慣れないねぇ

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これまでいつも見ていた

景色達が

まるで初めて見るかのように

新鮮に映ることは

誰もが一度は体験したことが

あるだろう。

 

あの感覚は

とても大事だね。

 

「あるのが当たり前」

だと私達はついつい

思ってしまう。

 

「慣れる」という

やつ。

 

しかし「慣れる」というのは

人が持つ大事な能力の

一つでもある。

 

「慣れる」からこそ

適応ができる。

 

これがなければ

我々は大変

生きづらいだろう。

 

・・・・・・

 

人が人に

慣れる。

 

これも日常で

起きていること。

 

今日、あるクライアントさんから

「ようやく、たけうちさんの

コーチングに慣れてきました」

と言われた。(苦笑)

 

でもそれを言われた瞬間に

私は一つ

気づいのだ。

 

「私は全然、慣れていない」

と。

 

この仕事を始めて

もう23年以上になる。

 

これだけ経っているにも

関わらず、

 

私は相も変わらず

コーチングの毎セッション、

緊張しまくっている。

 

緊張しやすいのは

私の性質なのだが、

なんでいつもこんなに

緊張するのだろう?と

不思議に思う。

 

私をご存知の人は

「えっ? あれで緊張

してるんですか?」

と言われるかも

しれない。

 

外面的雰囲気がどうかは

私にはわからないが、

内面的には

 

誰とでも

どんなときも

どんな場面でも

 

私は

緊張しまくっている。

 

まるで

コーチングのデビュー戦

のような感覚だ。

 

その感覚で

いつも全力で

セッションに向かっている。

 

・・・・・・

 

私の大好きな

ジャズミュージシャンに

マイルス・デイヴィス

という人がいる。

(もう30年近く前に

亡くなっている。)

 

私は彼の生み出した

音楽も大好きだが、

人としての彼も

大好きで、

随分と彼にまつわる本を

読み漁った。

 

彼のことをよく知る人に

よると、

彼は、ジャズのセッション

(そういえば、ジャズも

「セッション」と言うんだよね)

において

一度も手を抜いたことが

ない、と言う。

 

どんなに体がボロボロでも

彼は自分のその時持っている

命のエネルギーのすべてを

セッションに込めていたらしい。

 

だから

ステージを降りた瞬間に

倒れ込むこともあり、

それが毎晩続くことも

あったようだ。

 

私は彼と会ったことは

もちろんないが、

何となく彼の生き様や

セッションの取り組み方には

共感を覚える。

 

まぁ結構、破天荒な人

だったらしいので、

私にはその破天荒さは

ないが、

 

でも、命のぶつけ方が

ちょっと似ているような

気もする。

 

彼のトランペットの音を

聴いていると、

それが伝わってくるんだ。

 

一度でもいいから、

彼と直接向き合って

みたかったな、

よく思うのだ。

 

彼もきっと

「慣れる」ということは

あまりなかったのではないか。

 

・・・・・・

 

「慣れる」のが

いけないわけじゃない。

 

むしろ

「慣れた」方がいいと

私は思う。

 

が、「慣れる」ことで

失ってしまうものが

ある。

 

それを失わない「努力」は

必要ではないか。

 

私は今の仕事の引退を

27年後と決めている。

 

きっと27年後の

最後の日も、

私は緊張で

ガチガチなんだろうな。

 

つづく

 

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