水は
上から下へと
流れます。
決して、
下から上へとは
流れません。
それが
自然の摂理です。
私達の人生も
上から下へと
流れる川のようである、
と
イメージしてみて
ください。
私達のたどり着く先
には
広大な「海」が
あります。
私達は
「海」を目指して
流れ続けています。
ところが、
川の流れの途中には
大きな「滝」が
あったりします。
時には、
滝壺が見えないくらいの
巨大で深い
滝があります。
大量の水が、
もの凄い勢いで
その滝壺に
飲み込まれていきます。
滝の上から
滝壺を見降ろしながら、
あなたは
恐れおののいて
います。
しかし、
ここを「落ちなければ」
先には
進めません。
さぁ、
どうしましょうか?
・・・・・・
落ちたくないので、
その場所に
立ち続けますか?
しかし、
川の水はずっと
勢いよく流れ続けて
います。
そこに立ち続ける
だけでも
体力を消耗し、
いずれは
あなたも滝壺に向かって
落ちることに
なるでしょう。
もしくは、
落ちるのがいや
なので、
川上に向かって
川を逆流しますか?
しかし
それほど不自然な
ことはありません。
もといた場所に
戻りたい、
というのは
我々人間の情の一つ
ではありますが、
それこそ
至難の業です。
・・・・・・
滝に落ちる恐怖。
それは誰しもに
あります。
しかしそれは
反応本音です。
私達の真本音は
滝壺に向かって
自ら飛び込むことを
望んでいます。
その勇気と
遊気を
望んでいます。
どうせ落ちるなら、
自分らしく
徹底的に
落ちてしまえ。
という
開き直りを
望んでいます。
いい意味での
「あきらめ」
が肝心です。
私のクライアントさんには、
滝壺に落ちる快感を
知ってしまった人が
何人もいます。
あるクライアントさんは、
自ら滝壺を
創り出し、
休みなく次々に
滝壺に飛び込み続けている
という
そんな人さえいます。
もちろん
自己満足で
やっているのでは
ありません。
その人は
一刻も早く
海に出たいのです。
そのために
自分にできることを
日々、
最大最高スピードで
行なっています。
私から観れば、
この人、毎日
滝壺だな、
と思えます。笑
そしてそれが
「普通」になってしまうと、
その人は
真に「安定」と「安寧」を
得ます。
ある意味、
怖いものなし
となります。
いえ、
もちろん「怖さ」は
あります。
何がどうなっても
私達には
反応本音は発生
します。
その人も
他の人と同様に
「怖がり」です。
しかしその
「怖さ」そのものに
対して、
とても素直です。
怖いからやめる、
のではなく、
怖さを存分に
味わいながら、
次々に
滝壺に飛び込む
のです。
すると、
その「怖さ」の根底に
私達は
「安寧」を得るのです。
それが、
真本音を感じながら
生きるという
ことです。
・・・・・・
自然の摂理に
抗う必要は
ありません。
私達自身が
「自然」なのですから。
人生は
怖いですか?
怖いですね。
その怖さを
消す必要など
一つもありません。
怖いから
進まない
のではなく、
怖いからこそ
進んでください。
怖いからこそ、
早く
飛び込んで
しまってください。
すると、
怖さとは味方である
ということが
ある瞬間から
わかるでしょう。
つづく