私は、コーチとは
クライアントさんの鏡である
と思っています。
クライアントさんの
真本音を映し出す鏡
です。
真本音は時に、
自分自身に対して
非常に厳しくなることが
あります。
特にクライアントさんが
ご自分の人生から
逃げようとしている時は
かなり厳しいです。
そういったクライアントさんと
向き合っていますと、
私の中に自然と
とてつもなく厳しい言葉が
浮かんで来ます。
それはもちろん
私の気持ちでは
ありませんし、
ましてや
私の解釈でも
ありません。
クライアントさんの
真本音からの
ダイレクトメッセージ
です。
特に厳しいメッセージを
受け取った場合、
私は心の中で
そのクライアントさんの
真本音に問います。
「この言葉、
今、あなたに伝えた方が
良いですか?」
と。
「はい、今すぐに
ここで私に伝えてください」
との
返答があった場合、
私は躊躇なくそれを
お伝えします。
それにより
多くの場合、
そのクライアントさんは
崩れます。
場合によっては
立ち直れなくなるくらいに
崩れ落ちます。
それはそうです。
その人自身の
真本音メッセージ
なのですから。
自分にとって
最も痛いところを
真本音はよく
わかっています。
その、痛いところを
私は躊躇なく
突いてしまいます。
いえ、
本当は、私の心は
躊躇でいっぱいです。
苦しみも
あります。
でも、
そのクライアントさんの
真本音が望むならば
私はやはり、
その「鏡」となります。
私は
こういったことを
100%できる人のことを
「コーチ」と
呼んでいます。
100%できない場合は、
その人はまだ
「コーチ」ではない、と
私は思っています。
・・・・・・
こういったことを
書くと、
厳しいなぁ、
とか
怖いなぁ、
とか
思いますよね、きっと。
人間であれば
それは当然です。
時には私も
私自身に対して
厳しすぎるのではないか?
と思うことがあります。
でもやはり
私は、その人の
真本音の鏡であり続けよう
とします。
当たり前のことですが、
人生とは
机上の空論では
ありません。
生身の人間が
生身のままで
体験を続けるのが
人生です。
思う通りにいかないことなど
無限にあります。
躓くことも、
ひっくり返ることも、
立てなくなることも
あるのが
当たり前。
それが
人生です。
人間は
それほど強いものでは
ありません。
すぐに
逃げたくなるし、
すぐに
誤魔化したく
なります。
それが
人間です。
そういったことを
全部、
受け止めて
引き受けて、
全部わかった上で
それでも燦然と
心の中心で
輝き続けるのが
その人自身の
真本音
です。
何があろうが、
ボロボロになろうが、
クタクタになろうが、
真本音は
ただただ
そこにあります。
すべての現実を
受け止め、
すべての自分を
受け止め、
その上で、
自分にとっての最善の一歩を
踏み出そうとするのが
すべての人の真本音の
意志であり
願いです。
人生には
意味があります。
意義があります。
すべての人は
使命を持って
います。
すべきこと、
やり遂げること、
行き着きたい場所を
すべての人は
心の中心に
抱いています。
その「願い」も
「祈り」もすべて
真本音はよく
わかっています。
「理想」をよくわかり、
しかし
「現実」もよくわかり、
その上で、
「理想」と「現実」の
狭間における
「最善」の選択を
しようとする。
それが私達の
真本音です。
真本音メッセージとは
そんな真本音から
自分自身への
メッセージです。
「コーチ」とは、
そのメッセージを
100%届けることが
役割です。
残念ながら
現時点は、
それを本当にきちんと
やり遂げられる人が
実に
少ない。
本当に
少ない。
もっと増えれば
いいな、と
切に願います。
だから私は
「コーチ」を
育成し続けています。
そして、
私自身が
「コーチ」であろうと
し続けています。
・・・・・・
そういった意味で、
「コーチ」とは
誰よりも自分自身の
真本音と
しっかり語り合える人
でなければなりません。
自分の真本音が
わからない人が
人の真本音の鏡に
なれるわけがありません。
ですから、
「コーチ」とは
誰よりも
セルフコーチング力が
なければならないのです。
「コーチ」という
立ち位置に立つ、と
真本音で決めている人は
世の中に
たくさんいます。
しかし、
その自分の意志に
気づいていない人が
ほとんどです。
ですから私は
「コーチ」の素養を持った人を
発掘します。
そして
その人達に
「セルフコーチング法」を
まずはお伝えしたいと
思っています。
つづく