何か、
日本刀のような
ものを、
眉間に
突きつけられて
いる。
私は1mmも
身動きが
とれない。
冷や汗が
出る。
その状態で
問いが来た。
・・・
新たな中心を
何にする?
・・・
やはりか。
かなり
痛いところを
突かれている。
私は
早急に
私自身を
変えていくことに
なるだろう。
つづく
何か、
日本刀のような
ものを、
眉間に
突きつけられて
いる。
私は1mmも
身動きが
とれない。
冷や汗が
出る。
その状態で
問いが来た。
・・・
新たな中心を
何にする?
・・・
やはりか。
かなり
痛いところを
突かれている。
私は
早急に
私自身を
変えていくことに
なるだろう。
つづく
大きな葉
だな。
一枚が
こんなにも
大きいのだから、
いったい
この樹は
どれくらい
巨大なのだろう?
葉は鬱蒼と
繁り、
幹は
見えない。
幹を見たいな
と思い、
奥へ奥へと
分け入るが、
いつまで経っても
幹は
見えないままだった。
・・・・・・
夕べ、感じた
あの
眼差しは
何だったのだろう?
誰かが
どこかから
私を
見つめている。
じっと。
その視線が
ずっと
気になり
落ち着かなかった。
見守る視線
というよりも
どちらかと言えば、
私を試す
ような。
もっと言えば、
私の粗探しを
しているような。
・・・・・・
夜明けと
共に、
ここに来た。
ここを
目指してやって
来たのだ。
私は
知りたかったのだ。
その
本質を。
幹を。
幹さえわかれば、
自分の
動き方は
大概、わかるだろう。
ところが
その幹は
依然、見えぬまま。
・・・・・・
私をじっと
見つめる目
の正体は、
何となく
もう
わかっていた。
そいつ
こそが、
幹、だ。
私が幹に
辿り着けない
ということは、
そいつは
まだ
私を
認めていない。
だからきっと
今は、
どれだけ
足掻いても、
幹は姿を
見せて
くれないだろう。
きっと、
私の
足掻き方が
良くないのだ。
不純物が
入っているのだ。
・・・・・・
そうなれば
もう、
私がやることは
ただ一つだ。
足掻き続ける
こと。
今の
足掻き方が
まずかったとしても、
私には
私のできることしか
できない。
もちろん
いろんな足掻き方を
試してみるが、
もう、
上手くやろう
などという気持ちは
捨てた。
ただ、
常に全力で
やろうと思う。
私も
身が持たなく
なれば、
それで終わりだ。
であれば、
きっと私は
それだけの存在
だった、
ということだけの
ことさ。
・・・・・・
足掻き始めて
から、
もうすぐ
30年。
とりあえずは、
30年は
生き続けた。
いつ
倒れるか
わからない。
幹は
いまだに
見えないのだ。
ただ、
わかるように
なってきたのは、
幹は
迷い始めている。
私に
姿を見せるか
どうか?
今は真剣に
悩んでいる。
幹よ、
それでいい。
迷った上で
好きにしろ。
私の純度は
確かに
高まっているよ。
これからも
高めていくよ。
つづく
いつだって
そうだ。
後ろから
攻撃を
受けるんだ。
後頭部への
ダイレクトな
攻撃。
ホントに
危ない。
下手すれば
命を
落とすよ。
しかし
それをよく
わかっていて、
あえて
防御は
しない。
防御への
エネルギーすら
残さない。
それだけ、
目の前の現実に
向けるパワーは
無尽蔵に
必要なんだ。
防御なんて
している暇は
ないんだ。
・・・・・・
防御をする、
というのは
人としての
本能だ。
大切な
ものだ。
が、
自分自身に
対してのみ、
私はそれを
許さない。
理由は
さっきと
同じ。
防御なんかに
エネルギーも
意識も
まわすゆとりは
ない。
そんな人生を
選んだんだ。
・・・・・・
防御のない
人生。
だから
こんなに
辛かったのか。
だから
常に
こんなにも
苦しみ続けた
のか。
かと言って
自分のことを
強い、
などとは
一度も思ったことは
ない。
いつ
倒れるかわからない
という恐れを
常に抱きながら、
そんな自分を
強さの面では
信じ切れず、
しかし
だからこそ
ここまで
やってこれたのだと
思う。
自分の弱さを
知る者は
強い。
今でも私は
そう
信じている。
・・・・・・
この前、
生まれた瞬間の
記憶が
蘇ったよ。
私は
最初から
緊張しまくって
いた。
遥か遠い
未来。
遠い
人生。
ここから
大変な人生が
始まるんだ、
と
最初から
武者震いだ。
まず、
第一の目標が
ある。
必ず実現
すべきもの。
そこまで
58年
かかるだろう。
まずは、
58年
突っ切ること。
防御
なし、で。
・・・と、
そんな自分の
決意を
思い出したよ。
あと
一年。
あと
一年で、
人生の第一の
目標は
達成だ。
どうやら
それは
行けそうだ。
そして
一年後からは、
第2の目標に
向かう。
あと一年。
大事な
節目だ。
つづく
これまでの
私の道が、
私自身に何かを
語りかけて
くるようだ。
じっと
耳をすまして
みる。
まず最初に
感覚が
きた。
腰がドーンと
重い感覚。
だがそれが
しだいに
上昇する。
胸から肩へ、
そして
頭へ。
頭を越えて
さらに
上空へ。
その時点で
メッセージのような
言語がきた。
「一気に
行くんだよ。
段々、
ではないんだ。
一発必中を
目指している。
一気に
垂直に
突き抜ける。
リスクは
高いが、
そのために
綿密な準備を
してきた。
まだ、
準備しか
していないが、
これ以上ない
綿密さで、
それをして
きたんだ。
整えて
きたんだよ。」
なるほど。
そういった
意味では、
まだまだ
「準備」は
続く。
しかしもう
佳境だ。
そうなると
私の人生は
まるで
賭けのような
ものだな。
危なっかしい
が、
それしか道が
ないのだ。
賭けには
必ず
勝つよ。
そのために
やってきた
のだから。
つづく
地面が
なくなれば、
落下するしか
ない。
落下するしか
ないのなら、
落下すれば
いい。
そこに
抗っても
無駄だろう。
バタバタ
しても
疲れるだけだ。
どうせ
落下するなら、
できるだけ
気持ちよく
落下したいものだ。
・・・・・・
何を
諦めて、
何を
諦めては
ならないか?
この区別を
つけることこそ、
真剣さ
の基本だ。
ありとあらゆる
ことに対して
「諦めたくない!」
と
バタバタするのは、
ただの
執着だ。
執着は
不調和しか
生み出さない。
私のサポートの
基本の一つは、
ここだ。
諦めるべき
ことを
しっかり特定し、
それを
完全に
諦める。
そのための
サポート。
完全に
諦めることが
できれば、
逆に
エネルギーが
湧いてくる。
そして
諦めては
ならないものに
立ち向かっていく。
諦めるべきを
諦めたからこそ
湧いてくる
エネルギーがある。
これは、
マネジメントの
基本でもある。
・・・・・・
まずは
自己マネジメントが
できる自分に
なること。
それができれば、
組織のマネジメントも
できるようになる。
逆に言えば、
自己マネジメント
できない人が
組織マネジメントを
すれば、
組織はおかしく
なる。
自己マネジメントを
する気持ちの
ない人には、
組織マネジメントを
させては
ダメだ。
これは
極端な話ではない。
道理だ。
・・・・・・
何を
諦めるべきか?
は、
人によって
違ってくる。
だからこそ
組織が
必要だ。
ちゃんと
諦めるべきを
諦めている人同士が
組めば、
そこには必ず
シナジーが
生まれる。
「諦める」
を
「手放す」
と
表現し直しても
よいが、
ここから
特に必要なのは、
「手放す」
レベルでは
ちょっと足りない。
完全に
「諦める」
くらいの覚悟が
必要だ。
・・・・・・
あえて
「諦め力」
とでも
名付けたいくらいだ。
ここからは
皆、
「諦め力」
を
身につける必要が
ある。
「諦め力」の
ある人は、
自動的に
「立ち向かう力」も
ついてくる。
諦めるべきを
諦め、
立ち向かうべきに
本当に
立ち向かう。
これこそ、
自律・自立だな。
つづく
ほんのわずか
ながらも
光が差す。
本当にそれが
わずかで
あっても、
光であれば
もう、
大丈夫だ。
あとはもう
その光を
目指せばいい。
それこそが
あなたの
目標となる。
・・・・・・
光を
感じられない
目標であるならば、
そんな目標は
持たない方が
よい。
もちろん、
目標とは
ないより
あった方が
いい。
「私は目標を
持つことが
好きではありません」
という人が
いるが、
それは
本当に自分に合った
目標に
巡り逢えていない
だけのことだ。
私達は
誰もが
真本音レベルで
目標を
持っている。
最初から。
いつまでに
何を
果たすか?
を
決めている。
その目標は
実は
わかるだけでもう
幸せを感じる
ものだ。
目標そのものが
パワーを与えて
くれる。
自分の中に
光が
差し込むんだ。
・・・・・・
じゃあ、
組織で与えられる
目標は
ダメですね。
・・・と
言われそうだ。
そんなことは
ない。
たとえ
他者から
与えられた目標
でも、
それは
自分の目の前の
現実。
その現実を
引き受けることで、
それを
自分の真の目標
へと
昇華することは
可能だ。
組織内では、
私は
そこをこそ
サポートさせて
いただいている。
・・・・・・
いつまでに
何を
果たすか?
ここからは
これまで以上に
「いつまでに」
つまりは
「期限」
を
大切にしよう。
期限に
間に合わなくなると、
人生でも
仕事でも
厄介な不調和が
多発するように
なる。
が、
私達は
自分にとって
不可能な期限設定は
絶対に
しない。
絶対に。
「いつまでに」
・・・ここに
こだわることで、
初めて
道を見出せる。
期限とは、
私達自身を
活性化し、
私達の発想を
根本的本質的に
変えてくれる。
そういった意味で、
期限のない
目標は、
意味がない。
・・・・・・
もともと
人生だって
期限が
あるじゃないか。
あなたには
あなたの
人生の
長さがある。
それに
間に合わせて
自分の目的を
果たす。
これが
私達のやること
だ。
真の目標は、
私達に
光を差し込んで
くれる。
最初はほんの
わずかな光
だったとしても、
私達は
それを目指して
進もう。
つづく
軸は、
ゆっくり
できる。
本当の
軸は。
焦る必要は
ない。
もちろん、
本来の軸は
最初から
ある。
あなたが
生まれた
時から。
しかし
その顕在化が
難しい、
ということだ。
顕在化には
一歩一歩
という地道さが
必要だ。
・・・・・・
安易に
これが私の
軸だ!
と
決めては
ならない。
安易に
決めれば、
遠のく。
本来の自分
からも、
本来の道
からも。
これだけは、
とりあえずOK
で
行ってはならない。
じっくり
ゆっくり
着実に。
・・・・・・
その分、
試行錯誤は
しっかりした方が
いい。
自分の軸が
何か?
を
安易に言語化
するのではなく、
まずは、
軸そのものを
感じようとする。
体の中心を
貫いている
軸。
その感覚を
掴もうと
するところから。
感覚を
意識しながら
現実に
向かえば、
何となく
これが軸かな?
と
感じられる
瞬間がある
はずだ。
そうしたら
その瞬間を
増やしていく。
増やしながら
軸を
できるだけ明確に
感じよう
とする。
どんな
シチュエーションで
どんな
生き方をすれば
私は
軸を感じやすく
なるか?
ここをこそ、
試行錯誤すると
いい。
・・・・・・
軸を感じ取れる
瞬間が増えれば、
ある時から
ずっと
自分の軸を
意識していられる
ようになる。
そこからだ。
言語化は。
あなたの
軸を
最も的確に
表す言葉が
ある。
それは
一般論では
なく、
あなただけ
に
当てはまる
もの。
その言葉は
ある瞬間に
フッと
直観的に
浮かぶものだ。
それが
来るまでは
決して、
安易な言葉を
当てはめないこと。
あなたの
軸が何か?
は
あなたの
軸が
教えてくれる。
つづく
世の中の
理不尽を
感じながらも、
サラサラと
流れていく。
何んの
抵抗もなく。
なぜ私の
周りだけは、
こんなにも
サラサラと
流れるのか?
ここだけ
何の障害もない
静謐な川の
ように。
・・・・・・
どこもかしこも
理不尽だらけだ。
純粋な想いで
進もうとしている
のに、
必ず
妨害に遭う。
もっとそのままの
純粋さで
進ませて
あげたいのに、
足を
引っ張られる。
進もうとする
人ほど、
進む気のない
人達から
恨みを買い、
要らぬ攻撃に
遭う。
理不尽の
大元は、
大概の場合は
人の執着
か。
・・・・・・
夢を観た。
そんな理不尽の
集積のような
夢を。
多くの
進もうとする人を
何とか
助けたい!
と
思っているのに、
どうしようも
なく、
落胆する
夢だった。
目が覚めようと
すると、
それを強烈に
拒む私がいた。
この夢、
覚めたくない。
この理不尽を
このまま
終わらせたく
ない。
・・・と。
すると
夢の続きが
始まった。
そこで私は
講座を
していた。
理不尽に
遭った人達が
私の周りに
座っている。
私は
彼らのことを
心の底から
尊敬し、
格好いい人達
だなぁ、
と
感嘆していた。
もう本当に
この人達には
理不尽な目には
遭ってほしくない!
との気持ち
一心だった。
私は彼らに
私が30年間
培い続けた
セルフコーチング法を
レクチャーしている
のだった。
そこでの
私は
「純粋自分」
という言葉を
使っていた。
「純粋自分を
取り戻すんです。
もう躊躇せずに。
そうすれば
理不尽は
遠のいて行きます」
と
熱心に
語っていた。
そこで
目が覚めた。
あぁそうか、
私はやっぱり
こういうことを
したいのだな、
と
思った。
やろうかな?
新講座。
つづく
壁がある、
と
見えていたのに、
実は
本当は何も
なかった。
自分が
勝手に創り出した
幻影、
幻想、
だった。
ということは
多いね。
私達の人生に
おいて。
しかも
何度も何度も
同じパターンの
幻影を
私達は創り出す。
まるで、
自分で自分を
妨害するように。
・・・・・・
本当の壁は、
実は
とても遠い。
まだまだ
先に
あるのに、
その
本当の壁の
気配を
察するとその時点で、
私達は
恐怖を感じ
始める。
これから
自分の歩む
その先に
実在として
待っている
本当の壁。
怖い。
すると
私達の足は
すくみ、
この道を
進む気力を
その時点でもう
失い始める。
そして
先に進まない
ために、
つまりは、
その壁に
近づかないために、
幻影の壁を
創り出す。
そしてそこで
進めない
進めない
と
言いながら、
それを口実に
して、
止まる。
止まる
ことで、
本当の壁には
近づかなくて
済む。
私達は
こうして
幻影の壁を
創り続ける。
同じような
パターンで。
・・・・・・
しかし
実は、
怖い怖い
本当の壁
よりも、
幻影の壁を
創り出すことの
方が、
私達は
何倍も消耗する
のだ。
しかも
それを繰り返す
自分が
嫌にもなってくる。
自分への
信頼が
なくなってくる。
その結果
として、
本当の壁よりも
もっとキツい
苦しみがくる。
実は、
本当の壁とは、
怖いものであるが、
それに
正面から向き合えば、
壁を
まだ越えていなかった
としても、
その時点から
私達は
エネルギーに
満たされ始める。
壁に向かう
という
その行為によって、
私達の内側の、
中心の、
エネルギーが
開放され始める
から。
残念ながら、
幻影の壁では
それは
起こらない。
幻影の壁が
もたらすものは、
単なる
疲労、疲弊、
衰退、衰弱
だ。
・・・・・・
怖さを
乗り越えよう。
もう、
幻影創りは
やめよう。
そんな時間は
もう、ない。
私達は
私達自身の
本当の壁に
向き合うべき
だ。
その壁が
先の方にある
ならば、
そこまで
自らの意志で
走って
行こう。
つづく
一日中、
コーチングを
していると、
途中から、
訳がわからなく
なる。
自分の
顕在意識が
どこかに
飛んで行って
しまったように、
意識不明の
状態となる。
遠くの方で
私が
動いている。
表情も
体の動きも
出される言葉も、
私からは
遠い。
自動的に
勝手に
動いている
ようで、
あらかじめ
プログラムで
決められていた
動きを、
プログラム通りに
動かしている
だけのようで。
それを
遠くから
ボーッと
眺めている。
ただ、眺めて
いる。
・・・・・・
一日が終わり、
電車に
乗っていると、
その途中
くらいから
徐々に
我に返って
くる。
いわゆる
思考
というものが
できるように
なってくる。
そこで初めて
その日一日の
記憶が
浮上してくる。
あんなことが
あったな。
こんなことが
あったな。
あぁあの時
私が返した
あの一言で、
展開が
変わったな。
ということは
やはり
あの一言こそ、
あの人にとっては
命綱。
それにしても
なぜあの一言が
出たのだろう?
あの言葉は
どこから
来たのだろう?
・・・と、
分析に入る。
そしてその
一日を
もう一度、
顕在意識レベルで
体験し直す。
それをして
ようやく、
腑に落ちる。
その一日が
腑に落ちる
のだ。
・・・・・・
私は
その場に、
その時間に、
自分の身を
預けている
だけなのだ、
きっと。
その代わり、
完全に
預けている
のだ。
預け切って
いるのだ。
ここまで
くるのに、
30年近い
年月を
要した。
来る日も
来る日も
人と
向き合い続け、
ようやく、
預ける
ということが
わかって
きた。
そういった
意味で、
私は
傍観者だ。
全てを
ただ、
観察する
だけの。
・・・・・・
この仕事は
奥が
深い。
深過ぎる。
それはきっと
人間
という存在の
奥が深いから
だろう。
人と向き合う
とは
どういうことか?
人を
サポートする
とは
どういうことか?
昨日より
今日も
また
一歩深まった。
昨日と
同じ場所には
いない。
このまま
私はさらに
あと20年、
深め続ける
つもりだ。
つづく
これまで
積み上げてきた
ものを、
あなたは
壊すことが
できるかな?
これまで
培ってきた
自分自身の
プライドを、
あなたは
手放すことが
できるかな?
壊す。
手放す。
・・・これまでも
大切なこと
だったが、
ここからは
さらに
これまでの
数十倍も
大切になる。
・・・・・・
いつだって
ゼロに
戻れるよ。
という
清々しい
気持ち。
潔い
想い。
そういった
ものを
当たり前のように
持ち合わせている
人との
出会いは、
実に
清々しい。
ゼロに戻れる
覚悟。
もしそれを
世の中の大半の
人達が
持つことが
できれば、
この世の中は
きっと
一瞬で
変わるだろう。
・・・・・・
そんな覚悟、
とてもとても
持てないよ、
人間である
限り。
・・・と
思うだろ?
私もそう
思ってきた。
が、しかし
最近の潮流を
見つめていると、
ひょっとすると
そうでも
ないかな、と
思えるように
なった。
いやむしろ、
それは無理!
という
固定観念こそを
まず最初に
捨てるべき
なのだろう。
そう
実感したんだ。
ホントに
ここ数日で。
・・・という
わけで、
私は
捨てた。
その固定観念
を。
捨てたら
だいぶ
楽になったよ。
だから
ここからはまた
人や組織への
サポートの仕方も
変わるだろう。
どう
変わるか?
今から
楽しみだ。
つづく
私達は、
垂直、真上に
普段はあまり
意識を向けない。
ところが、
肝心の発想や
直観は、
真上から
くることがある。
真上と
繋がっている
感覚。
これに
敏感であると
いい。
が、
これの難しい
のは、
やり過ぎると、
自分の
安定感が
減退する可能性が
あることだ。
上へ上へ
という意識は
私達の足元を
疎かにし、
かつ、
「ここ」に
立っている意識を
気薄にする。
・・・・・・
今、
を大切にしよう!
と
ずっと私が
言い続けている
理由は
ここにある。
どれだけ意識を
上に向けても、
ずっと
「ここ」に居続け
られる自分になる。
そのための
基本が、
今を生きる
ことだ。
今、ここに
1分1秒
ずっと
意識を置き続ける。
この世界を
しっかりと、
大地から
感じ続ける。
という
「存在する」
という意味での
当たり前の状態を
私達人間は
忘れやすい。
なぜなら
自分の
「解釈の世界」
「妄想の世界」
に入りやすいから。
そこに入っている
間は、
もう
「ここ」
にはいない。
目の前の現実の
あらゆるものが
目に入って
いない。
その状態に
一日の大半
入っている人が
特に最近は
増えた。
例えば、
スマホを見続ける
という行為は、
妄想に入っている
のと
ほぼ同じ状態と
なる。
「この映画を
楽しもう」
というように
意識的に映像を
楽しむことは
いい。
が、
ただ惰性のままに
何の意識もせず、
ただただ
スマホの画面を
見続ける。
この「惰性」こそが
まずい。
それにより
私達は
「ここ」
から離れる。
外れる。
すると、
「大地」を忘れる。
そして、
「上」と
繋がれなくなる。
そのため
肝心要の
自分にとっての
最上の発想が
手に入らなくなる。
望む人生が
離れていく。
ということに
なる。
・・・・・・
ちゃんと
丁寧に
生きよう。
「ここ」
を生きよう。
惰性で
生きるな。
現在の社会は
より
惰性で生きやすい
環境になって
しまった。
この事実に
本当に
気づける人だけが
自分の本当の
人生を
創っていける。
つづく
自然に
触れてきた。
樹々と
対話をした。
緑々した
葉っぱの一つ一つ
が、
丁寧に
語りかけてきた。
そういえば
昔、山をやっている
時は、
いつもこうやって
語り合っていた。
私の場合、
人との語り合い
よりも前に
山々と
語り合っていた。
それが今の
セルフコーチングの
基礎となった。
セルフコーチング
とは
自己対話。
自己対話とは、
自分以外の
何かと
向き合い語り合う
ことで
深まっていく。
そういった
原理を
自然たちは
それこそ自然に
私に
教えてくれたの
だった。
・・・・・・
自然と
語り合えば
如実にわかる。
今のこの世の
状態が。
この世は
ますます
二極化している。
進む存在は
ますます
加速し、
進まない存在は
ますます
同じ場所に
固執する。
そのギャップが
過去最大
であり、
そのギャップに
よって
世の中は
軋んでいる。
実在のレベル
では、
その軋みへの
対応で
私は自分の
生命力の
ほぼほぼ全てを
使い果たした。
しかしなんとか
ようやく、
それが
今日、一つの
完了をみた。
おかげで
こうして
自然たちと
語り合えている。
・・・・・・
今日は
久しぶりの
休息だった。
いつ以来
だろう?
わずか半日の
休息だが、
きっとこれは
とてつもなく
大きい。
もう少しだけ
休もう。
そしてまた
スタート
ダッシュだ。
つづく
遠くの方から
一つの
問いが、
スーッと
近づいて
くる。
私にとっては
よくあること。
それが
通り過ぎない
ように
細心の注意を
払い、
キャッチ
する。
今回も
上手くできた。
その、
光のような
問いを
しっかりとまずは
胸に抱き、
その上で
その光の中に
入った。
光と一つに
なることで
その問いは、
私そのものとなって
浮上する。
・・・
これから
何が
明ける?
私が、
明けさせる
のは
何であるべき?
・・・
「明けさせる」
という
かなり攻撃的な
表現だ。
が、
今はこの
攻撃性こそ
必要なのだろう。
もちろん
私には
答えがある。
あなたにも
あなたの
答えが
あるのでは?
つづく
後押しを
される
感覚。
応援されて
いるのかな。
この感覚を
初めて
得たのは、
32年前。
人生の
大きな決断を
し、
第一歩をまさに
踏み出そうと
した、
あの時。
明確に
覚えている。
この感覚が
ある限り、
私は勇気を
出せるだろう。
・・・・・・
逆に、
引っ張られる
感覚も
ある。
前方に。
前方の
遥か彼方の
未来から。
その未来には
当然、
私はもう
いない。
ずっと先の
想像もできない
未来の世界。
その世界
から、
その人々
から、
引っ張られる
感覚。
これが
ある時は、
かなり強引な
無茶も
やってこれた。
・・・・・・
それらの
感覚の
次に来るのは、
大地の
感覚だ。
自分の足に
根が生えた
ような、
大地から
あらゆるパワーを
いただく
ような、
ガッシリとした
安定感。
私は今、
ここにいる。
確かに
ここで
存在している。
事実を超えた
実感が
くる。
後ろから
前から
大地から。
三方からの
人智の及ばない
この感覚のおかげで、
私は
飛べるのだ。
つづく
大丈夫、
このまま行けば
いい。
・・・という
感覚が
奥の方から
湧き上がってくる。
理由も理屈も
ない。
根拠のない
メッセージ。
ここで、
なぜ大丈夫
なのだろう?
と
考えたり
セルフコーチングする
ことはない。
やっても
無駄だ、
と
知っているから。
・・・・・・
本来の直観
とは、
言葉になる以前の
状態のもの。
だからそれは
感覚
でしかない。
その感覚を
信じきる
というのは
難しいことかい?
まぁ、
難しい
だろうね。
多大な勇気が
必要だろう。
しかし、
何がどうあっても、
その感覚を
第一に尊重する。
・・・と、
私は決めた
のだ。
15年前から。
・・・・・・
私の人生は
あと21年。
・・・これも
根拠があっての
ことではない。
ただ、
そう思える
のだ。
非常に
リアルな夢、
死ぬ瞬間の
夢を観た
あの日から。
もし仮に、
21年経っても
生き続けることが
できたなら、
それはそれで
ラッキーという
ことで、
あとの人生は
余生として
楽しもう。
いずれに
しても、
あと21年と
決めているから、
私の日々の
行動、
今の行動は、
すべてその観点
を基本とする
ものとなった。
私の人生は
すべて、
21年後のその
一点に向けて
収斂していく。
ずっと
そうだ。
・・・・・・
人生の終わり
の一点から
見つめれば、
人生とは
いかに短い
ものであるか。
私一人で
できることなど
たかが
知れている。
どちらかと
言えば、
絶望してしまう。
あまりに
時間がない
ので。
・・・・・・
あと21年で
人生の目的
を果たすために、
私はあえて
最も難しいルートを
とることにする。
これまでの
私では
到底、
太刀打ちできない
ルート。
そこに
踏み込むことに
する。
すると
また、
大丈夫、
そこを行けば
いい。
と、根拠のない
直観が湧く。
これが出たら
もう、
問答無用で
進むしかない。
つづく
あまりに
想定外の
出来事だったので、
まるで
頭上から
岩が落ちてきた
かのような
衝撃を受けた。
そして
心があたふた
した。
たまに、
竹内さんって
驚くこと
あります?
と
訊かれたり
するが、
あるに
決まってるだろ。
人間なんだから。
ビビって
あたふたして、
というのは
当たり前にあるよ、
それは。
嬉しいショック
なら良いが、
悲しいショックも
いくらでもある。
上手くいかない
ことなんて
いくらでも。
現象レベルでは
それが
当然。
その中で、
何が起きても
何が起きなくても
真本音で
向かい合って
進んでいく。
そこは
変わらない。
・・・・・・
あまりに
悲しいと、
一晩中でも
泣く。
心の動き
には
素直になっている。
特に感情は、
素直に
そのまま、
自分の内面から
浮上するに
任せる。
ただ、それを
人に
ぶつけるかどうか?
は
真本音で決める。
だから
一人の時などは、
じっと
自分の感情を
感じ続ける。
それは、
人間というもの
をそのまま
味わう行為でも
ある。
自分に対して
自分の感情は
隠さない。
ごまかさない。
そのまま、
あるがまま。
これが
最も健康。
・・・・・・
私達は
人間として
生きている。
この
未来の予測が
つかない
世界で。
そこに
意味がある。
だから私は
どれだけ
真本音度合いが
高まろうと、
いや、
だからこそ、
自分の気持ちを
反応本音たちを
大切にする。
あたふた
しながらも
真本音で
生き続ける。
つづく
新たな自分が
生まれる時
というのは、
案外、
特に感動とか
感慨とかが
あるわけではない、
ことが多い。
あぁ、これね、
という感覚。
それは
ずっと忘れていた
けど、
思い出したら
思い出したで、
それがここに
あるのは
当然だよな、
と思える
あって当たり前
のものだ。
新たな自分が
生まれる
といっても、
それは
本来の自分が
戻ってきた
ということに
他ならず、
本来の自分
とは、
自分にとっては
当たり前の
自分だから。
あぁ、なんだ、
そっかそっか、
忘れてたよ。
・・・とね。
・・・・・・
ただ、
周りの反応には
驚くことは
多い。
自分が
いつものように
普通に
何気なく
とった行動が、
思わぬ反響や
影響、波及を
生む。
むしろ
その現象が
驚きを呼ぶ。
周りから見れば、
何、この人、
どうしたの?
別人になった
みたい・・・。
という印象だ。
もちろんそれは
良い方向への
想定外。
それはこれまでに
決して起こらなかった
新たな現実展開を
引き起こしていく。
そこに至って
ようやく、
本人は自覚する。
どうやら
私は
変わったようだ。
私の人生は
変化を起こすようだ。
・・・と。
・・・・・・
この段階で
そのご本人から
いただく
とても多い
ご質問がある。
「こんなに物事が
上手く運んでしまって
良いのでしょうか?」
いやいやいや、
これまでが
普通ではなかった
んです。
余分なことが
多過ぎて、
余分な波、
余分な展開が
発生し、
余分な対処が
必要になって
いたんです。
それらが
根こそぎ
なくなっただけ
ですよ。
これが
普通の状態
です。
・・・何度、
こういったご説明を
してきたことだろう。
・・・・・・
そして
当たり前のこと
だが、
こうなる状態が
ゴールでは
ない。
ここが
本当のスタート
だ。
本来の自分
として、
ここから
本来の道を
創り出していく。
もう
余分なことは
一切せずに、
自然体の
自分のまま
まっすぐに
進む。
時間は
ないんだ。
超スピードで
進むんだよ。
つづく
四方八方に
意識を
向けると、
ある瞬間に
世界の全て
が
入ってくる
感覚がくる。
かといって
すぐに何かが
わかるわけでは
ない。
私達の顕在意識に
それほどの
容量はない。
小さな容量を
何とか
やりくりして
生きている。
世界の全てが
入ってきたな、
という
実感はあっても、
実感だけで
ある。
ただ、
その後は少し
意識をし続ける。
すると
根拠のない
直観が
徐々に浮上するように
なる。
・・・・・・
世界の実在に
大きな変化は
ない。
ある意味、
半年くらい前に
変化は
し尽くした、
という感じだ。
だからこそ
次の段階として、
現象レベル
つまりは
私達の認識している
現実レベル
での
変化が始まる。
今は世界的に
様々な
不安定が
増長しているが、
それは
致し方ない。
実在が
大きく変化し
その変化が
完了したのだ。
次は
現象の番だ。
・・・・・・
そういった
意味で、
実在と現象の
乖離は
ますます
広がっているが、
しかしその中
でこそ、
実在と現象
が
一致する
人達が
一気に
増え始めている。
しかし
多くの場合、
その
自らの「一致」に
対して、
大きな戸惑いと
不安が
沸き起こるものだ。
その結果、
自分を
何とかしなければ、
自分を
変えなければ、
と
焦り始める。
今の私は
そういう人をこそ
サポートしたいと
思っていて、
そういう人達に
最も
お伝えしたいのは、
“そのままで
いいですよ!”
ということだ。
・・・・・・
人類の可能性、
という
視点で言えば、
今この時点で
実在と現象が
一致している人達
こそ、
可能性の
原点である。
と
言える。
原点が
しっかりする
ことで、
可能性は
大いに広がる。
今はまだ
原点しか
ない。
というか、
原点すら
まだ
成り立っていない。
でも、、
もうすぐだ。
広がりの
準備まで。
つづく
たくさんの
攻撃を
受ける。
基本、
それを
よけることは
しない。
痛い。
当然だ。
しかも、
その痛みに
麻酔は
かけない。
誤魔化そうと
しない。
痛いものは
痛い。
そのままの
痛さを
感じ取ろうと
する。
ある意味、
味わおうと
する。
こういった
生き方は、
誰も彼もに
お奨めできる
ことではない。
しかし私は
それで
やってきた。
人生の
途中から
だけど。
・・・・・・
どうしても、
痛みを
誤魔化したり、
麻酔をかけようと
する
自分が出る。
実際に、
自覚しないままに
麻酔をかけてしまった
ことも
何度もある。
しかし
それを見つけるや
いなや、
麻酔は
消し、
誤魔化していた
分の
痛みの
何倍もの痛みを
あえて
自分の中で
創ったりもした。
なぜ
そんな馬鹿げた
ことを
し続けたのか?
それだけ
私は
人間を理解
したかったのだ。
・・・・・・
もちろん、
人間という存在を
理解しきる
ことなどできない。
理解できたな、
と
思えた時はあったが、
その度に
手痛いしっぺ返しに
遭ってきた。
理解しきれない
からこそ、
理解しようと
し続ける。
私には
それこそが必要で
あると、
思っていた。
その自分の
歩みに
後悔はないが、
おかげで
私は
ボロボロになった。
特に、心は
ひどいものだ。
何度も
壊れて修復不可能に
なった。
しかしそれでも
復活できているのは、
実在、
を感じ取ることが
できたから。
真本音
を感じ取ることが
できたから。
それが
唯一の
救いだった。
・・・・・・
人は
弱い。
本当に
そう思う。
人の弱さが
創り出す
現実。
それがますます
今の世に
溢れている。
しかし
弱さを正そうとは
思わない。
できないし。
人間で
ある以上。
弱さ故に
弱き存在だからこそ
できることが
あるのでは
ないか?
それをずっと
探究し続けて
きた。
今もそれは
ずっと
続いている。
・・・・・・
人間として
生きることは
辛い。
辛過ぎる。
私に
とっては。
もっと
いい加減に
生きた方が
楽なのに。
とも
思うが、
もうこれは
変わらない
だろう。
なぜなら
私自身が
変えようと
思っていないから。
・・・・・・
私は、
人間である
私自身と
運命を
共にしていく。
未開の地、
新たな地、
へも
進んでいく。
きっと
これまで以上の
「これは無理だ!」
と
出会い続ける
だろう。
わかっては
いるが、
やはり私は
それを
したいのだ。
人間として
ね。
つづく
運命が
覆いかぶさって
くる。
重く、
濃い
運命が。
運命とは、
命が運ばれる
道。
その道を
自覚することは、
重くて
濃くて
辛すぎる、
ということがある。
私など、
まさしくそうで、
自分が自覚した
その道から、
目を背けるか、
もしくは
なかったことに
するか、
もしくは、
わかったふり
理解できたふりを
しながら
確信犯的に
逃げ続けるか。
私がとったのは、
その
3つ目の道
だった。
ずっと。
人生で
ずっと。
しかし
その生き方では
絶対的に
いつかは
立ち行かなくなる。
逃げ続ける
ことで
追い詰められる。
追い詰められても
それでも
目を逸らそうとし、
ついには
本当に
八方塞がりに
なった。
で、
諦めた。
諦めて
また進み始めたが、
しかしまた
しばらく経って、
逃げ始めた。
逃げる、
というよりも
ペースを落として、
様々なことを
後回しにし続けた、
というか。
しかし
それもやはり
絶対的に
無理がくる。
とうとう
強引に
「すべてを思い出す」
という
目に遭った。
それが、約
15年ほど前の
話だ。
・・・・・・
人は
逃げるもの
だ。
逃げるのが
人だ。
私が
運命を
受け入れることが
できたのは、
逃げている
自分を
ちゃんと
「逃げている」
と
認知したからだ。
そこを
認め、
受け止めた
から。
自分で自分を
誤魔化すことを
やめた。
こんなに
弱い自分なのだ、
と。
こんなに
弱い自分が、
自分の運命として
この道を
選ぼうとしている
のだ、と。
その瞬間に、
できるかどうか?
とか
可能かどうか?
という視点が
綺麗さっぱり
吹き飛んだ。
そして、
やる、と決めて
いるのだから
やるしかないな、
と
諦めたのだ。
そう、
完全に
諦め切ることが
できたのだ。
・・・・・・
今だって、
私は
私の運命が
重い。
可能かどうか
で言えば、
私の心は
素直に、
不可能だ
私には
無理だ
と
呟いている。
が、
それが
どうしたと
言うのだろう。
そんなものは
関係ない。
私は単に、
今日、やることを
今日やる。
明日、やることは
明日やる。
その連続で
生きている。
これが
運命の道
だからだ。
つづく
壊すものを
壊さないと、
先に進めない。
・・・という
度合いが
実に一気に
高まりつつある。
壊さねば
ならないので、
ここはもう
コーチングの範疇では
サポートできない。
だから最近の
私のサポートは、
指導的要素が
随分と高まった。
でも、
私の「指導」は
キツいらしく、
いわゆる
一般的な人では
耐えられない
ようだ。
だから、
耐えられる人
のみに
直接関わっていく、
というのが
ここ数年来の
私の方向性だ。
幸い、
仲間も増えた
ので、
私ではできないことを
仲間にしてもらう、
というケースも
増えた。
とても
ありがたいことだ。
・・・・・・
年齢を重ねれば、
やれることは
減っていく。
そう
実感している。
それは良いことだと
思っている。
自分が本来
すべきことを
妥協せずに
する。
・・・なんか
単なる頑固ジジイ
のように
思える言い草だが、
これのおかげで
良い出会いが
増えたのは
確かだ。
・・・・・・
私は
頑固かな?
ということには
いつもかなり
気を使っている。
頑固である
ことは
疑いはないが、
ただ、
真本音の頑固さ
のみ
大切にしたいと
思っている。
反応本音レベルの
頑固さは
全て破壊する。
ちょっとでも
見つけたら、
すぐにその場で
完全破壊する。
ということは
日々、
行なっている。
・・・つもりだ。
・・・・・・
私と一緒に
活動していて、
彼らは
楽しいのかな?
どうだろう?
訊けば、
もちろん
楽しいですよ!
と
目をキラキラさせながら
言うに決まっているが、
もちろんそれは
真本音レベルではね。
でも人間は
みんな、
反応本音もあるから。
そのレベルでは
きっと、
言いたくても
言えないことは
たくさんあるのだと
思う。
できれば、
私は
彼らの反応本音も
大切にしたいのだ。
が、
頑固ジジイに
反応本音をぶつける
のは、
ちょっと難しいかな。
・・・・・・
私の周りには、
私と
向き合わない人は
一人もいない。
もちろん
人間なんで、
表面的に小賢しい部分は
誰だって
あるだろう。
が、
みんな
根っこは真面目な
人達ばかりだ。
根が真面目
なので、
もっともっと
自由にやって
もらいたい。
ホウレンソウ
なんて、
後回しでも
良いから、
勝手にやって
勝手に進めて、
むしろ私を
困らせてくれると
面白いだろう。
なんて、
悠長なことを
言っていると、
本当に
困らせられそうな
人達ばかりだが。
ただ本当に、
彼らの歩みは
後押ししたい。
私がいることで
自分の人生や
自分のすべきことが
加速できるなら、
私を
活用してもらいたい。
そうでなければ、
私に構わず、
自由にやっていけば
いい。
彼らの人生が
間に合います
ように。
これが今の
私の
彼らへの
最大の祈りだ。
つづく
一見、
相性が良さそうな
二人に見えても、
実はそれは
表面的なことに
過ぎない場合は
多い。
距離が縮まり、
関係が深まる
ほどに、
様々な齟齬や
溝が増えていく。
関係を改善
しようとすれば
するほど、
ズレていく。
人間関係は
距離感が
重要だ。
距離感を
間違えると、
関係は
悪化の一途を
たどる。
それは
相性の良し悪しに
関わらず
言えることだが、
根本的な
相性がイマイチだと、
その
距離を掴むこと
自体の難易度が
上がる。
・・・・・・
私が常に
「人としっかり
向き合おう」
と
言い続けている
のは、
向き合うこと
でしか、
本当の距離感を
見出すことが
できないからだ。
向き合わずに
「あの人との
距離感は
きっとこれくらいが
良いだろう」
と
勝手に答えを
出すと、
大概、
外れる。
会社も家族も
友達も、
あらゆる
人間関係において
これは
言えること。
・・・・・・
根っこの
相性がとても良く、
しかし
表面的な相性が
とても悪い、
という関係も
ある。
結構、多い。
すると、
表面的なところのみ
見て、
その人達は
お互いの距離を
離そうとする。
それは実に
勿体無い。
だから
そういう関係を
こそ、
私はサポートすることに
している。
本当に
向き合えば
わかるのだ。
あぁこの人とは
もっと
近づいた方が
良いな、と。
その機会を
私は強引にでも
創り出す。
・・・・・・
人間関係は
複雑だ。
・・・という
ように見えて、
実は至って
シンプルなケースが
多い。
私がお奨め
なのは、
成長スピードが
同じ人の
そばにいること、
だ。
成長スピード
とは、
今現在の成長スピード
ということでは
なく、
本来、その人が
望んでいる
成長スピード
のことだ。
これが同じ人が
すぐそばにいれば、
お互いが
刺激し合って、
二人とも一気に
本来の成長スピードに
近づいていく。
本来の成長スピード
で進んでいる人達は、
各々のスピードが
異なっていると
しても、
必ず、
調和する。
「本来」とは
「調和」を
生み出すもの。
本来の
成長スピードの
近い人達を近づけ、
本来の
成長スピードに
乗り、
そういった
人達が増えることで、
組織(ひいては社会)
全体の調和性が
高まっていく。
私が行なっている
サポートの
本質は
ここにこそある。
つづく
見上げる
空は、
青一色に
見えるが、
目を凝らせば、
実に様々な
色が
入り乱れて
いる。
空にも、
安定と
不安定が
ある。
同じ快晴の
空だとしても。
同様に、
あらゆる
物事や
あらゆる
人に
目を凝らして
みよう。
あらゆる
現象は、
様々な
入り乱れの状態で
存在している。
ただ、
さらに
目を凝らして
いると、
その向こう
側に、
その奥に、
ずっと
変わらずに
輝き続けている
ものがある。
真本音。
実在。
あらゆる存在
には、
真本音が
ある。
実在が
ある。
それは
実に
実に
わかりやすい
メッセージを
送り続けて
いる。
それを
素直に
受け止めて
生きていく。
それこそ
人生を
幸せに進める
唯一の
原則。
つづく
新たな人生に
自分自身を
進めるかどうか?
その
選択をしっかり
すべき瞬間が
ある。
そのタイミングが
重要だ。
同じ選択肢
でも、
タイミングが
異なれば、
異なる答えが
出る。
今だ!
今が
決める時!
と
確信できた瞬間に
決めること。
そして
そこで決めた
ことは
もう
変えないこと。
その瞬間の
自分を
信じ切ること。
・・・・・・
自分のこと
よりも、
他人を観ていた
方が、
そのタイミングは
掴みやすい。
そういった
意味でも、
他者を真剣に
サポートすること
は、
どんな人にでも
お奨めしたい。
真剣な
サポート。
つまり、
その人のこと
のみに
意識を向けきった
サポートだ。
自分の解釈も
自分も思惑も
すべて
横に置き、
超純粋な
サポート。
これを通じて、
他者を理解し、
人を理解し、
そして
自分の理解に
繋がっていく。
もちろん
最初からうまく
いくかどうかは
わからない。
しかし
純粋な眼差しを
向けよう!
という意志が
大切だ。
・・・・・・
結局は、
自己理解が
最も難しい。
自分のことを
自分はよく
知っている、
などと
思わない方が
いい。
そう思っている
人は
傲慢だ。
傲慢の
極みだ。
人は、
自分は、
そんなに
浅く
一面的なものでは
ない。
・・・・・・
人と
本当に
向き合いながら、
それを通じて
自分と
向き合う。
全ての人は
自分の
鏡。
人を通じて
自分を
知る。
それが人生
なのだと
思う。
そういった
生き方が
できている人ほど、
自分にとっての
絶好の
決断のタイミング
は
わかるように
なるものさ。
つづく
今は、
何をする時間
か?
ここを
丁寧に
意識しよう。
何のために
何をするのが
唯一無二の
今、
というこの
瞬間なのか?
この
場なのか?
それを
一つ一つ
しっかりと
明確にし、
理解した
上で、
「今」を
始めよう。
惰性で
行動したり、
勢いだけを
武器に
したり、
雑に
取り扱ったり。
気がつけば
人は
ついついそうなる
が、
ここを
当たり前のように
丁寧に
やり続ける
だけで、
人生は
好転を始める。
たとえ
自分の発想が
間違っていても
いい。
最初は。
雑に進む
よりも、
間違っていても
丁寧に
進む。
それが
流れを生み出す
と共に、
自分の感性を
急激に
育ててくれる。
「今」は
今しかない。
永遠の中の
今であり、
今の中に
永遠がある。
他に
換えようのない
今、ここ。
この場。
この私。
それをしっかり
味わおう。
つづく
一点のみ、
逆の方向に
風が
吹いている。
異常な
現象だ。
そこに
何かがある
のだ。
こういう場合は、
放っておけない。
何がなんでも
その何かを
突き止めたい。
・・・・・・
なぜなら
そこは
特異点
かも
しれないから。
一気に
この世界、
この次元
から
次へと抜け出る
一点。
そう簡単には
見つからない。
たとえ
見つかったと
しても、
簡単には
近づけない。
しかし私は
そこにこそ
行かねば
ならない。
特異点の
突破なくして、
私の人生の
目的は
果たし得ない
からだ。
・・・・・・
特異点を
求める人は
多い。
そこを
通過することを
前提で
生きている人は
増えた。
今後は
さらに増える。
だから私は
誰よりも
特異点のことを
よく理解し、
そういった
人達のための
サポート法も
もっともっと
開発せねば
ならない。
特異点を
求める人は
全員、
特異点を
通過して
ほしい。
非常に
難易度の高い
ことだ。
しかし
ここからの時代に
絶対的に
必要なのは、
“特異点経営”
だから。
つづく
清冽で順調な
川の流れが、
たった一つの
岩が
あることで、
澱んで
しまう。
そこで
流れに混乱が
起きてしまう。
あの岩が
なければ、
清冽で純粋な
ままの流れなのに。
あの岩さえ
なければ。
・・・と、
私達は
考えがちだ。
では、
あの岩を
どう取り除こうか?
・・・という
発想も
重要なことは
多い。
が、
物事はそう
単純でもない。
あの岩が
もしなくなっても、
きっと
他の場所で
別の原因によって
流れは
澱むだろう。
あの岩が
すべて悪いのだ!
と
思うことで
物事は簡単に
なるけれど、
実はそうでは
ないのだ。
この川の
根本的なところで
あの岩を
発生させる、
という
現象を起こさせて
いるだけのこと。
本当は。
だから
根本が変わらない
限り、
どれだけ表面的な
原因を
取り除いても、
同じ問題は
必ず起こる。
・・・・・・
岩のせいに
できれば、
楽だ。
何かの
誰かの
せいにできれば
それでいい。
そういう
観点から、
私達人類は
歴史を
創ってきたのでは
ないか。
表面は
変われど、
根本は
変わらず。
だから
いつまで経っても
この地球上では
混乱の種が
芽生え続ける。
自分以外の
誰かのせいに
している
場合ではない。
この地球という
世界を
創り出している
のは、
私達自身だ。
自分自身だ。
・・・・・・
そう
目を転じたとき、
これまで
清冽に
見えていた流れは
あまりに
表面的なこと
だったのだ、
と
わかる。
だが、
残念ながら
今でも
ほとんどの人が、
その
清冽さを
信じたがっている。
信じたがっている
のだけど、
どこかで
疑っている。
不信の
上の
信。
だから
流れは余計に
澱む。
・・・・・・
対岸の火事
など
本当は
一つもない。
全部、
自分のこと
だ。
自分の生き方
が、
たまたま
対岸の火事
となって
現象化している
だけのこと。
あの人の
痛みは
本当は
自分自身の
痛みなのに。
その真実から
私達は
いつまで
目を逸らし
続けるのだろう?
あの人を
蹴落とせば
自分が
浮上できる。
なんて時代は
とっくに
終わった。
というより、
そんな真実は
最初から
一つもなかった。
それを
ここから
まざまざと
体感することに
なるだろう。
私達は。
・・・・・・
すべての中心は
私である。
・・・という
ことを、
もうそろそろ
受け入れよう。
あの、
遠くの彼方で
起きていることは、
私の為したことに
よる。
・・・と。
かといって
自分を
責めるのではない。
責めても
何も生まれない。
私達に
できるのは、
自分の生き方を
変える、
ことだ。
つづく
波が
私の知らない
ところで、
広がり続けているのを
知ることが、
こんなに幸せなこと
だとは。
もともと
一つの波は
次の波を
引き起こす。
当然、
自分が始点と
なって
発したものは、
自分の知らない
ところまで
広がりゆく。
そんなことは
当たり前だし
知ってはいるが、
それでも
思いもかけない
幸せを感じる。
これがまた
人間か。
・・・・・・
自分が
誰に向かって
行くか?
誰に向かって
進んでいくのが
人生の
目的か?
使命か?
これらを
本質的に見つける
には
多大なる時間が
必要となる。
通常は。
が、
私達には
時間がない。
緊急事態
ということも
あるが、
緊急事態と
なることは
最初からわかって
いたことだ。
不条理な
ことが
必然的に
起こるこの
時代で、
それに
呑み込まれながらも
それでも
生きていかねば
ならない。
ちゃんと
すべきことを
しながら。
そういった
悲壮感にも似た
想いと願いを
私達は
持っている。
焦りつつも
すっ転びながら
その
想いや願いを
持て余している。
・・・・・・
できることは
限られているし、
できると
当初は思っていた
ことさえ、
できないかも
しれない。
何がいつ
どこで
起こるかは、
予測がつかなく、
わからない。
その中でも
それでも
進むことで
起こる波。
真の波
を
一つずつ。
波は広がり、
他の波と
合わさり、
分離したり
断絶もあるが、
それでも
広がり続ける。
もうどこまで
行ってしまったか、
記憶にも
定かでない
あの波が、
返ってきた。
思いもよらぬ
形となって。
知らぬ間に
育ったものたちと
再開する
この体験は、
改めて
人間の特質を
私に
教えてくれたよ。
人間で
よかったかな、
と
素直に思えたよ。
つづく
今はまだ、
出会いたくは
なかった。
・・・過去、
そういった
出会いが
結構あった。
もっと違う
タイミングで
出会っていたら、
この人とは
もっと
調和できたろうに。
・・・そう
思ってしまう
出会い。
どれだけ
素敵な人で
あっても、
タイミングが
合わねば、
人生を
合わせることは
できない。
・・・・・・
これは、
人に対しての
ことだけではない。
あらゆる物事、
あらゆる事象、
に対して
同じことが言える。
この体験が、
この現象が、
この現実が、
あと5分
ズレて起きて
いたら・・・。
ということも
人生において
数多くある。
変な表現に
なるが、
コンテンツは
揃っているのに
噛み合わない、
という
状態。
ずっとこの状態で
人生を
進めてしまっている
人は、
結構多い。
幸か不幸か、
を決めるのは、
多くはこの
タイミングなのかも
しれない。
・・・・・・
真本音で生きる
ことが
なぜ良いのか?
それは
このタイミングが
合ってくる
からだ。
目の前の
現実は変わらない。
実際に起きる
出来事や体験も
変わらない。
としても、
しかし
タイミングが
変わってくる。
タイミングに
調和が起こる。
すると
ズレていたものが
一気に
噛み合うように
なる。
すると
人生の展開が
根本的に
変わる。
私達の真本音
とは、
この
タイミング合わせ
の名人である、
という
言い方もできる。
・・・・・・
混みいった
駅を歩く。
無数の人達と
すれ違う。
その度に
一人一人に
感じ取ることが
できる。
この人は
タイミングの
合っている人だ。
この人は
ズレズレだな。
・・・と、
あまりに明らかに
わかる。
すべて
普段のその人の
生き方で
決まる。
その生き方は
波長となって
現れる。
その波長が、
タイミングに
影響を及ぼす。
雑な波長は
タイミングを
逃す。
そういう意味で
苦しんでいる
人は
多い。
ますます
多くなっている。
辛い世の中だ。
つづく