それは本当に望む成長か

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生まれてからずっと

地中にいた生き物が

初めて地上に出て、

太陽の光を浴びた時の

驚きとは

どのようなものだろうか。

 

実際の生き物が

どうとか言うことではなく、

自分がそうなったつもりで

想像してみよう。

 

例えば、

最初から目が

見えるとしよう。

 

初めて地上に出たら、

どうなるだろうか。

 

もちろん、

太陽のあまりの明るさに

目は眩むだろう。

 

地中にいた

窮屈さがなくなり

戸惑うだろう。

 

しかし

そういった表面的な

こととは別として、

何かがとても

「静か」になるのでは

ないだろうか。

 

と、

私なんかは

思うのだ。

 

なぜなら

似た経験を私は

何度もしている。

 

あの

独特な感覚。

 

戸惑いと

嬉しさと

静けさと。

 

そしてその後に

やってくる、

内側から

溢れ出ようとする

自らのエネルギー。

 

しかしそのエネルギーは

やはり

静けさを伴う。

 

むしろ、

「安心する」

「安寧を得る」

と表現した方が

よいだろう。

 

何か大いなるものに

包まれる感じだ。

 

それを自らが

発していると知ったとき、

みんな

誰しもが驚くと同時に、

思い出すのでは

ないか。

 

あぁこれが

私であった、

と。

 

安心と安寧とは、

自らを思い出すことによる

わかりやすい

感覚なのだろう。

 

・・・・・・

 

コーチという

お仕事をしていると、

とても多くの方々が、

 

「私、成長しました!」

 

と喜び勇む瞬間と

出会う。

 

その時こそ私は

とても注意する。

 

何かから

解放された瞬間の

喜びに

私は注意する。

 

その視点として

最も大事にしているのは、

その人が、

 

静かかどうか?

 

である。

 

もちろん表面的な

ことではない。

心の奥底、

それを、魂、と言っても

いいが、

そこの静けさを

観察する。

 

成長は

エネルギーを呼ぶ。

 

やる気を呼ぶ。

 

前向きさを

呼ぶ。

 

しかしその根底が

静かかどうか?

によって、

 

その「成長」が

永続的か

刹那的か

がわかるのだ。

 

要するに、

「刹那的な成長」

という

ものがあるのだ。

 

これによって

生み出される

エネルギーは、

 

短期間で

枯渇する。

 

間違いなく。

 

そしてその後には

必ず、

「虚無」

が来る。

 

つまりは

「反動」が来るのだ。

 

そしてその人は、

「成長の喜び」と

「反動としての虚無」

行き来するようになる。

 

それは結果として

とてつもなく

疲れることだ。

 

そしてそこに

「進化」

はない。

 

このような成長の

ことを私は、

 

「膨張」

 

と呼んでいる。

 

・・・・・・

 

とても残念であるが、

「膨張」を

成長と信じて、

そして、

「膨張のエネルギー」を

成長のエネルギーと

信じて、

邁進する企業は

あまりにも多い。

 

私の役割は

まずはそれを

止めることだと

思っている。

 

なぜならその先に

待っているのは

「破裂」だからだ。

 

実のない膨張は

間違いなく

破裂する。

 

風船が

大きくなり過ぎて

破裂するのと

同様だ。

 

風船の中身は

何もない。

 

ただ、

枠が大きくなっている

だけのことだ。

 

中身がないから

枠が広がれば広がるほど、

その枠は

薄く弱くなっていく。

 

そして

ある限界を超えることで

破裂する。

 

あまりにも

自然な道のりで

ある。

 

しかしそれに

気づかない企業と、

 

それに気づかない

コーチが

多過ぎるのでは

ないだろうか。

 

膨張は

わかりやすい。

 

今の世の中では

ある意味、

実現もしやすいかも

しれない。

 

だからと言って

本当にそれで

いいのか?

 

私達は、

刹那的な

成長に

喜んでいる

場合だろうか?

 

つづく

 

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