何もなくなる私もなくなる

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私が
私である、
という
自我を失くし、

不特定多数
の中の
一つの存在
である、

ただ
それだけ、

という
感覚になることが
時々ある。

何の色も
ない。

“私”という
概念すらなく。

自分を失う
というのは
怖そうなイメージが
あるし、

それは
自分であることを
放棄するような
投げやりな
イメージもあるが、

実は
その瞬間の
私は
結構、悦びで
満たされる。

私は
何者でも
ない。

その
言いようのない
開放感。

解放感。

当然そこには
私の使命は
なく、

願いもなく、

すべきことも、
人生そのものも、

ない。

過去も今も
未来もなく。

ただ、
そこにある
一個の存在。

その感覚で
街を歩いて
いると、

とても純粋に
“風”を
感じることが
できる。

“風”は
常に
吹いているのだ、

わかる。

“世界”は
常に
動き、揺らめいて
いるのだと。

脈々と
何かが
流れている。

それをただ
不特定多数の中の
たった一個の
存在として
感じている。

ある種の
“無”の感覚。

それは
孤独ではない
のだ。

孤独という
概念そのものが
消えている
というか。

そんな感覚に
しばらく
浸っていると、

その後、
いつもそうなる
のだが、

ある瞬間から
急に
ガーっと
“私”が
入ってくる。

まるで
夢から覚める
ように。

そして
凄い勢いで
私の中で
“私”が輝き出す。

そこで
思い出すのだ。

私は
“私”であった、
と。

そして
素直に思える
のだ。

私は
“私”を
引き受けよう、
と。

この感覚が
ひょっとすると、
“覚悟”
ということかも
しれないね。

つづく

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