準備が万全に整ってから
物事を始めよう
とする人がいますが、
それは決して
良い始まり方とは
限りません。
むしろ、
準備を整えている内に
機を逸してしまった
ということの方が
多いのではないでしょうか。
物事には
タイミングが
あります。
良いタイミングで
始めることで
調和は起こりますが、
タイミングを間違えると
同じことをしても
まったく展開が変わります。
物事は
タイミングで
決まります。
そしてそのタイミングは
私達自身の真本音が
最もよくわかっています。
人と人の真本音は
実在のレベルでは
すべてつながっています。
真本音の望む
タイミングに合わせる
ということは、
すべてとつながった上で
すべての流れを
見極めて上で
「今、ここだ!」
という最善のタイミングを
掴んでいるという
ことになります。
そのタイミングが
来ているのに、
「準備が整って
いないから」
という理由で、
始まりを自分自身が
阻止してしまうのは、
自分の人生を
自分で阻止しているのと
イコールです。
・・・・・・
「何を始めるか?」
これは人生において
とても大事なこと
ですが、
「いつ始めるか?」
これも超がつくくらい
大事です。
この
「いつ始めるか?」
の感性を養う
最も簡単な方法があります。
それは、
「一日を始めるタイミングを
はかる」
ということです。
以下は、私が毎日
必ず行なっていることですので、
とても簡単ですので、
よろしければ皆さんも
遊び感覚で
お試しください。
まず、
私は一日の終わりを
大事にします。
つまり、
いつ寝るか?
のタイミングを大事に
します。
「いつ寝る?」
「いつ布団に入る?」
という問いを
私は自分自身に
投げます。
自分の真本音に
投げる感覚です。
すると、
「もう今すぐ寝よう」
とか
「もう少し後にしよう」
とか
時には
「何時何分にしよう」
などの返事が
返って来ます。
何度か自分に
問いかけながら、
「今、布団に入る
タイミングだ」
とわかったらすぐに
布団に入ります。
ただ、
その直前に必ず
もう一つすることが
あります。
「明日、
何時何分に起きる?」
と自分に問うのです。
すると面白いことに
「6時くらいに起きよう」
というような返事が
返ってくることは
稀です。
いつも
「5時57分にしよう」
とか、
「6時3分にしよう」
など、
かなり細かい答えが
返って来ます。
で、その通りに
目覚まし時計を
かけます。
で、布団に入るのですが、
言われたタイミングで
入れば、
やはり良い睡眠が
待っています。
以前、
わざとこういったタイミングを
ずらして
布団に入ったことが
ありますが、
やはり睡眠の質が
根本的に変わってしまったのが
よくわかりました。
目覚めの気持ちよさが全然
違うのです。
さて、
自分の望むタイミングで
布団に入り、
そのまま眠ると、
大概の場合、私は
目覚ましをかけた時間の
直前に
自然に目が覚めます。
結果としてほとんど
目覚まし時計を鳴らすことは
ありません。
ただし、
目が覚めたからといって
すぐに布団から
出ることはしません。
ここでまた自分自身に
問うのです。
「どうする?
すぐに起きる?」
と。
これも私の場合ですが、
大概は
「もう少しこのままで
いる」
と返って来ます。
ですので、
そのまま横に
なっています。
これをやっていると
時には
二度寝をしてしまうことも
ありますが、
それでも良いのです。
例えば、
ちょっとウツラウツラと
二度寝をしたと
します。
そしてまた
目が覚めたとします。
そこでまた
問います。
「どうする?
すぐに起きる?」
と。
「もう少し」
と返って来たら、
まだそのままでいます。
これを繰り返し、
「今、起きよう」
と自分から返事が
来た瞬間に、
布団から出ます。
すると、
とてつもなく
一日の始まりが
快適になります。
この「快適さ」が
一日を決めてしまう
と言ってもよいのではないか、
とさえ思うくらいです。
・・・・・・
人生において
「始まり」
はいくつもいくつも
あります。
その「始まり」の中で
最も身近なものの一つが
この
「一日の始まり」
だと思います。
ここで
このように最善の
タイミングをはかる
という習慣をつければ、
それが、すべての
「始まりの感性」
を養ってくれます。
「始まりの感性」とは
いつ始めるか?
を決める感性です。
これにより、
人生は劇的に
変化する可能性が
あります。
少なくとも私の場合は
劇的に人生が
変わりましたね。
つづく