自分の範疇を超えているからこそ

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影が
観える。

その人の
背後に。

怖いもの
ではない。

むしろ
あたたかい
もの。

その人を
見守るように。

ただ、
今、伝わって
くるのは

強い
激励の波長。

あぁこの人は
今、
人生でも
とても大切な
決断をしようと
している。

・・・・・・

人は皆、
結局は最後は
自分の意思で
決めている。

他者や環境に
流されてしまう
人も、

流されれば
いい、

という
自分の意思で
決めている
わけだ。

その意味では
全ては
自己責任、

言うこともできる。

ただ、
私達には

この世の
私達には

自己責任の
範疇では済まされない
現実に
苛まれることも
ある。

かといって
純粋に
被害者的発想を
すれば良いわけでも
ない。

・・・・・・

自分の内側の
奥の奥、

つまりは
中心から

泉のように
湧き出で続ける
意思がある。

それは
とてもとても
小さな時もあるが、

それでも
それは
湧き出で続けて
いる。

それをどれだけ
普段から
大切にできるか?

それにより、
自己責任の
範疇で
進める度合いは
高まっていく。

未来は
予定通りには
いかないが、

未来への
予測できない
流れに
柔軟に対応できる
だけの
力も
私達にはあるし、

私達の範疇を
超えて
後押しをしてくれる
存在は
確かにある。

それに
依存しては
ならないが、

今ここにおける
自分の意思を
本当に大切に
していれば、

私達は
自分の範疇を
超える進み方が
できるんだ。

・・・・・・

昔からよく
お話しすること
だが、

人生、
遊びの如し、

という
言葉が私は
好きで、

どこの誰が
言われた言葉かは
わからないが、

何かの本で
読んだ時から、
その言葉は
私のかなり
中心の部分にある。

ままならない
この世の中。

ここからこそ、
より
ままならない
時代。

どうせ
進むなら、

遊ぶような
軽やかさで、

自分の意思を
最も
頼りにして、

歩き続けたい
ものだ。

つづく

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