怖い。
恐怖。
この気持ちは、
「分離」によって
もたらされます。
「自分」と「周り」との
分離です。
「周り」を
「世界」と表現しても
よいです。
「自分」と「世界」の
分離。
「自分」は
自分だけでしか
ない。
周りとも世界とも
別物である。
「自分」は
自分。
これを
分離感と言います。
もちろん、
ほとんどの人が
この分離感と共に
生きています。
それにより、
人とは、
怖さや恐怖を抱くことが
当たり前であり、
それが
人というものである、
と、
みんな思っています。
私達がいるこの
3次元の世界は、
分離感によって
成り立っています。
・・・・・・
分離感は
私達人間にとって
極めて辛いものです。
しかし、
この3次元世界に
生まれた瞬間から
私達は
その分離感の
真っ只中に入ります。
赤ん坊が
生まれた瞬間に
大泣きするのは、
その分離感に
びっくりしているのだと
私は思います。
今まで、
お母さんと
一つだったのに、
いきなりそこから
分離した。
その
驚くべき感覚が
私達の人生の
第一歩です。
そして
その分離感と
私達は常に
闘いながら
生きてきました。
分離感の中でも
しっかり歩ける自分に
なろうと、
努力してきました。
分離感に
惑わされない自分。
分離感に
負けない自分。
そんな自分になることが
人としての
成長であると
信じて、
ここまで来ました。
しかし残念ながら、
分離感とは
克服するものでは
ありません。
どれだけがんばっても、
分離感は
分離感です。
克服できたと
思っていても、
それは単に
麻痺しているだけ。
人は、
分離感には
勝てないのです。
辛いものは
辛い。
怖いものは
怖い。
そう
あるがままに感じる
自分を
そのままに
受け止めることができて、
初めて人は
分離感から
自由になれます。
それは決して
分離感がなくなるわけでも
弱まるわけでも
ありません。
分離感は
そのまま。
怖いのも
そのまま。
でも、
そこから
解放されるのです。
それが、
真本音で生きる
ということであり、
高い次元の自分を
思い出すという
ことです。
・・・・・・
皆さんは、
場と
時と
一つになれた、
というご経験は
ありませんか?
最近は
若い人達にこういった
表現を使うと、
「あぁ、わかります、わかります」
と返ってくることが
実に多くなりました。
最近の若い人達の感性は
本当に凄いなぁと
思います。
「一つになる」
という瞬間が、
私達の人生には
必ずあります。
しかもその瞬間は
ここ数年で
一気に増えているはずです。
場と、時と、
一つになれている時、
私達は
その瞬間は、
分離感や恐怖から
解放されます。
何度も言いますが、
分離感や恐怖が
なくなるわけでは
ありません。
それがここにあっても、
どうでもいいことだと
思えるのです。
それくらいに
「一つになる」
という体験は
インパクトがあります。
しかしそれは
何も特別なことではなく、
私達がもともといた場所は
「すべてが一つ」
という世界ですから、
それを「思い出す」
ということで、
インパクトがあるのです。
私達の魂に刻まれた
記憶を呼び起こすからこその
インパクトです。
・・・・・・
船に乗って
航海をしている時、
船と海は
分離しています。
ですからもし
嵐が来た場合は、
転覆するのではないか、
という恐れが来ます。
しかし、
海も船も自分自身だとしたら
どうでしょうか?
しかも海は、
表面上は
嵐によって荒れていますが、
深海に潜れば、
そこは常に安定しています。
しかも、
さらに潜れば、
大地があります。
その大地とは
地球そのもの。
その地球とも
一つであるとしたら。
すべてが私
であるとしたら。
もちろんそれでも
恐怖が消えることは
ありませんが、
それでもその恐怖よりも
もっと大きな安定感を
私達は得られるのでは
ないでしょうか。
地球とも海とも
一つである自分。
それを思い出しながらも、
船として生きる人生を
楽しむ。
・・・これが
真本音で生きる感覚です。
高い次元を
思い出している
感覚です。
私達人間の実に
面白いところは、
どれだけ高い次元を
思い出しても、
低い次元が
なくなることはない、
すべての次元が
共存している
というところです。
これこそが
人間の魅力。
人間の
面白さ。
人生の
面白さ、です。
地球も海も
すべては自分ではないか、
という安定感と、
荒海に揺れる船としての
心細さの
共存。
これが
私達人間です。
この両方を感じながら
生きるのが
人としての
楽しさの本質です。
この本質を
存分に感じ取るために
私達が身につける
最も重要なスキルが
セルフコーチング法であると
私は思っています。
セルフコーチングとは
・自分と
・現実と
あるがままに向き合う
手法です。
これができることで、
高次元も低次元も
すべての自分と
共に生きることが
できるのです。
つづく