チームパフォーマンスコーチ

“一”という存在について

この世界の
すべてを
ひとまとめに
観察すると、

それは、
シルバーに
輝く
球体のような
感じだ。

あくまで
私の
イメージだけど。

その
シルバーは
それほど
明るくはない。

もっと
明るくなる
はずだが。

それほど
明るくはない
が、
深い。
とてつもなく。

そこには
あらゆるものが

存在が

内包
されている。

それを
外側から
見守る、という
視点が
私にはずっと
ある。

この
10年ほど。

その光の
輝き加減で
世の中全体の
動向が、

ある意味、
手を取るように
わかることも
ある。

しかし、
わかったところで
自分自身が
どうすれば
よいか?

すぐに結びつく
わけではない。

むしろ、
ジレンマばかり
増えることの方が
圧倒的に多い。

全体を
観てしまうことの
恐怖も
もちろんある。
いつも。

しかし、
観ずには
いられない。

たとえ
厳しい現実で
あっても。

・・・・・・

その、
全体のシルバーの
球体を
私は

“一”

と名付けた。

これで
「ひの」
と読む。

“一”と共に
常に私は
「ここにあろう」

してきた。

“一”と共に
目の前の現実に
向かい、

“一”と共に
目の前の人と
向かい合い・・・。

少なくとも
今の私の一つ一つ
の言動によって
“一”が
喜ぶかどうか?
については
本当に慎重に丁寧に
確認しながら
きた。

ある意味、
子育てに似た
精神状況だ。

それは
私にとっては
悦びであり
幸せの象徴的な
感覚だった。

・・・・・・

ここにきて、
“一”の輝きが
急激に増す
ようだ。

まだ、
実際に
増している
わけではない。

が、
その予兆が
ある。

前兆が
ある。

それもかなり
激しく。

そうなると、
現実レベルでも
きっとまた
ここから
急展開だ。

また、
忙しくなるな。

つづく

今回で3000回

不特定多数の
人達に
発信をすると
しても、

それは
目の前の
たった一人に向けて

向き合い
ながら

語りかける
のと
同じことだ。
本質的には。

実在レベル
での
リアリティある
目の前の
その人に
対して。

その人が
本当に深く
響く
一言を。

そんなこと
だけを
大切にずっと
このブログは
書き続けてきた。

いまだに
一回分
書き終われば、

もう
書くことは
何もないな。

言いたいことは
言い尽くしたし。

と、
思うのだが、

しかし
次の日に
なればまた
浮上する
メッセージが
ある。

その
繰り返し。

それで
今回、
3000回を
迎えた。

一度、
確かどこかで
文章は書いたけど
アップするのを
すっかり忘れて
しまった、
という日が
あったような
気もするが、

しかし
3000日、
毎日、欠かさず
続けられた。

もちろん
今後も
続けていくことに
なると思うが、

一旦、一つの
区切りのような
気がしている。

区切りで
思うのは、

ありがとう!

という
気持ち。

いつも
お読みいただいて
本当に
感謝しています。

つづく

ひらめきの深さを測る方法

ちょっとした
ひらめきと、

深い
ひらめきの

区別は
つくかな?

慣れるまでは、
どちらも
ひらめいた瞬間は
区別を
つけづらいだろう。

その瞬間では

あー、
こうすれば
いいんだ!


盛り上がる。

その感覚は
大事にして、

可能であれば、
すぐに
そのひらめきに
即した
行動を起こす
といい。

行動を
起こしている
その瞬間の
自分と、

一つの行動が
終わり、
その振り返りを
した時の
自分の感覚。

そこをこそ
よく
見つめ、
感じるといい。

深いひらめき
であれば、

行動すれば
するほど、

そして、

冷静に
客観的に
振り返れば
振り返るほど、

さらに
内側から
エネルギーが
湧いてくる。

最初は
盛り上がっていた
のに、
時間と共に
行動と共に
疲弊していく感覚が
あれば、

残念ながら
最初のひらめきが
浅かった
ということだ。

深いひらめき
というのは、
自らの真本音と
繋がる
突破口であり、

架け橋の
ようなもの。

架け橋は
行動と共に
さらに
安定したものと
なり、

さらなる
次のひらめきを
引き起こす。

ということ
なので、
いずれにしても
まず大切なのは、

ひらめいたら
行動に移してみる

という
姿勢だ。

ひらめきを
ひらめきの
まま
留めておくのは

実に
もったいない。

つづく

本当に迷ったとき

中心軸の
ような、
柱の
ような。

その存在は
光り輝いて
いるのだが、

長さが
足りない。

本来の
中心軸なら
天と繋がるくらい
上に伸びるもの
だが、

そいつは
私の身長も
ない。

だがこの
輝きようは
どうだ。

これまで
見たことのない
明るさと
強さだ。

類まれな
中心軸・柱だと
わかる。

が、
まだ
長さが足りない
のだ。

・・・・・・

これが
この世界の
限界か?
それとも
私自身の
限界か?


問う前に
一つ明確に
せねばいけない
ことがある。

私自身が
この軸・柱と
共に生きると、
決めるか
どうか?

まだこの
中途半端な
状態のうちに
決めねばならない
ようだ。

これはちょっと
しんどい。

だが、
時間がないから
こその措置
だともわかる。

どうしよう?

迷う。

・・・・・・

こいつが本当に
上に伸びたら
凄いのだろう
と思う。

が、
伸びるかどうか?

未知数なのだ。

そこに
確信はなく、

そうなると
もう、

信じるか?
信じないか?

ということに
なる。

信じるとは
意志である。

私自身が
その意志を
持てるかどうか、
だ。

・・・・・・

こういう時、
私はよく
空を見上げる。

広い空と
一つになる
感覚を得るまで。

よくそうやって
自分を
一度、
無にしてきた。

まっさらな状態
にまでして、
その上で、

私は何者か?

を問う。

問うて、
その時の最大の
答えを見つけ、

その状態で、
今、自分に
存在する問いと

真正面から
向き合う。

そして
最初の直観に
従う。

あとでどれだけ
後悔しても、
その時の答えは
変えない。

そのように
やってきた。

今回も
そうしよう。

というか、
もう
答えはよく
わかっているような
気がしてきたよ。

つづく

目立たぬように

過去の全てが
私に
語りかける
こと。

正直、
あまりに辛い
ことは
たくさんあった。

もう二度と
戻りたくない
過去も
たくさん。

きっと
記憶から除外した
ものも
数えきれない
だろう。

しかし、
そういったものも
全て含めた
過去全体から

背後から

私に
語りかけて
くる。

「もう、
小さく
進まなくて
いいよ」

・・・と。

そう。

目立たぬよう
目立たぬよう

やってきた。

そう
自覚していた
わけでは
なかったが。

でももう、
いいかな。

そーっと
進むのは
やめようかな。

つづく

10倍はひらめくことができる

本当は私達は
今の10倍以上は
ひらめく
ことができる。

直観力は
今の10倍以上には
高めることが
できる。

単なる思いつき
レベルの「直感」
ではなく、

物事の本質を
掴みきった
「直観」。

それらは、
「世界」から
与えられる。

自分の真の
想いと
世界とが
繋がった瞬間に
それらは
発現する。

で、
実際に
次々に発現され
続けている。

イメージで
言えば、

「世界」から
ひらめきの光
のようなものが、
まるで
光線のように
照射される。

が、
その照射から
私達は
自らの位置を
ずらしてしまうのだ。

だから、
せっかく照射された
光線があっても、

誰もそれを
受け取れない。

そういった
ものが、
10分の9以上
あるわけだ。

もっとみんなが
きちんと
ひらめくことが
できれば、

今の社会課題の
多くは
解決に向かう
だろう。

要は、
私達自身の
問題なんだ。

だから、

ひらめくべき
瞬間に
必然的に
そこに存在する
ひらめきを
しっかりと
受け取る。

これができる
人達を
私は増やしたい。

もちろん
私自身も
そんな自分に
なれるように
精進し続ける。

真本音で生きる
というのは、
そのための
最も基本な
姿勢だ。

つづく

目に見えないものを大切にするには

私達には、

目に見えない
ものを
大切にしよう

という気質が
もともと
備わっており、

近年は特に
その傾向が
高まっている。

それ自体は
良いことだと
思う。

が、
であれば
あるほど、

目の前の
ことを
より
大切にしよう。

目に映る
今ここの
現実を。

・・・・・・

今、ここに
ある
「もの」。

一つ一つの
「もの」

まずは大切に
しよう。

「もの」を
雑に扱う人は
多い。

しかしそれは
「現実」を
雑に扱うこと。

つまりは
「人生」を
雑に扱うことと
イコールだ。

大袈裟な、

思われるかも
しれないが、

まったくもって
大袈裟ではない。

・・・・・・

「もの」を
大切にできると、
「人」も
大切にできる
ようになる。

もちろん
これまでも
大切にしてきた
かもしれないが、

「もの」を
より丁寧に
扱うようになると、
「人」とも
これまで以上に
丁寧に向き合える
ようになる。

ちょっとした
気遣い、気配りが
できるように
なってくる。

案外、
それだけのことで
人間関係は
変わる。

ほんの些細な
一言が
関係に深く
影響する。

今ここに
きちんと心を
込めて
丁寧に向かう
ことは、

それこそ
が、

目に見えない
もの達に
深い影響を
及ぼすんだ。

・・・・・・

SNSもAIも、
私は
丁寧に扱えば
大きな力になる

思っているが、

SNSもAIも
雑に扱っている
人が多い。

雑さの拡大は
雑な世の中
雑な人生に
直結する。

「雑さ」
の影響が
一昔前よりも
圧倒的に
高まっているのが
今の時代だ。

目に見えない
ものを
大切にしたいので
あれば、

まずは自分の
日常生活に
おける
「雑さ」を
取り除くこと。

一つ一つ
丁寧に
生きることだ。

つづく

もうすぐ会えそうだ

私は、
一人じゃない。


本当の意味で
実感
できたのは、

「実在」を
認識できるように
なってからだ。

そして、
それまでの
私は
ずっと
孤独だったのだ、

ようやく
気づけた。

孤独から
逃げるために
どれだけ
私は
エネルギーと
時間を
使い続けてきたか?

その事実に
愕然となった
ものだ。

人生の
時間の使い方
が、
私本来のもの
とは
違い過ぎる。

それを
受け入れることで
初めて、
私は私の人生を
生き始めることが
できた。

・・・・・・

実在の私。
現象の私。

実在のあなた。
現象のあなた。

誰にも
「実在」は
ある。

実在と現象

一致すれば
するほど、

その人は
本質的な元気と
幸せを
常に
感じ取りながら
生きることが
できる。

その
一致度合いを
真本音度合い
とも
呼んでいる。

実在の
自分自身と
出会うことは、

私には
衝撃であった
と同時に、

私はこれまで
何をずっと
遊んでいたんだ、

これまでの人生への
後悔と
対峙することでも
あった。

今からでも
遅くはない。

と、
決意も新たに
一日を始めた
ところから、

人生は
変わり始めた。

実在の私が
最初に
教えてくれた
ことは、

私が私自身と
交わしていた
「約束」
だ。

それは
この人生の
目的であり、

いつまでに
何を
実現させるか?
という
人生の計画
でもあった。

それを
知った時、
私は
あまりの時間の
なさに

焦り、
追い詰め
られた。

最初はまるで
ブラック企業の
ノルマのように
感じられたが、

そのノルマに
真正面から
向き合った
その瞬間から、

私は
言いようのない
幸せ感を
覚えるように
なった。

そしてそれは
「私には
仲間がいる」
「私には
ファミリーがいる」
という
今から考えれば
当たり前の感覚を
私に
もたらしてくれた。

現象の仲間、
現象のファミリー
だけではない。

実在の仲間、
実在のファミリー
が、
いる。

実在ファミリーを
感じ、
彼らと共に
動き始めた。

すると、

そのうちの
何割かと、
この現象の世界
でも
出会った。

出会えば、
すぐに
わかった。

あぁこの人は
実在ファミリーの
誰々さんだ、
と。

ようやく
ここでも
出会えたな、
と。

ただ、
その人本人は
出会った瞬間では
まだ
実在と現象が
分離している。

だから私は
その人を
サポートし、
分離を
一致へと
紡いだ。

で、
この世界でも
仲間と
なった。

今の仲間達は
大体
こんな感じで
仲間となった。

正確に言えば、
私にとっては
ファミリーだ。

で、
なぜこれを
ここで書いているか
と言えば、

ここから
一気に
その「出会い」が
増えそうだからだ。

実在レベルで
ずっと一緒に
歩んできた人との

この現象の世界
での
出会い。

もうすぐ
あなたと
会えそうだ。

つづく

空虚からの脱出

その人の
中にある
「空虚」が

ダイレクトに
こちらに
移り、

ダイレクトに
それらを
感じながら
一体化する、

ということは
日常茶飯事だ。

もともと
昔は
私自身の中に
超巨大な
「空虚」が
あったので、

「空虚」
そのものには
慣れている。

というよりも、
「空虚=私」
というくらいに
それは
私と同一のもの
だった。
自己イメージ
では。

しかし
そうでは
ないんだな、
という事実を
受け入れられた
その瞬間から、

人生が
変わり始めた。

空虚を
埋めるための
行動。

もしくは、

所詮自分は空虚だと
諦めてしまった
上での、
悪い意味での
達観した行動。

そういった
行動が
引き起こす
空虚な現実。

空虚と空虚の
循環。

そのループ
としての
人生から、

スッと

脱け出せた。

それはまさしく
「脱出」
という言葉が
ふさわしい。

脱出できた
私は
ようやく、
自分の本当の
道を

本当に望む
道を

歩き出すことが
できた。

その道を
私は

「恩恵」の道


呼んでいる。

空虚では
ない道は、
たくさんの
恩恵に
巡り合う。

だが、
自分自身が
空虚と共に
あれば、

その恩恵を
受け取れない
のだ。
せっかく
目の前にそれが
きたとしても。

空虚から
脱出できて
初めて
私達人間は
恩恵の道に
入れる。

恩恵を
素直に受け取れる
人は、
恩恵を
人々に、
現実に、
世界に
対して
与え続けることが
できる。

そしてそれが
また
恩恵として
返ってくる。

恩恵の
循環。

その中を
歩み続けるのが
恩恵の道だ。

空虚の道
から
恩恵の道
へ。

その
きっかけとなる
のが、

ほんの
一時的にでも
「空虚」から
出ること。

そのため、
目の前の
クライアントさん
から私は

そのクライアント
さんの中にある
「空虚」を

いったん
すべて受け取る
のだ。

ただし、
それはきっかけ
でしかない。

いったん
空虚から出た
その人が、
恩恵の道に
入れるかどうか?

その人自身の
意志による。

もちろん
そこはサポート
させていただくが、

その人が
生き方を
変えようとしない
限り、
その人はまた
再び
自ら「空虚」を
生み出し始める。

最大のサポート
はするが、
最後はその人自身
が決めること。

私は
祈るしかない。

空虚の道
から
恩恵の道
へ。

すべての人が
そうなってほしい、
というのが
私の願いだ。

つづく

この時代(世界)の掟

後ろ髪を
引かれるものは
たくさん
あるだろう。

その一つ一つ

大切なことかも
しれないが、

一つ一つに
構いすぎて
いると、

肝心なタイミングで
行動を
起こせなくなる。

今は、

進むことが
第一優先だ。

進まねば、
先はない。

そう、

先は
なくなるのだ。

・・・・・・

安定を求める
気持ちも
大事だ。
人として。

だが、

未知の領域に
今の私達は
いる。

未知の領域
においての
安定など

あるはずが
ない。

これまでと
同質の安定を
望んでも、
それはさすがに
無理だ。

ここでは、
進むことでしか
安定は
得られない。

もうその
世界に
私達はいる。

そこはしっかり
はっきり
自覚しよう。

・・・・・・

もう
もとの世界には
戻れない。

もとの時代には
戻れない。

戻っても
破滅が待っている
だけだ。

進むしか
ない時代。

それが
我々の本能でも
あるが、

そういう世界を
我々は
創ってしまったんだ。

・・・・・・

未知の領域の
方が、

実は、
本質的な未来は
観やすい。

未知の領域
だから、
あまりに
わからないこと
だらけだから、
未来は
描けない。

・・・では
ないのだ。

むしろ
実在の自分が
望む未来は

ここでこそ
実現しやすい。

堂々と
自分の意志
として、
未来を描こう。

・・・・・・

ここでの
旅は
始まったばかりだ。

指針は
世界からは
与えられない。

自分で決める
しか
ないんだ。

つづく

本当の向き合い方

人と人が
向き合う場面
というのは、

私は毎日の
ように
拝見しているが、

何度見ても
何度見ても
すがすがしい。

ところが、

向き合って
いるようで
実は
全然そうではない
という
向き合いもどき
というのがある。

残念ながら、
ほとんどの
人間関係が
そうだ。

だから
向き合い方の基本
を私はいつも
お伝えする。

向き合う、
とは
意識を

完全に

相手に向ける
ということだ。

自分の心に
意識の焦点を
当てるのでは
なく。

相手だけを
見つめる。

すると逆に、
自分が
本当に伝えたいこと、
本当に 
この場で
この人と共に
語り合いたいこと
などが
自然に浮上する。

その浮上した
ものに
素直になって
その場を
楽しむ。

意識はずっと
相手に
向けながら。

・・・これは
口頭で説明すると
とても難しそうな
印象となる。

が、
意識して
やってみると
案外、簡単だ。

慣れれば
いつでもどこでも
できるように
なる。

なぜなら、
これこそが
我々人間の
「自然体」だからだ。

チームコーチング
の場では、
私は必ず
そういったことを
お伝えし、
実践していただく。

すると
5分、10分くらいで
皆さん、
できるようになる。

で、
すがすがしい
風が吹くんだ。

その風が
吹けば、
もう
始められる。

つづく

充電スポットの創り方

人が集まれば、
その瞬間から、

場と人との
干渉が始まる。

干渉、
と言っても
悪い意味ばかり
ではない。

波長と波長

重なり合うことで、

時には
お互いを
強め合い、

時には
お互いを
弱め合う。

場にも
真本音度合い
とか、
次元がある。

もちろん、
人にも。

場と人の
それぞれの
真本音度合いや
次元が

影響を
及ぼし合う。

・・・・・・

真本音度合い
の高い人が、

ある一つの場を
いつも
利用していたら、

その場の
真本音度合いは
高まり始める。

そしてその
高まった場に
別の人が
来れば、

場から影響を
受けながら、
その人の
真本音度合いも
高まり始める。

組織で
言えば、

真本音度合いの
高い人達を
「要」として集め、

いつも同じ
会議室で
語り合いを
続ける。

すると、
その会議室の
真本音度合いは
高まり、

今度は
その会議室を
使うことで
他の人の
真本音度合いも
高まり始める。

・・・という感じだ。

私はいつも
これを
活用している。

組織とは、
人だけでなく、

人と場の
コラボだ。

そういった
意味で、

最初から
真本音度合いや
次元の高い
場所に
オフィスを構える
のも
お奨めだ。

自分が
住むところも
そう。

人と場の
コラボ。
その視点を
大切にすると
いい。

・・・・・・

私は以前から、
街のあちこちに
自分の
充電スポットを
創り出している。

もともと
ある程度、
真本音度合いの
高い場を
見つけ、

できるだけ
そこに
行くようにするのだ。

何度も通えば、
私の真本音度合いが
場に影響を
与え、
お互いに共鳴や
共振を始める。

すると
どんどん
居心地の良い
場になる。

特に
お奨めのカフェ
などを
その状態にしておけば、

そのカフェでの
仕事が
とても捗る。

自分自身の
真本音度合いが
高まれば、
そういった活用法も
あるんだよ。

つづく

思った通りでいい

芽が
育つ育つ。

必要な
全ての体験を
吸収しながら。

最初は
インプット
ばかりだが、

そのうちに
溢れるような
アウトプット

くるだろう。

本当に
面白いのは
そこからだ。

思った通りに
行動すれば、
いい。

やってみて
検証して、
やってみて
検証する。

決して
現実に対して
目を瞑らず、

もし上手く
行かなくなったら、
さらに
思う通りに
やることだ。

真本音度合い
が、
まだまだ
高くない人と、

真本音度合い
が、
ある一定以上の
水準を
超えた人とでは、

育成の仕方

ある意味、
真逆になって
くる。

真本音度合い
が高まれば、

極端に
言えば、

能力が
全く伴って
いなくても、

思いきって
思い通りに
やってしまえば
いい。

乱暴だが、
一つの経験から
得られることは
とても多く、

能力は
最短で
ついてくるから。

ゴツゴツ
ぶつかっても、

真本音で
進んでいれば、

その
ぶつかり方

最善となる。

失敗も、
最高の失敗

なるんだ。

自信は
持たなくても
いいから、

思った通り
やってごらんよ。

つづく

ここは全身全霊だ

エネルギーが
一点に
収斂していく
感覚がある
場合は、

今の自分は
そこにのみ
全集中すべきだ、

という
合図だ。

他の一切を
やめること。

思い切って
手放すか、
後回しに
するか。

いずれに
しても
中途半端は
いけない。

99.9%も
中途半端だ。

100%そこに
全集中。

それ以外は
ダメ。

この
メリハリこそ
道を開く
唯一の
進み方。

全身全霊、
全生命力、

いや、
全“命”
を、

そこに注げ。

つづく

星の願いを知るには

自分が
彼方にある
見えない何かと
繋がった感覚が
ある。

時々、
そういうことが
ある。

その、彼方に
意識を向け、
集中していると、

何か、
星のような
ものが
観える。

まだ、
生まれたばかり
の星?

まだ
暗い星?

光を
欲している?

星は何かを
願っている
ようだ。
自分が
光り輝くために。

何だろう?

必死に
受け取ろうと
する。

一つ
閃いたことが
ある。

私一人では
答えが出ない、
ということ。

あぁそうか、
あの人と
あの人と
あの人に
話をしてみよう。

我々でないと
決して
話せない会話を
してみよう。

きっと、
その中で
星のことが
わかる。

星の願い

わかるだろう。

つづく

こんな自浄作用はある?

寒い。

極寒だ。

このままでは
凍えてしまう。

体を
摩擦する。

何の効果も
ない。

ただ
呆然と
するしかない。

・・・・・・

熱い。

暑いでは
なく、
熱い。

体の中を
熱湯が
駆け巡っている
ような。

汗が
吹き出す。

どれだけ
水を飲んでも
無駄だ。

体全体が
発火
している。

・・・・・・

極寒と
発火と。

それが
交互に
繰り返し繰り返し
くる。

実は、
体の自浄作用
だ。

エネルギーを
大量に
使えば、
体は発火する。

しかし
ある境界を
超えてしまうと、

冷却が
始まる。

それが
極寒の寒さと
なる。

その時出せる
自分の
限界を超えて、

パワーを
かけなければ
ならないことが
ある。

私の場合は
かなり
頻繁に。

ここ
12年くらいは
ずっと。

だからもう
慣れたといえば
慣れてしまったが、

私の血を
継いだのか、

私の
長男と次男
にも
同じ症状が出る
ことがある。

ある時突然
発熱し、
39度以上の熱が
出たと思ったら、

すぐに
治ってしまったり。

病気と
自浄作用の
区別をつけるのは
結構難しく、

自浄作用の
場合は、
病院に連れて
行けば、

特に何も
問題ありません、

となる。

原因不明
だと。

実在の作用を
もろに受ける
その体質は、
私の子ども達にも
引き継がれた。

可愛そうだが
宿命かとも
思う。

だから
ちゃんと自己を
コントロールして
生きていけるよう、

特に長男には
毎日
コーチングするように
なった。

でも
この自浄作用。

案外、
私だけの特質では
ない気もする。

皆さんは
どうだろう?

何でもかんでも
病気だと
思いすぎて
いないかい?

つづく

攻撃性を高めよう

ここからの
日々で
とても大事なのは

攻撃性

だ。

攻撃性
と言ってももちろん
人を傷つける
わけではない。

待っていても
進まない、
のだ。

表面的な
現実レベルでの
不安定さが
ある一線を
越えてしまった
ようだ。

だから
多くの人達が
潜在意識レベル
でも
ウロウロオロオロ
し出している。
これまで
以上に。

ある程度
真本音度合いの
高い人でさえ、
挑戦的な一歩を
踏み出せずに
いる。

だから、
攻撃する。

つまりは
刺激を入れる。
動き出す
ための。

そして
引っ張る。
場合によっては
引き摺り出す。

さらに
分け入る。
突入して
掻き回す。

そういった
ことが
必要だ。

これらを
真本音で行なう
ことのできる人こそ、
これからの時代で
求められる人。

私自身も
そうあろうと
思い、
特にこの数ヶ月は
やってきた。

以前は、

時が来るまで
待つ

ことを主と
していたが、
今はそれでは
通用しない。

だから
ある意味、
面倒くさい。

が、
やらねば。

皆さんも
そうではないか。

攻撃性
高めよう。

攻撃せねば
物事は
動かない。

つづく

これをやり続けるだけなんだ

トゲっぽい
自分が
出ることがある。

最近は
随分減った
ようだが。

これを
出すと、

生半可な
人達は
私を避けるように
なる。

そりゃ
そうだろうな。

やっぱ
怖いのだと
思う。

私ももし
生半可な
生き方をしていたら、

私と向き合うのを
すごく恐れると
思う。
しかも
トゲっぽいと
あれば尚更。

・・・・・・

難しいことは
一つも
言っていないの
だけどね。

ただ単に、
自分の真本音を
いつも大事に
生きようね、
と。

それしか
言っていない。

でも人間、
それがなかなか
難しかったり
する。

目の前の
現実と、
自分の
真本音、
その折り合いを
どうつけるか?

・・・とね。

でも、
その発想そのもの
が、本当は
間違っている。

そんなことでは
ないんだ、
実際は。

どのような現実が
目の前に
来ても、
自分の真本音を
意識して
向かっていく。

たった
それだけの
ことなんだ。

・・・・・・

言葉で
説明するのは
簡単だけど、

いざやろう

したら
難しいようだ。

というか、
私も昔はここが
難しかったのは
確かだ。

でもとにかく、
それをしよう!

思い続ける
こと。

丁寧に丁寧に
一つずつ。

一つずつ
真本音で決め、
一つずつ
真本音で動く。

できても
できなくても
とにかく
それを
やり続けよう!
と 
する。

それだけだ。

これを
続ければ、
ある時に
フッと

あぁそういう
ことか!


わかる瞬間が
くる。

本当は、
この状態まできた
人をこそ、
私は
サポートしたい。

だって、
コーチングって
そこから
なんだよ。
本当の
スタートは。

つづく

まとまらない人達を

でっかい
花が
咲きそうだな。

この人は。

どれくらいの
大きさ
だろう?

測り知れないな。

楽しみだ。

・・・・・・

人によって
どんな花が
咲くか?

当然違ってくるが、

しかし
根っこの部分に
共通項は
多い。

最近、
最も多いのは、

「まとまらない
人達を
まとめたい!」

という傾向の
願いだ。

通常であれば
チームに
なるはずのない
人達。

そういった
人達を
一つのチームとして
機能させたい、

そして
そんな人達でしか
成せないことを
成し遂げて
みたい、

・・・という
願い。

具体的に
何を成したいか?
よりも、
とにかくそのような
チームを
創り出す。

それを
人生の大事な
目標の一つと
している人。

そういった傾向
の人は、
お会いすると
その瞬間に、

あぁこの人は
そうだな、


わかったりする。

独特の空気を
まとっているからだ。

その独特さを
言葉で表現するのは
とても
難しい。

が、
あえて表現
すれば
こうなるかな。

『捨て身』。

捨て身の
空気が
その人から
漂ってくる。

そうなると
私はもう、
その人をサポート
したくてしょうがなく
なる。

この人は
いったい、
どんなチームを
創るのか?

楽しみで
しょうがない。

時代が
変わり、

チームの姿も
変わっていく。

これまでに
ない
新たなチーム創り。

今の世の中は
それを
望んでいるのでは
ないかな。

つづく

マルチユニバース?

宇宙という
のは、
たくさんある。

マルチユニバース
という
らしいが、

今の子ども達の
ヒーローもの
の番組では、

もうそれは
当たり前の前提と
なっている。

荒唐無稽では
ない。

実在を
感じ取れば
感じ取るほどに、
私も
そう実感している。

・・・・・・

だからこそ、
私は
「今ここ」の
この世界を
大切にしたい。

「今ここ」にしか
ない現実を

本当に
大切にしたい。

マルチユニバース
だろうが
何だろうが、

どれだけ
宇宙が
たくさんあろうが、

「今ここ」

今ここにしか
ない。

そこに
誠心誠意生きる
ことが、

あらゆる宇宙の
自分を
実在レベルで
大切にすることに
直結する。

そう。

世界も宇宙も
無限に広く、
その中の「今ここ」
など
些細なもの。

・・・なんて
捉えては
ならない。

逆だ。

「今ここ」は
果てしない全てと
直結している。

それを
わかる者だけが
全ての調和を
生み出せる。

・・・・・・

今の
私のこの決断は、

あらゆる宇宙の
私に
届いたな、


実感することが
最近はとても
多い。

真本音度が
高まる
ということは
そういうことでも
あるんだ。

つづく

ちゃんと私は壊れた

外側から
弾けるような
刺激が
たくさんくるのだが、

それでは
私は
動かない。

ただ、
一つ一つの
刺激は、
とても大事だ。

全ての刺激を
あるがままに
受け取る。

それらは
だんだんと
激しくなり、

痛いくらいに
なり、

そして最後は
耐えられなく
なる。

が、
それでも私は
動かない。

ただ必死に
それらを
受け止める。

すると、

ある限界点を
超えた瞬間に、

その刺激に
よって
換気された

内側からの
刺激


始まる。

内側からの
刺激は
激しいなんて
ものじゃない。

身体の内部で
花火が
弾け飛ぶような
もの。

私は
あっという間に
内側から
破壊される。

完全に。

人間は、
外からの刺激には
強いが、
内側からは
とてつもなく
弱い。

私はそれを
よく
知っている。
なぜなら、
そういった経験が
これまでも
あったから。

ここを
中途半端に
誤魔化しながら
進めば、
結局は自分自身が
後々に困る。

だから、
内側からの
刺激は
モロに受ける。

そして
自分を
完全に
壊すのだ。

・・・・・・

今は
その状態。

壊れた
このあとの
ことは
わからない。

きっと
何かは
始まるのだろう。

わからない。

わからない
ままでいい。

ちゃんと
私は
壊れたから。

つづく

超加速の安定

混沌と
中心核は
セットだ。

混沌を
経ずして
真の中心核は
生まれない。

そして、

真の中心核が
生まれれば、

真の混沌


生まれる。

真の混沌
とは、
進化を
超加速させる
ためのもの。

これからの
時代に
必須のものだ。

・・・・・・

真の中心核を
確立しながら、

マイペースで
進むので
あれば、

基本、
混沌は
起こらない。

が、
今はその
マイペースを
嫌がる人が
急増している。

もちろん
マイペースでは
「間に合わない」
からだ。

「間に合わない」
から
「超加速する」

決めた人を

そういった
人のみを

今の私は
サポートさせて
いただいている。

・・・・・・

超加速する
人達は、

それを始めた
当初、

自分の
あまりの
安定度に
かなり戸惑う
人が多い。

自分の
安定度を
受け止めきれずに、
安定
しているのに、
不安定に
なろうとする。

ここで
不安定になるのが
自分である
という思い込みと
共に。

そこを、

いやいやいや、
あなた
全然、安定
してるでしょ。

・・・と、
フィードバックする
という場面が
どれだけ
多いことか。

超加速の
方向に
進もうとする
覚悟。

それは
これまでとは
全く次元の異なる
自分自身を

自分の内側から
掘り起こすことに
なるんだよ。

つづく

実在度を高めよう

私の住む
マンションの
部屋からは、

花火が
見える。

夏の
花火のある
日は、
家族でそれを
眺める。

少し距離は
遠いが、
その美しさは
しっかり
伝わる。

美しいものは
美しさを
楽しむだけで
なく、

誰と一緒に
観るか?


とても大事だ。

美しいものを
一緒に見たい
人が、
人生で
どれだけいるか?

これが
人生の豊かさの
基本だと
私は思う。

そう思うと、
私は本当に
恵まれている。

家族もそうだが、
すべての
クライアントさん。

企業さんも
含め、

私の関わる
すべての人達と
私は、
一緒に
美しいものを
みたいな、

思えるのだ。

こんな
幸せなことが
あろうか。

いつから
こうなれた
のだろう?


振り返ると、
やはり
私自身の
真本音度が
高まってから。

そして、
特に
実在がわかる
ようになってから、
だろう。

そういった
意味で、

真本音度
だけでなく
実在を感じ
把握する能力は
とても大切だな、
と 
改めて思う。

ということで、
実在を把握し
自覚する感性を
高めるための
サポートを
ここのところずっと
させていただいて
いる。

それを
講座化、セミナー化
しようとも
している。

実際にその試みも
既に
始めている。

真本音度
という尺度に
プラス、

最近では
「実在度」
という尺度も
用いるように
なった。

実在度が
高まるという
ことは、

未来を
吸引する力が
高まる

ということ。

つまり、
自分が本当に
想う未来は
どんなものか?を
自己認識し、
かつ
それを実際に
この現実世界で
形にしていく力。

一人でも
多くの人達が
この力を高める
ことだ。
それが世の中全体の
次元を高めることに
直結する。

そのための
後押しを
私は
これまで以上に
強く
していきたいと
思っている。

つづく

できないと決めつけるな

魚は海を
泳ぐものだが、

時々、
空を飛ぶような
変態がいる。

自分が
魚であることは
よく
自覚している。

だから
自分が空を
飛ぶのは
おかしいことだと
よく
わかっている。

わかっては
いるが、
飛ばずには
いられない。

だから、
飛ぶ。

もちろん、
飛べない。

飛べるような
体のつくりを
していないから。

翼も
ないしね。

しかし、
ジャンプくらいは
できたりする。

で、
何度も
ジャンプする。

何度も
何度も。

そのうちに
ジャンプがとても
大きくなってくる。

しかも
美しくなって
くる。

鳥にも
表現できない、
その変態魚でしか
成し得ない
ジャンプを
実現するようになる。

そうなった
時に初めて、

その変態魚も
自覚する。

あぁなるほど、
私は
このジャンプを
実現したかった
のだ、と。

これこそ
唯一無二、
私の
在り方なのだ、
と。

私は魚だから
飛べない。
という決めつけ
があれば、
そもそも
このジャンプは
実現できなかった。

鳥を目指した
からこそ。

そう。

だから、
荒唐無稽でも
いい。

自分の中から
自然に
湧き上がってくる
想いや願いが
あれば、

それに
真剣に
向かうといい。

どう転ぶか
わからんよ。

特に
これからの
時代では。

つづく

沸騰する問い

沸点を
迎えたように、

激しく、

問いが
浮上する。

・・・

ここから
何を
オープンに
すべきか?

・・・

その答えと
徹底的に
向き合い続ける
べきだ。

今は。

その上で、

・・・

その先の
彼方に、
どんな未来が
観える?

・・・

私達は
これまで以上に、
もっと
未来を
見つめなければ
ならない。

つづく

雨に向かえるか

雨が
降っている。
かなり
激しく。

痛い
くらいだ。

雨に
打たれながら
思うことは、

まぁ予定通り
だな、
と。

・・・・・・

一度、
洗い流さねば
ならない。
すべてを。

晴れた日
ばかりが続けば、
様々なものが
埃にまみれる。
いつの
間にか。

少しずつ
いろんなことが
くすんでいく。

最初の
鮮明さを
忘れていく。

だから、

時にはしっかり
洗い流さねば
ならない。

激しく。

徹底的に。

・・・・・・

一人の
人生も

組織も
同じことだ。

雨が降る
時は、
雨を
拒んでは
ならない。

どうせ
降るながら
土砂降りに
なるように。

中途半端な
小雨程度では
洗い流せる
ものも
洗い流せない。

雨の意味が
ない。

雨を怖がり、
雨を避け続ける
人や
経営者は
多い。

実際、
そういう進み方
もある。

しかしそれは
小手先だ。

場合によっては
小賢しい
だけだ。

そうではない
人を、
経営者を、

私はサポート
すると
決めている。

共に、
雨に
向かっていく
人を。

つづく

自分を断ち切る

光の刀

ようなもの。

それが
たくさん。

ブンブン
振り回されて
いる。

振り回す
人はいない。

刀がそれ自体で
ブンブン
振り回されている。

危ない。

必死に
避ける。

しかし
光の刀の数は
みるみる増え、

ついには
逃れられなく
なった。

前後左右、
上下からも
斜めからも、

刀は
襲いかかる。

八方から
めった斬りに
されそうだ。

思わず
目を瞑り、
うずくまる。

・・・・・・

気がつけば、
平原に
いた。

青空と
秋の爽やかな
風。

私は
うずくまった
格好のまま
だった。

何事か?

立ち上がる。

その瞬間、
また
光の刀たちが
襲いかかって
きた。

そして
今度はもう
逃れられなかった。

・・・・・・

次に
気がついた時、

私は
光の刀たちの
根源にあたる
ものの
中にいた。

それを
自覚した時、

あぁなるほど

思った。

さっき
切られた私は、
私であって
私ではない。

正確に言えば、
私の
一部だ。

浅い反応本音
の一つ。

心の表面の
泡のような
もの。

私はそれを
自分の全てである

勘違いし、

その、泡として
生きていた。

光の刀は、
そういった泡を
断ち切るもの。

断ち切る
ことで、
もともとの私の
場所へ、
戻れるんだ。

そう。
もちろん、

光の刀を
生み出していた
のは、
私自身。

本来の
私自身だ。

・・・・・・

自分を
壊さねばならない
時がある。

しかしそれは、
泡の自分
だからだ。

泡に
こだわっている
場合ではない。

泡は
断ち切れ。

その
勇気を持とう。

つづく

小さな志でも

小さな光たち
が集まり、

大きな光を
醸成する。

それが
いつしか
中心核に育つ。

中心核は
さらに
光たちを集め、

徐々に
「世界」が
形創られていく。

始めの
小さな光たち、
一つ一つの
志。

それらは
本当に小さな
ものかも
しれないが、

しかし
ほとんどの
場合、

本質的に
「世界」を動かす
のは、
そのような
小さな光たち
だ。

私達は
自分自身という
存在の小ささを
よく
知っている。

自分一人で
できることなど
どれほどの
ものか?

という疑念と
自信のなさは
常にある。

しかし、
そういうことでは
ないのだ。

大切なのは、
規模は
小さくとも、

その志の
純粋さと
深さだ。

・・・・・・

しかも
自分の中の
小さな志は、

それ自体が
育っていく。

もちろん
育てるのは
自分自身。

小さくとも
その志に
根ざした行動を

今ここで
とり続けること。

想いと行動

繋がりこそ、

光を育てる
最大の力と
なる。

だから、

やる前から
諦めるのは
よそう。

予測し過ぎる
のも
よそう。

やってみなければ
わからないでは
ないか。

つづく

人生のゴールだと思っていたのに

問い、が
私の上空を
いくつも
クルクルと
舞っている。

そのうちの
3つが、
私の目の前に
降りてきた。

1問目
「やはり、
やめるべきことは
何か?」

2問目
「これから、
どちらの方向を
向くか?」

なるほど、
私はどうやら
軌道修正を
しようとしている
のだな。

3問目が
来た。

「本当の未来は
どこにある?」

この3問目を
受けた瞬間、

これまで
私の前、彼方の
方に観えていた
人生のゴールが、

霞となって
消えた。

呆然と
していると、

そこから
わずかに右の
方へ
ズレた、
さらにその先に、

これまでよりも
もっと
明確なゴールが
観えた。

あぁ、あれか。

あれだったか、
本当は。

まぁ、
こんなものか。

私達は
自分が進むに
つれて、
自らのゴールを
変化させていく。

いや、
変化では
ないな。

もともと
それは
そこにあったんだ。

そこに
最短で近づく
ために、

その途上としての
ゴールを
設定していたに
過ぎないのだろう。

どうやら
私が思っていた
以上に、
私が人生で
やらねばならない
ことは
多いらしい。

これまでも
時間がない!

焦っていたが、

これはもう、
これまでの
比ではない。

それでも
私はもちろん
やっていくので
あるが、

私も
人間だ。

少しばかり
このまま
呆然とさせて
おいてくれ。

つづく

これが人間の想いだ

また
ここにも
中心核が
できた。

一つ。

きっと
この一つが
周りに
波及し、

「世界」を
創り出して
いくのだろう。

ここでは
どのような
「世界」が
展開して
行くのだろうか。

・・・・・・

人の想い
というのは
永遠だ。

もちろん
刹那的な
ものも
無数にあるが。

でも、
基本は
永遠の想い
なのだ。

私達は
それをもっと
自覚した方が
良いと思う。

・・・・・・

あの時の
あの人の
たった一つの
想いが、

あの場に
そのまま
残って、

多くの時間
を経て、

ここでまた
開花した。

それが
中心核
として

波及し始め、
波及し続け、
「世界」を
形成する。

あの本人
には
思いもよらぬ
ことだろう。

だが、

これが
人間だ。

人間の
想いだ。

つづく