変化

変化の火花

 

自分の中の

ほんのわずかな

変化の兆しを

 

自ら

捕らえられるかどうか?

 

その力をつけるのも

セルフコーチングの

重要な目的だ。

 

変化とは

最初は

線香花火の小さな

小さな

火花のようなもの。

 

ほんのわずか

輝き、

 

一瞬で

消えてしまう。

 

そのため

ほとんどの人が

気づかない。

 

だからこそ

コーチが必要

とも言えるが、

 

日々の変化を

自分で

キャッチできれば

それほど強い

ものはない。

 

なぜなら

あらゆる変化には

意味があるからだ。

 

ただしその意味は

頭で考えるものでは

ない。

 

自らの微かな

変化と

あるがままに向き合う

ことで

 

人生における

重要な指針が

突然

わかったりする。

 

つまり

「変化」こそ

 

自分自身の

指南役。

 

自分自身の

道しるべ。

 

「変化」ほど

自己理解を深めて

くれる

存在はない。

 

パチッとくる

わずかな火花を

逃すな。

 

真の変化には

火花がセットで

ついている。

 

火花に

敏感であろう。

 

つづく

 

他人じゃないか

 

何者かの

存在が目の前に

あり、

 

その存在と

対峙することで

 

目の前の

現実に対して

初めて見えてくる

ものがある。

 

自分の目とは

異なる何かからの

目線によるのだろう。

 

その

異なる何か

とは

何か?という問いは

ひとまず横に置き、

 

これまでの自分とは

まったく矛盾する

その気づきを

 

今の私は

とても大事に

している。

 

生まれ変わる

とは、

物事の見方が

変わる

ということでもある。

 

その変化を

自覚した場合、

 

そこで

過去の自分を

持ち出し、

今、ここで感じている

気づきの数々を

否定してしまうのは

あまりにも

もったいないことだ。

 

変化した自分を

素直に

受け入れる。

 

生まれ変わった

自分を

素直に受け入れる。

 

その素直さこそ

生きる覚悟

ではないか。

 

変化を

受容する意志。

 

これしか

自分を前に

進めさせる原動力は

ない。

 

変化は

怖くないのか?

問われれば

もちろん怖いことも

多いが、

 

でもやはり

変化こそが

人間だ。

 

進化こそが

人間だ。

 

変化・進化を

カタチにしたものが

人間なのだから、

それを拒むのは

人間をやめるのと

イコールだ。

 

まぁそんなことを

思いながらも

目の前の何者かを

見つめてみる。

 

そいつは

笑っているが、

明らかに

私ではない。

 

私ではないが、

やはりこれも

私なのだろう。

 

新たな私

というには

あまりに他人感が

凄いが、

 

う〜む、

まぁ

一生懸命、

受け入れようじゃないか。

 

つづく

 

楽観

 

私達は

生身の人間なので、

その都度

その都度

気が変わるのは

当たり前ではないか。

 

この

気を移り変わり

楽しまず

どうするの?

 

気が変わる

私はダメだ。

ではなく、

 

それよりも

なぜ気が変わったのか?

じっくり観察する方が

余程、実りがある。

 

人間の本質は

進化

なので、

 

変化は

当たり前だ。

 

変化する自分、

状況により

気持ちの変わる自分、

探究することが、

 

真に

変化せず

揺るがず

ずっと在り続けるもの

存在を逆に

際立たせるんだ。

 

変化を

楽しむからこそ、

 

不変のものが

わかる。

 

不変のものが

理解できるほどに

 

より

変化を

楽しめる。

 

これは

二面性

というよりも、

 

こういった

在り方そのものが

真理

というものでは

ないか。

 

解釈・評価

よりも

 

まずは

観察だ。

 

私達に

まだまだ

足りないものは。

 

つづく

 

激しい変化だ

 

あなたの中心核

には今、

何がある?

 

それが今、

目まぐるしく

変化し続けているのは

わかるかな?

 

もともと私達は

変化をし続ける

存在だ。

 

世の中の変化

よりも

百倍も千倍も

激しく変化する。

 

でもほとんどの人は

そんな自分自身の

変化を知らない。

 

昨日までの自分と

今日の自分は

同じであると

思い込んでいる。

 

それによって

せっかくの変化が

死んでしまう。

 

変化は悪いこと

ではない。

 

生きるために、

 

道を開くために、

 

とてつもなく必要な

柔軟性だ。

 

だから本当は

その変化に素直で

あるといい。

 

でも一方で、

私達の顕在意識は

その変化に

到底追いつけない。

 

目まぐるしい変化

変化に追いついけない

意識と、

 

この二つの

アンバランスを

併せ持つのが

 

私達人間だ。

 

だから人間に

完璧なはなく、

 

ゴールもない。

 

だから人間は

無限に

進化を続ける。

 

自分の変化を

感じ取れるように

なることが、

 

人としての

真の成長だ

とも言える。

 

目まぐるしく

凄まじい

自分の変化。

 

それを実感すると

ある意味

怖くなる。

 

と同時に

愛おしくなる。

 

変化が怖い、

などとは

言えなくなる。

 

だって

変化そのものが

人間だから、

 

とわかるから。

 

そして、

 

なぜそんなにも

変化し続けられるのか?

 

その単純な

理由に行き着く。

 

それは、

中心核のさらに

その中心核に、

 

未来永劫

変わらないものが

あるからだ。

 

永遠に

変わらない存在。

 

それがあるからこそ、

私達は、

安心して

変化を続けられる。

 

進化を

続けられるんだ。

 

変化を恐れている

場合ではない。

 

変化とは、

私達のことだ。

 

つづく

 

一気に変化を

 

私達は

昨日とは同じ場所

にはいない。

 

私達は

流れ続けている。

 

私達は

進み続けている。

 

その事実を

自覚しないままに

生きることは

本当は

不自然なんだ。

 

人は皆、

変化を恐れる

ものだが、

 

変化は

誰が何と言おうが

自然に起きてしまう。

 

変化するのが

人間だし、

変化するのが

現実なのだから、

 

良い変化をしよう!

 

と思うのは

自然なことだ。

 

良い変化を

しよう、本当に!

 

さて。

 

変化にも

いろいろある。

 

単純に言えば、

緩やかな変化と

激しい変化がある。

 

あなたは

どっちがいい?

 

実は、

 

顕在意識では

どう考えるかは

別として、

 

本質部分では

激しい変化を

望んでいる人が

今、急増している。

 

激しい、

と言っても

環境を変えるとか

転職するとか

そういったことでは

なく、

 

自分自身を

一気に変化させようと

しているようだ。

 

だからあえて

次の問いを

自分に投げてみよう。

 

「私が今、

最もこだわりたいことは

何だろう?」

 

そして、

 

その答えを

手放してしまおう。

 

つまりは、

 

今、最もこだわって

いることを

手放してしまおう。

 

勇気を持って。

 

勢いつけて。

 

一気に。

 

今は、

やる価値あるよ。

 

私は

やるよ。

 

あなたもぜひ。

 

つづく

 

何もしない瞬間を

 

今は、

「変化」

という言葉がピッタリ

くるような

世の中の潮流だ。

 

現象的にも

そうだが、

実在的にも

そう。

 

自分自身を

大きく変えたり、

 

自分のやってきた

ことを

大きく変えたり、

 

もしくは、

「超」がつくくらいの

加速をしたり。

 

様々な挑戦を

しやすい潮流だ。

 

こんな時こそ

大切にしたいのが、

 

「何もしない時間」

 

だ。

 

何もせず、

じっと自分自身と

純粋に

向き合う時間だ。

 

数分でいいので、

一日の内に

何度もそんな時間を

取り入れるといい。

 

一つの仕事が

終わるたびに

そんな時間を

とるといい。

 

自分の心を

見つめ、

 

自分の原点を

見つめる。

 

自分は

本当は、

 

本来は、

 

何のために

何にがんばろうと

しているのか?

 

自分の

「本来」を

 

思い出す時間。

 

それを

頻繁に取り入れ

ながら、

 

ちゃんと

「自分」

を持ちながら、

 

変化

加速

 

をしていこう。

 

つづく

 

変わる

 

これまでの

自分の生き方を

変えてみる、

 

というのは

かなり勇気の要る

ことだ。

 

でも

その衝動に

駆られている人は

今、多いのではないか。

 

もし

あなたがそうであれば、

 

私はぜひ、

いっそのこと根本的に

これまでとは別の

生き方(行き方)に

挑戦してみることを

お勧めする。

 

生き方を変える

と言っても、

それは

 

選択肢が増える

 

ということだ。

 

これまで

Aという生き方しか

できなかった人が

 

Bという生き方も

できるようになり、

 

つまりは、

AもBもできるように

なり、

自由度が増える

ということだ。

 

でも本当に

そうなるためには

一度は、

 

Aを捨ててしまわないと

いけない。

 

それくらいの

覚悟で

Bで生きなければ、

 

Bは自分のもの

にはならない。

 

だから

生き方を変える

には、

中途半端は

ダメだ。

 

とことん

やっちまえ!

 

と言いたい。

 

私は

人間の美しさの

一つは

「変化」

にあると思っている。

 

覚悟を持って

変化をし続ける人。

 

そういう人には

一種独特の

空気感が漂う。

 

そして、

変化をすれば

するほど、

 

その奥に

その人独自の

揺るがないものも

また

顔を出す。

 

揺るがないものが

あるからこそ

私達は

思いっきり

変化できるのだ。

 

覚悟を持ち

根本的に

変わろうとする。

 

だからこそ

揺るがぬものが

毅然と姿を

現す。

 

しかし多くの場合、

本人は

そこに気づいていない。

 

本人は

それよりも

変わり続けようと

する

その衝動に素直だ。

 

変わり続ける

ことの

揺るがなさ。

 

そんな時

その人は

最大の魅力と

美しさを

 

発現している。

 

つづく

 

自力で超えるんだ

 

あなたの中心軸に

今、

どのような「大樹」が

あるだろうか?

 

よく観察して

ほしい。

 

昨日までの

「大樹」は

どうだっただろうか?

 

そして

今の「大樹」は

どうだろうか?

 

さらに

明日以降の「大樹」は

どうなっていくだろうか?

 

今、

「大樹」は

大きな変化の最中に

ある。

 

だからその変化が

わかるはずだ。

 

ありありと。

 

「大樹」が未来に向かって

どう育って行くか?も

 

よくわかる

はずだ。

 

その「変化」を

自覚してほしい。

 

そしてその「変化」が

本当にきちんと

成されるように

 

努力

してほしい。

 

具体的には

その「変化」とは

何がどう変わることなのか?

 

自分の考え方を

どう変化させ、

 

自分の行動を

どう変化させ、

 

自分の成果を

どう変化させることに

 

努力

すべきなのか?

 

それを

今は早急に

明確にしてほしい。

 

私達は今、

とてつもなく大事な

境目にいる。

 

一つの境界線に

たどり着こうと

している。

 

そこをちゃんと

超えられるように、

 

自分で自分の

「変化」を

 

マネジメント

してほしい。

 

ここは、

自力で

超えて行くところだ。

 

つづく

 

変態したかもしれないよ

 

最近の傾向として、

本質的変化、

つまりは

「変質」

をした人が増えている。

 

単なる変化ではなく、

「変質」

である。

 

ところが

当の本人がその事実に

気づいていない

ケースも多い。

 

だから、一度

しっかりと

振り返ってみてほしい。

 

自分を客観的に

見つめてほしい。

 

あなたの

「中心」は

どこだろうか?

 

今の「中心」

だ。

 

体の中のどこ

だろうか?

 

それが特定

できたら、

 

以前のあなた

(例えば、

1ヶ月くらい前のあなた)

の「中心」は

どこだっただろうか?

 

この二つの問いに

直観的に

答えてみてほしい。

 

もし

以前の中心と

今の中心が

別の場所にあれば、

 

あなたは

「変質」

した可能性が高い。

 

・・・・・・

 

「変質」とは、

私の好きな言葉で

言い換えると

 

「変態」

 

と言ってもいい。

 

「変態」と言えば、

昆虫が

幼虫からサナギになり、

成虫になる

あの過程も

「変態」と言うらしい。

 

で、

 

先日、聴いたのだけど、

あのサナギの内部では、

昆虫は一度、

液体になるらしい。

 

液体だよ、

液体。

 

その上で、

成虫になるんだって。

 

凄いよね。

 

そこまで

徹底的にやるんだ。

 

そしてそれを

「変態」

と言うらしいのだけど、

 

確かにそれは

変態的だ。

 

・・・・・・

 

私達人間の体は

さすがに

そこまでの変化は

ないが、

 

しかし、

心という視点で見れば、

それに匹敵する

変態ぶりは

あるのだ。

 

これまでの自分を

一度、

徹底的に液化して、

 

再構築

する。

 

そういった「変質」

つまりは

「変態」

をした人が

最近はとても多い。

 

先ほど直観的に

「中心」が変わった

と思えた人は、

 

まずは

自分が「変態した」という

前提で

自分自身を

見つめてみよう。

 

・・・・・・

 

人の意識は

面白いことに、

 

顕在意識の変化が

最後に来る。

 

顕在意識が

最も変化しづらい

とも言える。

 

顕在意識が

変わらないので、

(つまりは、

頭でものを考える

その考え方は変わらないので)

 

自分は全然

変化していない、

 

と思い込んでいる人は

多いのだが、

実はそれは

大きな間違いだ。

 

顕在意識は

全体の意識の中の

わずか1%と

言われている。

 

残りの99%が

すべて変質(変態)しても

1%が変わらないので

 

「自分は変わっていない」

 

と思い込んでしまっている

だけだ。

 

99%とは言わないが、

自分の心の

かなりの割合が

大きく変わったのであれば、

 

それはちゃんと

自覚した方がいい。

 

「変態」の

意味は大きい。

 

なぜなら、

そこから自らの人生を

「次のステージ」に

進めようとしている

からだ。

 

次のステージに

見合う自分に

せっかく変化させたのに、

ずっと同じステージに

い続けるというのは、

実に

苦しい選択だ。

 

・・・・・・

 

もし

「中心」が変化した

と直観したなら、

 

まずは、

以前の中心に

意識を向けよう。

 

そして、

以前の自分は

何のために生きていたか?

という問いを

自分自身に投げてみよう。

 

そして、以前の中心を

見つめながら、

自然に浮かぶ答えを

認識しよう。

 

それができたら

今度は、

 

今の中心を見つめながら

同じように

問いを投げよう。

 

今の自分、

そしてこれからの自分は

何のために生きて行こうか?

 

自然に発想される

キーワードを

自覚しよう。

 

そして、

以前の「何のために」

思い切って

手放してしまおう。

 

その上で、

今の「何のために」

大事に大事に

胸に抱こう。

 

そうして

新たな一日を

過ごしてみよう。

 

まずは

ここからだね、

 

変態諸君!

 

つづく

 

たまらなく面白い

 

定期的継続的に

お客様のところに

通っていると、

 

時々通うが故に

そのお客様の

「変化」が

とてもよくわかる。

 

「変化」はまず、

本人が

決して気づかない

ところから始まる。

 

顕在意識、潜在意識

という観点から言えば、

 

まずは

潜在意識の変化

から始まり、

それはすぐにその人の

「空気感」

として現れる。

 

空気感なので、

本人には

わからないのだ。

 

しかしそれが

ガラッと

とてつもなく大きく

変わることがある。

 

あぁ来たなぁ、

 

私は内心で

ニッコリする。

 

この人達の

本質的変化が

始まった、と。

 

あとはその変化が

どのように

「顕在化」

するかを楽しめばいい。

 

ここからが

コーチとしての

この仕事の醍醐味だ。

 

「顕在化」は

多くの場合、

私の想像もしない展開で

成されていく。

 

おぉ、そう現れるのか。

 

と、

びっくりすること

ばかりだ。

 

逆に言えば、

こちらの意図通りに

変化したり、

思惑通りの成長

であるならば、

 

それは

本質的な変化とは

言えないと

私は思っている。

 

ただ

表面上だけが

形だけが

チョロっと

変わっただけのこと。

 

そういうのはすぐに

もとに戻ってしまう。

 

しかし本質的変化は

文字通り

「変質」

だ。

 

しかもやはり

本人がそれに

気づいていない。

 

こんなに変わったのに

あまりに自然なので

本人にとっては

「普通」なのだ。

 

でも、

その変化は明らかに

現実も変えていき、

気づけば

 

あれ?

なんでこんなに

いいことばかりが

起こるのだろう?

 

ようやく本人も

気づき始める。

 

そして言うのだ。

 

「たけうちさん、

周りの誰々さん達が

変わったんですよ!」

 

と。(笑)

 

いやいやいや、

あなたが変わったから

みんなも

変わったんだよ。

 

それをフィードバック

する時がまた

たまらなく

面白い。

 

この仕事は

本当に

面白い。

 

それは、

「人間」が

面白いからだ。

 

つづく

 

自信を持って変化しよう

 

いったい

何が起きているのか?

 

びっくりするくらいに

人が

変わっていく。

 

もちろん、

良い方向にだ。

 

変わる、と言っても

別人格になるのでは

なく、

 

本来のその人に

一気に近づいていく

のだが、

 

その変貌ぶりが

凄まじい。

 

「凄まじい」と

どうしても表現

したくなる。

 

今日も、

ある会社の幹部さんが

言われた。

 

「ふと、朝の4時に

目が覚めたんです。

で、ふと思ったんです。

決めたんです。

私が変わろう、と。」

 

自分の考え方から、

立ち振舞いから、

人の育成方針まで、

すべて

変えていく、と言う。

 

しかもその方向転換は、

私が密かに、

「この人の本来は

こうだから、

こう変化していくといいな」

コーチとして願っていた

方向と

完全に一致した。

 

だから一瞬私は

言葉を失うくらいに

驚いた。

 

でも、

これに近いことが

日々、あちこちで

頻発している。

 

いったい何が

起きているのだろうか?

 

と、言いたくもなる。

 

・・・・・・

 

人の変化は

組織の変化に

直結する。

 

人が変化しなければ、

組織は変化しない。

 

人が真本音度合いを

高めれば、

組織の真本音度合いも

高まっていく。

 

実に単純な法則が

ようやく

この世で機能し始めた

ように思う。

 

健全な世の中に

近づいているのだ。

 

もちろん、

健全ではない出来事も

頻発している。

 

しかし

そればかりに

目を奪われていては

ならない。

 

本質的には

今は

何が起きているのか?

 

それをあるがままに

私達は感じ取ろう。

 

世の中は、

間違いなく

進み始めている。

 

それを推進している

のは、

「人」だ。

 

一人ひとり

だ。

 

あなた、だ。

 

自分一人の変化

なんて、

世の中全体から見れば

大したことはない、

 

なんて

思わないでほしい。

 

一人の本質的な変化が

いかに

実在のレベルで

世の中全体に

インパクトを与えるか?

 

は、

私が最も声を大にして

お伝えしたい事実の

一つだが、

 

しかしそれは

これからの私達の歩みの

途上で、

どんどん証明されて

いくだろう。

 

あなたはもっと

自信を持てばいい。

 

自分を

信じればいい。

 

あなたの道が

世の中の道に

なっていく。

 

つづく

 

素直に自分を見つめよう

 

変化が大事だ。

 

と、

皆が口を揃えて

言う。

 

しかし

そう言いながらも、

本気で変化しよう

と決めている

人は

いったいどれだけ

いるのだろうか?

 

言うは易し

行うは難し

 

という言葉が

今ほど

身に沁みる時代も

ないだろう。

 

「自分の範疇」

の中における

変化は

皆、へっちゃらに

行なう。

 

しかし

それは本当は

「変化」とは

言えない。

 

変化とは

「自分の範疇」を

超えることだ。

 

しかし皆、

「自分の範疇」の境界線まで

来ると、

途端に尻込みを

する。

 

言い訳を

始める。

 

言い訳しながら、

もといた場所に

戻ろうとする。

 

人間だから

致し方ないことだと

思う。

 

人には恐怖

がある。

 

怖い

と感じることは

健康的だ。

 

尻込みだって

いいだろう。

 

でも、

尻込みしながらも、

 

「私は尻込みは

していない」

 

と、

自分で自分を

誤魔化すのは

やめにしないか。

 

・・・・・・

 

物事が

上手くいかなく

なると、

 

すぐに

自分のせいにする

人がいる。

 

「私が至らない

からだ」

と。

 

一見すると

謙虚であるが、

 

しかしそれも

「自分の範疇」に

おいてのみ

の人が多い。

 

いつもは

謙虚なのに、

本当にまずいことに

なると、

 

本当にシャレでは

済まない窮地に

なると、

 

途端に

人のせいに

し出す。

 

実は、

「私が悪いのです」

といつも口では

言っているのだが、

 

本当は

心の中では

そうは思っていないのだ。

 

心の中では

常に他人を

罵っている。

 

私は

それがいけないこと

だとは思わない。

 

人のせいにしたい

のも

私達人間の自然な

心の動きの一つだ。

 

誰だって

自分が悪い

とは思いたくない。

 

謝罪だって

したくない。

 

自分を

守りたい。

 

そんな心が

あったって

いいじゃないかと

思う。

 

実際

あるんだし。

 

でもその一方で、

「本当に

申し訳なかったな」

と、

反省する自分も

いるはずだ。

 

「反省する自分」

「人のせいに

したくなる自分」

どちらもいるのが

私達だ。

 

それで

いいじゃないか。

 

しかし、

「人のせいに

したくなる自分」

醜いと捉え、

そこにフタをする

人がいる。

 

これも

自分自身の

誤魔化しだ。

 

それは、

やめようよ。

 

・・・・・・

 

自分で

自分を

誤魔化す。

 

それだけは

やめようよ。

 

もっと

素直に

生きよう。

 

素直とは、

そこにあるものを

「そこにあるな」

あるがままに

認めること。

 

自分の心の

中の、

 

美しい部分も

醜い部分も

 

すべて

あるがままに

その存在を

認めよう。

 

それができて

やっと

「スタート」

だ。

 

自分で自分を

誤魔化す人に

 

一生、

「スタート」

は来ない。

 

素直な人

こそが

前に進めるんだ。

 

つづく

 

解釈を超えてゆこう

人が変化を始める時、

その変化が大きければ

大きいほど、

その兆しは

微小です。

 

変化の最初の芽。

 

それは

あまりにも小さく、

ほとんどの人が

その芽の存在に

気づきません。

 

もちろん

一番気づかないのは

本人です。

 

そして

せっかくの芽を

知らずに

踏みつけてしまう

ケースも多いです。

 

地中から、

チョンと

ほんのわずかだけ

頭を出したその芽に

どれだけ気づけるか?

 

これが

コーチとして

最も重要な力の

一つです。

 

・・・・・・

 

人はどうしても

悪いところ、

不足しているところ、

間違っているところ

などに

目が行きがちです。

 

ですからよく

「肯定的にその人を

見ましょう」

と言われます。

 

「その人の良いところを

見つけましょう」

とも言われます。

 

もちろんそういった

視点は大事ですが、

あくまでもそれは

視点の一つとして

大事なのです。

 

実はですね。

 

私は、

人を無理に肯定的に

見ることを

あまりお勧めしていません。

 

なぜなら、

肯定も否定も

「解釈」だからです。

 

見る側の

解釈。

 

それは

良いか悪いかの違い

だけで、

次元は同じです。

 

ですから、

いくら頑張って

人を肯定的に見ても、

心の中では

否定的な印象も同居し、

ただその否定的な

自分の意見にフタをするだけ

という状態となります。

 

これまでも

申し上げてきた通り、

心にフタをすると

ろくなことにはなりません。

 

「本当はAさんのここの

部分がいやだ」

という心にフタをしながら、

「Aさんって、こういうところが

素晴らしいよね」

とAさんに伝えても、

むしろ、

フタをしている否定的な印象が

空気感となって現れ、

Aさんに伝わります。

 

すると

Aさんはこう思います。

 

「この人、口ばっかだな」

とか

「なんかこの人

嫌味ったらしいな」

と。

 

これでは

意味がありませんね。

 

・・・・・・

 

私がお勧めするのは

 

「あるがままに

その人を観る」

 

ということです。

 

こう書くと、

とても難しいように

思われるかもしれません。

 

でも実は

これが最も楽ですし、

慣れれば最も

簡単です。

 

実は、

肯定的に人を見よう

とする人ほど、

その人の本質的な魅力に

気づくことができません。

 

なぜならあくまでも

自分の解釈でしか

その人を見ていないから。

肝心な部分が

観えなくなるのです。

 

解釈を超えた

・・・というよりも

解釈を手放した見方

(つまり、「観方」)

が大切で、

それができると

その人の素敵な箇所に

どんどん気づけますし、

先ほど書きました

「変化の芽」

も観逃さなくなります。

 

そして私は、

コーチだけでなく、

すべての人が

「人をあるがままに観る」

ことができるようになると

いいなぁ、と

心底、願っています。

 

はっきり言って

それだけで

世の中は平和になるかも

しれません。

 

人と人との

ぶつかり合いとは、

解釈のぶつかり合いでしか

ないですからね。

 

今はそこを

超えていくことを

私達は求められているのでは

ないでしょうか。

 

つづく

 

前向き、と言うけれど、本当は後ろ向きの反動でしょ?

私達の心の中には、「作用・反作用の法則」が

成り立っています。

 

例えば、

自信満々な自分が心の中に存在している場合、

そのもう一歩奥には、自信のない自分が

必ずいます。

 

自分の自信のなさや不安を搔き消すために、

あえて自信のある自分を創り出している、

という人が非常に多くいます。

 

一般的に言われる「過信」状態ですが、

過信しやすいのは、自信のなさの現れとも

言えるのです。

 

これが反応本音の特徴です。

 

反応本音とは多くの場合、

相反する心がセットで存在し、

その相反する心同士が常に「引っ張り合っている」

という状態になっています。

 

例えば、

前向きな心の裏側には、ほぼ必ず

後ろ向きな心が隠れています。

人の意見に迎合しようとする心の裏側には、ほぼ必ず

その人に対する不満感が隠れています。

 

それらの相反する心は引っ張り合っているので、

疲れます。

 

引っ張り合いとは、綱引きです。

 

運動会で行われる綱引きを

もし一日中行なっているとしたら、

相当な体力を消耗します。

しかし、

心の中では常にそれをしている人が

多いのです。

 

ですから私は、

ただやみくもに「前向きに生きよう」

と言われる人を注意深く観察します。

そういった人ほど、

後ろ向きな心にフタをして見ないようにし、

しかし本人の知らないところで

前向きな心と後ろ向きな心が綱引きをしている

可能性が高いからです。

 

このような綱引きのことを一般的には

「葛藤」

と言います。

 

葛藤の多さによって

心の疲労度合いが決まります。

 

葛藤の多い人は

常に心が疲れ、

その疲れている状態がその人にとっての

「普通の状態」

となります。

 

疲れているのが「当たり前」の状態と

なってしまうのです。

 

私達が、反応本音のみで生きていると、

以上のような、葛藤と疲労を非常に起こしやすくなります。

 

木村さんの場合、

常に彼は、「自分の方が凄いんだ」ということを

皆にアピールするパターンを無意識に行なっていました。

そのため、自分以上の素晴らしい意見を持った人に対して、

自分の経験を傘に着て、それらを潰しにかかっていました。

 

その一方で、

そんなことをして自分はなんて愚かな人間なんだ

という罪悪感も常にその裏側で発生させていたのです。

 

人の意見を自分が潰せば潰すほど、

自分を責める自分が増殖する。

 

そういったことを続けるうちに、

彼の心はどんどん疲弊していきました。

 

人は、心が疲弊すると「深刻」になります。

ドヨ〜ンとした重い空気感を発するようになります。

それがまた、周りの人達に

「この人は居心地が悪い」

という印象を与えます。

 

その印象によって、彼に対して反発心を持つ人が

増えてしまう。

そんな悪循環が起きていました。

 

しかし木村さんが人生理念を見つけ、

真本音に素直に生きるようになり、

それらのパターンは瞬く間に減少しました。

 

もちろん木村さんには上記以外にも

反応本音のパターンがいくつかありましたから、

完全に真本音で生きる、という状態には程遠かったのですが、

それでも、一つ、また一つ、とパターンを改善することで

木村さんは彼の放つ空気感を大きく変えたのです。

(→前回記事)

 

私はこれまで多くの企業で、

「あの人はもう変わらない」

という諦めの声を、非常にたくさん聴いてきました。

 

人間、諦めると、何もしなくなります。

みんなが諦めてしまった人でも

「もしその人が変わったら、組織は素晴らしく良くなるだろう」

と思える人がいたら、私はその人に真っ先に

向き合うようにしました。

 

その人が変わらないのには、

その人なりの理由があります。

その人なりの強い信念があるのです。

それを尊重しながらも、その人と向き合い続け、

その人の真本音度合いを高めることで、

「えっ? なんであの人、こんなに変わったの?」

とびっくりされることが数え切れないほどありました。

 

人が変わることに対して

人は敏感です。

 

「あの人は嫌い」と一度思ってしまった人は

一生嫌いなままだ、と思われがちですが、

私が企業現場で実感したことは、

それとはまったく逆の現実でした。

 

変な言い方ですが、

「出来の悪い人ほど、もしその人が本当に変われば、

皆は賞賛したり、感動する」

という結果の方を、私は多く見てきました。

 

以前のブログにも書きましたが、

「進化」とは、人の本能です。

「進化」そのものを、人は望んでいます。

表面上だけの進化ではなく、本当の進化を目の当たりにすれば、

人は自然に感動するものである、

というのは、私の実感です。

 

ですから、

木村さんが変わり始めた時も、

その影響は極めて大きかったのです。

 

何度も言いますが、

表面上の変化だけではダメです。

例えば、行動が変わった、というレベルではダメです。

しかし、

空気感とか、その人の在り方そのものからの変化を感じることで

人は、感動を覚えるのです。

 

木村さんと一緒に仕事をしていた人達の声を集めると、

木村さんが変わったところで最も大きかったのは、

「一緒にいると、楽しく発想できるようになったんです」

ということでした。

 

これを私は、

『調和力』

と呼んでいます。

 

 

つづく