洞窟から
溢れ出るものが
ある時に、
しっかりと
それらと
対峙できるか?
どんな時も。
つまりは
どんなに
調子の悪い時
でも、
しっかり
対峙できる
自分で
いられるか?
ということを
私は常に
大切にしてきた。
私は
私の弱さを
知っているので、
だからこそ
余計に。
いざという
時に
逃げ腰に
ならぬよう。
どんな
瞬間にも
対峙すべきものと
対峙できる
ように。
・・・・・・
対峙、
とは
戦うことばかり
ではない。
共に
愛し合うのも
対峙の
一つだ。
守ることも
守られることも
対峙だ。
全身を
さらし、
全身で
感じ、
全身で
発する。
そこに
余分な防波堤や
防御の壁や
クッションや
緩衝材などは
一切
必要ない。
素っ裸の
ままに
対峙することが
対峙、だ。
だから
ある時は
大きく傷つけられる
かもしれない。
ダメージを
得てしまうかも
しれない。
でもそれが
どうした。
そうなったら
そうなった時だ。
というくらいの
開き直りで
ここにいる。
そんな自分
を
育ててきた。
強くなれたか?
と
問われれば、
全くその
実感はない。
だから
私は弱い、
という
自己イメージの
ままでいる。
ただそのことと
対峙できるか
どうかは、
別次元の
話だ。
やるべきことを
やる。
そのために
対峙する。
あらゆる
現実と。
存在と。
すると、
そこでしか
起きない現実が
展開を
始める。
地道な対峙は
ある瞬間に
現実を
ゴリッと
動かすんだ。
つづく





























