本当は、確信はそこにある

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あらゆる反応本音から

解放されて、

真本音そのものと

なれている状態を

私は

 

『真本音状態』

 

と呼んでいる。

 

本当は

このように名付けることに

かなりの抵抗が

ある。

 

なぜならこの状態が

「特別な状態である」

という印象を

与えてしまうから。

 

私からしてみれば、

この状態は本当は

人間にとって

最も「普通」の状態であり、

この状態にいることが

「当たり前」のことだと

毎日つくづく感じている

のだが、

 

逆に私が

そのようにお伝えすると、

どうも多くの方は

「わけがわからなくなる」

ようだ。

 

確かに、

20年くらい前の私に

その言い方をすれば、

理解不能になるか、

もしくは、

「理解しているつもり」

になるかもしれない。

 

だから本当は

「普通の状態」

なのだが、

それをあえて

「真本音状態」と呼び、

まるで普通ではないような

表現をしている。

 

・・・・・・

 

真本音状態になると、

「すべてがわかっている」

状態となる。

 

とは言え、

それは顕在意識のレベルで

わかっているのではなく、

 

「私はすべてが

わかっているんだなぁ、

本当は」

 

という事実(真実)が

ありありとわかっている

状態である、

ということだ。

 

だから、

そんな自分の中から

生まれる

あらゆる発想や判断や

決断の数々を

掛け値なしに

信じることができる。

 

「信じる」と言うとまた

語弊がある気も

するが、

あえて言えば、

すべての自分の発想と

行動に

「確信を持てる」

感覚だ。

 

もちろんそれが

本当に正しいかどうか?

はわからない。

 

それに

「確信が持てる」

とは

「正しいと思える」

と言うことでもない。

 

「正しいとか

正しくないとか、

そんなことどっちでも

いいじゃん」

 

という状態である。

 

「そんなことよりも

今の私はこれを

やるんだ。

それが当たり前のことだし、

宇宙の摂理だ」

 

くらいに

思えていることが

「確信」かな。

 

あえて言えば、

 

「思い出す」

 

感覚に近い。

 

あぁそうそう。

私はここで

こうするんだったな、

と。

 

まるで未来の自分が

過去である今の自分を

思い出している

感覚だ。

 

過去の出来事を

思い出し、

「そうそう、あの時

私はこう動いたよな」

という感じで、

今の決断を

するのだ。

 

その判断が

正しいかどうかは

別として、

その感覚のまま

毎日を動いていれば、

 

必然的に

すべてが調和する。

 

「調和」というのは

何も、

すべてがスムーズにいく

ということでもないし、

 

「不調和の調和」

ということもあるが、

 

しかしそれでも

やはり、

「こんな風に

人生は自然に

展開していくものなのか」

という実感を

驚きと共に

得ることはできる。

 

・・・・・・

 

私がいつも

最大にエネルギーを

注いでいるのが、

 

そこにいる人々が

自ら意図的に

真本音状態に戻れる

ようになる。

 

という状態に

することだ。

 

組織の中で

全員とは言わなくても、

1割以上の人が

そうなれると、

組織のエネルギー(パワー)

は変質する。

 

社会に対して

良いエネルギーを

発し続ける組織と

なり、

その結果として

業績が向上していく。

 

もちろんそこまでには

紆余曲折があるが、

その紆余曲折の

一つ一つもすべてが

「調和」への道だ。

 

その状態まで

サポートできる人の

ことを私は

「コーチ」

と呼んでいる。

 

そんなコーチを

私は

増やしていきたい。

 

つづく

 

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