チームパフォーマンスコーチ

言葉の楔(くさび)

楔を
打ち込む。

簡単には
揺るがない
楔を。

最初はそれは
ただのトゲ
にしか
過ぎないかも
しれない。

が、
時間が経つに
つれて、
徐々に
効いてくる。

そして
ある時に、
打ち込まれた
その場所から

すべてが

崩壊を
始める。

根本的
破壊だ。

・・・・・・

言葉の楔。

私はそれを
よく用いるし、

私の
クライアントさんにも
そのやり方を
伝授させていただく
ことも
増えた。

根本的破壊
なので、
怖いかもしれないが、

これが今、
本当に必要な
人が
増えている。

根本的破壊を
しなければ、
本来の自分が
出てこないのだ、
一生。

楔となる
言葉とは、

ほとんどの
場合、

たったの
一言。

その一言が
時間をかけて
ゆっくりじっくりと
その人の
心に亀裂を
広げ、深める。

そして
その人の
心は
根本から
崩れるのだが、

もちろん
それは
本当の根本では
ない。

本当の根本は
さらにその
奥にある。

・・・・・・

言葉
というものを
侮ってはいけない。

言葉は
人を
破壊する。

悪い意味で
言葉によって
破壊し合っている
社会に
なってしまった。

体を傷つける
暴力も
いやなものだが、

心を傷つける
言葉の暴力は
より深刻だ。

しかしその
破壊力を
良い方向に
活かすことは
できる。

良い破壊
のために。

・・・・・・

破壊をせねば
先には
進めない。

それだけ
余分なものが
増え過ぎてしまった
今の社会だ。

内面的にも
外面的にも。

破壊せずに
進めるなら
それに越した
ことはない。

が、
それは無理だ。
今となっては。

だから私は
破壊をする。

壊すべきを
根本から
壊す。

現状維持でも
すべては
壊れていく。

であれば、
より良い破壊を
したいものだ。

つづく

ようやく出会えた

気持ちを
そっちに全部
持ってかれた。

目が離せない
とは
このことか。

一挙手一投足

輝いている。

2段階くらい
一気に
脱皮したの
だろうか。

そうとでも
考えないと、

その人の
変貌ぶりを
説明できない。

・・・・・・

私は特に
何もしていない、

その人
には。

きっと
自力で
突破したの
だろう。

並大抵では
ない
大きな壁を。

本人に
どれだけ
自覚が
あるのか?

わからないが
とにかく
輝いている。

・・・・・・

人間の凄み
とは、

このように
どこまで行っても
予測不可能な
成長を
遂げるところだ。

その度に
思うのだ。

手に負えない
と。

人間は
手に負えない。

・・・・・・

大きな波と
うねりが

向こうから
襲いかかって
くる。

普通であれば
それには
呑み込まれる
しかない。

が、
毅然と
立つ。

揺るがずに
その波と
対峙する。

一瞬後、
波は
幻となって
消えた。

・・・・・・

人のパワーは
間違いなく
現実を
変える。

圧倒的存在感の
ある現象も

幻に
してしまう。

どう動くか、
どう振る舞うか、
よりも

どう在るか

によって
それは
成される。

何者として
ここに
在るか?

だ。

・・・・・・

その人は
きっと

それほどの
自覚は
ないままに、

自分は本来、
何者として
ここに在るか?


会得した
のだろう。

もはや
昨日、

・・・いや
さっきまでとは
別人だ。

・・・いや、
私はようやく
その人と
今、

出会えた
のだ。

つづく

人生の目的・約束について

心、
というのは
物質だろうか?

物質では
ない。

つまり、
3次元の存在
ではない。

もっと高い
次元の
存在だ。

もっと高い
次元の存在が、
体という
3次元の存在
の中に
閉じ込められて
いる。

閉じ込められて
いる、
という表現は
いかにも
被害者的だが、

自ら
選んでここに
いるとはいえ、

この3次元から
逃げられない
ように、
あえて
閉じ込められた
状態に
自らしている、
というのが
正確か。

いずれに
せよ、

自らの意志で
ここにいる、
としても

いざ、ここに
来れば、
誰もが
逃げたくなる。

そのくらい
ここは
辛い場所だ。

自分、と
自分以外、

完全に
分離している。

だから
基本、

自分は
孤独だ。

分離という
基本の上で
全てと
関わっていくしか
ない。

という
非常に辛い
世界。

それが
ここ
3次元世界。

そこから
逃げられない
ように、

私達は
あえて
3次元ではない
存在である
自分の心を

体の中に
閉じ込めて
いる。

・・・・・・

それだけ
辛い目に
遭ってでも

私達には
やりたいことが
ある。

願いが
ある。

それを
私達の多くは
忘れてしまって
いるが、

それを
思い出す
という行為
そのものに
価値があるの
だから、

この
忘れるという
ことも
もともとは
私達自身の
意志だ。

・・・・・・

真本音、
とは
もともとの自分
自身であり、

もともとの
自分の願いを
よくわかっている
存在だ。

でも
多くの場合、
私達は自分自身の
真本音が
よくわからない。

それももちろん
意味のある
ことだが、

しかし
その
わからなさ度合いが
私達の予想を
遥かに超えて、
大きくなり過ぎた。

私達が
私達の願い、

言い換えれば
自分自身との

約束

を、
思い出すには、

通常では
ない
やり方で
思い出す、という
行為を
加速させねば
ならない。

ということに
私が気づいたのが
15年前。

いや、
何となく
気づき始めたのは
23年前だ。

だから
私のサポート
とは、

自分の
真本音の願い
イコール、
自分自身との
当初の約束

思い出すための
もの。

そして
それらを
思い出せば、

誰もが
人生の意味を
自然に
知ることになる。

最初は
明確に全てを
知れるわけでは
ないが、

あぁこの方向に
人生を
進めれば、
私は私の人生の
意味を知れるし、
私は私との約束を
果たせるな、

という
実感は得られる
ようになる。

そして
その実感に
素直に進めば、

その人の
あらゆる日常が
調和する。

つまりは
人生が
調和を始める。

分離した
私達の各々が
その道に
進み始めれば、

一人一人は
進化し、
進化と進化の
シナジーが
起こり、

それが
世の中全体の
進化へと
繋がっていく。

それをまず
私は
企業という
一つの「世界」の
中で
実現するサポートを
し続けてきた。

今は
資本主義の時代
なので、
企業という存在が
進化を始めれば、

世の中の進化に
直結するだろう
ということで。

私は職人気質
なので、
ずっと一人で
粛々と
それをやってきたが、

ここ数年で
若い人達の
仲間も増えてきた。

私はあと
21年、
現役を続ける予定
だが、

目標としては
あと10年で、
私がいなくても
回っていく状態に
したい。

私は
私との約束を
果たせるか?

何とか
この3次元の
体がもつうちに、

この体と
共に

最期まで
すべきことを
やりきりたい。

つづく

はかりしれない人

まるで
偉大な芸術家が
描いた
抽象画のようだ。

何が描いて
あるのか
わからないのだが、

何かがグッと
伝わってくる。

メッセージの
ようなもの。

様々な色が
うねりながら

混じり合い
ながらも

それぞれの
個性を
醸し出し続ける。

バラバラの
ような
一体のような。

ただ、
時間と共に
全体の
エネルギーは

凄い勢いで
高まりつつ
ある。

これはきっと
中心にあるものが
凄いのだろう。

中心に
何がある?

その前に、

中心は
どこだ?

私は
目を凝らす。

一見すると
どう見ても
中心じゃないだろう、
という場所、

そう、
端っこの際に

その中心は
あった。

こんな端に
中心があるとは、

何という
アンバランス

のような
絶妙の
バランスか。

なるほど
これは
大物だ。

変態的
であり、
無限の
器の大きさを
感じる。

どのような現実
を前にしても

どんな歪さにも
対応できてしまう、
その
大きさ。

雄大、
というよりも、

壮大、
か。

気がつけば
私は
その様々な
色彩たちに
取り込まれて
しまった。

呑まれる。

だが、
気持ちがいい。

なるほど、
これが
A社長の
本質か。

つづく

それは順流か逆流か

順流に
乗れば、

そんなに
楽なことは
ない。

しかし
この世は
そうも行かず、

わかっていても
逆流に
向かわねば
ならないことも
ある。

実は
その方が
ワクワクすることも
あるのだが、

しかしその
ワクワクは
ほとんどの場合、
自己満足だ。

特にここからの
私達が
本当にすべきは、

順流を
必死に
探すこと、
だ。

諦めずに。

徹底的に。

そこにこそ
時間と労力を
かけるべきだ。

逆流で
遊んでいる
時間は
もはや、ない。

・・・・・・

ところが
流れには、

表面的な
流れと

奥の流れ


2種類がある。

その区別を
つけることも
ここからは
大切だ。

表面は
逆流に見えても、

奥が
順流である
可能性は
高い。

流れは、
底辺から順に
変化していく。

表面に
現れるのは
最後だ。

だから
表面よりも
奥を観よ。

奥を観る
ために
表面を
つぶさに観よ。

・・・・・・

奥の順流に
乗れば、

表面の逆流は
まるで
嘘のように
私達を
避けていく。

逆流なのに
何の抵抗も
感じないのだ。

なるほど
これが
幻影か、

これこそが
現象か、


そこで実感
できるだろう。

・・・・・・

流れそのものは
とても大きく
なっている。

どこも
かしこも。

順流だろうと
逆流だろうと、
一度流れに
乗ってしまえば、

ぐんぐん
進む。

そういう意味で
リスクは
大きい。

が、それを
リスクと感じず、

面白さ、と
感じられれば
上等だ。

私達は
今こそ
流れを掴もう。

流れに
乗ろう。

そのためにも
順流を
必死に探せ。

つづく

わからないわからない

何のために
進んでいるのか?


問うても、
なかなかしっくりくる
答えが見つからない。

そういう人は
多いのでは?

答えは
無理に
見つけては
いけない、
絶対に。

何もわからない。

しっくりこない。

納得できない。

という
各々感じている
気持ち悪さ、
こそを
そのまま維持する
こと。

それが
最も大切なこと。

ここは我慢して
気持ち悪さ

共に生きよう。

気持ち悪さを
打ち消さず、
常に

できれば
24時間ずっと

一緒にいよう。

ここを丁寧に
続ければ、

ある瞬間に
ふと

答えが
わかったかの
ような
感覚が
降ってくる。

降ってくるが、
それは
一瞬だ。

場合によっては、
一瞬、
何かが観えた
ような気がする
かもしれない。

実際、
それは
観えているんだ
けどね。

だけど
一瞬後は
すぐにもとに
戻ってしまう。

また
気持ち悪さが
くる。

結局何も
わからない、

わかった
つもりだったけど、
何も
変わらない、

・・・と。

それで
いい。

それが
いい。

その連続で
行こう。

それこそ
最短の道。

人生が
「間に合う」
ための
唯一の
やり方。

つづく

なぜ現実が開かれるか

いろんなものが
入り組んで
一つの現実が
創り上げられて
いる。

もっと
単純明快なら
楽なんだけどね。

入り組んだものを
無視して
物事を進めようと
すると、

さらに
面倒なことに
なりかねない。

だから
入り組んだものを
しっかり
観察しながら、

一つ一つを
丁寧に
区別しながら

物事を
進めるのだが、

もう到底、
そんなことを
している時間がない、

というケースも
ある。

実は私の
仕事では
そういったサポート
ばかり。

いちいち
考えている
時間すらない
ことも多い。

じゃあ
どうするか?

自分に
委ねるしか
ない。

実在の
自分に。

・・・・・・

現象に
対して、

現象レベルの
対応を
していると、

時間が
無限に必要に
なってくる。

混乱の
収拾はある程度
ついても、

実は何も
物事が進展して
いなかった、
ということは
ざらにある。

どうせ、
入り組んでいる
ならば、

いっそのこと

すべてを
一つに
してやれ。

・・・乱暴に
表現すれば
そういうことだ。

すべてが
一つ。

それが
実在だ。

そこに
戻る。
もともとは
一つだった
のだから。

一つ

分離して、

その上で
入り組む。

分離した
まま
一つになろうとし、
しかし
一つになれていない、
のが
入り組んでいる
状態だ。

であれば、
一つに
戻してしまう。

すると、

今は、

本当は、

何のみが
必要で、

何が
不必要か?


一瞬で
わかる。

で、
必要なもの
のみに
焦点を当て、

そこに
アプローチ
する。

廃棄された
ものを
全て溶かして
一つにした
上で、
全く新しい形に
創り変える。

そんなような
感じ。

で、
どうせ創り変える
なら、
本当に必要な
形にする。

そんな感じ。

上手い言葉で
表現は
しきれないが、

あえて
言えば
そんな感じ。

それが
私がいつも
させていただいている
サポートだ。

現象を
現象のまま
取り扱わない。

現象を
まずは実在に
戻した上で、
新たな現象として
生み出す。

これを
「異化」

言うらしい。

私は常に
「異化」
のための
サポートを
しているんだな。

つづく

調和をもたらすもの

人には
誰もに
リミッターが
あり、

自分で決めた
リミッターの
範囲内で
皆、それぞれ
頑張っている。

そして
ある一定以上の
満足が
訪れたら、

もういいか!

ということで、
自らその
リミッターを
外す。

リミッターが
外れることで
その人は
ものの見方の
広さと深さが
一気に変わる。

新たな自分
として
生まれ変わった
かのように。

そしてその
自分として
生き続け、

成長を
続け、

ある一定以上の
満足が
訪れたら、

またさらに
次のリミッターを
外す。

このようにして
人生において
いくつもいくつも
リミッターを
外しながら
生きていく。

が、

残念ながら
全人生で
リミッターを
一度も外さない
という
人がいる。

実は、
結構多い。

リミッターの
枠内で
成長をするが、
決して
リミッターは
外さない。

私が
「進化」と呼ぶ
成長とは
まさに
リミッターを外す
ということなのだが、

ということは
つまり
リミッターを
外さない人は

一生を経ても
全く進化していない

ということに
なる。

それはそれで
一つの生き方
ではあるのだが、

しかし明確に
言えるのは、

進化のない
生き方は
面白くない

ということ
だ。

逆に言えば、
進化を経験
することで
初めて、

人にはこんな
幸せがあるのか!

ということを
経験できる。

一度、経験
した人は
その生き方を
続ける。

つまり、
リミッターを
外す、という人生を
続ける。

一つの
リミッターを
外してから、
すぐにまた
次のリミッターを
外す、
というように、

外す頻度と
スピードを
圧倒的に高める
人もいる。

実は私は
そういう人を
こそ
サポートすると
決めてずっと
やっている。

そういう人が
増えるといいな、

願っている。

なぜなら
そういう人は
周りにとても
良い影響を与える
から。

自分だけで
なく
周りの進化も
促すから。

進化スピードが
速くなれば
なるほど、

調和は
増す。

世の中に
調和をもたらすのは
進化スピード
だ。

リミッターを
次々に外す人が
増えれば
増えるほど、

世の中は
調和する。

世の中に
調和をもたらす
進化スピードの
速い人達。

彼らを私は
「要」(かなめ)

呼んでいる。

社会の要を
増やすのが、
私の
仕事だ。

つづく

知らない自分がいたら

これまで
見たことのない
自分

出会ったら、

とりあえずは
それを
全て
受け入れよう。

それをまた
吐き捨てるか
どうかは、
あとで決めれば
いい。

まずは
新たな自分を
そのまま受け入れ、

融合しよう。

融合したら、
あとは何も
意識しなくて
いい。

自分は勝手に
動いてくれる。

空を飛びたい
という
願いはあるかな?

残念ながら
すぐには
無理だ。

でも願いは
ずっと
抱き続けよう。

願いを抱くから
こそ、
今ここで
現実的な一歩を
出せる。

しかもその一歩は
自分の知らない
一歩だ。

自分の知らない
タイミングで
自分の知らない
一歩を
踏み出してみよう。

今こそ。

つづく

私、であったもの

この大地には
何がいるのか
わからない。

豊穣な土。

生命力の
ある草原。

成長力漲る
樹々たち。

そこには
目には見えない
無限とも言える
存在が
きっと

溢れ出ん
ばかりに。

そして彼らは
今、
私に意識を
向けている。

あれは
何者なのか?
と。

私は
包み隠さず
自分を
晒す。

煮るなり
焼くなり
好きにしたら
いい。

ただ私は
あなたたちに
この身を
預けるだけさ。

・・・・・・

自分を守る
という意識は
きっと
とうに消えている
のだろう。

いつの間にか
そういう意味では
楽になった
もんだ。

とはいえ
もちろん
恐怖は出る。

それで
いい。

人間
らしい。

・・・・・・

後ろから
足音が
近づく。

敵か
味方か?

そんなことは
もう
どうでもいい。

どちらでも
いいんだ。

そういう
単純なことにも
いつの間にか
気づいていたよ。

・・・・・・

前からも
後ろからも

私に
覆い被さってくる
ものはある。

数知れず。

ある一定の
量は良いが、
それ以上は
ダメ、
というように

本能的に
調整することも
今はもう
なくなったよ。

・・・・・・

遥か彼方まで
延々と続く
大地。

このどこかに
私は眠る

ここでずっと
眠ってきた。

そろそろ
目覚めの
時だ。

それが
目覚めるため
には、

これまで
私である、と
思ってきた
あらゆるものを

手放さなければ
ならない。

私は
私のままで
良いのだが、

別に
私、でなくても
良い。

と、
そんな自分
として。

そう。

私は
誰でも
いいのだ。

私は
どこにでも
いるし、

どこにも
いない。

つづく

自分を信じよ

進む者が
馬鹿を見る
時代は、

それでも
まだ
続いているんだ。

今はまだ
移行期だ。

しばらく
まだ
移行期だ。

移行期こそ
最も
不安定だ。

足を
踏ん張ろうにも

地面そのものが
入れ替わり
つつあるので、

拠り所が
ない。

頼れるのは
自分
だけだ。

だから
今こそ
自分を信じる
ことだ。

ここまでの
道は
この時の
ためにある。

地面が
なくても
進める自分に
なる道だった。

こうして
ここに
辿り着いた
自分を

まずは
褒め、
そして
信じよう。

調和とは、

不調和を
恐れない
ことだ。

進化とは、

滅亡を
恐れない
ことだ。

自信は
必要ない。
むしろ
要らない。

それよりも、

自分を
信じること。

信じるとは
意志である。

意志とは
自分の中心
からしか
発しない。

中心以外が
出発点の
それは
全てまがいもの。

中心からの
意志に
素直に。

そう、

これまで
やってきた
通りに。

つづく

本領発揮宣言

もうあらゆる
答えは
なくなった
のらしい。

たくさんの
道が
あったが、

それぞれの
可能性は
潰えた。

そうなることは
最初から
わかっていた
わけだが、

そうならない
ように
努力も
してきた。

が、
やはり
宿命には
勝てないか?

たった
一つでも

もう一つ


あれば
精神的には
とてつもなく
楽だろう。

が、
それは
やっぱり
許されない
ようだ。

だからこそ
私達は
ここにいる
のだから。

答えは
たった一つ。

それ以外は
ない。

無限とも言える
選択肢の
中で

そのたった
一つを

常に
選び続けなければ
ならない。

以前はそれを
特異点

言ったが、

今はもう
それしか答えが
ないのだから、

特異点も
へったくれも
ない。

たった一つを
間違えずに。

一歩
間違えれば
それで終わる。

私達にしか
できない
ことだ。

ここから
本領発揮だ。

つづく

あなたは進んでいる

まるで
逆流を遡って
いるようで、

実は
それこそが
順流だったり
する。

表面的混乱

惑うことなかれ。

あなたは
ちゃんと
進んでいる。

・・・・・・

前に光が
あると、

その光が
強ければ強いほど
逆光となり、

眩しくなり
目を開けられ
なくなる。

すると
自分がちゃんと
進んでいるか
どうか、
わからなくなる。

自分を
見失ったような
気にもなる。

でも、
それだけの
逆光であるという
ことこそ証だ。

あなたは
ちゃんと
進んでいる。

・・・・・・

自信のなさ、
不安、

確信のなさ。

そういった
ものに
呑まれる。

呑まれても
それらを
否定せず、

存分に
呑まれる。

不安定を
不安定と
そのまま
感じる。

であれば
大丈夫。

あなたは
ちゃんと
進んでいる。

・・・・・・

どの方向に
進んでも
妨害に遭う。

すぐに
進めなく
なる。

その悲しみ

打ちひしがれるし、

焦りも
する。

このまま
自分は
何も成せない
のではないか?

という
疑念が常に
自分の中心を
占める。

それに
蓋をせず
感じ続けている
ならば、
大丈夫。

あなたは
ちゃんと
進んでいる。

・・・・・・

八方塞がり
なら、
しっかりと

八方塞がり
になる。

どこにも
行けない
絶望と
一つになる。
委ねる。
預ける。
任せる。

大丈夫。

そこから
しか
出口には
辿り着けないんだ。

ちゃんと
進んできたから
今のあなたは
そこにいる。

つづく

ここでまた大事な問い

ここで
大事な問いを
また一つ。

・・・

山あり
谷あり。

これから
大きな
谷に降りる。

それは
怖いことでは
ない。

むしろ
大きなジャンプの
ための
準備だ。

さぁ、
今日から
3日かけて

あなたが
自分を
整えるために

すべきことは
何だろう?

・・・

3日間
かけて。

毎日
同じことを
しても良いし、

一日ずつ
別々のことを
しても
いい。

大事なのは
自分自身が

整うことだ。

つづく

不一致に迷う

遠くに
確かに
観えるゴール。

今は、
一点の
光として。

きっと
日々、
あそこには
近づいて
いるのだろう。

しかし今は
その実感は
ない。

ただ、
道は明確に
観える。

一直線だ。

私は
曲がることなく
そこを
進んでいる。

道の
ど真ん中を。

その
安心感が
あるからこそ、

今日も
こうして
平穏で
いられる。

きっと
多くの人は
こういった
確信を
知らずに生きて
いるのだろう。

以前の私が
そうであった
ように。

でも
人であれば
誰でも
この確信を
得ることは
できる。

年齢に
関係なく。

皆が皆、
そうなると
いいな、と
思う。

そのための
サポートが
私の今日も
やることだ。

・・・・・・

人は
迷う。

迷うのが
人だ。

私も
迷う。

迷うのが
私だ。

しかし
それだけ
迷っても、

あの
ゴールは
常に観える。

道も
観える。

それなのに
迷う。

それは、

常にこうして
観えている
実在の道
とは
一致しない
現象が
目の前に起こる
からだ。

この
不一致さ。

これが
今の
世の中だ。

世の中の
不健康さ
だ。

だから
現象を
実在に
一致させる。

そのために
どうするか?

そこを
いつも
迷う。

でも結局は
皆、
無意識に
これをやっている
わけだ。

人は
迷う。

だから
人がいる。

つづく

久々の容量オーバー

業の深い
人なんだな。

積み重なった
苦しみを

自覚せずに、
しかし
ここでは
笑っている。

明るさの
奥に
微かに漂う
暗さ。

もちろん
そういった
ものは
誰もが
持っている。

ただ、
この人の
場合、

もう少し
自覚した方が
いいだろう。

じゃないと
きっと
もうすぐ
身体を壊して
しまう。

今日、私は
調子が悪い。

連日の
ハードさが
祟り、
本領の恐らく
100分の1か
もしくは
200分の1しか
容量がない。

しかし
このタイミングで
お会いするのも
必然であり
ご縁なのだろう。

今できる
最大で
この人と
向かい合おう。

・・・・・・

当初の私の
予測を
遥かに超えて、

私は
あっという間に
容量オーバーと
なった。

そうすると
私自身が
この心と体を
維持することが
困難になる。

やばいところ
だった。

その人との
面談が終わる
頃には、
もう
記憶が
飛んでいた。

どこをどう
歩いてきたのか、

どうやって
新幹線まで
たどり着いた
のか。

あまりよく
覚えていない。

気がつけば
もう
東京に
帰っていた。

その人から
受けたものは
まだ
私の中に
大量に残って
おり、

引き裂かれ
そうな
苦しみに
悶えつつ、

何とか
自宅まで
たどり着いた。

昔はよく
このような状態に
なった。

最近は
私の容量も
大きくなったので
なかなかこうは
ならなかったのだが。

また今日も
命のやり取りを
した。

ギリギリ
だった。

・・・・・・

朝までに
何とか
自分を立て直し、

今日もこれから
人と会う。

なぜ
こんなことを
毎日
続けるのか?

答えは
わかっている。

私には
明確な
答えがあるのだ。

つづく

開いていくだろ

難しいことは
必要ない。

ただ、

進むか
進まないか

それだけだ。

進む人は
開かれ、

進まない人は
閉じていく。

ただ
それだけの
こと。

ずっと
進み続けて
きた人達は、

今、

開かれる
感覚が
凄いだろう。

愚直に
続けてきた
誠実さが、

どんどん
閉ざされたものを
ほぐしている。

そして
ようやく
突破口のような
ものが
わかり、

なんだ、
そこが出口
だったか!

わかり、

そっちに
向かえば、

これまでずっと
迷い続けてきた
ものの
答え達が、

スーッと
わかって
しまう。

と同時に
体も心も
ほぐれていく。

なんだ、
こっちに私は
最初から
進みたかったんだな、

これまでの
人生の
合点がいく。

これまでの
誠実さの
賜物だ。

安易に
自分の利益
のみに
偏ることなく
やってきた

あなたの
誠実さの
賜物だ。

きっと
これまでに
ない
感覚。

道が
開いていく
とは
こういうことだ。

つづく

分解されて生まれたもの

あらゆる
ものが

分解されて
いく。

大きな
岩が、

砂の粒子に
砕かれる
ように。

もともと
一つだった
ものが。

分解された
もの達は

もう決して
一つに戻ろう
とはしない。

それどころか
お互いが
歪み合い、

傷つけ合い、

その恨みを
増幅し合って
いる。

側から
見ていれば
それは
実に愚か
だろう。

だがそれは
側から
見ているから
そうわかるだけで
あって、

渦中に入れば
それどころでは
ない。

分解分離された
この自分。

これこそが
「自分」であり、
他は
「他者」だ。

自分と
他者。

その確執
の中で
私達は
生きている。

・・・・・・

人は
わかり合えない
のか?

難しいねぇ、
実に。

わかり合えて
いる
つもりに
なっているケースは
いくつもあるが。

わかり合っている
つもりに
なっていた者達が

実は
わかり合えて
いなかったと
わかることで、

分離感と
憎しみは
さらに大きく
なる。

そうそう簡単に
わかり合える
ことはないのだ。

・・・・・・

だからこそ
私達は
愛を
醸し出す。

愛とは
一つに戻ろうと
する、
私達の本能的な
エネルギーだ。

根源的
エネルギー。

もともと一つ
だった
私達から
それを消し去る
ことはできない。

愛という
エネルギーに
素直に
動くかどうか。

素直に動ける
人は
内側から
エネルギーが
湧き続ける。

そうでない
人は
枯渇する。

いや、
エネルギーそのもの
がなくなることは
ないが、
エネルギーに
蓋をして
封じ込めてしまうのだ。

愛は
どこにある?

愛は
ここにある。

自分自身の
中に。

その中心に。

分解された
からこそ
生まれた
エネルギー。

私達人間の
宿命の
エネルギーだ。

つづく

うまく歩けない

歩き
づらい。

勢いよく
行こうとすれば、
前のめりに
なり、

ゆっくり
進もうとすれば、
沼のような
地面に
足を取られる。

ちょうど
バランスの良い
スピードを
出そうと思っても、

一向に
わからない。

そもそも
バランスをとろう
などと
言っているが故に
バランスが崩れている
気もする。

歩き
づらい。

実に
歩きづらい
世の中だ。

・・・・・・

いまだに
よちよち歩きを
しているようだ。

安定し、
確信を持って、
ガッシリじっくり
行きたいのだが。

ひょっとすると
何かが
根本的に
間違っているのでは
ないか?

・・・・・・

私だけでなく、
周りの誰もが
苦労している。

思ったように
スタスタと
歩けないのだ。

転んでそのまま
動けなくなっている
人もいる。

発狂しそうな
人もいる。

もう、ここに
いるのは
嫌だ!

もう
生きるのは
嫌だ!

・・・・・・

導いてくれる
存在は
ないものだろうか?

ない。

自分以外の
誰かに
導いてもらっても、

それは本来の
自分の歩みでは
ない。

こんな世界、
歩きたくは
ないが、

でも、
もうここにいる
のだ、
私達は。

ここにいる
という事実は
変わらない。
だから、
歩くしかない。

ズブズブに
なりながらも。

・・・・・・

ちょっと
喝を入れる。

ここにきたのは
私の意志だ。

なら、
進むしかなかろう。

こんなはずじゃ
なかった、
とは
言うな。

その瞬間に
自分のチャンネルが
変わってしまう。

意地でも
前進する。

意地でも
楽しむ。

本当は
「意地」で行なうこと
ことではないが、

でも今は
「意地で進む」こと自体も
楽しんでしまえ、とも
思っている。

つづく

どうせ影響し合うなら

もうすぐ
あの人が
来る。

この
直前の緊張感が
たまらない。

こういうのを
味わうために
私はこの仕事を
しているのか?

思うくらい。

全細胞が
悦んでいる。

これから
始まる
時間を。

・・・・・・

終わった後の
余韻。

これも
至福の一つ。

面談における
あの一言、

この一言、

それが
お互いの心や
魂に
スーッと
染み渡っていく
あの感触。

それを
丁寧に振り返り、

もちろん
もっとこうすべき
だったかな?
というのもあるが、

それも含めて
振り返り、
終わった後も
味わい尽くす。

こういった
ことを
仕事として
毎日させていただける
のは
なんと幸せか。

・・・・・・

人と人は
向き合えば
向き合うほど、

その繋がりは
深まって
いく。

心の繋がり
から
魂の繋がり
へ。

そしてその
深まりは
無限だ。

わかり合える
かどうか?
という
次元ではなく。

もうすでに
常に私の中には
あの人が
いて、

きっと
あの人の中にも
私がいて、

区別ができなく
なっているの
だろう。

こうやって
一人で
生きているのだが、

間違いなく
あの人と
一緒に生きている。
いつ何時も。

そして
その状態から
浮上する発想は、

もはや
私の範疇は
とうに超えている。

人と人は
影響し合う
もの。

影響し合わずに
生きることは
むしろ
不可能だ。

であれば
どうせなら
徹底的に
深く
影響し合いたい
ものだ。

仕事を通じて
それができている
というのは、
やはり幸せだ。

つづく

わかり合えるだろうか

何かを必死に
伝えようと
しているんだな。

口はパクパク
動くのだが、

声が
出ない。

言葉に
できないのだな。

本当は
言葉を超えて
もっと
繋がり合えれば
楽なのにね。

でも
ここじゃそれは
できないんだよ。

そして逆に
こうも思うんだ。

中途半端な
表現なら
むしろ
言葉にする必要は
ないのでは、と。

中途半端な
やりとりをする
くらいなら、

無言で
向かい合っていた
方がいい。

そこには
言葉がないので
顕在的な
やりとりはできない
が、

もっと奥の
方で、
伝わるものは
あるんだ。

本当に
伝わっているか
どうかの
確証は
得られないけど、

それでも
繋がっている
感覚は
わかるだろ?

それだけで
良い時も
あるんだ。

・・・・・・

私達はもっと
言葉を
大切にしよう。

雑に言葉を
投げるのでは
なく、

本当に
伝えたいことを
シンプルに
形にすると、
どんな言葉に
なるだろうか?

これを
丁寧にしっかり
考えよう。

ここが普段から
きちんと
できていれば、

逆に、
言葉の限界が
わかるように
なる。

言葉の使い方

無限に
深堀りできる。

が、同時に
言葉の限界を
感じたら、

その時は
言葉には
執着せず、

ただ
感じ合う

ことに
集中しよう。

人はもっと
わかり合える
はず。

つづく

傷ついてもなお

傷つけられて
ボロボロに
なっている人が
いる。

今、
目の前に。

手の施しよう
がない。

何もできずに
私はただ
茫然と
見つめる。

見守る。

祈る。

これしか
できない。

・・・・・・

自力で
立ち上がろうと
言うのか。

どうみても
無理だと
思う。

でもその人は、
ヨロヨロの
足で、

自分の体重を
踏ん張り
支えようとする。

無理だよ。

どう見ても。

・・・・・・

人には
耐えられることと
耐えられないこと
がある。

皆、
一人で何とか
しようと
思い過ぎだ。

自力で進もうと
し過ぎた。

自律した人
とは、

どこまでを
自力でやり、

どこから
人に任せるか?


明確に判断、
実行できる人だ。

依存になっては
ならないが、

私達は
助け合いながら
生きる存在だ。

・・・・・・

とはいえ、
自力で立とう
としている人の

手を取る
ことは
私にはできない。

見守ること
しか。

助けたい
助けたい
助けたい、


私の心は
叫んでいるが、

体は
動かない。

・・・・・・

無理だと
思っていた
その人は、

なんと
自力で
立ち上がった。

シンプルな
驚きが
私を満たす。

私は
「人」というものを
みくびっていたのか?

人の可能性を
軽んじて
いたのか?

という問いが
湧き上がる。

答えは
わからない。

ただ、
しばらくは
この問いと
向き合いながら
進むことにしよう。

つづく

孤独から脱け出るには

孤独を
感じなくなってから
もうどれくらい
経っただろうか。

もう15年くらい
経っているかも
しれない。

逆に言えば、
それ以前の
私は
ずっと
孤独だった。

結局、
私のことを
本当に理解
してくれる人など
いないのだ、
という中で
ずっと生きてきた。

物心ついた
時から。

そしてその
孤独感を
誤魔化すための
人生であり、

孤独感から
逃げ続けるための
人生だった
気がする。

それが
15年前に
消えた。

誰かに
出会ったから
とか
良い仲間が
できたから
とか、

そういった
ことではない。

フッと
消えたのだ。

状況は
何も変わって
いないのに。

原因は
よくわかって
いる。

意識の次元が
上がった
からだ。

現実的には
たった一人で
いたとしても、

世界と
繋がっている

という感覚

当たり前のように
感じ取れるように
なったのだ。

世界と
繋がっている
ということは、
自分以外の
全ての人達と
繋がっている
ということだ。

理屈では
ない。

それが
当たり前の
感覚として
くるのだ。

最初は
心の状態が
良い時に
その感覚を
得ていたのだが、

そのうちに
一日24時間、
どんな時も
感じ続け、

肌が空気に
触れ続けているのと
同じくらいに、
それが
普通の感覚と
なった。

だからもし
たとえ
現実レベルで
本当に
一人になってしまった
としても、

この感覚は
失われないので、
きっともう
私は孤独を
感じることは
ないのだと思う。

それは
満ちている感覚
と言っていい。

心が
満たされている。

だから
どれだけ心が
揺れ動いても、

どこかいつも
ゆとりがある、
という
状態になれた。

当然のこと
ながら、

これは私特有の
ことではない。

本来は
あらゆる人が
この感覚を
得ながら生きる、
というのが
自然だ。

普通だ。

その、普通が
忘れ去られている
のが
今のこの世の中。

ここを私は
変えたい。

変えたい、
などと言えば
傲慢に聞こえる
かもしれない。

でも最近は、
傲慢でもいい、

思うようになった。

普通の状態
まで
引っ張り上げる。

引っ張り上げた
ところで、

その状態で、

未来について
語り合い、
共に願いを
実現し合って
行きたいのだ。

私がこの
15年間、
ずっとやり続けて
いるのは
そういうことだ。

つづく

炎に呼ばれている

龍のような
炎が
蠢いている。

グルグルと
同じ場所であるが、

激しく
動き回っている。

炎は
赤くない。

むしろ
青色だ。

藍色だ。

炎に
焼かれるものは
もう
すべて焼かれて
しまった。

やるべきことを
やり尽くした
炎は、

しかしそれでも
燃え続ける。

孤独に。

私は、
あの炎に
自分の身を
投じるかどうかを
迷っている。

熱そうだな、
と思う。

怖いな、
と思う。

人間だから
当然であるが、

しかし
怖さは私の
行動を決める
判断基準では
ない。

私が
迷っている
のは、

本当に
ここからの私に
あの炎は
必要か?

という
ことと、

本当に
あの炎は
私を必要と
しているか?

だ。

答えはきっと
YESなのだろう。

それは
わかっては
いる、が、

まだ
ほんの0.1%の
迷いがある。

これが
なくなるまでは
行けない。

100%の
決意でなければ、
すべてが
中途半端で
終わってしまう。

それなら
初めから
何もしない方が
いい。

炎は
私を呼んでいる。

私も
炎を呼んでいる。

お互いが
呼び合っている
し、
すでに
共鳴も始まって
いる。

なのに
決めきれない。

焦りは
ない。

ただ、
その時を

タイミングを

待っている。
それだけだ。

炎は
いずれ
尽きる。

その前に
決めなければ。

私は
思考を捨て、

今はただ
じっと
炎を
見つめている。

つづく

最後の希望

夜空に
たった一つだけ
星が
輝いている。

たった
一つだけ。

あとは
何もない。

月もない。

真っ暗闇。

一点だけ
銀色に
輝いている。

あそこは
中心なのか?

とも
思ったのだが、
どうも
そういうことでは
ないらしい。

それよりも

たった一つの
残された
希望

という
感じがした。

あとは全て
消えて
しまった。

かつて
星の数ほど
存在した
希望、達が。

永遠に近い
歳月を
経て、

一つ一つ
それらは
潰えた。

とうとう
最後の
一つ。

最後の
希望。

それを今、
私達は必死に
守っている。

いや、

守るだけでは
弱過ぎる。

あの輝きを
もっと
強めなければ。

より明るく、
より深く、

育てなければ。

もし
あれさえも
消えてしまったら
どうなるか?

は、
考えないで
おこう。

答えはあまりに
明白だから。

だから私達が
集中すべきは、

あれを
育てること。

昨日よりも
今日。
今日よりも
明日。

一歩ずつ
少しずつ
でも
育てること。

そのために
できることは
何でも
行なってきた。

もう
やり直しも
出直しも
できないのだ。

・・・・・・

自分の心臓が
確かに
動いていることを

確認する。

一定のリズムで
鼓動は
続く。

大丈夫。

まだ
行ける。

まだ
続けられる。

私の生命が
もつ限り。

守るべき
ものを
守る。

そのために
ここにきた
のだ。

つづく

このままでは生まれない

一本の光が
遥か彼方から

ここに

届いている。

私の
足元に。

まっすぐで
黄色の光。

そんなに
明るくはない。

が、
決して
消えたり
途切れたりは
しない
力強さを
感じる。

足元の
光の着地点に
意識を向けると、

メッセージの
ようなものを
感じた。

そこに集中して、
それを何とか
言語化してみた。

「早く来てほしい」


なった。

どこへ?

すると私の意識は
その光に
導かれ、

光の発信点だと
思われる
遥か彼方の
一点に

急速に
吸引された。

そこには
子ども達が
いた。

数え切れない
無数の
子ども達。

とても
次元の高さを
感じる。

あぁこれは
この世の中の
希望だな、

まずは思った。

が、
彼らは
こう言うのだ。

「今のままでは
生まれることが
できません」

必死の
訴え。

私は
答えていた。

わかった。
できることは
全てやってみよう。

・・・そして、
ここに
戻った。

できることは
全て、
とは言っても

いったい何を?

さっぱり
わからないが、

でももう
私は
知っている。

ということは
わかった。

彼らが
無事に
生まれますように。

そんな祈りを
抱きながら、

今日やるべき
ことを
私は
今日、やる。

つづく

どうせ壁はくる

壁に
ぶち当たる
その
ぶち当たり方は
人それぞれだが、

どうせなら
自分らしく
ぶち当たった
方がいい。

まず、

壁に
ぶち当たらない
ということは
あり得ない。

もし
何の壁もない
ようなら、

それはその人が
自分の範疇のみで
行動しているから。

成長や進化の
ための
動きをとっていない
から。

前に向かえば
必ず
壁にはぶち当たる。

ただし
念のために
言っておけば、

たとえ
自分の範疇に
い続けたり、
止まっていたり
しても、

いずれは必ず
何らかの壁は
くる。

しかしその壁
は、
進むことで
現れる壁とは
本質的に違う
ものだ。

進むことによる
壁は、
全て成長の
きっかけになるが、

止まっているが
故に発生する
壁は、

ほぼ
何の生産性も
ない。

その壁を
乗り越えても
乗り越えても
さらに
別の壁に
追い詰められて
行くだけ。

本当に
逃げ場がなくなる
まで
その壁が
現れ続ける。

とても苦しい
もの。

苦しみしか
ないものだ。

前に進むことで
現れる壁は、

壁では
あるのだが、

そこに取り組む
自分の内側からは
常に
何かしらの
充実感が
湧き上がり続ける。

だから結局
人間である
私達は、

何をしたって
壁にぶち当たる。

どうせなら
前に向かうための
壁に
ぶち当たろう。

そして
どうせなら
自分らしく
ぶち当たろう。

器用に進もうと
せず、

小細工や
小賢しさを
働かせず、

堂々と
自分の望む
生き方
行き方

ぶち当たっていこう。

つづく

流れの視点から

あなたの
中に
もし、

川の流れが
あるとしたら、

今、それは
どのように
流れている?

水は
澄んでいる?

それとも
濁っている?

流れの
深さは?

速さは?

激しい?

それとも
静謐な感じ?

色はどう?

そして
周りには
何がある?

その世界は
あなたに
とって
居心地の良いもの?

そもそも
その流れは
ちゃんと健康的に
流れてる?

・・・・・・

私達人間は
流れる存在
だ。

止まってしまっては
息絶えてしまう、

ように
できている。

流れるのが
前提。

であれば
どう流れるか?

がとても
重要。

環境において
流れる自分。

そして
自分の中に
存在する流れ。

その両方が
一致する時、

私達は
至福の悦びを
得る。

・・・・・・

あなたの
流れは
濁っていない?

止まって
しまって
いない?

濁っている
なら、
濁りの原因を

直ちに

究明しよう。

止まっている
なら、
すぐに
動き出そう。

現実で
動けば、
内面の流れも
動き出すんだ。

つづく

進化の速い人の特徴

上昇スピードや
進化スピードは、
誰もが
最初から速い
わけではない。

最初は皆、
一歩ずつ。

恐る恐る、
というケースが
多い。

一歩ずつ。

スモール
スタート。

歩幅も
小さく。

それでいい。

一歩目を
踏み出す
その勇気が
まずは尊い。

そして
特に重要なのは、

続けること
だ。

継続。

継続は
力なり。

本当に
そうだ。

垂直上昇的に
進化をする
人達は、

みんな

全員

この継続力が
ある。

決めたら必ず
継続するんだ。

だから
垂直上昇などと
いう
無茶なことも
できるようになる。

どれだけ
素質を持った
人も、
最初からは
無理なんだ。

継続の
ためには、

「毎日」


基本だ。

毎日必ず
それを
やる。

毎日、
歯を磨くのと
同じように。

3日に一度
とか
一週間に一度
では
なかなか継続
できなくなる。

ほんのちょっと
したことを

毎日
行なう。

その習慣が
根本的な
力となる。

ちょっとした
ことなんだよ。

日常生活の
送り方の
問題なんだ。
すべて。

始めよう。
続けよう。

これだけ
だ。

これができる
人は
ある時、
ある瞬間、

突然に

飛び出せるんだ。

つづく

人々との時間

雑踏の中で
ただ、
座る。

カフェとか
駅の構内とか。

周りでは
人々が
溢れている。

会話を
したり、
一方向に
流れたり、

流れが
混在して
混乱状態に
なったり。

この
まとまりのない

雑踏

というものが
結構、好きだ。

椅子に座り、
私はただ
その雑踏と
この世界を
感じる。

感じられる
全体に
意識を向け、

味わう。

昔は
こんなことを
自分がするなんて
夢にも
思わなかった。

私は人が
嫌いだったから。

こんなことを
するなら
一人で
山に登った。

誰もいない
自然の中で
一人で
座り、自然を
味わっていた。

今の私は
人を
味わう。

人の創り出して
いる
この場を
味わう。

この世界を
味わっている。

意識的に
こうして
椅子に座って
じっくり味わうことも
あるが、

本当は
24時間ずっと
味わい続けている
気がする。

こうやって
味わうだけで
生まれてきた
甲斐があったな、
とも
思うのだ。

・・・・・・

これをして
いると、

たまにであるが、

とてつもない
調和を
感じることが
ある。

調和のとれて
いる人、
もしくは
人達が、

近くにいる
のだ。

そうなるともう
私は
砂漠の中で
宝石を見つけた
ような
嬉しさを感じる。

逆に、
不調和な人は
多い。

澱んだ空気が
すぐ隣を
通り過ぎる。

すると
その人の孤独や
悲しみを
受け取ってしまう
こともある。

こちらも
悲しくなる。

だが、
こういったことも
全て含めて、

私はこの場を、
人を
味わっている。

・・・・・・

調和性の
高い人がいると、

思わず
目が合ってしまう
ことがある。

見ず知らずの
人。

だから
一瞬で目は
逸らすが、

その一瞬は
まるで
永遠のようだ。

知らない人
なのに
深く知っている
ような。

人間というのは
不思議な
存在だ。

つづく