将棋の駒で
言えば、
最初は
「歩」
でいい。
「歩」は前に
一歩進むことしか
できないが、
しかし
前に一歩進むことは
できるのだ。
もし
「歩」なんて
何の役にも立たない、
と思っているのなら、
それは
大きな間違いだ。
「歩」で
「王」を詰むことだって
できる。
たった一方向に
たったの一歩しか
進めないが、
それを積み重ねれば
どれだけでも
前に進める。
たった一方向に
たったの一歩しか
進めないが、
いつどのタイミングで
その一歩を進むか?
によって、
その一歩は未来の
すべてを決定して
しまうくらいに
大きな影響につながる
こともある。
もし今、
「歩」の力しか
ないのであれば、
その力を
いかに活かすか?
である。
・・・・・・
私達は、
「在るものを活かす」
ことしか
できない。
であれば、
「在るものを
最大に活かそう」
「最善を尽くそう」
とすることが
生きる意味だと
私は思う。
そうすれば、
「在るもの」が
増えていく。
「在るもの」の
一つ一つが
進化・深化していく。
何をするにしたって
始まりは
弱っちいものだ。
人生の始まりが、
赤ん坊の頃の
私達が、
自分では何もできなかった
のと同様だ。
・・・・・・
「在るもの」
を活かす。
そして目の前に
「自分」以外の
「在るもの」があれば、
それも
活かそうとする。
お互いに
活かし合おうと
する。
それが人生の
醍醐味では
ないか。
しかし、
「自分」以外の
「在るもの」があれば、
それと「自分」とを
比べ、
「俺の方が凄いんだ」
と、
潰し合いの戦いをし、
勝った方のみが
生き延びていく。
そんな生き方を
してしまう人が
いる。
いや、恐らく
人類の歴史の大半は
そうだったかも
しれない。
しかしそれは
もったいない話だ。
異質なもので
あればあるほど、
「自分」以外の
「在るもの」との
活かし合いは
価値あるものに
なるだろうに。
・・・・・・
「自分」と
まったく同じ存在は
この世には
いない。
私達は
異質な「在るもの」との
活かし合いを
宿命づけられている。
いや、
それこそが
「人」の本質であり、
存在意義ではないかと
私は
このお仕事の中で
痛感している。
潰し合いの組織か、
活かし合いの組織か、
どちらが
人が元気になるか?
人が幸せになるか?
は
問うまでもない。
どちらを
人が望んでいるか?
も
問うまでもない。
問うまでもないのに、
真逆なことを
やり合っているのが
今の多くの
組織ではないか。
もちろん
そういった試練は
必要だし、
経験を通じて
学ぶこともある。
しかし
そういったことを
踏まえても、
あまりにも
無意味な潰し合いを
私達は
し過ぎではないか?
・・・・・・
私は数多くの
「コーチ」を育成したい
と思っているが、
なぜそう思うか?
の理由の一つに、
数多くの
「リーダー」
が、世の中に
輩出するとよいと
願っているからだ。
ただしその「リーダー」
とは、
潰し合うための
リーダーではないし、
「自分が一番だ」と
自己顕示や虚勢を張る
リーダーでもない。
人々と
共に向き合い、
共に新たなものを
創り出していく
リーダーだ。
自らの力のみで
進もうとするのではなく、
そこに「在るもの」を
活かし合いながら、
未開の大地を
切り拓いていく
リーダーだ。
そういった
「リーダー」の素養を
もつ人は、
特に、若者の中に
多いと
私は感じる。
しかし残念ながら
その素養は、
自力だけでは
なかなか伸びない。
まずもって、
その素養があること
自体を
本人が気づかない。
それが
現状だ。
だからこそ
「コーチ」が
必要なのだと私は
思う。
これからの時代に
必要な、
真の「リーダー」を
発掘し、サポートする
存在が。
つづく