結局は、
・決めているか
・決めていないか
の違いだけ
なのだろう。
人生が
進むかどうか?
は。
決めていれば
その方向に
進み、
決めていなければ、
たとえどれだけ
意気込んで
いようが、
そちらの方向には
進まない。
それは、
声を張り上げれば
よい、
というものでは
ない。
気合いを入れれば
よい、
というものでも
ない。
第一、
本当に決めている
人は
静かだ。
気合いを入れる
必要も
情熱を昂ぶらせる
必要も
ないからだ。
なぜなら
決めているから。
それを
する。
ただ、
それだけの
ことだから。
・・・・・・
「決めるぞーーっ!」
と、
決めること自体に
気合いを入れる
人もいるが、
まぁ、
難しいね。
決めるとは
そういった
ことではない。
気合いを入れなければ
決められない
ということは、
決めていない
証拠だ。
そこに
波風は
必要ない。
状況の好転も、
潮流も、
実際のところは
必要ない。
まずは
決めること。
本当に
決めれば、
そこから
潮流は
起こるし、
状況は
好転を始める。
・・・・・・
決める人と
決められない人の
違いは
あまりにも
単純だ。
普段の、
一日一日の、
生き方
で決まるのだ。
いざ、
人生を左右する
大事なことを
決断しようと思っても、
普段の生き方が
自ら決める
生き方をして
いなければ、
それは土台
無理な話だ。
私の表現で
言えば、
普段、
一日一日を、
真本音で
自ら決めて
生きているか?
だ。
ほんの些細な
ことでもいい。
例えば、
今日はどこで
ランチしようか、
ということでも
いい。
ちゃんと、
「真本音で決める」
こと。
一つ一つの
仕事に
真本音で
向かうこと。
そうすれば
「魂」が
活性化する。
人生の大きな
決断とは、
心でするものでは
なく、
魂で
するものだから
だ。
いざという時に
魂が
発動するかどうか?
これが、
決めるか
決められないか
の境界線だ。
そして、
魂を込めて
決めることができた
人は
静かだ。
・・・・・・
魂で、
「コーチ」という
仕事をしよう、
と決める人を
これから
私は探す。
仕事でなくても
いい。
組織の中で
自分は
「コーチ」という
役割を担っていこう、
と決める人を
私は探す。
そろそろ
動き出そうと
思う。
つづく