そこは決してサポートしない

LINEで送る
Pocket

 

人は誰しも

心の中に

「断崖絶壁」

を持っている。

 

それを

下から

見上げている。

 

それは目の前に

垂直に

そそり立っている。

 

その向こうには

透き通るような

青空。

 

あぁここを

登りたいなぁ。

 

でもこんな絶壁、

どうやって

登ればいいんだろう?

 

もしこの壁に

取り付けば、

怖いだろうなぁ。

 

必死に途中まで

よじ登っても、

きっとどこかで

体力の限界がきて、

落ちちゃうんだろうなぁ。

 

この絶壁の

向こうには行きたいけど、

行くのは

怖いなぁ。

 

・・・やはり

多くの人が

そう思うだろう。

 

そして残念ながら、

その絶壁に

取り付くことすら

せずに、

あきらめて

道を戻ってしまう

人もいる。

 

それはその人の

自由ではあるが、

しかしその人は

その「絶壁」を

見てしまった。

 

一度それを

見てしまうと、

脳裏に完全に

焼き付いてしまう。

 

そして

その向こうにある

新たな世界への

憧憬と、

その壁から逃げてしまった

自分自身への

罪悪感が

一生つきまとうことに

なる。

 

実はこれは

かなり

きつい。

 

一度見てしまったものを

見なかったことに

するのは

無理なのだ。

 

だから私は

いつもお勧めする。

 

その壁、

ぜひよじ登って

ください、

と。

 

それも、

真正面から

小細工なしに、

登ってください

と。

 

・・・・・・

 

実は、

心の中では

登れない「絶壁」は

ない。

 

そもそも

登れない「絶壁」は

目の前に

現れない。

 

登る準備が

整ったからこそ、

現れるのがその

「断崖絶壁」

だ。

 

つまり、

真正面から真剣に

取り組めば、

100%登ることは

できるのだ。

 

しかしそこには

怖さが

つきまとう。

 

強烈な不安が

襲ってくる。

 

でもそれは

当たり前のことだ、

断崖絶壁

なんだから。

 

「コーチ」の仕事とは、

この

「断崖絶壁」の前まで

その人を

連れてくることだ、

と私は強く

思う。

 

ただしその「絶壁」を

登るのは

その人自身であり、

その人の

自力である。

 

そこは決して

コーチは、

サポートしては

ならない。

 

そこをサポートしては、

その時点でもう

その人は

「断崖絶壁」から

逃げたことになる。

 

しかし、

ここをサポートしたり、

ヘルプしてしまう

コーチが

後を絶たないのは

どういうことか。

 

それはともかくとして、

「断崖絶壁」の前まで

来たその人を、

私は時には

冷たく突き放す。

 

これは

子どもの育成にも

通じるものだ。

 

・・・・・・

 

「断崖絶壁」を

登り切ることを

私は

「脱皮」

と呼んでいる。

 

その壁を

登ることで、

私達は様々なものを

脱ぎ捨てるのだ。

 

手放す

のだ。

 

そして

壁の上に

たどり着けば、

実に

スッキリ爽やかな

自分になっている。

 

しかも

壁の上には

実に爽やかな

世界が広がっている。

 

自力で

登るからこその

その悦び。

 

これを味わうために

人生とは

あるのではないか、

とすら

私は思うのだ。

 

この悦びを

サポートさせて

いただくのが

「コーチ」という

役割だ。

 

そしてそのためには

「コーチ」自身が

いくつもの

絶壁を

自ら乗り越え続けている

必要がある。

 

・・・・・・

 

自らの

超えるべき

断崖絶壁を

乗り越える

サポートを

する。

 

これが、

個人においても

組織においても

「コーチング」の

本質であると

私は考える。

 

そして、

あぁこの人(組織)はもう、

サポートなどなくても、

自力で次々に

「断崖絶壁」を

乗り越えて行けるだろうな。

 

と思えた時点で

私はその人(組織)から

離れて行く。

 

離れなければ

ならない。

 

この

引き際も

実に大事で

ある。

 

いや、

ちょっと極端に言えば、

引き際を

外さない人こそが、

本来の「コーチ」だと

私は

思うのだ。

 

つづく

 

コメントを残す

*