達成で終わる喜びだけでは・・・

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真本音で生きる

ことは

幸せですか?

 

と問われる

ことがあります。

 

もちろん幸せ

ですよ。

 

と答えるのですが、

 

では、

何が幸せですか?

 

と問われると、

一瞬、返答に

窮することがあります。

 

なぜなら、

何が?

と言われても、

すべてが、

としか言いようが

ないからです。

 

しかし、

すべてが

という答えほど

曖昧な表現も

ありません。

 

もっと明確に

ならんかな?

と思うのですが。

 

・・・・・・

 

すると、

次にはこう

問われたりします。

 

ということは、

すべてが理想通りに

いくのですか?

と。

 

いや〜、

もちろんそうなると

良いのでしょうが、

残念ながら

理想通りに事が進むことは

ほぼ、

ないのです。

 

「理想」は

大事なのですが、

「理想」とは所詮、

今の自分が解釈する

最高の状態

にしか過ぎません。

 

例えば、

10年後の自分の理想と

今の自分の理想は

変化する可能性が

ありますね。

 

下手をすると

真逆になることさえ

あります。

 

自分にとっての「理想」

とはどのようなものか?

というのは、

実はかなり曖昧です。

 

ただ、

今の自分なりの「理想」

を描くこと自体は

大事なのですけどね。

 

・・・というようなことを

踏まえた上で

もう一度言うと、

理想通りに進むことなど

ほぼ、ありません。

 

この3次元の世界に

おいては、

理想がそのまま

現実化するという状態は

滅多には実現しません。

 

そのように

できています。

 

もっと言えば、

そのように

私達の真本音が

決めているのです。

 

つまりは、

私達の真本音は

理想通りにいかないことを

望んでいます。

 

かと言って

不幸になることを

望んでいるわけでも

ありません。

 

理想と現実の

ギャップを楽しむ、

ことを

真本音は望んでいますし、

 

私達の解釈でしかない

理想を

超えていくことをまた、

真本音は望んでいる

のです。

 

以前は

ああいうことが理想

だったのに、

今の私は変わったなぁ。

今は、

こういうことが理想だな。

 

・・・という変化を

私達の真本音は

楽しみます。

 

そして、

「理想通りに物事が

進むこと」

を望むのではなく、

「自分にとって

本当に必要な

試行錯誤を続けること」

望んでいるのです。

 

ですから、

真本音の人生には

次々に課題が

現れます。

 

しかしその課題に

真正面から向き合い、

最善だと思う一歩一歩を

進むことに、

私達の真本音は

無上の悦びを得るのです。

 

なぜなら

私達の本能の中心は

「進化」だからです。

 

物事の「達成」とは

「進化」のための

ステップに過ぎません。

 

「達成」はとても

大切です。

 

しかし、

「進化」につながらない

「達成」では、

私達の真本音は

悦びません。

 

「進化」につながる

試行錯誤と

一つ一つの達成を

私達は

真から望んでいるのです。

 

・・・・・・

 

そういった意味で、

真本音で生きると、

日常で起こる

あらゆる現実が

「幸せ」となります。

 

一歩一歩の

試行錯誤にこそ、

深い悦びを感じます。

 

もちろん、

何か達成した時も

強い喜びを得ますが、

 

真本音で生きている人は、

達成の喜びの

その瞬間に、

もう次の未来へと

視線を向けています。

 

反応本音レベルで

それをしようとすると

非常に疲れてしまう

のですが、

 

真本音でそれを

続けることは、

私達の中に眠っている

無尽蔵のパワーを

掘り起こすことに

直結します。

 

う〜ん。

 

しかしやはり

言葉にするのは

難しい。

 

説明しようとすると、

なんか堅く

なっちゃうね。

 

説明なしに

ただただ感覚的に

お答えすると、

 

真本音で生きるとは、

すべてにおいて

満たされた幸せを

感じることなんです。

 

まぁ、

体験するしか

ないかな。

 

人間であれば、

誰もが当たり前のように

体験できることなので。

 

つづく

 

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