チームパフォーマンスコーチ

変われ 素直に

昨日の幸せ

今日の幸せ
とは
限らない。

変わるんだ。

私達は。

・・・・・・

変化を
ちゃんと
受け入れることが
できるだろうか?

気が変わった
自分を
責める前に。

人は
変わる。

変わったら、
それは
それで
しょうがないでは
ないか。

本来の自分に
近づいていく
その
過程なのだから。

・・・・・・

昨日まで
大切にしていた
ものが

大切では
なくなった。

いやいやいや、
それは
いけない。

これまで
大切にしていた
ものを
これからも
大切にし続けなければ、

人として
許されない。

・・・そう思って
昨日までの自分が
大切にしていたものに
固執する。

これだけは
やめて
ほしい。

自分の変化
を、

それが
どれだけ
薄情なことだと
しても、

ちゃんと
受け入れて
ほしいのだ。

変われ。

できれば、
堂々と。

素直に
変わって
ほしい。

それが
私の願いでも
あるんだよ。

つづく

人の幸せが自分の幸せ?

月が
観える。

まるで
私を照らす
ように。

月は
鏡だ。

自分では
光らず、

太陽の光を
そのまま
反射する。

月は
癒す。

癒そう
などという
意図は持たず。

月のような
人になりたいと
20年以上
ずっと思ってきた。

・・・・・・

人の幸せが
自分の幸せだ。


本気で思える
人は
実は、いる。

私の周りは
多い。

しかし
その大半が、

そんな自分は
おかしい。

そんな自分は
何かを
誤魔化しているに
違いない。

何かに蓋をして
いるんだ、きっと。


自分にダメ出しを
し続けている。

人間は誰もが
自己中心な
はずだ。

そうでない
自分は
何かがおかしいのだ
と。

だがしかし、

天然で
いるんだよ。

人の幸せが
自分の幸せだ、

思える人が、

そのために
生きていこうと
決めている
人が、

天然で
いるんだよ。

・・・・・・

私はすぐに
人を
許容してしまう
のです。

と、
その経営幹部さん
は言った。

いやいやいや、
あなたは
それが
自然なのですよ。

生まれた時
から。

「許容」を
形にすると
あなたになるの
ですよ。


伝えると、

そんな私で
良いのですか?


その人は
本当に嬉しそうに
笑った。

つづく

小さくても始めよう

始まりは
みんな、
スモールだ。

源泉は
チョロチョロと
水が流れ出している
だけだ。

しかしその水は
とてつもなく
清純で
静謐だ。

最初のその水が
濁っていたら、
もうずっと
濁りは増し続ける。

どれだけ
小さくてもいい。

最初が
肝心だ。

・・・・・・

最初は
地道だ。

最初から
大きく何かを
狙っていくことも
あり、だろうが、

これからの
時代は特に、

最初は
地道にやる
ことだ。

小さくて
良いので、
確信の持てる
成果と成功を

体験する。

成功を
一つの形として
現実化する。

そしてそれに
囚われず、
それを
手放す。

囚われて
同じことをやろう
としては
ならない。

小さくても
しっかり
「成功だ!」
というところまで
持っていき、

手放すことで、
その体験そのものが
自分自身に

実在として

植え込まれる。

それが
次の発芽に
繋がる。

その連続で
物事は
調和を増しながら
ぐんぐんと
進んでいく。

・・・・・・

私達は日々、
新たな一歩を
進むしかない。

そういう時代に
今はいる。

それを承知して
ここにいる。

私達には
創造性がある。

その本領を
発揮するには、

始める

しかない。

ただし闇雲に
博打的なことを
するよりも、

初めは小さく、
着実に、

そして
波が起これば
大胆に。

その匙加減は、
自分自身の
真本音が
教えてくれる。

やることは
これまでと
同じだ。

真本音で
決める。

それだけだ。

つづく

キツい波紋だよ

この波紋は
どこまで
広がっていくのだろう?

少々怖くなることが
増えた。

もちろんそれは
真本音に基づく
波紋なので、
それ自体は
とても良いことだ。

が、
人によっては
キツいのでは
ないか。

突然、
太陽のような
明るい光を
目に差し込まれた
ような、
強い刺激として
感じられる人も
いるだろう。

なにしろ
まだまだ
大半の人は
反応本音に基づいて
生きている。

これまでは

徐々に
明るくする

徐々に
強くする

徐々に
刺激的にする

という
段階的な波紋が
発生していたが、

世の中全体が
今、本当に
急いでいるのだろう、
段階を飛び越えた
波紋が
よく発生するように
なった。

混乱するのを
承知で。

・・・・・・

二極化、
ということを
以前からよく
言ってきたが、

今のこの
波紋の影響は
それをまたもや
激しくするだろう。

波紋が
気持ち良い
人と、

波紋が
怖くてしょうがない
人。

前者は当然、
より安定し、
活性化する。

後者は
より不安定になり、
激しく揺れる。

そして
激しく揺れる
者同士が
その不安定さ故に、
戦い・闘いを
始めるだろう。

根本的安定

表面的不安定

ますます
際立っていく。

・・・・・・

これまでずっと
培ってきた
生き方。

真本音の生き方
が、
ここからは
これまでの成果
として
わかりやすく
恩恵をもたらして
くれるだろう。

表面的揺れに
惑わされる
ことはない。

かといって
目を逸らしても
いけない。

すべてをしっかり
観察し、

見届けながら、

流されず、

自分がやろう
と思うことのみを
やっていこう。

つづく

なんだこのメッセージは

突然、
自分の中に
湧き上がる
メッセージがある。

このメッセージは
何だ?

どこから
来ている?

誰から
来ている?

・・・というような
ことは
考えなくていい。

考えても
わからないから。

ただ
そのメッセージを
できるだけ
素直に
受け止めて
みよう。

たとえちょっと
辛いメッセージ
だとしても。

・・・・・・

真摯に自分の
人生に
向かえば、

真摯に目の前の
現実に
向かえば、

メッセージは
くるもんだよ。

それが
普通。

ヒントは
日常のあちこちに
あるんだ。

自分の真摯さ
が生んだ
メッセージ。

それは
人生の宝だ、

くらいに
受け止めよう。

・・・・・・

メッセージに
素直に
なればなるほど
どうなるか?

と言えば、

答えは
簡単だ。

より
自分の意志・意思

明確になる。

本当の意志・意思
がね。

つまりは
より、自己理解が
進む。

自分が
何の原因で
止まりやすいか?

自分が
何を今
本当に欲して
いるか?

そして本当は
自分は
何に立ち向かうと
良いか?

それらが
明確になる。

つまりその
メッセージとは

セルフコーチング
の一種だ。

・・・・・・

人生とは、

何を
受け取り、

何を
発するか?

である。

その連続が
人生であり、

私達が
人として
やり続けている
こと。

何を受け取り、
・・・のところ、

あなたのその
感性は、
今、大幅に
高まっているのでは
ないかな。

つづく

こんなセルフコーチングもある

セルフコーチング
の基本
の一つは、

書く

ことだ。

自分の心の中に
ある
あらゆるものを
そのまま紙に

書く。

セルフコーチングに
慣れた人であれば、
パソコンなどに
打ち込んでもいいが、

最初は
自分の手で
紙に書く、

ことを
お奨めしたい。

なぜなら
自分の手で
文字を綴る
というのは、

自分の内面を
何とか形に
しようとする
行為の
最も基本的な
もの。

そのため
これを
丁寧にやれば
やるほど、

心は
落ち着いて
くる。

下手な
カウンセリングを
受けるよりも
よほど、

我に返る

ことができる。

・・・・・・

もしこの
内面を形にする
という意味での
書くことに
慣れてきたら、

次のステップ
として、

自分から
浮かび上がる
物語を
書く、

ということを
お奨めする。

物語。

そう、
物語だ。

もともと
私達のこの
人生は

物語のような
ものだ。

人類の歴史
もそう。

私達人間の
中には
常に
物語たちが
動き溢れている。

内面の気持ち
をそのまま
書くだけでなく、

それを
物語化
してみるのだ。

すると
客観的な視点で
自分を見つめる
ことが
さらにできるし、

物語の面白い
ところは、

それを
書けば書くほど
物語そのものに
魂が宿り、

物語が勝手に
成長を始める
ことだ。

物語が
まるで自分の
意思を持ったかの
ように
自分で進み始める。

よく
小説家が、

主人公が勝手に
動き出す

という表現を
使うが、
まさにその感覚。

しかし
自分の書く物語
は、
自分自身への
メッセージでも
あるので、

それを
実在メッセージと
受け止めれば、

人生のかなりの
ヒントにも
なる。

人にはそれぞれ
その人にしかない
物語がある。

それを自由に
書いてみると
いい。

もちろん
現実的な話で
なくてもいい。

ファンタジーで
いい。

というか
むしろ
ファンタジーの方が
より良いかも。

楽しいよ。

つづく

出口はどこにある

雲を
流さねばならない。

この黒々とした
重い雲たちを。

そして
わずかでも
晴れ間を
見つけ出さねば
ならない。

一刻も
早く。

しかし雲とは、
焦るほどに
濃くなる。

取り除こうと
すればするほど、

足掻けば
足掻くほど

重なっていく。

こんな時は
止まるのが
一番。

一旦止まり、
動かずに
じっとして、

雲を
あるがままに
感じ続ける。

雲を
何とかしよう、
とは
思わずに。

むしろ
そのままでいいよ

すべての存在を
許す。

すると、
エネルギーの
低いものたちは、

その在り方の
エネルギーの
高さに癒されて、

ザーッと
浄化をしていく。

・・・・・・

晴れ間は
わずかでいい。

ほんの一瞬、
青空が
薄く
観えれば
いい。

その一瞬に
眼を凝らせば、

出口の方向は
わかる。

わかれば、
そちらに向かって
動き始める。

雲と共に。

雲と一緒に
進めばいい。

その在り方が
また、
雲を癒し
浄化する。

浄化を
目的としては
ならない。

ただ、
あるがままで
いい、
と。

すべてが
あるがままで
いい、
と。

その在り方こそ
真に道を開く
唯一のもの。

・・・・・・

もちろん、
どうにもならない
現実はある。

その場合は、
どうにかなりそうな
方向から行こう。

それが
出口だ。

出口は
雲の拒絶をしていては
観えない、
いつまで経っても。

しかし出口は
必ず
あるんだ。

つづく

拒絶されても言葉を投げる

まるで
前方から
雹(ひょう)が襲いかかって
くるような
抵抗感が
あった。

これ以上は
立ち入れないな、

私はそこで
自分を止めた。

ギリギリの
ライン。

その人の
真本音に
刺激を入れる
ための。

最近は
あえて、
そのラインを
ほんのわずかだけ
越えてみる
ということをする。

越えれば
揺れる。
過剰なまでに。

しかし
一瞬のその揺れこそが
必要なケースが
増えたのだ。

限界を超えた
揺れ。

しかしそれは
一瞬で
治まるもの。

が、
その一瞬を
逃さない。

揺れた瞬間に
その人に
届けるべき
言葉がある。

その言葉は
その揺れが
なければ
届かない。

通常であれば
絶対的に
拒絶される
一言。

それを
スーッと
伝える。

そしてそこが
ターニングポイント
となる。

その人は
内側から
真本音のエネルギーを
自ら
放ち始める。

・・・・・・

他者ができる
ことは
きっかけの提供
しかない。

誰がどう言おうとも
その人が変わるか
どうかは、
本人の意志による。

例えば、
洗脳というものが
あるが、
あれだって結局は
本人が
望んでいることだ。

洗脳される
ことを。

世の中には
洗脳とは
思えないような
洗脳が
溢れている。

しかしみんな
「それでいい」
と思って生きている。

だから
今のような
世の中になった。

別に自分の
意志で
生きなくたって
いいじゃないか。

疲れるだけじゃ
ないか。

という
言葉にならない
呟きが、
世の中には
溢れている。

・・・・・・

本当は
どうしたいのか?

本当の
自分の想いは
何なのか?

実にシンプルな
ことだ。

それを
自らちゃんと
理解して、
次の一歩を
自分で決める。

それだけの
ことで
人は健康に
なれる。

が、
それを放棄
する。

それすらも。

しかしそれは
健康の感覚を
忘れてしまって
いるだけだ。

誰だって
それを思い出せば、
あの不健康さには
戻りたくないと
思うだろう。

私にできる
ことは、
その健康の状態の
感覚を
ちょいと
投げること。

もっと正確に
言えば、
そのためのきっかけと
なる
言葉、

その人にしか
効かない言葉


見つけ出し、
その人が最も
受け取りやすい
状態の瞬間を狙って

投げること
だ。

あとは
そのきっかけに
よって
その人が自ら
健康の方向に
進もうとするか
どうか?

それはもちろん
その人の
意志による。

人を
尊重する、
とは
放置することでは
ない。

人を
尊重する、
とは
その人の健康な
意思を
尊重するということだ。

だから
健康な意思が
きちんと
浮上するように、

そのきっかけを
与え続ける
ことは、

コーチどうこう
ではなく、
人として
とても大切なこと
ではないか。

つづく

芽の伸ばし方

ほんの
小さな芽が
顔を出したら、

それを
丁寧に育てる。

本人にも
気づかない
わずかな芽。

それは
第三者の方が
早く
見つけやすい。

そしてそれを
育てるのも
第三者の
サポートがないと
難しいケースが
多い。

客観的
視点が
あるかないか。

人というのは
主観的な
生き物なので、

本人一人の
視点のみでは、

芽が
見つかっても

こんなものは
価値がない

勝手に
思い込んだり、

逆に、
大切に育てようと
するあまり、
栄養を与え過ぎ
たり。

そうそう、

栄養の与え過ぎは
本当によくない。

基本、
芽は
放っておくこと。

見守るだけに
しておくこと。

なぜなら
芽が出る、
というこの時点で
すでに
それはもう
逞しいものだから。

その人の
中から
発生したのだから、

その人の中では
自力で
伸びようとする。

基本、
その意志に
任せるのが
最も良い。

が、
その意志を

その人本人が
阻害したり、
周りが
邪魔したり
する。

それを
取り払う。

そして
ここぞ!
という時だけを
狙って、

栄養を
与える。

つまりそれは
現実的な
言葉かけ。

その芽が
より伸びるように
フィードバック
したり、
問いを投げたり。

育成、
という視点に
立つと、
多くの人が

「説明」過多
になる。

「教えよう」
「理解してもらおう」

し過ぎだ。

栄養の
与え過ぎ。

それをすると
逆に
遅くなる。

気づきも
浅くなる。

「教える」ことで
根が途切れてしまう
ことすらある。

人の育成は
難しいよ。

細心の注意が
必要だ。

本人一人では
無理だ。

良い第三者で
あろうと
すること。

周りの誰もが
それができると
いいね。

お互いに。

つづく

完全自由だ

何もない。

自分の
中に
何もない。

空っぽ。

という
状態になったら
チャンスだ。

空っぽ。

空(くう)。

それは、
全てがある
状態。

何もないように
見えて、
本当は
全てが
揃っている。

ただ、
何ものにも
焦点が
当たっていない
だけ。

もともと
私達は
その状態から
始まった。

原始の
状態。

だから、

空っぽに
なったのなら、
その
空っぽを
楽しもう。

何も
なくなった
ように見える
自分を
楽しもう。

今は
完全に
自由
なんだ。

意図を
持たず、

自然に

次の
焦点が
定まるまで

待とう。

完全自由
の状態で
選ばれる
焦点とは、
あなたの
本当の道。

つづく

最深部の変化

最も
深いところ。

これまでの
限界の
さらに
その奥。

一見、
そこには
何もないような

そんな場所で
行なった
セルフコーチング。

言葉に
ならないような
言葉が
浮かび上がり、

その瞬間、

すべての
合点がいき、

すべてが
クリアになった

感覚が

感覚
のみが

認識された。

しかし
それでもう
満足だった。

目的は
達したのだ。

・・・・・・

人間には
到底
理解し得ない
ものがある。

納得し得ない
ものがある。

だから
これ以上は
無理だと
思う。

ただ、
感覚のみが
顕在化した
だけで、

それで
満足しておく
べきだろう。

だが、
知りたい。

もっとその
先を。

奥を。

この
探究心も
やはり
人間か。

・・・・・・

ザッと
流れた。

余分な
もの達が。

余分なもの
など
もう何もない、


思って
きたが、

流れた、
という事実が
あって
初めて、

まだ
こんなにも
あったのか、

驚嘆した。

これもまた
人間。

・・・・・・

私はきっと
また
根本的に
変化した。

それは
わかるのに
あとは
何も
わからない。

私に
できるのは、

このままの
そのままの
状態で

素直に
人と
向き合うこと。

現実に
向かうことだ。

このタイミングで
出会う人が
いるし、

語り合う
人もいる。

何が
起こるか?

どんな
刺激が?

どんな
波が???

つづく

死の際で生きる

潜るだけ
潜ってみる。

その人の
深いところに。

もちろん、
本人と
共に。

それにしても
勇気のある
人だ。

本当の
勇気とは、

自己理解しよう
という
その深さで
測れる。

なぜなら、
私達人間に
とって、

最も怖い
存在

とは、
自分自身に
他ならない
から。

自分の
本当を
知ることは、

とても
怖いこと
なのだ。

しかも
他者のサポート
によって
それを成そう
とすることは、

そんじょそこらの
勇気では
決断できない
ことだ。

そうは言っても
ほとんどの人が

自己理解?
したいしたい!


安直に捉える。

興味本位の
範疇だ。

しかし
ある境界線を
前にすると、

急に
尻込みする。

これ以上は
深く知りたく
ありません、
と。

これ以上は
見たく
ありません、
と。

でも
そうなるのが
当然、

それが
人間、

とも言える。

だから
私のサポート
なぞを
真剣に受ける
人は、

変態

としか
言いようが
ない。

で、私は
変態しか
サポートしない

決めている。

・・・・・・

多くの人と
出会う。

多くの人と
向き合う。

その中で
ほとんどの人に
対して
私は

言葉は
悪いが

手加減
する。

ご本人が怖くない
範囲で
サポートする。

しかし中には
変態が
いる。

手加減なしで
向き合わねば
ならない人が。

そうすると
もちろん私は
悦び勇むが、

しかし
大変なんだ、
それはそれで。

共に境界線を
超える
ためには、

命のやり取り
が必要なんだ。

こちらも
勇気が
要るんだよ。

当然
だよな。

・・・・・・

変態くん
達。

最近、
増えた。

本当に
日々、
命のやり取り

なってきた。

いつまで
私は
もつのだろうか?

思いながら、

私は
もっともっと
加速する。

この歳に
なって
自己改造だ。

昨年の
7月頃からずっと
続けている。

昼は人と
向き合い、

夜中に
自己改造。

実は私は
死、というものに
対して、

他の人とは
ちょっと違った
捉え方を
している。

まだ
誰にも話した
ことはないが。

その前提で
言うのだが、

まだ私は
死ぬわけには
いかない。

そのためにも
死ぬような
ことを
せねばならない。

最近は、
死、がとても
身近だよ。

つづく

実在の夢について

夢とか希望を
持ちながら
生きることは
凄く大事だが、

それがもし
単なる
空想レベル、

つまりは、
こうなれたら
いいな、
レベルのもので、

今の日常が
その夢に
近づいている感覚が
全くないので
あれば、

そういった
夢や希望は
描かない方が
いい。

特に
ここからの
時代は。

空想レベルの
夢は、
足元を
曖昧なものと
させる。

空想レベルの
夢は、
執着や依存を
生む。

空想レベルの
夢は、
自分自身の
真本音度合いを
低めていく。

・・・という
傾向が、
ここからはさらに
高まっていくから。

夢を描いたなら
真剣に
そこに向かおう、

という
実に単純な
ことなのだが。

・・・・・・

かと言って、
今の現状に
即した

その延長線上に
ある夢でも
意味はない。

今の延長線上に
ないからこそ
夢は夢なので
あって、

この夢は
ほぼ間違いなく
達成できるだろう、
というのは
本来的な意味で
言えば、

夢ではない。

それは単なる
計画であり
目標だ。

もちろん
それはそれで
OK。

だが、
あなたの中に
本当に
夢はないか?

計画が
存在するのみか?

今のこの
延長線上から
逸脱したい気持ちは
ないか?

そういったことを
しっかり見つめ、
向き合うことも
重要だ。

・・・・・・

実在レベルの
ことを言えば、

全ての人に
夢はある。

最初から
存在している。
自分自身の
中に。

ただそれが
顕在意識に
浮上するかどうか?
だ。

・・・・・・

もし何か
夢が
浮かんだら、

それが
本当かどうか?

考えるのではなく、

その夢と
今、を

直ちに
結ぼう。

直ちに。

夢を抱きながら
今ここの
現実に向かう。

そういった
日常生活を
送ろう。

その結果、
日々が
幸せになるか?

満ち足りた
感覚が
増すか?

充実感が
増すか?

もし
増すので
あれば、

その夢と
共に
歩もう。

もちろん
途中で夢自体が
変わるかも
しれない。

それで
いい。

夢とは、
進化・深化
し続ける。

日常生活
と共に。

夢は
ここ、にある
ものだから。

それが
実在の夢だ。

つづく

ずっといたと思える出会い

背中に
張りつくものが
あり、

しかしそれらが
瞬時に
消えていく。

たくさん
余分なものを
持ちながらも、

浄化が
速い。

それだけ
真剣に
自己成長を、

つまりは
進化を

この人は
望んでいる
のだろう。

成長スピードの
速い人は
面白い。

現状、
どれだけ
くすんでいても。

・・・・・・

人の
本領とは、

やはり
進化
だな、と
思う。

進化を
続ける人は
迫力が違う。

もちろんその
迫力とは、
押し付けがましい
ものではなく、

実に
清々しい
高原の風の
ようなものだ。

・・・・・・

今日、
出会い、

しかしもう
何年も
繋がっていた
ような
感覚を思い出し、

当たり前の
ように
お互いの人生に
お互いが
登場する。

最初から
登場を
待っていたんだな、

ずっと
舞台の袖に
いたんだな、

思う。

お互いにね。

・・・・・・

さぁこれから
何をやろうか?

共に。

楽しみしか
ない。

我々にしか
できないことを
やっていこう。

つづく

出会えたからには

目を
覚ました時、

暗闇だ
ここは、


思った。

這いつくばって
いる
自分を
認めた時、

何という
ところに
来てしまったのか、

始めから
後悔した。

が、
もう戻れない。

諦めるしか
なかったのだ。

諦めから
始まったのだ。

・・・・・・

もがくだけ
もがいた。

何も
見えぬまま。

目は
開けている
のに。

でも、
ある時に
やっと
気づけたんだ。

実は、
自分は
目を瞑った
ままだったと。

暗闇は
自ら
創り出したもの
だと。

・・・・・・

何十年も
かけて、

ようやく。

やっと
少しだけ
目を開けた。

そうしたら、
光を
感じた。

でも、
眩し過ぎて、

感じた
だけで。

それが
精一杯。

でも、
あなたと
出会えて、

勇気が
出たよ。

私は、
目を開ける。

本当は
目覚めてなど
いなかった
私に、

本当の
目覚めを
与える。

与えるのは
自分自身
だった。

私には
その覚悟が
なかったのだった。

その
小ささを
受け入れた。

だから
やっと、
諦めからの
開放だ。

・・・・・・

きっと
ここには
様々な軋轢が
ある。

見たくない
ものが
数多く。

怖い。

怖い。

怖い。

が、
もうそれを
何とかする
気はない。

このまま
目を開ける。

時間が
ない。

ここで、
私には
すべきことが
ある。

やるよ。

目を
開けるよ。

つづく

闘うこともある

この世の中
で、
新たな流れを
生み出そうと
すれば、

どうしても
既存の勢力と
摩擦の生まれる
ことがある。

実は
私自身は
あまりそのような
ことはこれまで
なかったのだが、

私の
クライアントさんの
中には
そこで非常に
ご苦労されている
人もいる。

できれば
闘いたくない。

が、
どうしても
闘わねば
ならない。

ということも
ある。

しかし
そういった場合
でも、
やることは
同じだ。

しっかり
向き合う
こと。

闘いを意図
するのでは
なく、
かといって
迎合や
無理な穏便を
意図するのでも
なく、

ただ
あるがままに
ここ
にいる。

無理に道を
拓こうと
するのでも
なく、

無理に
解決しようと
するのでも
なく。

ただ、
本来の自分
として
ここ
にある。

そういった
対峙の仕方の
連続が
できるように
サポートする。

すると
もちろん
いろいろあるが、

最短で
出口に
辿り着ける。

その途上で、
壊すべきは
壊す。

ただ、
それをするのは
その人では
ない。

余分なものを、
壊すべきものを
持っている
その本人が
自ら
壊していく。

壊していく
というよりも
壊れていく。

自然原理
ということで
言えば、

当然で
あるが、

実在と現象が
一致するほど
安定する。

エネルギーも
高いし、

短絡的表現を
使えば、

強い

のだ。

真本音で生きる
とは、
実在と現象が
一致する方向に
向かって進む、
ということ。

だから
自然原理が
味方をしてくれる
のは
必然だ。

だから
無理に
力を入れ過ぎない
こと。

闘いは
大事なことも
あるが、
闘いが
目的ではない。

その先を
見据え、
祈り、

願い、

その自分
として
対峙する。

現実に
対峙する。

私達がすべき
は、
そういうことだ。

つづく

そこに答えはない

向き合って
いるのに、
向き合って
いない。

見つめて
いるのに、
見つめて
いない。

ここに
いない。

どこにも
いない。

そんな人が
いる。

自分の
内側の世界から
出てこない
のだ。

・・・・・・

内側の世界に
いるうちは、

いかなる
不調和が起きても
おかしくはない。

内側の世界は
閉ざされている。

外とは
繋がりのない
世界。

そこに埋没
していては、

何事をも
成し得ない。

・・・・・・

世の中への
使命を強く
持っている人ほど、

実は
内側の世界に
埋没しやすい。

すると
せっかくの
使命が、
ただの自己満足と
なる。

世の中の
ために
頑張るなら、
まずは
目の前のその人を
大切にしろよ!


言われるのも
致し方ない。

結構それは
本質を
突いている。

自分の身近を
大切にできない人は
世の中を
大切にできるはずは
ない。

内側の世界に
埋没する人は、
目の前の現実に
対して
かなり鈍感に
なる。

必然だ。

・・・・・・

内と外を
きちんと
結ぶ。

そのためには
内側の世界から
出ることだ。

外に外に
意識を向ける。

外に外に
完全に
委ねれば、

初めて
自分の内側が
観えてくる。

なぜなら
外の世界は、
自分の内側の
反映だから。

現象と
向き合うことで、
実在が
わかるのは
そういうことだ。

・・・・・・

もし
悩んでいることが
あれば、

意識を
外に向け、

この人だ!


思える人に
悩みを語ってみる
といい。

その人に
意識を
向け続け、

自然に出る
言葉を話し、

その人の
言葉を
素直に受ける。

その人は
あなた
自身だ。

あなたは
あなた自身と
対話を
している。

つづく

問いの吸引

自分の体の
どこかに、

まるで
吸引されるような

感覚が
あれば、

それはそこに
問い
が存在している
合図だ。

その場合は、
その場所に
意識を向けよう。

何も
考えずに。

ただただ
意識を
向け続ける。

すると
フッと
問いがわかる。

・・・・・・

私達は

問い
と共に
生きている。

人間とは
問い
である。

・・・と
言っても
良いのではないか。

問いの
結晶体が
人間、とも。

なのに、
その
私達の根源である
問いと
向き合わずに
生きている人が
多過ぎる。

・・・・・・

問い、は
ある。

既に。

私達の
中に。

そう
信じると
いい。

そう
信じた時に
初めて、

吸引の感覚


出会うだろう。

その感覚の
場所に
最も今、
必要な問いが
ある。

しっかり
丁寧に
意識を向けよう。

つづく

最高の関係のために

心と心に
橋が架かる。

そして徐々に
近づいていく。

そして時には
一体化する。

そこまで
行った上で、

あえて
離れる。

最も楽な
距離で
関わり続ける。

一体化
できるくらいに
近づいて
初めて、

適切な距離が
わかる。

人間関係の
本質だと
私は思っている。

・・・・・・

一体化する
ことで、

私自身が
より
私らしくなれる、

自然体に
なれる、

という人が
いる。

そんな人との
出会いは、
人生の宝物
だろう。

・・・・・・

心が
鎮れば
鎮まるほど、

自分が
もとに
戻れば戻るほど、

その人の
ことを
思い出す。

そして
たとえ現実では
離れていても、

ずっと
一緒にいるんだな、

わかる。

そういう人を
どれだけ
人生で
見つけられるか。

いや、
人数の問題では
ないかな。

たった一人でも
そういう人が
いるかどうか?

そこで
人生の豊かさは
大きく変わる。

・・・・・・

私が仕事で
関わる人達は、

ほぼ全て

そういった
人達ばかりだ。

幸せなこと
だと思う。

今日は
この人と
会える。

明日は
あの人と
会える。

毎日が
その悦びの
繰り返し。

いったい
いつからこんな
幸せな人生に
なったのだろう?


ふと我に
返る、

私はいつも
皆さんと
共にある。

つづく

自分の範疇を超えているからこそ

影が
観える。

その人の
背後に。

怖いもの
ではない。

むしろ
あたたかい
もの。

その人を
見守るように。

ただ、
今、伝わって
くるのは

強い
激励の波長。

あぁこの人は
今、
人生でも
とても大切な
決断をしようと
している。

・・・・・・

人は皆、
結局は最後は
自分の意思で
決めている。

他者や環境に
流されてしまう
人も、

流されれば
いい、

という
自分の意思で
決めている
わけだ。

その意味では
全ては
自己責任、

言うこともできる。

ただ、
私達には

この世の
私達には

自己責任の
範疇では済まされない
現実に
苛まれることも
ある。

かといって
純粋に
被害者的発想を
すれば良いわけでも
ない。

・・・・・・

自分の内側の
奥の奥、

つまりは
中心から

泉のように
湧き出で続ける
意思がある。

それは
とてもとても
小さな時もあるが、

それでも
それは
湧き出で続けて
いる。

それをどれだけ
普段から
大切にできるか?

それにより、
自己責任の
範疇で
進める度合いは
高まっていく。

未来は
予定通りには
いかないが、

未来への
予測できない
流れに
柔軟に対応できる
だけの
力も
私達にはあるし、

私達の範疇を
超えて
後押しをしてくれる
存在は
確かにある。

それに
依存しては
ならないが、

今ここにおける
自分の意思を
本当に大切に
していれば、

私達は
自分の範疇を
超える進み方が
できるんだ。

・・・・・・

昔からよく
お話しすること
だが、

人生、
遊びの如し、

という
言葉が私は
好きで、

どこの誰が
言われた言葉かは
わからないが、

何かの本で
読んだ時から、
その言葉は
私のかなり
中心の部分にある。

ままならない
この世の中。

ここからこそ、
より
ままならない
時代。

どうせ
進むなら、

遊ぶような
軽やかさで、

自分の意思を
最も
頼りにして、

歩き続けたい
ものだ。

つづく

コントロール力はある

完全に、
腰を
羽交い締めに
された感覚だ。

動けない。

何を
やっても。

しょうがないので
諦めた。

完全に
力を抜いた。

すると
凄まじい
何か黒いものの
流れが。

それに
呑まれ、
意識を失いそうに
なる。

が、
それでも完全に
力を抜いたまま。

するとその流れの
上に
浮かぶような
感じとなり、

楽になった。

・・・・・・

世の中の
流れ。

潮流。

それが時折、
凄まじいものに
なる。

本当は
顕在化しなくても
よいものかも
しれない。

が、
私は把握を
しなければ
ならない。

潮流が
変われば、
サポートの仕方も
変える必要が
ある。

世の中全体の
潮流と、

その企業独自の
潮流と、

その人独自の
潮流、

それらを
すべて
調和させる必要が
あるから。

・・・・・・

人は、
自覚しないところで
潮流に
呑み込まれる。

人の宿命

言ってしまえば
それで終わりだが、

それらにきちんと
対処する必要が
特にここからは
あるんだ。

呑み込まれて
いる
場合ではない。

しかし
個人の力が
及ばないことでも
ある。

じゃあどうすれば?
というところで
ずっと
試行錯誤してきた。

そして結局は、
潮流をわかった
上で、

力を抜く

ことが
最も楽な脱出法
であり、

かつ

潮流を
自分なりに
コントロールする
最善の術である
ことを
知ることができた。

・・・・・・

すべてを
コントロールする
なんてことは
傲慢だ。

私達は
自然の一部
なのだし。

しかし
私達人間には
本来は
今よりももっと
コントロール力は
ある。

せめてそれを
思い出すことは
必要だと
思うんだ。

つづく

未来の感じ方

背後から
何かが
しがみついてくる。

意識を
向けると、

あぁそうか、
この人の
執着心だ。

人間だから
皆、
執着の心は
ある。

が、
この人の場合は
それが
強過ぎるのだ。

執着が
強過ぎて、
自分の道が
わからなく
なっている。

だからその
執着を
一旦、私が
肩代わりしている
わけだ。

その状態で
ニュートラルな
目で、

自分自身の
人生と
向かい合って
みる。

すると案外
クリアに
いろいろ
見えてくるもんさ。

・・・・・・

未来は
見えた方が
いいかい?

それは
人それぞれだが、

私の場合は、
極力
未来は
見えない方が
いい。

可能であれば、
明日のことも
全くわからない。

何が起こるか、
どうなるか、
予測がつかない。

というくらいに
なるのが
理想だ。

私は
「わからなさ」

味わいたい。

楽しみたい。

もし未来が
ある程度わかって
安心したとして、

そんな人生の
何が面白い?


思ってしまうのが
私だ。

もちろん
それをお奨め
しているわけでは
ない。

ただ、
今は未来が
本当に見えない
時代だ。

環境問題も
AIも
政治も経済も、

一寸先は
闇、
みたいな。

だから
多くの人の
不安感が
社会的に高まって
いる。

その影響も
あってか、
皆、未来の安全な
道を知りたい

思っている。

思い過ぎて
いるように
思う。

どうかな?

・・・・・・

現象レベルで
一寸先は闇、

あったとしても、

実在レベルでは
すべてが
確定している。

確定
という土台の
上での
不確定の中に
私達は
いる。

その
「確定」の感覚
のみを
掴めれば、

実はそれでもう
不安はかなり
減退する。

ちなみに
「確定」とは、
未来が完全に
決まっている
という意味では
ない。

現象レベルの
話では
ないからだ。

未来は
無限だ。

が、
未来は
「確定」している。

どうしても
わかりにくい
表現に
なってしまうが。

・・・・・・

過去、今、未来
という
全ての時間が
一つに
ギュッと凝縮された
土台の上に

の私達は
いる。


だけが
分離されている
ので、
もちろん不安だ。

でも、
私達は常に
土台の上に
立っている。

確定された
土台の上
にね。

私達がすべきは


本当に大切に
することだ。


丁寧に生きる
こと。
自分の意思で
丁寧に。

それを
続ければ、

の向こうに
未来が観える。

観えなくても
感じられる。

具体的に
わからなくても
それは
「確定」の感覚として

浮上して
くるんだよ。

つづく

言葉の楔(くさび)

楔を
打ち込む。

簡単には
揺るがない
楔を。

最初はそれは
ただのトゲ
にしか
過ぎないかも
しれない。

が、
時間が経つに
つれて、
徐々に
効いてくる。

そして
ある時に、
打ち込まれた
その場所から

すべてが

崩壊を
始める。

根本的
破壊だ。

・・・・・・

言葉の楔。

私はそれを
よく用いるし、

私の
クライアントさんにも
そのやり方を
伝授させていただく
ことも
増えた。

根本的破壊
なので、
怖いかもしれないが、

これが今、
本当に必要な
人が
増えている。

根本的破壊を
しなければ、
本来の自分が
出てこないのだ、
一生。

楔となる
言葉とは、

ほとんどの
場合、

たったの
一言。

その一言が
時間をかけて
ゆっくりじっくりと
その人の
心に亀裂を
広げ、深める。

そして
その人の
心は
根本から
崩れるのだが、

もちろん
それは
本当の根本では
ない。

本当の根本は
さらにその
奥にある。

・・・・・・

言葉
というものを
侮ってはいけない。

言葉は
人を
破壊する。

悪い意味で
言葉によって
破壊し合っている
社会に
なってしまった。

体を傷つける
暴力も
いやなものだが、

心を傷つける
言葉の暴力は
より深刻だ。

しかしその
破壊力を
良い方向に
活かすことは
できる。

良い破壊
のために。

・・・・・・

破壊をせねば
先には
進めない。

それだけ
余分なものが
増え過ぎてしまった
今の社会だ。

内面的にも
外面的にも。

破壊せずに
進めるなら
それに越した
ことはない。

が、
それは無理だ。
今となっては。

だから私は
破壊をする。

壊すべきを
根本から
壊す。

現状維持でも
すべては
壊れていく。

であれば、
より良い破壊を
したいものだ。

つづく

ようやく出会えた

気持ちを
そっちに全部
持ってかれた。

目が離せない
とは
このことか。

一挙手一投足

輝いている。

2段階くらい
一気に
脱皮したの
だろうか。

そうとでも
考えないと、

その人の
変貌ぶりを
説明できない。

・・・・・・

私は特に
何もしていない、

その人
には。

きっと
自力で
突破したの
だろう。

並大抵では
ない
大きな壁を。

本人に
どれだけ
自覚が
あるのか?

わからないが
とにかく
輝いている。

・・・・・・

人間の凄み
とは、

このように
どこまで行っても
予測不可能な
成長を
遂げるところだ。

その度に
思うのだ。

手に負えない
と。

人間は
手に負えない。

・・・・・・

大きな波と
うねりが

向こうから
襲いかかって
くる。

普通であれば
それには
呑み込まれる
しかない。

が、
毅然と
立つ。

揺るがずに
その波と
対峙する。

一瞬後、
波は
幻となって
消えた。

・・・・・・

人のパワーは
間違いなく
現実を
変える。

圧倒的存在感の
ある現象も

幻に
してしまう。

どう動くか、
どう振る舞うか、
よりも

どう在るか

によって
それは
成される。

何者として
ここに
在るか?

だ。

・・・・・・

その人は
きっと

それほどの
自覚は
ないままに、

自分は本来、
何者として
ここに在るか?


会得した
のだろう。

もはや
昨日、

・・・いや
さっきまでとは
別人だ。

・・・いや、
私はようやく
その人と
今、

出会えた
のだ。

つづく

人生の目的・約束について

心、
というのは
物質だろうか?

物質では
ない。

つまり、
3次元の存在
ではない。

もっと高い
次元の
存在だ。

もっと高い
次元の存在が、
体という
3次元の存在
の中に
閉じ込められて
いる。

閉じ込められて
いる、
という表現は
いかにも
被害者的だが、

自ら
選んでここに
いるとはいえ、

この3次元から
逃げられない
ように、
あえて
閉じ込められた
状態に
自らしている、
というのが
正確か。

いずれに
せよ、

自らの意志で
ここにいる、
としても

いざ、ここに
来れば、
誰もが
逃げたくなる。

そのくらい
ここは
辛い場所だ。

自分、と
自分以外、

完全に
分離している。

だから
基本、

自分は
孤独だ。

分離という
基本の上で
全てと
関わっていくしか
ない。

という
非常に辛い
世界。

それが
ここ
3次元世界。

そこから
逃げられない
ように、

私達は
あえて
3次元ではない
存在である
自分の心を

体の中に
閉じ込めて
いる。

・・・・・・

それだけ
辛い目に
遭ってでも

私達には
やりたいことが
ある。

願いが
ある。

それを
私達の多くは
忘れてしまって
いるが、

それを
思い出す
という行為
そのものに
価値があるの
だから、

この
忘れるという
ことも
もともとは
私達自身の
意志だ。

・・・・・・

真本音、
とは
もともとの自分
自身であり、

もともとの
自分の願いを
よくわかっている
存在だ。

でも
多くの場合、
私達は自分自身の
真本音が
よくわからない。

それももちろん
意味のある
ことだが、

しかし
その
わからなさ度合いが
私達の予想を
遥かに超えて、
大きくなり過ぎた。

私達が
私達の願い、

言い換えれば
自分自身との

約束

を、
思い出すには、

通常では
ない
やり方で
思い出す、という
行為を
加速させねば
ならない。

ということに
私が気づいたのが
15年前。

いや、
何となく
気づき始めたのは
23年前だ。

だから
私のサポート
とは、

自分の
真本音の願い
イコール、
自分自身との
当初の約束

思い出すための
もの。

そして
それらを
思い出せば、

誰もが
人生の意味を
自然に
知ることになる。

最初は
明確に全てを
知れるわけでは
ないが、

あぁこの方向に
人生を
進めれば、
私は私の人生の
意味を知れるし、
私は私との約束を
果たせるな、

という
実感は得られる
ようになる。

そして
その実感に
素直に進めば、

その人の
あらゆる日常が
調和する。

つまりは
人生が
調和を始める。

分離した
私達の各々が
その道に
進み始めれば、

一人一人は
進化し、
進化と進化の
シナジーが
起こり、

それが
世の中全体の
進化へと
繋がっていく。

それをまず
私は
企業という
一つの「世界」の
中で
実現するサポートを
し続けてきた。

今は
資本主義の時代
なので、
企業という存在が
進化を始めれば、

世の中の進化に
直結するだろう
ということで。

私は職人気質
なので、
ずっと一人で
粛々と
それをやってきたが、

ここ数年で
若い人達の
仲間も増えてきた。

私はあと
21年、
現役を続ける予定
だが、

目標としては
あと10年で、
私がいなくても
回っていく状態に
したい。

私は
私との約束を
果たせるか?

何とか
この3次元の
体がもつうちに、

この体と
共に

最期まで
すべきことを
やりきりたい。

つづく

はかりしれない人

まるで
偉大な芸術家が
描いた
抽象画のようだ。

何が描いて
あるのか
わからないのだが、

何かがグッと
伝わってくる。

メッセージの
ようなもの。

様々な色が
うねりながら

混じり合い
ながらも

それぞれの
個性を
醸し出し続ける。

バラバラの
ような
一体のような。

ただ、
時間と共に
全体の
エネルギーは

凄い勢いで
高まりつつ
ある。

これはきっと
中心にあるものが
凄いのだろう。

中心に
何がある?

その前に、

中心は
どこだ?

私は
目を凝らす。

一見すると
どう見ても
中心じゃないだろう、
という場所、

そう、
端っこの際に

その中心は
あった。

こんな端に
中心があるとは、

何という
アンバランス

のような
絶妙の
バランスか。

なるほど
これは
大物だ。

変態的
であり、
無限の
器の大きさを
感じる。

どのような現実
を前にしても

どんな歪さにも
対応できてしまう、
その
大きさ。

雄大、
というよりも、

壮大、
か。

気がつけば
私は
その様々な
色彩たちに
取り込まれて
しまった。

呑まれる。

だが、
気持ちがいい。

なるほど、
これが
A社長の
本質か。

つづく

それは順流か逆流か

順流に
乗れば、

そんなに
楽なことは
ない。

しかし
この世は
そうも行かず、

わかっていても
逆流に
向かわねば
ならないことも
ある。

実は
その方が
ワクワクすることも
あるのだが、

しかしその
ワクワクは
ほとんどの場合、
自己満足だ。

特にここからの
私達が
本当にすべきは、

順流を
必死に
探すこと、
だ。

諦めずに。

徹底的に。

そこにこそ
時間と労力を
かけるべきだ。

逆流で
遊んでいる
時間は
もはや、ない。

・・・・・・

ところが
流れには、

表面的な
流れと

奥の流れ


2種類がある。

その区別を
つけることも
ここからは
大切だ。

表面は
逆流に見えても、

奥が
順流である
可能性は
高い。

流れは、
底辺から順に
変化していく。

表面に
現れるのは
最後だ。

だから
表面よりも
奥を観よ。

奥を観る
ために
表面を
つぶさに観よ。

・・・・・・

奥の順流に
乗れば、

表面の逆流は
まるで
嘘のように
私達を
避けていく。

逆流なのに
何の抵抗も
感じないのだ。

なるほど
これが
幻影か、

これこそが
現象か、


そこで実感
できるだろう。

・・・・・・

流れそのものは
とても大きく
なっている。

どこも
かしこも。

順流だろうと
逆流だろうと、
一度流れに
乗ってしまえば、

ぐんぐん
進む。

そういう意味で
リスクは
大きい。

が、それを
リスクと感じず、

面白さ、と
感じられれば
上等だ。

私達は
今こそ
流れを掴もう。

流れに
乗ろう。

そのためにも
順流を
必死に探せ。

つづく

わからないわからない

何のために
進んでいるのか?


問うても、
なかなかしっくりくる
答えが見つからない。

そういう人は
多いのでは?

答えは
無理に
見つけては
いけない、
絶対に。

何もわからない。

しっくりこない。

納得できない。

という
各々感じている
気持ち悪さ、
こそを
そのまま維持する
こと。

それが
最も大切なこと。

ここは我慢して
気持ち悪さ

共に生きよう。

気持ち悪さを
打ち消さず、
常に

できれば
24時間ずっと

一緒にいよう。

ここを丁寧に
続ければ、

ある瞬間に
ふと

答えが
わかったかの
ような
感覚が
降ってくる。

降ってくるが、
それは
一瞬だ。

場合によっては、
一瞬、
何かが観えた
ような気がする
かもしれない。

実際、
それは
観えているんだ
けどね。

だけど
一瞬後は
すぐにもとに
戻ってしまう。

また
気持ち悪さが
くる。

結局何も
わからない、

わかった
つもりだったけど、
何も
変わらない、

・・・と。

それで
いい。

それが
いい。

その連続で
行こう。

それこそ
最短の道。

人生が
「間に合う」
ための
唯一の
やり方。

つづく

なぜ現実が開かれるか

いろんなものが
入り組んで
一つの現実が
創り上げられて
いる。

もっと
単純明快なら
楽なんだけどね。

入り組んだものを
無視して
物事を進めようと
すると、

さらに
面倒なことに
なりかねない。

だから
入り組んだものを
しっかり
観察しながら、

一つ一つを
丁寧に
区別しながら

物事を
進めるのだが、

もう到底、
そんなことを
している時間がない、

というケースも
ある。

実は私の
仕事では
そういったサポート
ばかり。

いちいち
考えている
時間すらない
ことも多い。

じゃあ
どうするか?

自分に
委ねるしか
ない。

実在の
自分に。

・・・・・・

現象に
対して、

現象レベルの
対応を
していると、

時間が
無限に必要に
なってくる。

混乱の
収拾はある程度
ついても、

実は何も
物事が進展して
いなかった、
ということは
ざらにある。

どうせ、
入り組んでいる
ならば、

いっそのこと

すべてを
一つに
してやれ。

・・・乱暴に
表現すれば
そういうことだ。

すべてが
一つ。

それが
実在だ。

そこに
戻る。
もともとは
一つだった
のだから。

一つ

分離して、

その上で
入り組む。

分離した
まま
一つになろうとし、
しかし
一つになれていない、
のが
入り組んでいる
状態だ。

であれば、
一つに
戻してしまう。

すると、

今は、

本当は、

何のみが
必要で、

何が
不必要か?


一瞬で
わかる。

で、
必要なもの
のみに
焦点を当て、

そこに
アプローチ
する。

廃棄された
ものを
全て溶かして
一つにした
上で、
全く新しい形に
創り変える。

そんなような
感じ。

で、
どうせ創り変える
なら、
本当に必要な
形にする。

そんな感じ。

上手い言葉で
表現は
しきれないが、

あえて
言えば
そんな感じ。

それが
私がいつも
させていただいている
サポートだ。

現象を
現象のまま
取り扱わない。

現象を
まずは実在に
戻した上で、
新たな現象として
生み出す。

これを
「異化」

言うらしい。

私は常に
「異化」
のための
サポートを
しているんだな。

つづく

調和をもたらすもの

人には
誰もに
リミッターが
あり、

自分で決めた
リミッターの
範囲内で
皆、それぞれ
頑張っている。

そして
ある一定以上の
満足が
訪れたら、

もういいか!

ということで、
自らその
リミッターを
外す。

リミッターが
外れることで
その人は
ものの見方の
広さと深さが
一気に変わる。

新たな自分
として
生まれ変わった
かのように。

そしてその
自分として
生き続け、

成長を
続け、

ある一定以上の
満足が
訪れたら、

またさらに
次のリミッターを
外す。

このようにして
人生において
いくつもいくつも
リミッターを
外しながら
生きていく。

が、

残念ながら
全人生で
リミッターを
一度も外さない
という
人がいる。

実は、
結構多い。

リミッターの
枠内で
成長をするが、
決して
リミッターは
外さない。

私が
「進化」と呼ぶ
成長とは
まさに
リミッターを外す
ということなのだが、

ということは
つまり
リミッターを
外さない人は

一生を経ても
全く進化していない

ということに
なる。

それはそれで
一つの生き方
ではあるのだが、

しかし明確に
言えるのは、

進化のない
生き方は
面白くない

ということ
だ。

逆に言えば、
進化を経験
することで
初めて、

人にはこんな
幸せがあるのか!

ということを
経験できる。

一度、経験
した人は
その生き方を
続ける。

つまり、
リミッターを
外す、という人生を
続ける。

一つの
リミッターを
外してから、
すぐにまた
次のリミッターを
外す、
というように、

外す頻度と
スピードを
圧倒的に高める
人もいる。

実は私は
そういう人を
こそ
サポートすると
決めてずっと
やっている。

そういう人が
増えるといいな、

願っている。

なぜなら
そういう人は
周りにとても
良い影響を与える
から。

自分だけで
なく
周りの進化も
促すから。

進化スピードが
速くなれば
なるほど、

調和は
増す。

世の中に
調和をもたらすのは
進化スピード
だ。

リミッターを
次々に外す人が
増えれば
増えるほど、

世の中は
調和する。

世の中に
調和をもたらす
進化スピードの
速い人達。

彼らを私は
「要」(かなめ)

呼んでいる。

社会の要を
増やすのが、
私の
仕事だ。

つづく