過去とは何か?

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これまでの人生の

延長線上に

これからの人生が

あるわけではない。

 

突然、

ここまでの流れを

逸脱して、

 

まったく新たな

線を

描き始めるかも

しれない。

 

それが

私達の人生。

 

しかしそれは

決して、

これまで過去に自分が

培ったものを

捨てなさい、

ということではない。

 

逆に、

過去に執着する

ことでも、

過去の経験に

固執することでもない。

 

これまでの自分。

過去の自分。

 

私達にとって

「過去」

とはいったい

何なのだろうか?

 

・・・・・・

 

過去とは

幻だろうか?

 

もしくは

自分自身の

解釈に過ぎないの

だろうか?

 

久しぶりに故郷に

帰り、

子どもの頃に遊んだ

公園に行くと、

 

あれ?

こんなに小さかったっけ。

 

びっくりしたりする。

 

私達は

あらゆる経験を

自分の「解釈」を通して

行なっている。

 

だから

事実を事実として

あるがままに

記憶しているわけでは

ない。

 

ということは、

私達の中にある

「過去」とは、

単なる解釈に

過ぎないのだろうか。

 

そうとも言えるし、

そうとは言えない

気もする。

 

・・・・・・

 

過去は、

今の自分を

形づくるものだろうか?

 

人は

過去の経験によって

個性を変えて行く。

 

自分とまったく

同じ過去を持つ人は

世の中に

一人もいない。

 

過去とは

自分だけのもの。

 

その過去によって

今の考え方や生き方は

変わるだろうし、

未来の自分へも

大きな影響を受けるだろう。

 

でも一方で、

過去にまったく

捕らわれない生き方

というのも

あるかもしれないし、

ないかもしれない。

 

私達は、

過去の影響から

脱することが

できるのか、

できないのか?

 

・・・・・・

 

ここで

ちょっと奇抜なことを

書こう。

 

私は思うのだ。

 

過去とは、

 

「抱っこ」

 

であると。

 

私達は皆、

自分自身の過去に

「抱っこ」されている。

 

過去に安住すれば、

それはそれで

自分自身は安心かも

しれない。

 

しかし私達の体は

どんどん大きく

なる。

 

大きくなれば、

抱っこしている腕から

体が溢れ、

いつか支えきれなくなる。

 

私達は

どこかでその「抱っこ」

から

自立しなければ

ならない。

 

そして今度は逆に、

過去そのものを

私達自身が

抱っこできるといい。

 

過去は私達に

大きな影響を

与えるが、

 

その過去に

支配されてはならない。

 

かと言って

過去をないがしろに

する必要もない。

 

自らが

過去を抱っこし

過去を愛するように

なること。

 

どれだけ

過去が大きくなろうとも、

その分、

私達自身も大きく

過去を愛する。

 

そうなれると

いいな。

 

・・・・・・

 

過去に

抱っこされる人生

から、

 

過去を

抱っこする人生へ。

 

その転換点が

人生には

必ず来る。

 

今、そこにいる

人達は

多いのではないかな。

 

つづく

 

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