チームパフォーマンスコーチ

良いことにならんぞ

この方向に
進めば、
決して
良いことには
ならない。

そう
わかっていて
しかし、
その方向に
動いてしまう。

動きながら
もう
最初の一歩目から
後悔が
始まるのに、

それなのに
ますます
勢いを増して
進んでしまう。

真本音度合いが
高まっている
のに、
そのように
なることがある。

そういった
場合は
もう
諦めるしかない。

自分に
委ねるしか
ない。

自分の
顕在意識を
超えて、
自分の真本音が
自分を
動かしている
のだ。

特に
直観は、
自分の思惑を
大きく超える。

自分のこと
なのに
自分で制御が
効かなくなる。

真本音度合いが
高まっている
が故に
起こる一つの
現象だ。

正直に
言うが、

私はそのような
ことが
今は毎日のように
起きている。

だからもう
慣れた。

昔はそんな
自分に
随分と抗ったが、

抗っても
仕方ない、と

散々体験を
繰り返しながら
思うように
なった。

人間は
馬鹿にならない。

自分は
馬鹿にならない。

こういう時
私は

自分とは何者ぞ?


いつも思う。

半ば、
驚嘆しながらも。

この方向に
進めば、
決して
良いことには
ならない。

むしろ
そう思う自分が
出る時こそ
人生の醍醐味が
あると、
今は思う。

自分は
自分を
超えられない。

真本音の
自分こそが
本来の
自分なのだから。

つづく

調和の大原則

調和のための
大原則。

それは、

調和のため
には

「期限」

が必要だ
ということ。

「いつまでに
これをやる」

「いつ
これをやる」

と、
完全に
決めること。

期限が
あって
初めて、
そこに向かって
あらゆることが
調和を始める。

「いつか
やれればいいや」

「期限なしで
自由にやればいい」


言っている内は
何も
調和しない。

この
3次元の世界
における
大原則だ。

期限

決め、

本気で
その達成に
取り組むこと。

単純で
当たり前の
ことだけどね。

つづく

これまで通りに

表面上は
混乱。

中身は
安定。

現象は
混沌。

実在は
完成。

・・・今後
ますます
そのような
状態が
高まり、
深まる。

目の前の
混乱
混沌

目を奪われる
必要はない。

ただ、
よく観察を
すること。

少し
離れた
場所から。

飛び火は
ない。

ちゃんと
自らが
真本音で
生きているなら。

すべき
ことは

これまで
以上に

明確に
現れる。

すべきこと

真本音の
想いを込めて

一つずつ
丁寧に。

これまで
やってきた
こと、
そのものだ。

これまでは
練習。

ここからは
本番。

しかし
我々自身は
何も
変わらない。

そのまま
行けば
いい。

ここからは
自らの
在り方
生き方

すべてが
決まる。

つづく

遠過ぎるだろ

長い道が
続いている。

視界は
広い。

遠くまで
見渡せる。

遥か先に
陽炎のように
都市が
浮かぶ。

ゆらめいて
いる。

遠いなぁ。

と、
つぶやく。

いったい
どれだけ
歩き続ければ
良いのか?

気が遠くなる。

足元に
目を落とす。

一歩
また一歩

確かに進んで
いる。

しかし
陽炎のような
あの
遠い都市は
ちっとも
近づかない。

もう
やめて
しまおうか。

とも
思うのだが、
私の足は
止まることは
ない。

一歩
また一歩

進み続ける。

私達には
それをするしか
ないでは
ないか。

止まれば
もう
そこで
終わりさ。

わかって
いる。

だから
止まらないんだ。

私達の
人生は、

間に合うのか?

人生の
終わりまでに
あそこまで
本当に
たどり着けるのか?

わからない。

でも、
今は
一歩を
進むしか
ないではないか。

では、

目はどこを
向く?

一歩先に
向けていようか。

次の一歩のみに
意識を向けて

その一歩一歩を
楽しむように
着実に
進むのが
最も良さそうだ。

確かにね。

だが、
それは
わかるのだが、

でも
私は
やっぱり
あの都市を
見続けるよ。

進んでいる感

ないし、

あまりの遠さに
気も遠くなるの
だが、

でも
私の目は
あそこに
向き続ける。

意地っ張り
か?

いや、

その進み方
こそが
私だと
思うから。

つづく

激しく来るよ

上昇している
と思ったら、
急降下。

急降下している
と思ったら、
急上昇。

その中間は
ないものか、

思うのだが、

ない。

中途半端は、

ない。

垂直上昇

垂直降下。

この
極めてシンプルな
状況の変化。

これから
私達が
迎えなければ
ならないのは、

そういった
「現実」だ。

これまでとは
比べものに
ならぬ、
激しい進み行き。

そこに
果敢に飛び込む
ことを
求められている。

いや、
求められ、
それに応える
ということではなく、

否が応でも
そうせざるを
得なくなる。

厳しい時代
だ。

が、
もうずっと
わかっていた
ことだ。

それこそ、
生まれた
時から。

その覚悟を
養うための
これまでの
人生だったでは
ないか。

望むところだ。

楽しみだ。

これくらいの
意気で、
迎えよう。

激しい展開に
対して、
こちらも激しく
対応する
必要は
ない。

私達は
落ち着けばいい。

落ち着いて
じっくり
観る。

その
現実を。

あたふたすれば
観えなくなる。

じっくり
本質を
掴む。

そして、
一点突破。

中心核を
打つ。

そのような
現実の
開き方。

私達が
すべきことだ。

ずっと
養ってきた
ことだ。

つづく

孤独になろう

たった一人に
なる、

という時間を
私は
とても大切に
している。

その時間は
本当に
たった一人に
なる。

現実的
にも、
実在的
にも。

自分と世界
とも
引き離す。

完全なる
一人。

完全なる
孤独。

そうすることで
私は
私自身に
戻る。

いや、

私、をも
忘れる。

ただの
最初の
存在、となる。

感覚だけ
だけどね。

それにより
心底から
リラックスできる。

リセット
できる。

すると、
あらゆるすべての
人達に対して、
感謝の気持ちが
湧いてくる。

完全なる
孤独になって
初めて、

みんなとは
しっかり
繋がっているのだな、

わかる。

人生は、
メリハリが
大事だね。

孤独は嫌だ、
という人も
多いけど、

一度
やってみると
良いかもよ。

つづく

それは幻の山だ

山がいくつも
あった。

本当は
回避すれば
良いものを、

一つ一つを
いちいち
ちゃんと登った。

当然だが、

登れば
降りる。

せっかく
登ったのに。

頂上まで
登れば、
それなりの
満足はある。

が、
下らなければ
ならない、
それがまた
辛かった。

日の差す
頂上から、
暗闇の
谷へ。

しかし
それもちゃんと
やろうと
思った。

やりきろう、
と。

いくつも
山を
越えたが、

どれもが
越えたら
消えた。

山だと
思っていた
ものが、
実はそこには
何もなかった。

あの
頂上での
輝きの時間も
幻だったのか。

しかし
その瞬間は
ずっと
私の胸の中で
輝き続けている。

山は
ない。

わかっている
が、
それでも
目の前に
山は、
見える。

なら、
登る。

ない、と
わかっていても
登る。

そう
決めたんだ。

これは
回り道の
人生なのか?

いや、
私にとっては
最短だ。

なぜなら、

そこに
山は
ないよ。


ちゃんと丁寧に
人に
伝えられるから。

登るなら、
本当に
そこに「在る」
山に
登ろう。

幻には
登るな。

幻に
登り続けてきた
私だからこそ、

伝えられる
ことがある。

つづく

ここまできたら

本当の意味で
芽生えたものが
伸びるのは
速い。

本当の芽

あるならば。

問題は、

その
本当の芽を
出すところまでが
長い。

私なんぞは
きっと、それを
50年以上かけて
やっているのだと
思う。

人生を
かけて
たった一つの
本当の芽を
生み出す。

きっと
それなりの
妥協点で
進んでいたら、
もっとたくさんの
芽が
発生していた
だろう。

それはそれで
幸せな人生
だったかも
しれない。

が、
でも
わかるのだ。

それでは
私は
決して満足
しない。

満足せぬまま
人生を
終えるのだと。

99%の満足感の
芽を
100とか1000とか
生み出すことが
できたとしても、

きっと私は
胸掻きむしるくらいに
後悔しながら
人生を終えるだろう。

たった一つで
いいから、
100%、自分自身が
これは
本物だ、
本当の芽だ!

満足できるものを。

もう、
こういう生き方
なのだから
しょうがない。

ここまで
きたら
このまま
最後まで行く。

つづく

ニョロニョロ

心の中を
ニョロニョロと
蠢くものが
あると、

気持ち悪い!


思いながら、
目を塞いで
しまう。

のだが、

ニョロニョロ
こそ
しっかり
見つめるといい。

それは
柔軟性の
塊だ。

どこにでも
忍び込み、

どこにでも
突破口を
開く。

自分には
ない
(自分の心
なのに)
視点からの

とんでもない
発想を
もたらす。

とんでもない
が故に、
通常は
拒絶感が出る
のだが、

そこを
ニョロニョロ
と、

楽しんで
実践してみると
いい。

幅が
広がるよ。

人間
としての。

気持ち悪い
ものには
2種類あって、

本当に
気持ち悪い
ものと、

未体験で、
あまりにも
視界外の
ものだからこそ、

訳がわからず
気持ち悪く
感じ取ってしまうもの、
がある。

後者は
ただ、
慣れないだけだ。

ニョロニョロは
面白いよ。

あなたの中にも
あるだろう?

つづく

あなたが大切にすべきこと

あなたの
エネルギーの
源泉は
何だろう?

今の
あなたの。

もし
今、あなたの
エネルギーが
枯渇しそうなら、

まずは
その源泉をこそ
最も
大切にすべきでは
ないだろうか。

その源泉は
人生を進める中で
変化するかも
しれない。

しかし、

今のあなたの
エネルギーの源泉は
それなのだ。

それを
大切にできるのは

今の
あなた自身

しかない。

それが
すべての
始まりだろ?

つづく

あなただったか

時々
あるのだが、

誰かが
私のそばに
じっと
立っている。

黙った
まま。

その気配
だけがある。

誰だか
わからない。

でもきっと
クライアントさんの
誰か、だ。

何か
伝えたいことが
あるならば、
きっと
そのような感覚は
わかるだろう。

でも
そうではない
らしい。

こういうケースの
場合は、
私はただ
放っておく。

きっと
何か
その人なりの
目的が
あるのだろう。

あえてそれを
問うことも
しない。

ただ、
放っておくが
意識は少しずつ
向け続ける。

実在の私と
実在のその人。

何らかの
コミュニケーションは
とっている
のだろう。

で、
実際に
そのクライアントさんと
現実レベルで
お会いすると、

だいたいは
その瞬間に
わかる。

あぁこの人
だったか、と。

そして
そのクライアントさんと
会話を始めると、
その目的も
わかってくる。

その目的は
様々なものだが、

最も多いケースは
「実は竹内さん、
私、これこれこういうことに
挑戦することに
しました」
と、

現実のレベルで
決意表明を
されるのだ。

そんな感じで
今日も
ある社長さんから、
新商品の開発を
頑張ってみようと
思う、
というお話があった。

決意を
固めるとき、

その人は
独特の
空気感と
エネルギーの流れを
発する。

それが
実在のレベルで
離れていても
伝わってくる。

こうやって
私達人間は、
見えないところで
影響を
与え合っているんだ。

つづく

もっと逞しいはずだ

頭の中が
ギュッと
締め付けられる
ようになる、

ということは、

この人は
きっと
とても窮屈に
自分の思考を
閉じ込めている。

自分という
存在を
小さなもので
あると、

思い込み
ながら。

まるで
大海原のような
大きさの
人なのに。

大きなものを
小さな中に
無理に詰め込む
というのは
本当に
辛いことだ。

でも人は
往々にして
よくやる。

一生
やり続ける
人も多い。

所詮、
どこまでいっても

私達は
子どもでは
ないか。

私達は
未熟では
ないか。

だから、
あるがままで
良いでは
ないか。

そのまま
進めば良い
ではないか。

一本の
線を引き、

ここが
スタートライン
だと、
自分で
決めればいい。

一本の
道を決め、

これが
私の道だと
自分で
決めればいい。

たとえ
間違っていても
多少
痛い目に遭う
だけだろう。

痛い、
というのは
生きている
証だ。

痛い、
と叫びながら、
だんだんと
痛くない進み方を
覚えていく。

ただその際に
自分を
小さく小さく
まとめてしまうと、

余計に
痛くなる。

しかもその
痛みは
徐々に増すもの
なので、
鈍感になって
しまう。

小さく
まとまらず、

堂々と
胸を張り、

私のままで
行く、


決めれば
いい。

そのように
進めば、

案外、人は
逞しいもの
だよ。

つづく

指導、が必要

これまで
何度も書いてきた
通り、

節目

というのは
いくつもある。

しかし、
一つとして
重要でない節目は
ない。

一つ一つの
節目ごとに

完了すべきこと

がある。

一つの仕事に
必ず納期が
あるのと同様、

私達も
人生において
期限を決めており、

それが
節目となって
現れる。

何年何月何日

何時何分まで、


明確に
期限を決めており、

それに
間に合わなければ

節目を
越えられない

ということに
なる。

そうしたら
もう一度、
やり直し。

もちろん
やり直しは
効く。

しかし
人生の時間が
長くなるわけでは
ない。

人生も
限られている。

その中で
できることも
限られる。

一度、
節目を越えられない
と、
やり直しをすることで、

何年も
遠回りをすることに
なる。

場合によっては
何十年、
という
やり直し期間となる、
そのような
節目もある。

この限られた
人生において、
これだけは
何としても
やり遂げたい!
という
強い願いを持っている
人は、
特に今は多い。

そう考えると
やり直しをしている
時間が、
ない。

そのために
心の深奥で
極度に焦ってくる。

焦りながら
もがいている。

私が
サポートしたい人は
そういう人だ。

何としてでも
次々に
節目を越え続けたい!
という人。

そういう人を
サポート・・・、

いや違うな、

「指導」
したい。

もう
今の時代、
サポートでは
追っ付かない。

「指導」が
必要。

「その人の
真本音を主とした
指導」

・・・が。

つづく

ぜひ考えてみて

分ける。

区別する。

・・・ことにより
物事はかなり
明確になる
ことが多い。

行動も
決めやすい。

例えば、

心と魂、

というように
分けて
考えてみる。

心が
元気になるには?

魂が
元気になるには?

・・・ちょっと
答えが違って
くるよね。

魂が
元気になること
やってる?

今、
私達は
自分の魂の力を
日々、
相当に使っている。

基本的に
魂は皆、
エネルギー豊かだが、

しかしそれでも
疲労はする。

魂が望む通りに
生きれば、
エネルギーは
湧き続けるが、

そうでない
場合は、
魂は疲弊する。

特に余分なことを
やったり
しているとね。

今のあなたが
もし
自分の魂を
休めてあげよう、

とか

癒してあげよう、


思うなら、

何をする?

魂をより
元気にしてあげよう、


思うなら、

何をする?

つづく

40年前の風

あの
曲がり角から
誰かが
こちらを
覗き込んでいる。

ハッとして
見ると、
気配は
消えた。

確認して
見たが、
誰もいない。

気のせいか、

思ったのだが、

やはりまた
気配がする。

こういった
場合、

大概その後、
面白い発想が
浮かぶ。

それも
過去に根ざした。

まずは
過去の誰かを
思い出す。

そして
その人に関連した
出来事を
思い出す。

その
ある場面が
グッとリアルに
迫ってきて、

そして
その時の
「風」を
感じる。

きっと
実際のその時にも
その「風」は
吹いていた。

しかし
その時の私には
それを受け取るだけの
感受性が
なかった。

しかし
今、思い出している
この私は
その「風」を
ありありと
感じている。

私が今、
思い出している
その人の
表情と、

その「風」を
一言で
表現すれば、

寂しさ

だ。

孤独
と言っても
いい。

誰もわかって
くれない
という
孤独感。

その人は
環境的には
恵まれた
人だった。

しかし
であるが故に
人生が
決められていた。

僕の人生は
もう
決まってるんだ。
でも
嫌なんだ。

そう
寂しそうに
笑った彼。

中学時代の
友人だ。

あの「風」が
確かに私を
突き動かした。

私が今ここに
いて、
この仕事を
しているのは、

その時の
「風」を
感じたからだ。

あの時私は
自分の
無力を呪った。

とても近しい
友人なのに、
何も
してあげられない。

たった一言の
言葉さえ
かけられなかった。

歯痒さ。

あの時、
無意識に
思っていたのだ。

未来の私なら
今の彼に
とても大切なことを
伝えられるのに、
と。

あの瞬間の
「風」は
私と未来とを
繋ぐものだった。

約40年前の
「風」。

あの過去の
実在の彼が
私に
今、
呼びかけた。

あぁそうか。

私はやっと
今になって、
彼を
「救える」
商品を
創り出せるのだ。

つづく

変わったなぁ

波紋、

広がるなぁ。

多分、

一年前の
10倍以上は。

たった
一年で、

世の中は
変わったなぁ。

実在が
変わった。

実在と
現象の
繋がり方が
変わった。

生きやすい。

行きやすい。

壁は
あるのだが、
相変わらず、

でももう
壁は壁では
なくなった。

そういう意味の
手応えは
ない。

そこに
手応えを求める
進み方も
もうできない。

もっと
別の
手応えを。

遮るものの
ない
この世界で、

新たな
手応えを。

瞬時に
願いが叶う
世界には
程遠い。

でも、

コツコツ
やれば
願いは叶う。

今日、今、
やることを
やろう。

壁は
ない。

つづく

感謝の出会い

あなたとの
出会いは、

なぜ
このタイミング
だったのだろう?

もっとずっと
前であっても

その機会は
無数に
あったのに。

楽しみは
後にとっておく
タイプ?

それとも
準備が
まだ、だったかな?

でもやっぱり

こそが
最高なのかな。

あなたから
受け取った
その
エネルギーの束。

懐かしい
感じがするよ。

きっと
巨大な合図として
ずっと
待っていたんだ。

ここに
いたんだね。

私はね、
ずっと
別の方角だと
思い込んでいた。

逆の方向を
探していたよ。

こんな
身近に
いたんだね。

さて、

ここからだ。

我々は
いつもそうだ。

ここから
なんだ、
本当に大切なのは。

もう、
間違えないで
行こう。

もう、
大丈夫だろう。

お互いに
自信を持って
行こう。

過信には
ならずに。

自信満々の
方が、
むしろ
着実に進めるよ、
我々は。

なぜなら
自由
だから。

自由、でしか
力が発揮
できない
我々だから、さ。

今回は、
あえて
ほんの僅かな
会話に
しておいたよ。

これ以上
一緒にいたら、
喜び過ぎるだろ。

お互いに。

ただ、
今回を境に
私はまた
自分を開放
できそうだよ。

つづく

1〜2分の人

細かい雨の
降る中、

あなたは
いた。

予定よりも
一本早い電車
だったからこそ、

出会えたね。

必死に
生きる人。

負けずに
立ち向かう人。

私達は
特に
会話はしなかった。

それどころか、
時間的には

すれ違った

という
表現がピッタリな
くらいの
わずかな出会い
だった。

それでも
あなたのそばに
少しだけ立ち、

一緒に
過ごした
1〜2分は、

永遠
だったよ。
私には。

あなたは
何も
知らないだろう。

でも確かに
あの時
私達は
お互いを
励まし合ったよ。

おかげで
私は、

私は
何者か?


思い出せたよ。

で、
その直後の
あるクライアントさんの
コーチング。

あなたと
出会わなければ、
きっと
別の展開に
なっていただろう。

ありがとう。

名前も
顔も
知らない人。

必死に
生きる人。

つづく

後ろの私

後ろから
背を押してくる
自分自身。

よろめく。

転ぶ寸前で
踏ん張り、

負けるかよ!

大股に
足を出す。

何とか
バランスを
取るのだが、

次の瞬間、
また
押される。

何度も
転びそうに
なりながらも、

恐らくは
絶妙の強さでの
“押し”
なのだろう、

結局、
気がつくと、
最大スピードで
進んでいた。

今にして
思うのは、

こんなことなら
最初から
後ろの自分を
信じていれば
良かった、

と。

もっと素直に
委ねていれば
良かった、

と。

しかし
信じようが
信じまいが
変わらずに、

後ろの
私は、
私を押す。

そして、
これまでは
ずっと
なかったことだが、

ついに
後ろの私が
私に
笑いかけた。

そして
こう
話しかけた。

もう
要らんだろ、
俺。

おぅ
そうだな。


応える。

やっと
私も
自律、なのか。

つづく

始まりよ

一つの
新たな
“始まり”

今、
この両手に
ある。

それはまだ
形に
なっていないが、

ウニョウニョと
一見すると
気持ち悪いほどの
蠢き方だ。

しかし
間違いなく
生命力がある。

これまで
一度も
手に取ったことの
ない、

この
手応え。

それと
向き合うのは
正直、
畏れを伴う。

が、
それは
確かにここに
あるのだ。

私の
両手に。

放り投げよう
と思えば
いつでも
できる。

しかしやはり
そんな
勿体無いことは
しない。

強き生命力の
“始まり”
よ。

もうすぐ
君の声が
聴こえるだろう。

その呟きを
耳にすれば、
もう
私は
止まらない。

つづく

自覚できたら進め

グラデーション。

白から
黒へ。

黒から
白へ。

光から
闇へ。

闇から
光へ。

それを
歓声を上げながら
眺めている。

たくさんの
人達。

光が良い、
とか
闇がダメ、
とか
そういうことでは
ない。

二つは
セットだ。

そして
二つは
混ざり合い、
曖昧に
溶け合う。

それがまた
人間でも
ある。

だから
その美しさに
歓声を上げる。

光がもし
光のまま
であれば、

それは
光として
認識されもしない。

何もない
ままだ。

闇が光を
存在あるもの
とし、

際立たせる。

逆も然り。

私達が
歓声を上げるのは
その
グラデーション
具合に、だ。

闇と光が
お互いを
際立たせ合う
最高の
瞬間がある。

その
美しさこそ
人の
美しさ。

それが今の
私達
ではないか。

私達は
今、

私達自身の
美しさに
歓声を
上げている。

それを
自覚できる
人は、

進め。

つづく

堕ちたとき

心だけで
なく、
魂までもが
汚染されてしまっている
のに
気づいたんだ。

それまでは
私は
幸せな人生だと
思っていた。

しかし、
ほんの僅かな
兆候のような
気づきを

いったん
得てしまったら、
もう
ダメだった。

これまで
何となく感じながらも
丁寧に丁寧に
その都度、

まるで
名人芸の
ように

蓋をし、
目を逸らし続けて
いた
内面に蓄積され
続けていた
葛藤たち。

憤りたち。

悲しみたち。

それらが
短期間に一気に
噴き出した。

おかしいでは
ないか、
と。

それは
おかしい。

これも
おかしい。

あれも
おかしい。

自分の
周りにある
あらゆるものが
虚像に見えた。

と、同時に
そうなってみると
当たり前のことだが、

自分自身の
人生全体が
虚像に見えた。

で、
堕ちたんだ。

堕ちる
ところまで、ね。

堕ちてみて
わかったことは
これもまた
当たり前の
事実だった。

私には
何もない。

私には
何の志も
ない。

私には
何の力も
ない。

私には
何の魅力も
ない。

自分が今ここで
自分として
いることだけで、

吐き気がする。

反吐が出る。

この心。

この体。

この細胞の
一つ一つが
我慢ならない。

気持ち
悪い。

今すぐにでも
脱ぎ捨てたい。

・・・とね。

死ぬことは
本当に
考えたよ。

でもね、
死んでもこの
苦しみは
微塵も解消されない、
ということも
また
直観していたんだ。

まさに
八方塞がり。

前にも
後ろにも
右にも
左にも
上にも
下にも
どこにも行けない。

で、
すべてを
諦めた。

「すべてを」
という表現が
一番、適切だな。

あれは
一瞬だったけど、
本当に
すべてを
諦めたんだ。

そこからだよ。

私の人生が
始まったのは。

すべてを
失った瞬間が、

すべての
始まりだったんだ。

つづく

真本音で生きる目的

花火の
ように

一瞬、
煌めく。

しかし
次の瞬間には
消えている。

そんな
瞬時の
光。

エネルギー。

そういった
ものが
ある。

一瞬だから
意味がない、
などとは
言うなかれ。

一瞬だから
こそ
そこには
永遠の
美しさがある。

ほんの僅かな
その瞬間を
逃さず、

その瞬間に
こそ、
人生における
決定打を

打ち込む。

自分の
人生の超重要
ポイントと、

花火のような
一瞬の光を、

その
タイミングを

一致させる。

それこそが
真本音で生きる
ということの
目的の
一つだ。

瞬時だが、
永遠の
光を
自らの
人生に!

つづく

場は変わる

この場では
ないな、


わかったら、

することは
二つに一つ。

一つは、
その場を
変えること。

もう一つは、
その場を
離れること。

オススメは
まずは
前者に
挑戦して
もらいたい。

場は
人を変える
よりも
楽に
変わる。

人を変えよう

するのではなく、

場を変えよう
とする。

場は、
変わる。

だから
場を変える
という
選択肢を
増やしてほしい。

場を変える
力を
養ってほしい。

でないと、
人生の選択の
幅が
どんどん
狭まってしまう。

人を
変えるよりも、
場を
変える方が、

100倍は
楽だ。

まずは
その視点から
できることを
見つけてみよう。

つづく

どうしてもダメ

どうしても
入れない
境界線がある。

まるで
厳重な壁が
そこに
あるようだ。

透明の壁が。

そのラインを
踏み越えようと
思うと、

体ごと
激しい抵抗に
遭い、

反対方向に
吹っ飛ばされる。

何度やっても
ダメ。

やる度に
もうこれで
諦めようと
思う。

でも少し
時間が経つと、

どうしても
また
挑戦したくなって
しまうのだ。

最初は、
自分自身の強い
執着かな、

思っていたのだが、

どうも
そうでもない
らしい。

撥ね飛ばされる
度に、
極度の怒りが
込み上げるのだが、

その怒りが
どうやら
真本音の怒り
のようなのだ。

であれば、

永遠に
ダメでも
永遠に
私は
立ち向かう。

こういうのを
みて、

あいつは
アホだ

と言う人は
事実、
多い。

が、
それが
どうした。

私は
誰がどう言おうが、
私自身の
真本音の意志を
大切にする。

笑うが
いいさ。

と、
言いながらも、
私自身が
自分を
笑い飛ばしているよ。

つづく

厳しくあろう

人に
やさしすぎる
というのは
罪だな、

よく思う。

特に
この仕事を
するようになって
痛いほどに。

やさしさが
人を
ダメにする。

その場面は、
厳しさが
人を
ダメにするよりも

圧倒的に
多かった。

しかも、
やさしくする側も
される側も
気づいていない
ケースが多い。

だからこそ
余計に
タチが悪い。

もっと
強く生きねば
ならない、
我々は。

特に
ここからの
時代は。

・・・

自然の
摂理。

それは
厳しいもの
だ。

厳しい世界で
我々は
生きている。

だから
他人を
蹴落としてまでも
強くあらねば、
ということでは
もちろん、ない。

自然の摂理を
これから
我々はますます
強烈に
感じることに
なるだろう。

だからこそ
我々に
必要なのは、
調和だ。

人との
調和。

自然との
調和。

世界との
調和。

調和とは
弱さによっては
生み出されない。

本質的な
強さのみが
真の調和を
生む。

形だけの
やさしさは、
調和を
殺す。

それだけの
マイナスの
効果がある。

真のやさしさは
真の厳しさに
裏打ちされた
もの。

我々は
もっと
自分自身に
対しても

厳しく
あろう。

つづく

何も成していない

聳え立つ
巨大な
未来がある。

垂直に
視界を
塞いでいる。

その
巨大さに
圧倒されながらも、

何とか
負けずに
その垂直の壁に
取りつこう
取りつこう

もがいてきた。

しかし
何をどうやっても
1cmも登れず。

という具合の
これまでの
私の人生
だったように
思うのだ。

そう。

私はまだ
何も
成していない。

たった一つ
でも、

本当に
成し遂げた!


思えることは
一つもないのだ。

この言い方は
大いに
誤解を招きそう
なのだが。

それでも
私の中では
そうなのだ。

この人生で
本当に
成すべきことは
まだ
一つも
成果が上がって
いない。

その準備段階
としての
成果は
あるにせよ。

という
ことだったの
だが、

ここにきて
ようやく、

メリッメリッと
ほんの僅かずつ、

垂直の壁を
登り始めた
ようなのだ。

その実感が
今は
ある。
確かに。

この、
難易度の
最も高い
登り口を
ようやく越える
ことができるか?

珍しくも、
私の
奥の方では、

もう
越えたよ

という
声すら
響いている。

いい気に
なっては
ならないが、

しかし
すでにもう
それが
成されたかの
ような、

それが
当たり前の
真実かの
ような、

そのような
根拠のない
実感。

これを
確信と呼んでも
罪には
ならないだろう。

ようやく
手に入れたよ。

この感覚。

55年以上
待ち続けた
感覚。

つづく

死ぬということ

滝は
上から下に
落ちるものだが、

なんと、

循環
しているのだ。

凄い勢いの
水流が。

その循環の
トンネルに
閉じ込められ、

巻き込まれて
行く。

激しさと
共に
どこか懐かしい
感覚。

ふと、

これが

の感覚なのだな、
と、
思い出す
かのようだった。

この瞬間には
恐らく、
人生のすべてが
ある。

人生の
あらゆる経験
あらゆる道のりの
中で
得られた
あらゆる感覚を

統合、融合
すると、
このような
感覚になるのでは
ないか。

恐ろしいような
懐かしいような。

一方で、

なるほど、
これが
死を怖がる理由か、

妙に腑に落ちる
ところもあるのだ。

激しい
水流の循環の
中の
たったの一滴が、

ふと、
私の目の前に
きた。

それは
私の顔の前で
一瞬だが、

浮かんだ。

それを私は
まるで
静止画のように
見つめていた。

そこに
ある一人の人の
顔が浮かんで
いた。

その人と
一瞬、
見つめ合ったのだが、

次の瞬間、
私は
魂の涙を
流していた。

人生の意味が
瞬時に
理解できた
感覚だった。

なぜ、
この人生
だったのか?

こうやって
死の瞬間に
私達は皆、
真の理解を
得られるのだな。

これが
人間か・・・。

これはやはり
キツいな、
ある意味。

この瞬間は
キツいよ。

怖がる
わけだ。

ごまかしようが
ない。

こんなものと
直面
させられるのか。

これは
キツいよ、
確かに。

皆、
泣くのだろうな。

当たり前だな。

で、
思うのだ。

もう一度、
やり直したい、
と。

幸いなことに
私はまだ
生きている。

やはり
ちゃんと生きようと
改めて
思ったよ。

と同時に、

やっぱ
真本音は
大事だな。

つづく

要らぬ勉強

自分の中心軸の
エネルギーを
モロに
自分自身に
照射する。

耐えられる
ものではない。

それくらいに
中心軸の
パワーは
凄いのだ。

誰もが、ね。

耐えられない
ことが
わかっているから、

中心軸の
開放を

小出しに
するんだ。

誰もが、ね。

真の成長
とは、

中心軸を
素っ裸に
していくことだ。

服を着込んで
いくことでは
ない。

だから、
要らぬ知識は
阻害要因と
なる。

知識は
大事だが、

知識に
自分が
取り込まれては
元も子もない。

必要のない
知識は
もう
忘れてしまえ。

何が必要かは、
中心軸が
教えてくれる。

だから
勉強は
走りながら
するんだよ。

まずは
走ってから。

その合間に
勉強。

素っ裸に
なるための
勉強だ。

それが
生きた勉強
だ。

死んだ勉強は
するな。

本当に
生きながらにして
死んでしまうよ。

中心軸。

誰もが
自分自身の
本当のエネルギーを
知ってほしい。

走れ。

中心軸と
共に。

つづく

最近、考えている

たった一つの
石が、

水底深くに
ゆらゆらと
沈み、

そこに
落ち着き、

徐々に
溶けていく。

溶けるに
従って、

水が
変質を始める。

小さな
石なのだが、

それがすべて
溶ける頃には、

水全体が
根本的に
変質している。

そのような
石。

そのような
意志。

それを、
その人の代わりに

その人に
ポチャンと
投げる。

あくまでも
その石は
その人のもの。

しかし
それがまるで
自分自身の
もののように、

その人に
投げる。

さりげなく、

ポチャン、
と。

他者から
受けた
石なのに、

あぁそれは
結局は
私自身のもの
だったんだ、

ずっと後で
ようやく、

しかし
自然に、

気づく。

気づくことで
今度は
その人が

同じように、

他者に
対して

その人の
石を

まるで自分の
石のように
投げるように
なる。

私はずっと
それを
したかったので、

やり続けて
きた。

私はこれまで
これを
「コーチ」

呼んできたが、

それよりも
これこそが、

「指導」

では
ないか、と

最近、
思うように
なった。

「指導者」

という
キーワード。

最近、私は
これを
ずっと
考え続けている。

つづく