これまでの
延長線上の未来を
描くことは、
もういっそのこと
やめて
しまいましょう。
そこに
私達の
本当に望む未来は
ありません。
よくよく考えると、
人生が
きれいな比例直線
のように
進むことは
ほぼありません。
どこかで
これまでの流れが
断絶し、
どこかで
これまでとは
まったく別の
地点に飛んだり、
別の世界に
ワープしたり、
非直線的に
進みます。
要するに、
思惑通りには
進まないのが
人生です。
なぜなら
私達の真本音が
「思惑を超える」
ことを
望んでいるから
です。
非線形
の人生。
これが、
普通の人生です。
・・・・・・
どうせ
思惑通りに
いかないのであれば、
その
思惑通りに
いかないこと自体を
楽しみましょう。
思惑通りの法則に
則らない、
という法則を
そのまま受け入れる
ことで、
私達は
ある種の
次元の異なる
安定感を得ます。
何が
起きてもいいし、
何も
起こらなくても
いいや。
というところに
立ち、
すべての思惑を
手放し、
ただ
「ここ」
にいる。
そのような状態に
入ることで、
非線形の人生は
一気に
加速します。
反応本音のレベル
では、
それを
「怖い!」
と認識するかも
しれませんが、
それは
あくまでも
反応本音。
その反応本音すら
そのままに
しておきます。
つまり
心もそのまま。
何がどのように
動いてもいい。
という状態に
しておきます。
・・・・・・
ということは
つまり、
現実で、
何が起きても、
何も起こらなくても、
いい。
心の中も、
何が起きても
何も起こらなくても
いい。
という状態にします。
これを
私のよく使う言葉で
さらに端的に
言えば、
実在も
現象も
どうなっても
いいや。
・・・という状態。
実在も
現象も
あるがままで
いいや。
・・・という状態。
こうなることで
私達は
完全なる自由を
手に入れます。
非直線的で
非線形の
人生を、
まったく
思惑を持たずに、
完全に
コントロール
する状態と
なります。
そこに至って
私達は
知るのです。
なんだ、
すべては
「一つ」
ではないか。
すべては
「私」
であり、
すべては
「あなた」
ではないか。
私がこれまで
「思惑」と
呼んでいたものは、
全体の中の
たった一個の
細胞が、
全体から
分離された
とてつもなく狭い
視野の中での
とてつもなく
小さな意図に
過ぎなかったのだ、
と。
本当の意図は
ここにあった。
本当の意図は
「すべて」に
あり、
そして
「私」にあり、
さらに
「あなた」に
あった、
と。
言葉にすると
ややこしく
なりますが、
以上を
「感覚として」
完全に
理解している、
・・・というよりも
思い出している
意識を
『8次元の意識』
と私は呼んでいます。
・・・・・・
8次元の意識を
思い出したと
言っても、
低い次元の意識が
なくなることは
ありません。
すべてが一つである、
とわかっている
意識もあれば、
すべてが分離した
中で生きる意識も
あります。
すべての次元が
共存する
世界。
それが、
「人間」
です。
そんな「人間」が
繰り広げる人生
なのですから、
それが
面白くないわけが
ありませんね。
つづく