自分を失うくらい人と向き合った結果・・・

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こういったお仕事を

続けていますと、

いやでも

「私って何だろう?」

ということを

考えますね。

 

毎日毎日、

人と向き合い続けて

いますと、

ある時は、

人の心なのか、

自分の心なのか、

区別がつかなくなって

しまうこともあるんです。

 

自分の中に

強烈な悲しみが

芽生えて、

人生の道を進む気力が

なくなってしまう。

 

いったいどうしたことだろう?

と思いながらも

必死に自分と向き合って

いると、

その悲しみは

その日にコーチングさせて

いただいたAさんのもの

であることがわかったり。

 

コーチングやっている

最中も、

自分がAさんなのか

自分なのかが

わからなくなる時も

あります。

 

以前に、

一度に数十人規模の

研修を、

それも、真本音出し研修を

20日間くらい連続で

行なったことがあります。

 

確か20日間ほぼすべてが

別々の企業様だったと

思います。

ですので、毎日

新しい方々と向き合いました。

 

当時の真本音出し研修は

朝から晩まで

かけてやっていましたし、

今ほどの実在の力も

私にはまだありませんでしたので、

毎日が

無我夢中。

 

本当に夢の中に

いるみたいになりました。

 

「私を生きる」

という実感が

まるでなくなった状態。

 

自分の体はここに

あるけど、

自分はどこにも

いない、

という感覚。

 

そしてある時、

新幹線に乗っての移動中、

ウトウトと眠りかけて、

ハッと目を覚まし、

目を開けました。

 

ところが、

目を開けても

そこには

何もなかったのです。

 

ほんの一瞬、

恐らく

0.0001秒くらいの一瞬

でしたが、

確かにそこには

何もなかった。

 

しかし直後に

普通の新幹線の中の

光景に戻りました。

 

しかしそれが

何だったのか?は

今の私にはわかります。

 

それは何もない

状態ではなく、

「すべてがある」

状態でした。

 

それを私のこの

3次元の目で

一瞬でも見ることが

できたのは、

大変に意義深いこと

でした。

 

その時に、

強烈に

何かがわかったのです。

 

自分の知りたかった

ことを

言葉ではなく、

一つの明確な答えとして

知り得たのです。

 

「私って何だろう?」

の答えです。

 

今ではそれを

言葉にすることも

やろうと思えば

できますが、

でもそれはやめて

おきましょう。

 

言葉で説明する

ものではないからです。

 

・・・・・・

 

時々こうやって

わけのわからない文章を

書きたくなります。

 

しかしそれも、

どなたかが

わけのわからない文章を

読みたがっている

からでしょう。

 

私達は

つながっています。

 

私は

幸いでした。

 

数多くの方々と

毎日次々に向き合い続ける

という環境に

身を置くことが

できたから。

 

おかげで

いやでも

人について

自分について

考えさせられました。

 

人は

つながっているので、

そのつながりの中で

想像を超えた影響を

お互いに与え合っています。

 

その影響の与え合いを

できるだけそのまま

顕在化すれば、

この現実世界でも

つながり合える

社会になれるのですけどね。

 

それをまずは

企業という組織で

実現するのが

私の目標です。

 

つづく

 

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