私とは
何者なのだろうか?
という問いが
浮かぶことは
ありませんか?
私が何者か?
ということは
つまり、
私は
私以外のものと
どのように関わるか?
ということでも
あります。
私は
私以外のものと
何者として
関わればよいのか?
です。
「私以外のもの」を
あえて
「世界」
と表現することにします。
するとこの世は
「私」と「世界」
によって成り立っている
ことになります。
「私」は「世界」と
どう関わるか?
「世界」にとっての
「私」とは
何か?
「私」は「世界」を
どうしたいのか?
「世界」は「私」に
何を求めているのか?
「私」は「世界」に対して
何をどう
応えればよいのか?
このような
根源的な問いと
向き合えば、
あなたはどうなりますか?
答えは
見つかりそうですか?
それとも、
わけがわからなく
なりそうですか?
答えはわからなくとも
何らかの
気づきはありそうですか?
それとも
頭が真っ白に
なりそうですか?
このような
根源的な問いは
怖いですか?
それとも
楽しいですか?
・・・・・・
私とは
何者なのだろうか?
一見、とても難しい
問いのように思えますが、
すべての人は
この答えを明確に
持っています。
自分にとっての
「正しい答え」
つまりは、「正解」が
あるのです。
そしてそれは、
「世界」にとっても
「正しい答え」であり
「正解」です。
なぜなら、
「私」も「世界」も
つながっていますからね。
その「正解」を
見つけるためには、
この問いと
真摯に向き合い続け
なければなりません。
「正解」が
いつ見つかるか?は
恐らく
人それぞれでしょう。
人それぞれですが、
それを見つけるには
この問いと共に
毎日を生き続けなければ
なりません。
・・・・・・
私の場合は
時間がかかりました。
私が初めてこの問いと
出会ったのは、
恐らく22歳です。
社会に出る直前になって
初めて真剣に
考え始めました。
この問いの答えを
見つけるためには、
そうだ!
エベレストを見なきゃ!
と思い立ち、
実際にネパールヒマラヤに
行きました。
まったく意味がわからない
行動でしたが、
実際に標高5400mくらいまで
登り、
エベレストと対面した時、
私はきっと
この問いの答えは
見つかるに違いないと
確信しました。
確信したのですが、
私の場合、
反応本音があまりにも多く、
紆余曲折の人生が
続き、
ようやくにして
答えに行き着いたのが、
なんと2015年。
ほんの3年前です。
何とも長い
紆余曲折でした。
もちろんそれまでも
いろんな「答え」には
出会ってきました。
でも、
本当の答え、
自分にとっての真本音の答え
に行き着いたのは
3年前の正月です。
正確には、
3年前の1月2日です。
そこから私の人生は
一気に変わりました。
本当に
次の日から
変わりました。
自分は何者か?
自分は自分の人生において
何を成せばよいのか?
その「答え」が
眼前に屹立しました。
そして、
30年後までに必ず
実現しようと決めている
ビジョンが観えました。
今の私の
あらゆる活動は、
そのビジョンの向かうための
ものです。
・・・・・・
面白いことに、
そこから
出会う人、つながる人達が
一気に変わりました。
それこそ
「世界」が
変わりました。
しかし、
ここまでのこの3年間は
あくまでも
準備期間だったのだと
思います。
今、ようやく
準備が完了した
感覚があります。
ここからが
本番であり、
全力疾走の
スタートです。
そのための
一つの象徴として
『株式会社真本音』
を立ち上げました。
「答え」が見つかる
ということは、
「迷い」がなくなる
ということです。
「迷い」がなくなる
ということは
単純に
「気持ちいい」
ということです。
その「気持ちよさ」は
着実に
私の周りの人達に
伝播しています。
ですから
周りの人達も
次々に
「気持ちいい」状態に
入っています。
つまり、
自分が何者か?を
その人なりに
見つけ始めている
のです。
ここにこうして
「存在」している以上、
私達には
存在意義があります。
何者として
ここに存在すれば
よいのか?
の答えが必ず
あります。
それは、
「世界」との関わりの
答えです。
この「世界」で
この「人生」で
何をすればよいのか?
の答えです。
もともと持っている
それらの答えを
すべての人が見つかると
いいなぁと
私は願っています。
そしてその
願いに基づいて
今の私は
生きています。
つづく