自然の摂理

何やってんの?

 

磁石の

N極とN極は

反発する。

 

S極とS極も

反発する。

 

であれば、

 

N極とS極を

くっつければ

いい。

 

なのに、

 

何がなんでも

N極とN極を

くっつけようと

する。

 

S極とS極を

くっつけようと

する。

 

場合によっては

強力な接着剤を

持ってきて

強引にくっつける。

 

なんで

そんなことを

するんかねぇ、

私達人間は。

 

もう少し

自然の摂理に

素直になっては

どうだろう。

 

重力は

上から下に

働いている。

 

持っている物を

離せば、

上から下に

落ちる。

 

無理に

下から上に落とす

必要はない。

 

なのに

それをしようと

する。

 

それができることが

凄いと言う。

 

それができる

自分が

凄いと言う。

 

もちろん

ある意味、凄い。

 

でも、

そこに本当に

意味はあるの?

 

それよりも、

自然の摂理に

素直になって、

 

もっと

本当に自分の

すべきこと、

 

自分が

しようと決めている

ことに

 

向かったら

どうだろうか。

 

 

「私は本当に

ここにエネルギーを

使うべきだろうか?」

 

 

今こそ

真剣に問いかけて

ほしい。

 

つづく

 

わずかな風を大きく育てる

 

風の流れ

がある。

 

それは始めは

ほんのわずかな

そよ風かも

しれない。

 

しかし私は

そのわずかな

空気の動きを

必ずとらえようと

する。

 

風なきところに

本来の流れは

起きない。

 

ほんのわずかでも

風の流れる場所には

風を流す

自然の営みが

働いている。

 

自然の摂理

とも言える。

 

これのないところに

自然ではない摂理を

創造しようと

することは、

単なる傲慢である。

 

多少、傲慢でも

結果が出ればよい、

という考え方も

ある。

 

しかし私は

知っている。

 

それでは

長続きしない。

 

それでは

次世代にまで

脈々と続く

永続的な流れは

決して生まれない、

と。

 

・・・・・・

 

ほんのわずかな

そよ風を見つけたら、

私はそれを

育む。

 

最初は

そ〜っと。

 

繊細に。

 

慎重に。

 

そしてその風が

徐々にたくましくなれば、

私も徐々に

大胆になっていく。

 

そして

ある瞬間に

風の強さの次元が

変わる。

 

その時を逃さず、

私はそこに

本気のエネルギーを

注ぐ。

 

するとその風は

うねりとなって

まるで龍のごとくに

周りを巻き込んでいく。

 

そして気がつけば、

全体が

龍そのものに

なっていく。

 

以上が、

私がいつも大切に

している、

組織活性化サポートの

原理だ。

 

・・・・・・

 

この流れを

成すためには、

意図を

手放すことだ。

 

意図は

自然の摂理を

崩してしまう。

 

ただ真摯に

真剣に、

まずはそよ風を

見つける。

 

見つけたら

育てる。

 

非常に

コツコツとした

仕事である。

 

これは残念ながら、

その組織に

所属している

当事者の皆さんには

不可能なことである。

 

その組織から

少し距離を置いている

第3者だからこそ

できること。

 

これが

コーチの役割

である。

 

これができるためには、

コーチは

自然の摂理に即した

生き方を

自らが実践していなければ

ならない。

 

それが

真本音度合100%の

人生だ。

 

真本音度合100%とは、

人格者になることでも

神になることでも

超能力者になることでも

ない。

 

「自分」

になることだ。

 

本来の自分

だ。

 

だから自分の個性が

なくなってしまうわけでは

ない。

 

むしろ

自分の個性は

際立つ。

 

本来の個性が

芽を出し

伸び、

そして花開くのだ。

 

自らが

それを成すからこそ

人や組織の

サポートができる。

 

そういった意味で

真本音度合100%に

なって初めて、

私はその人を

「コーチ」

と認める。

 

ただし。

 

真本音度合100%

になってから

コーチを始める

のではない。

 

真本音度合100%を

目指しながら

コーチを続けるのだ。

 

真剣に

目指しながら。

 

その真剣さと

進化のスピードによって

コーチの力は

一気に開花し、

開花の途上で

生まれるエネルギーが

人や組織に

力を与える。

 

コーチが

人や組織を

進化させるのではない。

 

コーチとは

人と組織と

共に

進化し続ける

存在だ。

 

つづく

 

人生は怖いですか?

 

水は

上から下へと

流れます。

 

決して、

下から上へとは

流れません。

 

それが

自然の摂理です。

 

私達の人生も

上から下へと

流れる川のようである、

イメージしてみて

ください。

 

私達のたどり着く先

には

広大な「海」が

あります。

 

私達は

「海」を目指して

流れ続けています。

 

ところが、

川の流れの途中には

大きな「滝」が

あったりします。

 

時には、

滝壺が見えないくらいの

巨大で深い

滝があります。

 

大量の水が、

もの凄い勢いで

その滝壺に

飲み込まれていきます。

 

滝の上から

滝壺を見降ろしながら、

あなたは

恐れおののいて

います。

 

しかし、

ここを「落ちなければ」

先には

進めません。

 

さぁ、

どうしましょうか?

 

・・・・・・

 

落ちたくないので、

その場所に

立ち続けますか?

 

しかし、

川の水はずっと

勢いよく流れ続けて

います。

 

そこに立ち続ける

だけでも

体力を消耗し、

いずれは

あなたも滝壺に向かって

落ちることに

なるでしょう。

 

もしくは、

落ちるのがいや

なので、

川上に向かって

川を逆流しますか?

 

しかし

それほど不自然な

ことはありません。

 

もといた場所に

戻りたい、

というのは

我々人間の情の一つ

ではありますが、

それこそ

至難の業です。

 

・・・・・・

 

滝に落ちる恐怖。

 

それは誰しもに

あります。

 

しかしそれは

反応本音です。

 

私達の真本音は

滝壺に向かって

自ら飛び込むことを

望んでいます。

 

その勇気と

遊気を

望んでいます。

 

どうせ落ちるなら、

自分らしく

徹底的に

落ちてしまえ。

 

という

開き直りを

望んでいます。

 

いい意味での

「あきらめ」

が肝心です。

 

私のクライアントさんには、

滝壺に落ちる快感を

知ってしまった人が

何人もいます。

 

あるクライアントさんは、

自ら滝壺を

創り出し、

休みなく次々に

滝壺に飛び込み続けている

という

そんな人さえいます。

 

もちろん

自己満足で

やっているのでは

ありません。

 

その人は

一刻も早く

海に出たいのです。

 

そのために

自分にできることを

日々、

最大最高スピードで

行なっています。

 

私から観れば、

この人、毎日

滝壺だな、

と思えます。笑

 

そしてそれが

「普通」になってしまうと、

その人は

真に「安定」と「安寧」を

得ます。

 

ある意味、

怖いものなし

となります。

 

いえ、

もちろん「怖さ」は

あります。

 

何がどうなっても

私達には

反応本音は発生

します。

 

その人も

他の人と同様に

「怖がり」です。

 

しかしその

「怖さ」そのものに

対して、

とても素直です。

 

怖いからやめる、

のではなく、

怖さを存分に

味わいながら、

次々に

滝壺に飛び込む

のです。

 

すると、

その「怖さ」の根底に

私達は

「安寧」を得るのです。

 

それが、

真本音を感じながら

生きるという

ことです。

 

・・・・・・

 

自然の摂理に

抗う必要は

ありません。

 

私達自身が

「自然」なのですから。

 

人生は

怖いですか?

 

怖いですね。

 

その怖さを

消す必要など

一つもありません。

 

怖いから

進まない

のではなく、

怖いからこそ

進んでください。

 

怖いからこそ、

早く

飛び込んで

しまってください。

 

すると、

怖さとは味方である

ということが

ある瞬間から

わかるでしょう。

 

つづく

 

雷光を見上げながら

 

一昨日でしたか。

 

東京都心で夜、

ゲリラ豪雨が

ありました。

 

ちょうど

クライアント企業様での

セッションが終わり

歩いて帰路について

いました。

 

私の頭上には

凄まじい積乱雲と、

(印象では)5秒とか10秒に

一回くらいに輝く

雷光がありました。

 

光ってすぐに

雷鳴が轟いていました。

 

凄い光と

凄い音の

連続。

 

幸いまだ、雨は

ありませんでしたが、

今すぐにでも

降りそう。

 

私の周りには

樹木が多かったので、

あぁこのまま

ここにいては死ぬな、

と思いながら、

私は空を見上げて

いました。

 

その時、

眩い光と共に、

雷の落ちる音が

響き渡りました。

 

後で知ったのですが、

やはり

私のいたところから

わずかな場所で

樹木に雷が落ち、

木が焼け焦げて

しまったそうです。

 

私は、

学生の頃に

一人で南アルプスに

登り、

雷雲の中に入ってしまった

ことがあります。

 

そこで1時間、

命からがら

雷をやり過ごした

のですが、

その時の恐ろしい記憶が

蘇りました。

 

自然の摂理の

前では、

人間は

為す術もない。

 

ただそこに

身を預けるだけ。

 

そんな、

あの時の独特の

感覚を

思い出しました。

 

・・・・・・

 

私達人間は

随分と

不自然なことを

やってきましたし、

今もやり続けています。

 

「自然に還れ!」

という気は

ありません。

 

しかし、

もっと

自然の摂理というものに

対して、

素直になってもよいのでは

ないかと思うことは

よくあります。

 

『人智』

という言葉があります。

 

人の智恵、

という意味ですが、

 

人は時々、

「人智を超える」

展開を起こすことが

あります。

 

それはほとんどの場合、

自然の摂理に

素直になった時に

起こります。

 

自然の摂理に

素直になる、とは、

 

自然と一つになる、

ということ。

 

自然と一つになる、

とは

「今ここ」と一つになる、

ということです。

 

「今ここ」と一つになる、

とは

「世界」と一つになる

ということ。

 

その瞬間、私達は

明らかに

「私」という範疇を

超えています。

 

・・・・・・

 

私は

思うのです。

 

これまでの

人間の歴史と、

 

人間の歩みと、

 

人間の試行錯誤が、

 

本当に

活かされるかどうか?

を決めるのは、

 

今日からの

私達の進み方に

よるのではないか、

と。

 

あぁ、

人の歴史は

良い歴史だったと、

 

今のこの世界を

創るための

必然的な一歩一歩だった、

と。

 

100年後の人類が

そう思えるように、

 

100年後の未来が

素敵なもので

あるように、

 

今日の一日を

人智を尽くして、

人智を超えた

展開にしたいな、と。

 

私は

強くそう

思うのです。

 

つづく

 

 

<ご案内>

一日一日、

今この瞬間を

自然の摂理に素直に

進むことで、

 

私達の人生の道は

開かれます。

 

「現実」は

開かれます。

 

強引に

命を削りながら

疲弊しながら

不自然な道を

刻むのではなく、

 

自然に、

そこにある「一本道」を

進んで行く。

 

そんな生き方(行き方)を

しませんか?

 

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