人生

この世界がある限り

 

海岸の岩に立ち、

じっと

海を見つめている。

 

身じろぎもせずに、

彼は海を見つめている。

 

海には

強い日差しが反射し、

波々が美しく

輝いていた。

 

水平線は大きく

広がり、

 

海と空の境目は、

同じ青なのに

くっきりと際立っていた。

 

彼はその

境目を

見つめていた。

 

ここから見れば、

境目は単なる一本の

線だ。

 

しかし

その線に向かって

旅を続けたとしても、

その線は永遠に

埋まらない。

 

海は海のままであり、

空は空のまま。

 

両者が

混じり合うことは

ない。

 

彼は小さく

呟いていた。

 

人生は

キツいな。

 

・・・・・・

 

彼はすでに

全部のエネルギーを

使い果たしていた。

 

立っているのが

やっとだ。

 

だから、

海と空の輝きが

彼にはキツかった。

 

それでも今は

ここに

立たねばならない。

 

彼は

座ってはならないし、

ここを

立ち去っても

ならないのだ。

 

それが

彼の宿命だった。

 

・・・・・・

 

水平線の

わずかな一点に

モヤがかかった。

 

最初は

見えるか見えないか

くらいの小さな

黒さだったのに、

 

それはみるみる

大きな黒点となった。

 

暗い雨雲。

 

恐らく、

あそこでは

激しく嵐が

荒れ狂っている。

 

周りは本当に

穏やかなのに、

 

あの黒点の辺りだけ

空気が歪んでいるのが

よくわかる。

 

放っておけば

あの黒点はさらに広がり、

いずれはこの世界のすべてを

覆ってしまうだろう。

 

彼は

自分の両手を

見つめた。

 

もう、

エネルギーは

残っていない。

 

でも、

行かねば

ならない。

 

彼は

黒点に向かって

飛んだ。

 

・・・・・・

 

しばらくすると

黒点は

消えた。

 

彼が

やったのだ。

 

それが彼の

役割だった。

 

黒点が消えたと

同時に、

彼も消えてしまった。

 

生きているのか

いないのか?

 

恐らく、今は、

彼自身にも

それはわからない

だろう。

 

彼は

黒点と戦った

わけではない。

 

彼は

黒点を愛した

のだ。

 

彼は

黒点を消そうと

したのではない。

 

ただ、

愛した

のだ。

 

そしてもちろん、

彼は

自己犠牲をしている

わけでもない。

 

エネルギーが

あるとかないとか、

そういったことに

関わらず、

 

どんな状態でも

自分の役割を

全うできることが

彼には単純に

幸せだった。

 

人生は

キツい。

 

あまりにも

多くのキツさを

知り過ぎた。

 

でもだからこそ

できることがある。

 

彼は

風だ。

 

この世界が

ある限り、

 

彼は

海も空も

渡っていく。

 

つづく

 

祝福の日だな

 

人生の始まり

というのは

やはり

大変なものだ。

 

いつの間にか

私達は

自分の人生が

あるのが当たり前だと

思い込むように

なってしまうが、

 

人生とは

あること自体に

ありがたみが

あるのだな、と

 

つくづく

思った。

 

・・・・・・

 

5歳の息子が

突然言った。

 

「家のベランダに

鳩がたくさんいるよ」

 

見ると

本当にそうだ。

 

何だろう?と

鳩達に意識を

向けると

 

すぐにわかった。

 

そうか。

祝福に来て

くれたのか。

 

「ありがとう」

伝えると、

 

鳩達は一斉に

飛び去った。

 

その数、

30〜40羽くらいか。

 

ちょっとびっくり。

 

でも

嬉しかったね。

 

今日、

新たな人生が

誕生したんだ。

 

つづく

 

自分の人生を始めよう

 

私はまず、

企業様のサポートに

入らせていただく場合、

 

最初に

一日かけて研修を

行なうことが

多い。

 

そこでは

「真本音」「反応本音」

について

ゆっくりじっくりと

ご説明をするのと同時に、

 

自分自身のこと

について、

自分の人生に

ついて、

私が23問の問いを

投げることで

ゆっくりじっくりと

考えていただく。

 

すると

多くの人達から

 

「こんなに自分の

ことを、

自分の人生のことを

考えたことは

ありませんでした」

 

というお声を

いただく。

 

もちろんそれは

喜びのお声

なのだが、

 

いつも私は

そこで、

少し悲しくなる。

 

だって、・・・

 

私の講義を入れても、

たったの

6〜7時間。

 

これまで

何十年も生きてきて、

たったの6〜7時間

という短い時間。

 

そんな短い時間

自分や人生を

考えただけ。

 

それでそんな

感想、って。

 

いったいどれだけ

自分と向き合って

いないんだ、

ってことでしょ。

 

これまでの

何十年、

いったい何を

してきたの?

 

ってことでしょ。

 

でもそれが

ほとんどの人達。

 

今の社会の現状。

 

自分のことを

考えないという

ことは、

 

自分のことを

大切にしていない

ということ。

 

自分の人生を

大切にしていない

ということ。

 

まずはそんな

とても単純な

現実を知ることが

スタートなのであるが、

 

しかしやはり、

悲しい現実だ。

 

・・・・・・

 

自分のことを

知らず、

 

自分の人生の

ことを

知らず、

 

ただただ

人は

人生を生きていく。

 

それが

苦しいことである

という事実を

感じる人は

まだ、よいと思う。

 

しかし

その苦しさに

麻痺をしてしまい、

 

そのまま

人生を歩み続ける

人は多い。

 

今日、

私のセミナーを

受けてくださった

ある人が、

そのことを実感され、

 

「私はなんて

危うい人生を

生きてきたんだろう」

 

と言いながら、

目に涙を

溜めていた。

 

そう、

自分のことを

知らないままに

進むのは

危うい人生だ。

 

でも

その人はこう

続けられた。

 

「だから私は

これからは

自分の人生を

生きる。

まだまだ抽象的だけど、

私の本来の役割が

少し見えてきた」

と。

 

そして

その人から

真本音の風が

吹いてきた。

 

たとえ、

何十年も

自分を知らないままに

生きてきたとしても、

 

それでも、

「今」から始める

ことはできる。

 

もちろんそれは

少しでも早い方が

よいのだが、

 

それでも、

始まればそれは

「自分の人生」

だ。

 

自分の人生

生きてほしい。

 

自分の人生

として、

目の前の現実に

対峙して

ほしい。

 

それが私の

「コーチ」としての、

 

いや、

「人間」としての、

 

最も単純な

願い、かな。

 

つづく

 

人生は怖いですか?

 

水は

上から下へと

流れます。

 

決して、

下から上へとは

流れません。

 

それが

自然の摂理です。

 

私達の人生も

上から下へと

流れる川のようである、

イメージしてみて

ください。

 

私達のたどり着く先

には

広大な「海」が

あります。

 

私達は

「海」を目指して

流れ続けています。

 

ところが、

川の流れの途中には

大きな「滝」が

あったりします。

 

時には、

滝壺が見えないくらいの

巨大で深い

滝があります。

 

大量の水が、

もの凄い勢いで

その滝壺に

飲み込まれていきます。

 

滝の上から

滝壺を見降ろしながら、

あなたは

恐れおののいて

います。

 

しかし、

ここを「落ちなければ」

先には

進めません。

 

さぁ、

どうしましょうか?

 

・・・・・・

 

落ちたくないので、

その場所に

立ち続けますか?

 

しかし、

川の水はずっと

勢いよく流れ続けて

います。

 

そこに立ち続ける

だけでも

体力を消耗し、

いずれは

あなたも滝壺に向かって

落ちることに

なるでしょう。

 

もしくは、

落ちるのがいや

なので、

川上に向かって

川を逆流しますか?

 

しかし

それほど不自然な

ことはありません。

 

もといた場所に

戻りたい、

というのは

我々人間の情の一つ

ではありますが、

それこそ

至難の業です。

 

・・・・・・

 

滝に落ちる恐怖。

 

それは誰しもに

あります。

 

しかしそれは

反応本音です。

 

私達の真本音は

滝壺に向かって

自ら飛び込むことを

望んでいます。

 

その勇気と

遊気を

望んでいます。

 

どうせ落ちるなら、

自分らしく

徹底的に

落ちてしまえ。

 

という

開き直りを

望んでいます。

 

いい意味での

「あきらめ」

が肝心です。

 

私のクライアントさんには、

滝壺に落ちる快感を

知ってしまった人が

何人もいます。

 

あるクライアントさんは、

自ら滝壺を

創り出し、

休みなく次々に

滝壺に飛び込み続けている

という

そんな人さえいます。

 

もちろん

自己満足で

やっているのでは

ありません。

 

その人は

一刻も早く

海に出たいのです。

 

そのために

自分にできることを

日々、

最大最高スピードで

行なっています。

 

私から観れば、

この人、毎日

滝壺だな、

と思えます。笑

 

そしてそれが

「普通」になってしまうと、

その人は

真に「安定」と「安寧」を

得ます。

 

ある意味、

怖いものなし

となります。

 

いえ、

もちろん「怖さ」は

あります。

 

何がどうなっても

私達には

反応本音は発生

します。

 

その人も

他の人と同様に

「怖がり」です。

 

しかしその

「怖さ」そのものに

対して、

とても素直です。

 

怖いからやめる、

のではなく、

怖さを存分に

味わいながら、

次々に

滝壺に飛び込む

のです。

 

すると、

その「怖さ」の根底に

私達は

「安寧」を得るのです。

 

それが、

真本音を感じながら

生きるという

ことです。

 

・・・・・・

 

自然の摂理に

抗う必要は

ありません。

 

私達自身が

「自然」なのですから。

 

人生は

怖いですか?

 

怖いですね。

 

その怖さを

消す必要など

一つもありません。

 

怖いから

進まない

のではなく、

怖いからこそ

進んでください。

 

怖いからこそ、

早く

飛び込んで

しまってください。

 

すると、

怖さとは味方である

ということが

ある瞬間から

わかるでしょう。

 

つづく

 

人生を、あきらめなさい

 

私の人生は

私の手には

負えない。

 

一度、

そう

あきらめてしまって

ください。

 

手に負えない

のだから、

もう、

どんな意図を持ち

どんな努力をしても

無駄である、

と。

 

そのように

すべてを

あきらめ、

すべてを

手放してしまって

ください。

 

もし、

どうしても

そう思うことが

できない、

 

と言うのであれば、

 

あなたはまだ

全力を

出し切っては

いません。

 

その場合は、

どうすれば

自分は全力を

出し切れるのか?

という

発想をした方が

よいですね。

 

全力を出し切れない

理由と、

それを乗り越える

方法を

じっくりと

真剣に

考えてみてください。

 

自分の人生は

私の手には

負えない。

 

そう思える人は

100%そう思い、

そうなんだからしょうがない

とあきらめてください。

 

そして

次のように

決めてください。

 

「私はもう

ただ純粋に

自分の人生に

委ねてしまおう」

 

と。

 

・・・・・・

 

実は、

 

真本音で人生を

進み続けると、

ある時ある瞬間から

自分の

100%の力、

つまりは「全力」では

まったく手に負えない

人生展開となります。

 

つまり、

自分の人生なのに

自分では

どうしようもなくなるのです。

 

自分の意図や

思惑では

まったく事が運ばなく

なります。

 

自分の経験値では

事が運ばないどころか、

望んでいるものと

真逆の展開と

なったりします。

 

で、

ある時ある瞬間に

思い知るのです。

 

自分では

どうにもならない。

 

と。

 

でも、本当は

そうなることこそが

「本来の人生」

のスタートなのです。

 

そこからが

本当のスタート

なのです。

 

そして、

そこからが

人生の本当の

醍醐味を

味わえるのです。

 

しかし、

人生に身を委ねる

のは、

最初は怖いでしょう。

 

皆、

怖がります。

 

私も相当に

怖がり続けました。

 

でも、

どうにかして

その恐怖を

乗り越えて

ほしいのです。

 

・・・・・・

 

もう、

自分がどんな人間か?

なんてことは

どうでもいいじゃ

ないですか。

 

私は

これを目指して

行きたい!

なんて、

どうでもいいじゃ

ないですか。

 

もちろん、

自分は大事。

 

目指したいものも

大事です。

 

でも、

それを大事にすることと

それに執着することは

真逆の行為です。

 

自分を

超えてゆく。

 

その直前に

いる人が

今はとても

多いです。

 

本当に

自分を

超えられるかどうか?

 

それは、

これまで自分が

大切にしてきたもの、

これからも

大切にしようとしていたもの、

それらすべてを

手放せるかどうか?

 

・・・に掛かっています。

 

そこに執着すれば、

物事は

驚くような展開をもって

人生の道を

阻むでしょう。

 

執着を手放すまで

阻み続けるでしょう。

 

なぜならそれは

自らの真本音が

そのように仕向けているから。

 

そして、

その執着を手放せば、

物事は

驚くような展開をもって

進展するでしょう。

 

それにより、

それまでの自分が

いかに小っぽけな中に

いたか、

ということが

ありありとわかる

でしょう。

 

・・・・・・

 

人生を

本気で進もうと

する人へ。

 

ちょいと

怖いかもしれませんが、

 

ここは

がんばりましょう。

 

そのがんばりに対して、

私は

とことん

サポートさせていただきます。

 

つづく

 

人生と人生の結び目を創ろう

 

人生を、

一本の糸に

喩えてみましょう。

 

自分の人生を

赤い糸だと

思ってください。

 

そして、例えば

Aさんの人生を

青い糸だと

思ってください。

 

赤い糸と

青い糸が

交差する瞬間が

あります。

 

要するに、

ご縁のある状態、

出会いの瞬間

ですが、

 

交差した瞬間から

その人との展開は

以下の二つのいずれかに

分かれます。

 

一つは、

交差するだけの展開。

 

もう一つは、

交差した瞬間に

共に

「結び目を創る」

展開です。

 

前者は、

交差したその時は

共に人生の時間を

共有しますが、

その後に

またそれぞれの

糸(人生)をたどって

行きます。

 

後者は、

「結び目を創る」

ことで、

その後、それぞれの糸を

たどったとしても、

必ずまた次の

交差の瞬間が来ます。

 

もしそこでまた

「結び目を創る」

のであれば、

さらに二つの糸は

その後も

交差を続けるでしょう。

 

「結び目」は

創れば創るほど、

一心同体に近づいて

いきます。

 

赤い糸と青い糸が

統合され、

融合され、

紫色の糸として

進化していくかも

しれません。

 

・・・・・・

 

大切なのは、

結び目を創る

人とは

きちんと創ること。

 

そして逆に、

結び目を創らない

人とは

決して創らないことです。

 

ここを間違えると、

二つの糸の

調和が乱れます。

 

つまり、

人生がお互いに

乱れていきます。

 

時々拝見するのですが、

どんな人とも

必死に「結び目」を

創り続けようとしている人が

います。

 

「結び目を創る」

ことが

人を大切にすること

であると、

ご縁を大切にしていること

であると

勘違いしてるのです。

 

・・・・・・

 

自らの真本音を

大切に生きていれば、

今出会ったこの人が

結び目を創るべき人かどうか、

すぐにわかります。

 

結び目の

本質的な創り方は

簡単です。

 

この人とは

結び目を創るんだと

自分自身にOKを

出せばよいのです。

 

そしてその

OKの意識で、

相手の目を見つめます。

 

すると

その瞬間に

はっきりとした絆を

感じます。

 

それは

一瞬のこと。

 

こうやって

結び目を創るべき人達と

一つ一つ丁寧に

出会いを楽しんでいく。

 

これも

人生の醍醐味の

一つですね。

 

つづく

 

人生のテーマからずれた生き方は、人を疲弊させる

「弓江さん、

日下部さんの人生のテーマは

何だと思います?

彼は、どんなテーマに向かって

生きていくことが、

彼自身の喜びであり、真の成長に

つながるでしょうか?」

 

この唐突な問いに、

弓江さんは目を白黒させました。

(→前回記事)

 

しかしさすがに弓江さん。

私の唐突な問いにも慣れてきたようです。

 

私が問う、ということは、

その人から今、答えが出る、という

確信を持った上での投げかけです。

どれだけ唐突に感じる問いでも、

必ず答えが出るはずだ、

・・・と、

弓江さんは信じられるようになったようです。

 

彼女は、一度目を閉じてから、

心を落ち着かせ、

すぐに答えました。

 

「ちょっと意味不明なのですが、

“夢”という言葉が浮かんできます。

夢に向かう、ということでしょうか。」

 

それを聴いて、私はピンと来ました。

 

「日下部さんという人は、

探究心が旺盛な方ですか?」

 

「あっ、そうですね。

それは言えると思います。」

 

「夢に向かう、ということよりも、

“夢の探究”ということではないでしょうか?」

 

「“夢の探究”・・・。

それは、どういうことでしょうか?」

 

「日下部さんは、恐らく、

物事の本質を突き詰めることに

喜びを感じる人だと思うのです。

ですから例えば、

夢とは何だろうか?

とか、

我々のチームは、どのような夢を持つことで

活性化するだろうか?

とか、

少し客観的に、夢というものを

突き詰めていく。

そんなテーマを持っている人のような

気がします。」

 

「それは、単純に自分の夢に向かいたい!

というのとは少し違うのですね。」

 

「そうですね。

彼からは、客観性を感じます。

客観的になればなるほど、彼は力を発揮する

のではないでしょうか?」

 

「あぁなるほど! それは確かに言えます。

彼はいつも、参謀的な立場に立つと

いつもイキイキしていたように思います。

ということは、彼は今、

客観的になれていないのかな?」

 

「その可能性はありますね。

チームのメンバーが半分になってしまった

からなのか、それとも

他の何かしらの理由があるのか。

それはわかりませんが、

今の彼の心の立ち位置は、本来の彼のものとは

異なっている可能性はありますね。」

 

すると木村さんが

口を開きました。

 

「あぁ、何となく、すごく腑に落ちます。

彼には今、このチームの未来が

見えなくなってしまっているのかな?

ひょっとすると、売上云々のことだけでなく、

もっとチームの未来について、

我々は語り合った方が良いのかもしれません。」

 

「それは良いですね!

あとは単純に、日下部さんに、

このチームは、どんな夢に向かっていけば

良いと思う?

・・・という問いを投げ続けるのも

彼の活性化につながるかもしれません。」

 

ここまでお話しできた時点で、

私の中に「完了感」が湧いて来ました。

 

日下部さんに関しては、

ここまでの語り合いでOK、という

真本音レベルでの合図です。

 

あとは、実際に日下部さんとお会いして

そこで何を感じるか?を

大切にすればよいでしょう。

 

日下部さんについて、

この二人コーチングの場で見えて来た

仮説としては、

まとめると、以下のようになります。

 

・・・・・・

日下部さんはどうやら、

チームのメンバーが半分に減らされた辺りから、

真本音度合いを落としているらしい。

具体的には、

物事に対して逃げ腰になり、

助けを求めるような精神状態にありそうだ。

そうなってしまった根本的原因として考えられるのは、

彼自身の真本音のテーマである

『夢を探究する』

という意識が、薄れてしまっている状態であり、

彼自身の特性としての、

『客観的な視点を持つ』

という本来の立ち位置から

今の彼はズレてしまっているから。

・・・・・・

 

これはあくまでも仮説です。

しかし、彼の「実在」を感じ取った上での仮説

ですから、

彼と向き合う上での一つの重要な視点には

なるでしょう。

 

あとは実際に彼と向き合うことで、

見えてくることは多いと思いますし、

その視点から彼と向き合うことで、

彼がチームにとっての「要」となり得るかどうか?が

判別できるはずだと、私は読みました。

 

つづく

 

深刻になっても何も生まない

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

この問いにすぐに答えられる人は

稀です。

 

時々、すぐに答える人と出会いますが、

その答えは、大概、浅いです。

 

そんなに簡単に答えられる問いではないですね。

 

でも、

この問いに真摯に向き合うことは

本当に重要なことだと、

私はこの仕事を通じて、深く実感しています。

 

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

答えがわからなくとも、

その答えを真摯に見つけようとする。

 

そういった人には、独特の空気感が

現れます。

 

その空気感をシンプルに表現すると、

「明るい」

「軽い」

「あたたかい」

となります。

 

逆に言えば、

その問いと真摯に向き合ってない人の空気感は、

「暗い」

「重い」

「冷たい」

となります。

 

人は、自分の人生と真摯に向き合う時に

本来の魅力を発揮します。

 

私の本当に望む人生とは何だろうか?

 

その答えを見つけようとしている人は、

「真剣」です。

そして真剣な人は、

明るく、軽く、あたたかく

なります。

 

それは行動ベースの話ではなく、

空気感の話です。

 

自分の人生と向き合わない人は、

「深刻」になります。

深刻な人はすぐに、

暗く、重く、冷たく

なります。

 

あなたは、

真剣な人でしょうか?

それとも

深刻な人でしょうか?

 

平井さんは、

深刻な人から、真剣な人へと

変化したのです。

それにより、

彼の醸し出す空気感が変わりました。

 

ただそれだけのことです。

(→前回記事)

 

では、「真剣」とはどういうことでしょうか?

 

これに対しては私は

明確な答えを持っています。

 

真剣とは、

「自分の真本音に素直に生きること」

です。

 

ということは、

「自分の真本音を無視して生きること」

により、人は深刻になっていきます。

 

真剣な人生は、

明るく、軽く、あたたかく

なっていきます。

 

深刻な人生は、

暗く、重く、冷たく

なっていきます。

 

自分が今この瞬間に創り上げている人生がそのまま

その人の空気感となって現れます。

 

ただそれだけのことです。

 

そして人は、

真剣に生きる自分を

喜びます。

 

深刻に生きる自分を

蔑みます。

 

自分を蔑み続けている人が

自分自身を本当の意味で信頼することは

不可能です。

 

そういった人は、

自分の中に「見たくない自分」が生まれると、

間違いなく、その自分にフタをします。

 

見たくない自分。

例えば、

怒りまくる自分、

人を憎む自分、

すぐに揺れる弱い自分、・・・。

 

そういった自分にフタをして、

見たい自分だけを見るようになります。

 

見たい自分。

例えば、

前向きな自分、

エネルギッシュで強い自分、

人を愛する自分、・・・。

 

見たい自分は居心地がいい。

見たくない自分は居心地が悪い。

だから、居心地の良い自分だけを承認します。

 

そして、

「私は何があっても前に向かうんだ」

と言います。

「私は、どんな時もプラス指向だ」

と言います。

そして明るい表情を作り、

元気を作り、

たくましさを作り、

進みます。

 

そして、

それができている自分に

自信を持ちます。

自分はすごいなぁと、

自信を持ちます。

 

しかしその自信とは裏腹に、

心の奥底ではどんどん不安が増します。

深刻さが増します。

 

自信のある自分だからこそ、

立っていられる。

でもこの自信がなくなってしまったら、

自分はどうなるのだろう?

・・・そんな深刻さが日々、増していきます。

 

何としてでも、

自信のある自分でなければならない。

この自信を失ってはならない。

そんな恐怖感が、心の奥底に

溜まり続けます。

 

その恐怖感を消すために、

さらに前向きな自分を作ります。

 

・・・そんな人が多過ぎる!

 

そんな人が世の中を牽引している。

 

その現実が、私はとても悲しいです。

 

自分の良き部分のみに光を当て、

自分の見たくない部分にはフタをする。

それを前向きとは、言えません。

 

本当の前向きとは、

自分のすべてを受け止めること。

自分のすべてを見つめること。

その上で、それでも前に向かおうとすること。

それが真の前向きだと私は思います。

 

そしてそういった人は例外なく、みんな

明るく、

軽く、

あたたかく、

なります。

 

もっともっと自分の心と

向き合えばいいのに。

 

もっともっと、あるがままの自分を

見つめればいいのに。

 

そうすれば、

もっと楽に進めるのに。

 

そうすれば、

もっと望む現実を創り出せるのに。

 

・・・私はそう思うのです。

 

人は本来、

真剣です。

 

真剣に生きることが

楽しいのです。

 

真剣に生きる楽しさを

思い出すだけのことだと

私は思うのです。

 

それが私のサポートのすべてです。

 

真剣になることの楽しさを

思い出せば、

人は皆、(・・・そうです、全員です)

びっくりするような行動を起こし、

現実を創り上げていきます。

 

そんな時私はいつも

人ってやっぱり凄いんだなぁ、

と感嘆します。

 

つづく

 

揺るがぬ自分が、揺れをもたらす

外部環境によって人は影響を受けます。

 

外部環境によって個性が創られます。

外部環境によって能力も創られます。

外部環境によって人生も創られます。

 

私達は、どこに生まれ、

どこで生きるか?

によって、

自分は何者で、

自分はどのような人間か?

を形創っていきます。

 

例えば、日本に生まれるのと

インドに生まれるのとでは、

人生は大きく異なったものとなるでしょう。

自分という人間も

大きく変わるでしょう。

 

私達は外部環境によって

揺らされます。

外部環境によって

変化させられます。

外部環境によって

決められます。

 

外部環境によって、

私達の「心」は変わり、

外部環境によって

違った「自分」になるのです。

 

・・・と、私はずっと思って生きてきました。

 

確かにその通りでした。

でも、その一方で、

どのような環境でも

どのような状況でも

どのような運命でも

いっさいの影響を受けない

まったく揺るがない

そういった「自分」があることも

私は知ったのでした。

 

それが前回記事でご紹介した

私の体験です。

(→前回記事)

 

私は恐らくその体験によって

人生観が根本的に変わりました。

これもまた、

外部環境によってもたらされたものでは

ありますが。

 

でもその体験は、

私の中の揺るがぬ自分である『海』が

自らにもたらしたものである、と

今になればわかります。

 

人は、

必要な体験を自分に与えています。

必要な悩みや課題を自分に与えます。

それらをちゃんと体験し、悩み、取り組む。

それによって自分を

進化させようとしています。

 

『海』は進化します。

 

進化を望んでいます。

 

進化をするからこそ、揺るがないのです。

 

そんな『海』(のようなもの)が、

誰の中にもあるのではないか?

という仮説のもとで、私は自分のコーチとしての

活動を始めました。

 

新たな組織を立ち上げましたし、

自分の仕事の仕方も根本的に変えました。

新たな、研修・講座・コーチングの仕方、

すべてを一から創り直しました。

もちろんそれらのほとんどは、

頭で考えて行なったというよりも、

多くの方々と向き合う中で

現場の中でできあがっていきました。

 

そして、最初の一年で私はすでに

確信していました。

仮説は正しかった、と。

誰の中にも『海』(のようなもの)は

確かに存在していると。

 

私はその『海』を

『真本音』と名付けました。

 

あれから15年。

実は今の私は、「コーチング」という言葉は

あまり使いません。

私の行なっていることはコーチングというよりも

『真本音コミュニケーション』

と言った方がよいからです。

 

私のようなかなり辛い体験をしないと

真本音は出てこない。

・・・というものではありません。

 

本当は、誰もがすでに身近なところで

真本音と共に生きていますから、

ほんのわずかな刺激で、

真本音はニョキニョキと芽を出します。

 

しかしその芽を大切にしながら、

現実における「行動」を変えていく必要がありますので、

私のコーチングは逆に、

より現実的なものに変化しました。

 

クライアントの真本音をキャッチし、

その真本音キャッチ力を

クライアント自身が高め、

真本音の意思を、現実に反映させていく。

 

これをすることで、

クライアントは自らの「味」(先天的な味)を

自然に醸し出すようになりますし、

同時に、周りの人達との調和度合いも

一気に高まります。

 

つまりクライアントの人生は

とても幸せなものになっていきます。

 

私がそれをするのではなく、

クライアント自身の真本音がそれを成します。

そのサポートが

私のコーチングであり、

そこで私が行なっていることが

『真本音コミュニケーション』です。

 

そろそろ平井さんのお話に戻します。

 

私が平井さんとどのような真本音コミュニケーションを

とったのかを、

公にできるギリギリのところまで

ご紹介しようと思います。

 

つづく

良い人生と悪い人生を決めるたった一つのもの

これから大事なお客様とお会いするとします。

そのお客様との面談が
充実したものになるかどうか、
を左右するものとはなんでしょう?

 

いろんな答えがあると思いますが、
一つの重要な答えとして

「自分の心の状態」

があります。

私達の心。

それは常に、揺れ動いています。

心の状態の良いときにお会いするのと、
悪いときにお会いするのでは
そのお客様との面談の展開は
ひょっとすると
180度変わるかも知れません。

例えば、
お客様が発した、たった一言。

その一言に対して、
どのような姿勢と
どのような空気感と
どのような表情と
どのような言葉で
咄嗟に対応するか?

心の状態は
ここに大きな変化を
もたらします。

そのたった一度の対応が
その次の反応を呼びます。

その積み重ねで物事は展開します。

 

お客様だけではありません。

 

社内でのコミュニケーションも同じです。

 

同じメンバーで
ミーティングをしても、
その時その瞬間の各自の心の状態によって
話し合いの流れは大きく変化します。

 

もちろんこれは
仕事に限ったことではありません。

家族との関わり。

お友達との関わり。

ご近所様との関わり。

人と人が関わるあらゆる場面で言えることです。

つまりは、

「自分自身の心の状態が人生の展開を決める」

と表現しても
言い過ぎではないでしょう。

そして
私達の性格とか個性も、
結局はこの”心の状態の積み重ね”によって形成されます。

一人ひとりの成長も
組織(チーム)の成長も、
心の状態の積み重ねによって形成されます。

一人ひとりの業績も
組織(チーム)の業績も
心の状態の積み重ねによって形成されます。

そして実は、
心の状態の整え方
というのは、とても簡単なのです。

そこには極意があります。

それは「摂理」と言ってもよいです。

しかしとても残念なことですが、
その摂理をご存知の人、
本質理解をされている人は
極めて少ないのが、今の世の中の現状です。

『チームパフォーマンスコーチ』とは
その摂理を知り、
自らが実践し、
確信をもって人と組織を
サポートできる人です。

つづく

『脱皮し続ける人生』

人は脱皮します。

しかし、 脱皮の時期がきているのに 脱皮せずに
これまでの自分に執着すると とても苦しくなります。
その苦しさのまま 人生を終えてしまう人も多いです。

脱皮をすれば

とてつもない開放感を得られます。
自由自在な人生を 生きることができます。

しかもその脱皮は 連続して訪れます。

たった一年で、 何度も脱皮する人も います。

これまでの自分の人生が 嘘のように小さく見える 人もいます。

でも無理をしているわけでは ありません。

無理をするのではなく 脱皮をするのです。

そうすれば いつも自然体で いつも淡々と
いつも楽しく 進むことができます。

どうすれば そんなことができるの?

そんな疑問にお応えする ブログです。

・・・・・・

人が脱皮するのと 同じように、 組織も脱皮します。
そしてこれも個人と同じですが、 脱皮の時期にいるのに
これまでのやり方に 執着することで 衰退を始める組織も 多いです。

脱皮の時期には 混乱が起こります。
不安定が 起こります。
それを恐れるあまりに 脱皮とは逆の方向に 向かってしまう組織も
多いです。

きちんと脱皮すれば 組織は安定的に成長し続けます。

脱皮することは 永続的な組織を創り上げるのです。

チームパフォーマンスコーチとして
組織の現場で体感しながら 得た真髄を、
このブログでは書き続けます。