変化が大事だ。
と、
皆が口を揃えて
言う。
しかし
そう言いながらも、
本気で変化しよう
と決めている
人は
いったいどれだけ
いるのだろうか?
言うは易し
行うは難し
という言葉が
今ほど
身に沁みる時代も
ないだろう。
「自分の範疇」
の中における
変化は
皆、へっちゃらに
行なう。
しかし
それは本当は
「変化」とは
言えない。
変化とは
「自分の範疇」を
超えることだ。
しかし皆、
「自分の範疇」の境界線まで
来ると、
途端に尻込みを
する。
言い訳を
始める。
言い訳しながら、
もといた場所に
戻ろうとする。
人間だから
致し方ないことだと
思う。
人には恐怖
がある。
怖い
と感じることは
健康的だ。
尻込みだって
いいだろう。
でも、
尻込みしながらも、
「私は尻込みは
していない」
と、
自分で自分を
誤魔化すのは
やめにしないか。
・・・・・・
物事が
上手くいかなく
なると、
すぐに
自分のせいにする
人がいる。
「私が至らない
からだ」
と。
一見すると
謙虚であるが、
しかしそれも
「自分の範疇」に
おいてのみ
の人が多い。
いつもは
謙虚なのに、
本当にまずいことに
なると、
本当にシャレでは
済まない窮地に
なると、
途端に
人のせいに
し出す。
実は、
「私が悪いのです」
といつも口では
言っているのだが、
本当は
心の中では
そうは思っていないのだ。
心の中では
常に他人を
罵っている。
私は
それがいけないこと
だとは思わない。
人のせいにしたい
のも
私達人間の自然な
心の動きの一つだ。
誰だって
自分が悪い
とは思いたくない。
謝罪だって
したくない。
自分を
守りたい。
そんな心が
あったって
いいじゃないかと
思う。
実際
あるんだし。
でもその一方で、
「本当に
申し訳なかったな」
と、
反省する自分も
いるはずだ。
「反省する自分」
と
「人のせいに
したくなる自分」
の
どちらもいるのが
私達だ。
それで
いいじゃないか。
しかし、
「人のせいに
したくなる自分」
を
醜いと捉え、
そこにフタをする
人がいる。
これも
自分自身の
誤魔化しだ。
それは、
やめようよ。
・・・・・・
自分で
自分を
誤魔化す。
それだけは
やめようよ。
もっと
素直に
生きよう。
素直とは、
そこにあるものを
「そこにあるな」
と
あるがままに
認めること。
自分の心の
中の、
美しい部分も
醜い部分も
すべて
あるがままに
その存在を
認めよう。
それができて
やっと
「スタート」
だ。
自分で自分を
誤魔化す人に
一生、
「スタート」
は来ない。
素直な人
こそが
前に進めるんだ。
つづく