私の長男は

もう8歳になったが、

 

先日、

強く叱った。

 

物を雑に

取り扱ったからだ。

 

私は基本的に

私の生き方は

他者に押し付けることは

しないが、

 

しかし

きっと長男もそれを

望んでいたのだろう。

 

「すべてのものを

命だと思え!」

 

叱っていた。

 

それが

この世で生きる

覚悟であると

思うのだ。

 

固い話

ではない。

 

むしろ

固いか柔らかいか、

表現すれば、

これは

柔らかい話だ。

 

なぜなら

やはり私には

すべてが

命に観える。

 

私にはそれが

真実に

観える。

 

だから

それをそのまま

受け入れている

だけだ。

 

すべてが

命だと思ったら、

 

フッと

 

すべてが

軽くなったんだな。

 

そして

軽くなった心の

ままに、

 

一つ一つを

丁寧に生きる。

自然に

それができる自分に

なれて、

 

我ながら

ちょっと自分を

好きになれた。

 

自分も

命なんだな、

思えたんだ。

 

つづく

 

灯火を紡ぎたい

 

その人の

心の中心には

 

火が灯っている。

 

確かに

火が灯っている

のがわかる。

 

だからその火を

大切にして

ほしい。

 

それは

命の灯火だ。

 

命そのもの

だ。

 

なのに、

その灯火を

打ち消すかのような

言動を

 

私達人間は

してしまうことが

ある。

 

それを

目の当たりに

すれば、

 

当然、

悲しくなる。

 

悲しくなるが、

他者として

できることには

限界があり、

 

自分の命を

活かすかどうかは、

 

これも

当然だが、

 

その人自身の

判断に

よるしかない。

 

その人の人生は

その人のもの。

 

その人の命は

その人のもの。

 

確かにその通り

だが、

 

本当に

それだけで

良いのだろうか。

 

それは

その人を

本当に尊重している

ということに

なるのだろうか。

 

・・・・・・

 

灯火と灯火は

 

本当は

共振し

共鳴する。

 

灯火が紡がれ、

 

さらに大きな

光になる。

 

そんな社会に

なれるといいな、と

いつも私は

願っているが、

 

そのために

全力を注いで

いるが、

 

なかなか、ね。

 

もし

人を救う力が

あるのなら、

 

私はその人を

救いたい。

 

でも、

その人を救う

ことは、

 

本当にその人を

救うことに

なるのだろうか。

 

そもそも

救う、

とは何だ?

 

命を救うのは

 

その人を

救うことに

なるのだろうか。

 

つづく

 

頑張っている内は超えられない

 

もし、

加速することに

疲れてしまったら、

 

その

がんばり

を、

いったん手放すと

よいですね。

 

あなたが

がんばっても

がんばらなくても

 

あなたの真本音は

進みます。

 

「頑張る」

とは

「我を張る」

というのが

語源であると

聴いたことがあります。

 

確かに「頑張る」の

「頑」は

「頑固」の「頑」

ですからね。

 

もちろん

がんばることは

大事ですが、

がんばろうとすることで

歩みが遅く

なってしまうことも

あるのです。

 

・・・・・・

 

私の心の奥から

 

『何もしない』

 

という言葉が

浮かんできたのは

いつのことだったかな?

 

当時の私は

毎日、クタクタで、

 

毎日、全力を

尽くしていました。

 

もちろんそれは

今も変わらない

のですが、

 

「全力を尽くさねば

ならない」

という頑なな想いが

私の疲れを

倍増させていたように

思います。

 

恐らくそのがんばりが

限界を超えて

しまったのだと

思います。

 

ある時、

仕事が終わって

帰宅した時に、

 

あっ、俺、死ぬな。

 

って思ったんです。

 

そして

自分の命の光が

スーッと消えていくのが

わかりました。

 

あっ、俺、このまま

死んでしまう。

 

生命エネルギー

使い切っちまった。

 

・・・と

焦りました。

 

私は私の命の灯が

消えていくのを

ただ茫然と

眺めるしかなかった

のですが、

 

命が消える

ギリギリのところで、

何かとてつもなく

あたたかなものに

支えられた感覚が

しました。

 

その感覚に

15分ほど包まれていたら、

気がついたら

普通の自分に

戻っていました。

 

助かったのかな?

 

と思っていたら、

その瞬間に

浮かんだのが、

 

『何もしない』

 

という言葉

だったんです。

 

・・・・・・

 

変な表現ですが、

次の日から

私の人生理念は

 

『何もしない』

 

になりました。

 

一日中、その一言を

つぶやき続けていた

覚えがあります。

 

すると大変

面白いことに、

 

私の中から

「がんばり」が

消えてしまいました。

 

と同時に、

「がんばり」とは

別のところから

エネルギーが湧く

ようになりました。

 

「何もしない」

と呟いていると、

一人でいる時には

自分自身は

何の光も発していない

のですが、

 

クライアントさんなど、

人の前に立った瞬間に

一気に自分が

開かれる感覚がしました。

 

私自身は

「何もしない」と

思っているのに、

 

その時その瞬間、

自分のすべきことが

ありありと

わかるようになり、

 

私はその通りに

振る舞っている自分に

気づきました。

 

今ならよくわかる

のですが、

その時の私は、

 

自分の真本音に

完全に委ねている

 

という状態でした。

 

自分が自分に

委ねる、

 

のです。

 

変な表現ですが、

それ以外に

上手い表現が

思い浮かびません。

 

そして私は

明確に

わかったのです。

 

なんだ、

俺は俺を信じて

いなかったんだ、

と。

 

最初から

自分に委ねれば

よかったのに、

 

自分を信じられない

ものだから、

いつも我を張って

「何とかしよう」と

頭で考えていた。

 

それを

完全に手放すと

こんなにも

楽なのか。

 

そして、

それを完全に

手放すと、

こんなにも

目の前の人が

悦んでくださるのか。

 

ということを、

驚嘆と共に

私は体験することが

できました。

 

・・・・・・

 

今、

最高速度で進もうと

している皆さんへ。

 

これまで

自分が出すことのなかった

スピードを出すならば、

 

もう、

これまでの自分の

範疇で

「がんばろう」

とすることは

あきらめましょう。

 

自分をただ信じ、

そこを手放した時に、

初めて観えてくる

世界があります。

 

あなたは

その世界に入ろうと

しています。

 

合言葉は、

 

『何もしない』。

 

自分を自分に

委ねてしまって

ください。

 

つづく

 

今日も命を感じたよ

 

命って

何でしょうね?

 

私達には皆、

命があります。

 

一般的に

生物と言われる

ものには

命を感じます。

 

しかし実は私は、

生物以外のものにも

命を感じることが

あります。

 

すべてのものに

命はあるのではないか

と、よく

私は思います、

・・・というよりも

そう感じます。

 

例えば、

研修やチームコーチング

などをしていますと、

たくさんの人達と

長時間向き合い

続けます。

 

すると毎度のことですが、

途中から

自分なのか、

その人なのか、

自分が誰なのか、

わからなくなります。

 

皆さんがどう感じるかは

別として、

私は、皆さんと一つに

なっているのだと

思います。

 

そういった時間が

終わり、

一人になった時、

私は

「世界」のすべてに

命を感じます。

 

駅を歩いたり

電車に乗ったり

するその

一刻一刻の時間が

ゆっくりと流れ、

その時間の刻みと共に、

「世界」の息遣いを

ダイレクトに

感じるのです。

 

なんだ、

すべては生きている

ではないか、

と、いつも当たり前のように

思うのです。

 

人も

生きている。

 

物も

生きている。

 

空気も

光も

影も

すべて

生きている。

 

命そのものの

この世界の中に

私は

いる。

 

そう感じるのです。

毎日の

ことですが。

 

この時私は、

「もとに戻れた」

気が

いつもするのです。

 

・・・・・・

 

この仕事を

していますと、

 

人と人が争う

という場に

よく出くわします。

 

AさんとBさんが

言い争っています。

 

その時私は

二人の「そのまま」を

観察し、感じます。

 

すると

人と人の争いには

2種類あることが

わかります。

 

言い争いながら、

どんどん「分離」

していくケースと、

 

言い争いながら

どんどん「一つ」に

なっていくケースです。

 

前者を

「反応本音の言い争い」

 

後者を

「真本音の言い争い」

 

と私は呼んでいます。

 

「真本音の言い争い」

は、

愛の行為です。

 

そういうものが

私は

組織にどんどん

増えていくといいな、と

思います。

 

言い争いそのものが

悪いわけでは

ないのです。

 

つまりは、

表面的な「行為」

だけを見て

物事を判断することは

やめた方がよいです。

 

「真本音の言い争い」が

発生した場合、

私はそれを

どんどん助長します。

 

中途半端に終わろうと

すると、

「いや、そこで

終わってはダメですよ」

と、

言い争いを終わらせ

ません。

 

せっかく「一つ」に

なろうとしているの

ですから、

 

せっかくお互いに

愛を与え合って

いるのですから、

 

それを止めてしまっては

いけません。

 

「真本音の言い争い」に

私は、

命を感じます。

 

言い争えば

言い争うほど、

命の光が強くなるのを

感じます。

 

命とは、

「一つになろう」

という意志が

強まれば強まるほど、

 

明るく

輝くものでは

ないでしょうか。

 

・・・・・・

 

私達は

せっかく命を授かって

ここにいるのですから、

 

自分自身の

命も

 

自分以外の

命も

 

育んでいきたい

ですね。

 

命とは本来、

次の命を

生み出すものでしょう。

 

つまり

命とは

永遠を生み出すもの

だと

私は思うのです。

 

つづく

 

命を開放しよう

 

毎日、人と

向き合っていますと、

 

人って

可愛いなぁ・・・。

 

って思う瞬間が

いくつもあります。

 

その度に私は

まるで恋心を

抱いた時のように

胸がキュ〜ンと

します。

 

この

キュ〜ンを味わいたくて、

私はこのお仕事を

続けているのかも

しれません。

 

特に、人の

可愛らしさを感じるのは、

その人の

「命」

をダイレクトに感じ取った

瞬間です。

 

私達は皆、

もちろん命が

ありますが、

 

その命の光、

・・・命の力と言いますか、

それを多くの人が

包み隠しながら

生きています。

 

命があるのに

まるで命があるのが

いけないことのように、

自分の命を

隠しながら生きている

のです。

 

でも、

その人の真本音度合いが

高まると、

だんだんとその人の

命が

あらわになってきます。

 

で、ある瞬間に

ツルンと

その人の命を覆っていた

何か余分なものが

取れてしまうことが

あります。

 

ツルンと取れたら、

まばゆいばかりの

命の光が

あらわになります。

 

その瞬間はまるで

その人自身がもう一度

赤ちゃんに戻ったかのような

そんな空気感になります。

 

そして私は

キュ〜ンとなります。笑

 

人には皆、

可愛さがあります。

 

本来は

可愛い存在なのです。

みんな。

 

確かどこかのドラマで

「可愛さこそ最強」

というセリフを聴いたことが

ありますが、

私もそう思いますね。

 

・・・・・・

 

あなたの命の光は

本来は

何色ですか?

 

その光を

あなたは

覆っていませんか?

 

もし覆っていたと

したら、

どうすれば

光を開放できますか?

 

私達には

命があります。

 

命を大切にする

とは、

命を開放する

ということです。

 

命を開放することで

初めて、

私達は望む人生を

歩むことが

できるのです。

 

つづく

 

真剣に人間を学びませんか?

 

苦しい体験をすることで

成長ができる

わけではありません。

 

苦しみを抱き続ける

からこそ、

私達は成長できるのです。

 

心が激しく

揺さぶられる過去と

対峙しながらも

「今」を進む人。

 

そんな人は、

揺れ動く心が

そこにあるにも関わらず、

とてつもなく

静謐です。

 

心は嗚咽しても

魂が

静かなのです。

 

そんな人と

向かい合うと、

こちらも

静かになっていきますね。

 

私は

そんな人を

どこまでも

応援したいなぁ。

 

・・・・・・

 

心と魂の

区別のつく

コーチが

増えるといいなと

思います。

 

心は

揺れて

いいんだよ。

 

揺れるままで

いいんだよ。

 

でも、

魂が揺れ、

魂が傷つくことは

やめようよ。

 

・・・そんな

ちょっとした助言の

できるコーチが

今の世には

必要です。

 

心は

そのままでいい。

 

たったその一言を

聴くだけで、

どれだけ私達は

救われることか。

 

・・・・・・

 

魂を大切にできる

コーチとは、

命を大切にできる

コーチです。

 

心の痛みから

逃れることで、

命を傷つけてしまう人が

います。

 

それを

止めるのは

残念ながら

本人には難しいのです。

 

そこは

ちょっとお節介でも、

傍にいる人が

止めなければいけません。

 

しかしそれができる人は

多くはありません。

 

私達はもっと

「人間」を学ぶべきでは

ないでしょうか。

 

「人間」を真剣に

学ぼうとする人に

私は

コーチになって

もらいたいな。

 

つづく

 

命を大切にする、とは

「命の捧げる」

というと、ちょっと重いイメージが

ありますか?

 

自己犠牲的な

ニュアンスを感じますか?

 

私達は自らの命を

捧げています。

 

誰に捧げているかと言いますと、

自分自身に捧げています。

 

この3次元世界においては

時間は過去から未来へと

一方向に一定のスピードで

流れ続け、

その流れに乗る私達の命は

時間という視点から見れば、

限られています。

 

その限られた命を

私達は自分自身に捧げ、

自分自身に委ねています。

 

この命をどう使うか?

をすべて

自分に委ねています。

 

命の使い方。

 

これを

『使命』

と言います。

 

この言葉もちょっと

重い感じがしますか?

 

でも私達の真本音は

自分自身の命の使い方、

つまり使命を

決めています。

 

どうせ限られた時間であれば、

その中で

何のためにどのように

この命を使うか?

を明確に決めています。

 

自らが真本音で決めた

その使命に

素直に生きている人は

内側からエネルギーが

湧き続けます。

 

常に魂と心が満ちている

非常に安定した状態

となります。

 

その結果、

どのような現実が

目の前に現れても、

どことなく常に

「ゆとり」

があります。

 

そして、どのような現実に

対しても

しっかりと向き合い、

納得の一歩を出し続ける

ことができます。

 

結果として、

現実は開かれていきます。

 

しかし残念ながら、

自らが決めた命の使い方を

していない場合は、

私達の心は非常に

脆弱になります。

 

ちょっとしたことで

すぐに揺れ動き、

外的な要因に左右され続け、

人生のハンドルを

外部環境の何物か、

つまり、自分以外の何物かに

握られ続けます。

 

自分の人生なのに、

自分でハンドルを

握っていない。

 

その不安定さ。

その不安。

 

それがあるために、

常に何かを恐れ続けて

生きることになります。

 

同じ人なのに、

使命に素直か

そうでないのか

によって、

真逆の自分になります。

 

真逆の人生に

なります。

 

何が幸せか?

 

何をもって

成功と言えるのか?

 

それは

その人その人それぞれ

です。

 

現実・現象レベルで

どうなっているか?ではなく、

その人の生き方そのもの

つまりは

使命に向かっているかどうか

によって、

その人の抱く

幸せ感や成功感は

は左右されます。

 

そういった意味で、

自分の命を

自分とは分離して

捉えることを

私はお勧めします。

 

自分=命

ではなく、

自分は、

この与えられた命を

どう使おうか?

というように、

命を与えられたプレゼントのように

見つめるのです。

 

そう捉えた時、

あなたの命は今、

どこにありますか?

 

あなたの体の

内側にありますか?

 

それとも

外側にありますか?

 

あなたが命を

包んでいますか?

 

それとも

あなたが命に

包まれていますか?

 

その命は今、

どのくらいの輝きを

放っていますか?

 

その光は

何色ですか?

 

その光は

輝きを日々、

増していますか?

 

それとも

輝きが

減退していますか?

 

その命の光を見つめると、

命からあなたへの

メッセージを感じますか?

 

もし感じるとすれば、

あなたのその命は

あなたに何を

伝えようとしていますか?

 

・・・このように

自分自身の命と

対話をしてみると良いですね。

 

これはつまり、

真本音との対話と

本質的には同じものです。

 

命を大切にするとは、

自分を大切にする

とは少し異なるものです。

 

命を大切にするとは、

命との対話を大切にし、

命からのメッセージを

大切にし、

命の使い方を

大切にするという

ことなのです。

 

つづく