雷光を見上げながら

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一昨日でしたか。

 

東京都心で夜、

ゲリラ豪雨が

ありました。

 

ちょうど

クライアント企業様での

セッションが終わり

歩いて帰路について

いました。

 

私の頭上には

凄まじい積乱雲と、

(印象では)5秒とか10秒に

一回くらいに輝く

雷光がありました。

 

光ってすぐに

雷鳴が轟いていました。

 

凄い光と

凄い音の

連続。

 

幸いまだ、雨は

ありませんでしたが、

今すぐにでも

降りそう。

 

私の周りには

樹木が多かったので、

あぁこのまま

ここにいては死ぬな、

と思いながら、

私は空を見上げて

いました。

 

その時、

眩い光と共に、

雷の落ちる音が

響き渡りました。

 

後で知ったのですが、

やはり

私のいたところから

わずかな場所で

樹木に雷が落ち、

木が焼け焦げて

しまったそうです。

 

私は、

学生の頃に

一人で南アルプスに

登り、

雷雲の中に入ってしまった

ことがあります。

 

そこで1時間、

命からがら

雷をやり過ごした

のですが、

その時の恐ろしい記憶が

蘇りました。

 

自然の摂理の

前では、

人間は

為す術もない。

 

ただそこに

身を預けるだけ。

 

そんな、

あの時の独特の

感覚を

思い出しました。

 

・・・・・・

 

私達人間は

随分と

不自然なことを

やってきましたし、

今もやり続けています。

 

「自然に還れ!」

という気は

ありません。

 

しかし、

もっと

自然の摂理というものに

対して、

素直になってもよいのでは

ないかと思うことは

よくあります。

 

『人智』

という言葉があります。

 

人の智恵、

という意味ですが、

 

人は時々、

「人智を超える」

展開を起こすことが

あります。

 

それはほとんどの場合、

自然の摂理に

素直になった時に

起こります。

 

自然の摂理に

素直になる、とは、

 

自然と一つになる、

ということ。

 

自然と一つになる、

とは

「今ここ」と一つになる、

ということです。

 

「今ここ」と一つになる、

とは

「世界」と一つになる

ということ。

 

その瞬間、私達は

明らかに

「私」という範疇を

超えています。

 

・・・・・・

 

私は

思うのです。

 

これまでの

人間の歴史と、

 

人間の歩みと、

 

人間の試行錯誤が、

 

本当に

活かされるかどうか?

を決めるのは、

 

今日からの

私達の進み方に

よるのではないか、

と。

 

あぁ、

人の歴史は

良い歴史だったと、

 

今のこの世界を

創るための

必然的な一歩一歩だった、

と。

 

100年後の人類が

そう思えるように、

 

100年後の未来が

素敵なもので

あるように、

 

今日の一日を

人智を尽くして、

人智を超えた

展開にしたいな、と。

 

私は

強くそう

思うのです。

 

つづく

 

 

<ご案内>

一日一日、

今この瞬間を

自然の摂理に素直に

進むことで、

 

私達の人生の道は

開かれます。

 

「現実」は

開かれます。

 

強引に

命を削りながら

疲弊しながら

不自然な道を

刻むのではなく、

 

自然に、

そこにある「一本道」を

進んで行く。

 

そんな生き方(行き方)を

しませんか?

 

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