チームパフォーマンスコーチ

仲間がほしい

急激に
雲が
晴れていく。

青空の
広がりと共に、

強い光。

やはり
太陽の光は
強い。

これは
生命の強さの
象徴だ。

光を浴びながら、
細胞の一つ一つ

目を覚ましていく
のを感じる。

ヒョロヒョロの
枯渇状態から
徐々に
元気が
漲ってくる。

何とか
今回も
生き延びることが
できたようだ。

一刻も早く
自分自身を
復活させねば。

わかっている。

復活させたと
しても、
私はすぐに
全エネルギーを
注ぎ込んで
しまう。

ゆとりを
持ちながら進む、
ということを
しない。

持てる力の
すべてを
出し切ってしまう。

自己マネジメント
の真逆を
行っているような
ものだ。

わかっているが、
その生き方を
私は
変えようとしない。

なぜ
変えようと
しないのか?

答えは
単純だ。

時間が
ない。

それだけの
ことだ。

ゆとりを持って
進むだけの
ゆとりは
ない。

一刻も早い
復活と、
同時に、
すぐさま
全力疾走。

今は
平時では
ない。

非常事態
なんだ。

これまで
ずっと。

そして
これからも、

きっと、

私が生きて
いる間は。

仲間が
ほしい。

仲間は
増えてきたが、

まだまだ
足りない。

仲間が
ほしい。

間に合わせる
ために。

つづく

一粒が決め手

光のしずく
が、落ちる。

キラキラ
と。

落ちたところに
波紋が広がり、

次の光が
生まれる。

一つ一つは
小さなもの
だが、

着実に
光は
増えていく。

結局は、
こういった
広がり方が
一番、
安定し、かつ
強力である。

最初から
大きく構え、

全体を
変えよう!

と、
し過ぎるから
頓挫してしまう。

たった一粒
でもいいので、

しっかりとした
光を。

エネルギーの
高い
一粒を、

最も的確な
タイミングで
投じることだ。

小さくとも
最高の
一粒を。

その
積み重ねで、

人生も
仕事も
組織も

変わっていく。

つづく

それが初体験だった

その時期は、

皮膜で
全身を
覆われている
感覚が
ずっとあったんだ。

鬱陶しいし、
気持ちも
悪かった。

でも、
その皮膜を
取り払ってしまう
ことは
とても怖かったんだ。

勇気が
要ったよ。

でも
決心した。

この皮膜を
取らない限り、
私は前には
進めない、

やはりどこかで
よくわかって
いたんだ。

皮膜を取る
ためには、
ある具体的な
決断と
行動が
必要だった。

期限も
わかっていた。

だから私は、
必死の想いで、

そうそう
まさしくそれは
必死、だった、

エイヤッ!と、
それを
したんだ。

そして
その直後に、

あぁ今、
ここで
皮膜が溶けるな、

わかった。

それは
すぐに
溶けた。

その時点でも
怖かったよ。

でも、
みるみる
溶けていったんだ。

時間にして
5分も
かからなかった。

全身から
皮膜が
綺麗さっぱり
なくなった。

なくなって
みると、

ただの
「普通」

待っていた。

あれ?
なんだこれ?

普通、じゃん。

・・・と、
実際に口に
出したと
記憶している。

皮膜を
取るまでは
あんなに
怖かったのに、

皮膜が
なくなると
普通、になった。

普通の自分
に。

なんだ、
こんなことか、


思うと同時に、

ついさっき
までの自分が
普通じゃなかった
ことに
気づいたんだ。

普通、
じゃなかった
んだ、
私はずっと。

これまでの
人生、
ずっと。

これまで
「私だ」と
思っていた
ものは、

私では
なかった。

なんだ、
こんなことなら
もっと早く
やっとくべき
だった。

少しだけ
後悔したが、
しかしとても
良い経験
だった。

それが私の
初めての
「脱皮」。

人間も、
脱皮をするんだ
というのを
知った瞬間。

そこから、

脱皮をサポート
することこそ、
私がすることだ、

わかった。

私の
クライアントさんは
必ず
どこかで
脱皮する。

なぜなら
そういう人を
選んで、
クライアントさんに
しているから。

皆、
「普通」に
戻っていく。

世の中全員が
そうなると
いいな、と
思う。

つづく

あんなに好きだったのに

昨日までの
吹雪が、
嘘のように
晴れた。

満点の
星だ。

星が降る
とは
このことか。

ただ茫然と
見上げながら、

自分の小ささ

感じる。

そのまま
感じる。

こういう時
こそ、
自分の鼓動も
感じることが
できる。

生きているな
私は、
と思う。

生きて
ここにいる。

吹雪の中を
歩いた記憶は
もうほとんど
飛んでいる。

前に足を
出し続けること、
自分の体の
バランスをとること、
にのみ
必死だった。

自分が
自分なのか、
自分じゃないのか、

わからない状態。

そこから
ここに
生還したような、

やっと
自分に戻れた
ような。

冬山の体験
が、
きっと私の
セルフコーチングの
基盤に
なっている。

自分を
失い、
自分に
戻る。

自分に
戻れば、
これまでとは
異なる自分が
そこに
いた。

それを
しっかり感じる
ことで、
また
自分を失う。

自分を失う、
とは
「個」である自分を
離れることでも
ある。

それは時には
「世界と一つになる」
という
実感をもたらすことも
あった。

あの感覚を
体験したことは、
セルフコーチングを
探究する上で、
本当に
宝となった。

山には
感謝しかない。

当時の
私にとって、
山に登ることは
最上の喜び
だったのだが、

この仕事を
始めてから、
もう30年くらい
山には
一度も行っていない。

山に登る喜びと
同じ喜びを、
日々、
感じることが
できているから。

山に行く
欲求そのものが、
なくなって
しまった。

あえて
表現すれば、

私は、
人生を登る
ように
なった。

それが
真本音で生きる
ということだ。

山に登って
いる時は、
その一歩一歩が
とても
愛おしかった。

今は、
人生を進む
一歩一歩、

一分一秒が
愛おしい。

山でのあの
充実感が、
まさか
日常生活で
日々、
手に入れられる
とは、

当時の私は
思いも
よらなかった。

ただ、
ふと
もし今の私が
あの山の世界に
もう一度
入ったら、

そこで
何をどのように
感じるだろうか?

と、
考えることは
ある。

今だったら
きっと
あの時よりも
もっと簡単に、

山と一つに
なれるだろう。

そうすると
私は
山々から
どのようなメッセージ

受け取るだろうか?

まぁでも
これは、
あくまでも
興味本位の
問いだな。

山に行く
時間とエネルギーが
あるならば、

私はそれを
もっと別のことに
使いたい。

私も変わった
もんだな。

人は、
変わるのだ。

つづく

それは可能性の蕾だ

蕾(つぼみ)のうちに
枯れてしまうものは
あまりに
多い。

せめて
ほんの少しでも
花が咲き、

せめて
その片鱗くらいは
実感できれば
次に
繋がるのに。

蕾のうちは、
その価値に
気づかない。

最も
気づかない
のは、
そのご本人だ。

大抵の場合、
その蕾を
潰すのは
本人だ。

無意識に
潰すことも
あるし、

意識的意図的に
こんなものは
必要ない!

潰してしまう
ことも。

なぜなら
多くの場合、

蕾を自覚すると、
その本人は
それを

嫌いだ!


認識してしまう
から。

こんな個性
嫌いだ。

こんな力は
嫌いだ。

こんな特質は
嫌いだ。

・・・と、
自分にとって
拒絶したくなるもの
にこそ、

実はその人の
本当の花を
咲かせるもと
となるものが
ある。

だから
よくアドバイス
することになる。

自分の
嫌いなところに
こそ、
しっかり
目を向けよう、
と。

自分の
嫌いなところと
向き合おう、
と。

目を
逸らしていても、
嫌いなものは
嫌いだ。

反対に
よく観察すれば
印象が変わる
かもしれない。

みにくいアヒルの子
は、
美しい白鳥に
成長した。

同じことが
私達にも
言えるんだ。

つづく

こんな力が人にある

一つのことに
集中しながらも、

少しズレた
別のものを
観る。

実はその方が、
その
物事の本質を
掴めたりする。

視線を
ずらす。

視点を
ずらす。

ズレ、というのは
気づきのきっかけ
なのかも
しれない。

一つの重要な
刺激を
与えてくれる
のだろう。

私は
クライアントさんとの
セッションの最中に
これを
意図的に行なう
ことがある。

正面の
クライアントさんに
全意識は
向けている。

が、
ちょっと
ズレた場所を
見つめる。

ポイントは
それによって
クライアントさんへの
意識を
分散させない
ことだ。

クライアントさん

100%の意識を
向けたまま
別の方向にも
意識を向ける
のだ。

そんなことが
可能なのか?


思われるかも
しれないが、
これこそが
私達人間の持つ
偉大な力の
一つである、

私は実感
している。

これをもっと
拡大して
言えば、

私達は、
あらゆる物事
に対して
同時に、

100%の意識


向けることが
できる。

・・・と。

この件について、
あるクライアントさんが
以前に
次のように
表現されていた。

「すべてのものに
ピントを合わせる」

と。

まさしく
そんな感じだ。

もちろん
これができるように
なるには、
それ相応の
訓練が必要だ。

すべてに
ピントを合わせ
ながら
生きることが
できれば、

日常における
発想も
行動も、

あらゆることの
次元が
変わる。

生きやすく
なる。

そのための
訓練の場を
創ろうかな、

今、考えている。

つづく

率直に感じていること

人間は
本来はもっと
逞しいはずの
存在だ。

ひょっとすると
人間を
最も
活かしきれていない
のは
我々人間自身
ではないか。

何ものにも
縛られない
大自然の中に
ポンっと
放り出された時、

初めて私達は
自分自身に
内在された
力を
自覚するのでは
ないか。

人間社会は
本当に
“人間”を
育てたか?

私達の
これまでの歴史
は、
本当に
“人間”を
育てたか?

私達は、
“人間”としての
進化は、
ずっと
果たさずにきた
のではないか。

いや、

進化とか
退化とか、
そういった視点を
論じる以前の
状態、

ただ単に
私達は
雑になってきている
だけではないか?

自然の摂理

丁寧に自分を
合わせ、
その中で
自分らしく
生きていく。

・・・これは
古代の人達の
方が、
今の私達よりも
格段に
進んでいたのでは
ないか。

雑になり、
雑になり、

自然の摂理
から
外れても、

その気持ち
悪さに
鈍感になり、

鈍感になり、

自然を感じず
ただ
孤独感のみを
高め、

孤立した
存在として
脆弱に
生きる。

そんな
脆弱な存在が
ただ
肩を寄せ合って
依存し合って
生きるための
社会。

自律して
いない
社会。

それを
創り上げたのが
私達では
なかったか。

過去の人達

せいにしては
ならない。

皆、
同じだ。

過去も
今も、

そして
これから私達が
創り出す
未来も、

皆、
“自分”
だ。

“人間”
だ。

雑、
というのは、
何も考えない
ことだ。

無頓着。
鈍感。
無関心。

狭い視野。
狭い世界。
自分の
内側だけの。

今は
ほとんどの
人が、
「世界」を
見ていない。

自分の
内側に
浸っている
だけだ。

世界と
向き合うことを
恐れている。

恐ろしい世界

創り出して
しまったから。

それを
本能的に
知っている
私達は、

じっと
自分の内側
だけに
閉じこもる。

だけど、

本当は、

内側にも
安全な場所は
ない。

内と外は
同じ
だからだ。

内と外の
境目。
それが
人間。

だから
安心を得たければ、
世界にしっかり
目を向けるしか
ない。

進化の道を
今、ここからでも
歩み始めるしか
ない。

歴史は
繰り返す?

いいや、
もう
繰り返さない。

繰り返したら
もう
終わり、と
なるだろう。

もう、
そんな場所まで
来てしまったよ。

だからもう
歴史は
繰り返さない。

自然の摂理
には
いつからでも
戻れる。

進化の道には
今、
ここからでも。

そんな
社会になれる
よう、

今日の一日を
私は
生きる。

つづく

追い込まずして

雨の中に
いる。

ザーザーと
降りしきる。

冷たさと
共に、
気持ちよさも
ある。

すべてを
洗い流したい
ものだ。

この際
だから。

もし人生が
何度も
自由に
リセットできる
なら、

そこに
何のリスクも
ないのら、

そうそう
例えばまるで
ゲームの
ように、

そうしたら
もっと楽に
進めるだろうか。

でも
きっとそれでは
真剣さは
激減するだろうな。

自分の命をも
弄ぶ
かのような人が
増えるのだろうな。

私達人間は、
すぐに手に入る
ものに対しては、

すぐに
ぞんざいに
扱う。

雑になる。

この人生は
一度きり。

一度始めたら
そうそう簡単には
戻れない。

そういった
ヒリヒリハラハラ
する
緊張感があって
初めて、
真剣に
なれたりする。

良い意味で
追い込まれ
ないと、
真剣になれない
のが
人間なのかも。

ただ、

良い
追い込み方

しなければ
ならないと
思う。

進化し続けて
いる人は、
ここが
上手い。

自分に対して
良い追い込み方
をする、

ということ
こそ、
自己マネジメントの
本質なのかも
しれない。

コンフォートゾーン

ずっといては
ならない。

そのままでは
あらゆることが
どんどん
雑になる。

自分の意志
で、
そこから
飛び出ること。

勇気を持って
自分を
追い込んで
みよう。

つづく

手放す方法

脱ぎ捨てる。

要らぬものを
脱ぎ捨てる。

要らぬもの

ブラブラと
揺れている。

もう
俺は要らん
存在だ、

自己アピール
している。

だから、
意識すれば
すぐに
わかる。

今、
私にとって
要らぬものは
何だろう?

と、
常に
問いかける
だけで。

もし、
要らぬものを
特定できたら、

まずは
イメージの中
だけでも、
それを
脱ぎ捨てて
しまおう。

イメージの中で
しっかり
はっきり
手放す。

捨てる。

何度も
何度も
そのイメージを
すればいい。

そのうちに
自然に
そのような行動に
繋がる。

まずは
自分の中で
はっきり
決めることだ。

これは
要らないのだ。

今の私に
とっては。

これは
捨てるべき
ものだ。

今の私に
とっては。

・・・と。

ここを
曖昧にし続ける
からこそ
ずっと
延々と
モヤモヤが
続く。

そのような
時間は
もったいない。

人生の
貴重な時間
が。

脱ぎ捨てる。

毎日
一つずつ
新たな何かを
脱ぎ捨てても
いいくらいだ。

ここからの
時代はね。

つづく

沈黙の楽しみ方

無理に
喋らなくて
いい。

喋ることが
なければ。

じっと
していれば
いい。

ただ
黙って。

私達は、
無駄な会話を
し過ぎだ。

沈黙が
怖くて
ついつい
要らぬことを
喋ってしまう。

しかし、

それを
なくすだけで
人との関係は
調和を高める。

人間関係創り

とても
やりやすくなる。

だから、
沈黙には
強くなった方が
いい。

沈黙の時間

楽しめる
ように。

そのためには、
沈黙中の
意識を向ける
先を
決めておくと
いい。

お奨めは、
意識を
外に外に
出すこと。

見なくても
いい。

目を向けたり
体の向きを
変える必要は
ない。

ただ、
姿勢は
そのままに、

意識のみを
外に
向け続ける。

世界を
感じるといい。

世界
全体を。

その中に
目の前にいる
その人も
必然的に
入ってくる。

その人も
含めて
世界全体を
感じ続ける。

これに
慣れれば、
落ち着いて
くるよ。

そして
さらに慣れれば、

世界全体を
感じているという
状態そのままに、

目の前の
その人と
会話ができる
ようになる。

これがまた
実に
楽しい。

ぜひ
やってみて
ください。

つづく

まずは救わねば

私達人間は
常に、
自分の中を
エネルギー循環
させている。

循環が止まる、
イコール
死、である

考えてもいい。

死、という
ことに関しては
詳しく言及すると、
止め処がなくなって
しまうので、
ここではあえて
深入りしないが。

とにかく、
生きている
というのは
エネルギーが
循環し続けている、
という 
ことになる。

ところが、

エネルギーの
循環に
所々、
滞りができている
のもまた
私達全員の
特徴だ。

今のこの
世の中で生きる、
上では
滞りができない方が
おかしい。

通常の滞りで
あれば、
しだいに
解消されていくが、

それが
どんどん巨大化し、
全体の循環の
邪魔をするように
なるケースも
ある。

そういった
巨大化したものが
増えてしまうと、
循環そのものが
止まってしまう。

つまり、
死、を早める。

そういった
人達が
今、
急増している。

だから、
今の私のサポート
は、

その人の
命を救う、

という
レベルのものが
多い。

もちろん
ご本人に
伝えることは
しない。

私は医者では
ないので、
不用意に
医学的根拠のない
ことは
口にはしない。

ただ、
ピンチなのは
どうしても
わかってしまう
ので、

そこのサポート
は、
密かに
やり続けている。

と言っても
特殊な力を
使うよりも、

もっと
単純なことを
している。

つまりは、
その人の
真本音度合いを
高めること。

意識の次元を
高めること。

これまで
ずっと
やってきた私の
サポートそのものが、

エネルギー循環
を高めるし、
滞りを
解消する。

ただ、
優先順位が
少し変わって
くる。

あくまでも
エネルギーの
流れを良くするための
課題、テーマ
から
優先的に
取り組んでいく。

現実レベルでは
もっと他の課題が
あったとしても。

当然だが、
命が続かなければ、
意味がないから。

ご本人は
わからない
ことだが、

こうやって
側から観ていれば
わかることが
ある。

まずは
命を救い、

その上で
現実的な
課題に
取り組む。

こういった
サポートのできる
人もまた、
私は
育てたい。

最近よく
考えていること。

つづく

あるタイプが増えている

その時その時
の答えは、

一つしか
ない。

だが、
もちろんそれを
外すことは
多い。
私達人間は。

外しても
当然、
挽回はできる。

ただしその場合は
少し
遠回りになる。

人生の時間を
消費する。

そういった
紆余曲折も
含めて、
人生であり、

それがある
からこそ
成長もできる、


言える。

が、
それをしていては
もう、
間に合わない!

という人が今、
圧倒的に
増え始めている。

恐らく、
今の実感値で
言えば、

そういう人の
割合は、
ここ数年で
5割を超える
のではないか。

紆余曲折を
している場合
ではない。

最短の道で
自分の人生の
目的を
果たさねば!
という
気概と願いを
持つ人達。

若い世代を
中心に
広がり続ける。

それは
もともと多くは
先天的なものだが、

先天的で
あるが故に、
埋もれてしまって
いるケースは
多い。

つまりは
そういった自分
であることを
自覚できていない
のだ。

しかし
少しのきっかけ
により、
急に自覚する。

自覚すれば
最初に来るのは、
言いようのない
「焦り」だ。

その「焦り」が
何なのか?

どう対処すれば
いいのか?

全く
わからない。

わからないままに
戸惑い、
それ以前よりも
悪い状態となり、
人生がとても
生きづらくなる。

そういった
人達をこそ、
私は
サポートしたいと
願っている。

ただ、
これは、
到底、私一人では
成し得ない。

だから
そういった人を
サポートする力を
持つ人も
育てたい。

最近、
私がいつも
考えていること。

つづく

こんなバランスもある

重力とは
逆向きの
力を
よく感じる。

それは
力というより
エネルギーの
流れと
呼んだ方が
良いかもしれない。

この世の
現象の
代表的な存在が
重力。

そして
下から流れ来る
エネルギーは
実在だ。

これは
実在と現象が
反発している
ということでは
なく、

むしろ
調和をはかる
ための
もの。

上から下に
働く
重力と、

下から上に
働く
実在のエネルギー、

そのバランス

ちょうど良い
場所に

私はいる、
ことに
している。

特に
人と関わる
時こそ。

その
バランスが
とれている場所で
発する言葉は、

実にスムーズに
人に
伝わっていく。

基本、
説明が必要
ない。

一言で
スーッと
何かとても大切な
ところを
理解してもらった
感覚となる。

ありがたい
ことだ。

こちらの
バランスが
とれると、
相手のバランスも
しだいに
とれてくる。

その上での
コミュニケーション
だから、
きっと
楽なのだろう。

面白いのは、

同じ人との
同じ会話の
場面でも、

その
会話中に、
「場所」を移動する
感覚がくる
ことだ。

つまり、
重力と
実在エネルギーとの
バランスに
変容を起こしている
ということだと
思う。

明らかに
「移動しているな」
という感覚が
くる。

そして私は
その「移動中」には
何も
言葉を発さない
ことにしている。

きちんと
「移動」が
完了してから、
初めて
言葉を発する。

と、
これまた実に
スムーズに
会話が進む。

目の前の
この人としか
できない会話、

今この時
にしか
できない会話、

がある。

私はそういった
会話を
日々、
重ねているが、

そこで
重要なのが、
バランス。

重力と
実在エネルギー、

上からと
下からの
バランス。

これが
整った状態で
人と向き合う。

整っていない
場合は、
あえて
人とは
向き合わない。

と、
決めている。

つづく

植え付ける必要はない

最初、
小さな谷の
中にいた。

小さな小さな
流れだった。

しかし
その流れに
乗って進めば、

だんだんと
様々な流れが
合流し、

大きな川
となり、

さらには
海に出た。

その辺りで
飛べるように
なった。

空高く
飛んでみると、

これまで
自分が
流れてきた
川や谷の全て
が、
見渡せた。

最初は
あんな小さな
中に
いたのか。

愕然とした。

すると
さらに高度は
上がり、

そのうちに
地球全体が
見えるように
なった。

さらにさらに
高度は
上がり、
ついには
地球圏を超え、
宇宙に出て、

さらに
太陽系を
超え、

銀河系を
超え、

全宇宙を
見渡せるくらい
まで・・・。

そして
宇宙の
その先へ。

宇宙の
成り立ちと、

すべての
始まりの
もと、まで。

私達の
この
細胞の一つ一つ
には、
それらのすべての
記憶が
込められている。

込められて
いない細胞は
一つもなく、

すべてを
知っている
私達が、

すべてを
忘れて
ここにいる。

しかし本当は
すべてと
繋がっており、

すべてを
感じながらも
ここにいる。

感じている
ことを
どれだけ
顕在化すれば
いいか?

その調整
こそが
生きるコツであり、

ここが
絶妙になれば、

この混沌とした
世界でも
生きることが
比較的
楽になる。

そう。

すべてを
知っている。

・・・というのが、
前提だ。

この前提の
もとで、
私は人のサポートを
し続けている。

この前提に
本当の意味で
立ったのが、
13年前。

そこから
人のサポートは
劇的に
楽になった。

人に何かを
植え付ける必要
などない。

いかに
思い出して
もらうか?
こそが
ポイントだ。

宇宙全体が
わかったと
しても、

最初の小さな
谷を
バカにしては
ならない。

というか、
バカになど
できないはずだ。

あの谷にも
宇宙のすべてが
詰まっている。

谷の石ころ一つ

宇宙全体は
同じものだ。

ということが
実感できるように
なるから。

この感覚だけでも、
できるだけ多くの人が
思い出せるといいな、
と、
つくづく
思っている。

つづく

確かに夕陽だった

オレンジの
光を
確かにずっと
感じていたんだ。

眩しいな、
というくらいに。

でも
セッションが
終わってみると、

窓から
見えるのは
重い雲々。

今にも
雷雨になりそうな。

でも
眩しかったんだ。

あれは
物理的な光
だった。

確かに
そうだった。

が、
その気配も
なし。

幹部の
Aさんと
Bさん。

崩れ落ちそうな
酷い状態が、
1ヶ月以上も
続いた。

各々の
心の中も
そう。

関係も
そう。

でもここで
崩れれば、
間違いなく
会社全体も
崩れる。

その
ギリギリの
ところ。

繊細さと
大胆さが
必要とされる
日々。

でもやっと
突破口が
開いた。

久しぶりの
明るい
笑顔。

Aさんと
Bさんが
私の目の前で
向かい合って

笑い合って
いる。

安易に
奇跡とは
言いたくないん
だよ。

そうそう
都合よく
奇跡など
起こらない。

全て
必然的な
ステップの
成せる業。

それは
わかって
いるよ。

でも私も
人間だ。

言わせて
くれよ。

これは
奇跡だ。

で、
夕陽の光
まで
感じたし、

後ろに
目はついて
ないけど、

でも
普通に
見えたんだ。

お二人が
笑顔で
部屋を後に
して、

夕陽を
見ようと
振り返ったんだ。

でも、
曇天の空。

雨も
降っていた。

あれは
お二人の
光だったか?

いや、
本当に
普通に
夕陽だったん
だけどなぁ。

つづく

終わりと始まりにいる

羽化する
ために、
サナギになる。

その中で
いったん、
液状化する。

全てを
溶かし、
壊し、

全く新たな
自分を
創造する。

かと言って
自分は
自分だ。

これまでの
形が
跡形なく
なっても、

自分の
本質は
残り続ける。

変わらない
もの。

永続的な
もの。

私達は
誰もがみな、
それを
持っている。

羽化の最中、
私達は
祈る。

とてつもなく
不安定に
なりながら、

いや、
不安定
だからこそ、

最後には
祈りのみと
なる。

その祈りは
言葉に
ならない
ものだが、

人それぞれ
のものだ。

あなたには
あなたの
祈りがあり、

私には
私の
祈りがある。

それが
そのまま
成虫の形と
なるのが
理想だ。

そうなれれば、
その後の
人生が、

とてつもなく
幸せなものと
なる。

私達は
祈りであり、

祈りとは
進化である。

進化とは、
終わり

始まり
だ。

私達は
人生の中で
何度も
その瞬間を
迎える。

今、
自分は
終わろうと
している。

今、
自分は
始まろうと
している。

まずは
その
自覚を。

その
不安定さは
羽化の
ものだよ。

つづく

あと少し

月が
観える。

私の
中に。

満月
だ。

水面も
観える。

満月が
水面に
映える。

まるで
鏡のように。

月は
語る。

静か
なのは、
今の
うちさ。

この水面
も、
すぐに
怒涛の
激流と
なるよ。

準備は
いいかい?

・・・と。

準備は
とっくに
できてるよ。

それよりも
待ちくたびれた
よ。

早く
始まらない
かな。

期待は
いかんよ。

準備が
できた、
それだけで
いい。

それ以上
でも
それ以下
でもなく。

そうそう、
期待は
いかんな。

ただ
ここに
このまま
浮かんで
いよう。

これまで
じっと
待ってきた
んだ。

あと
少し。

このまま
で。

つづく

真剣さを目指す人へ

深刻に
捉え過ぎると、
物事の本質が、

課題の本質が、

観えなく
なる。

本当はそんなに
難しいこと
では
ないかもしれない。

難しく捉える
ことで、
動けなくなる。
一歩も。

もっと
浅く、発想してみる
のも
良いことだ。

浅く、発想して
浅く、行動してみる。

その方が、

ピンッと
閃くこともある。

本質的な
突破口が
急に
観えることも
ある。

真剣と深刻

違うもの。

むしろ、
真逆のもの

言ってもいい。

真剣に生きる
コツを得る
第一歩は、
軽くでもいいから
始めてみる
ことだ。

自分を
変えたい!


思うのなら
なおのこと。

深刻に
なればなるほど
何も
変わらない。

やれそうな
ことを
一つ、
軽く選んで

やって
みる。

軽く
やってみる。

真剣さを
目指す
あなたにだからこそ
お伝えしたいこと。

つづく

宇宙と人 人と宇宙

一つ
脱ぎ捨て
開放された
とき、

自分の肩に
とてつもなく
大きなものが
寄りかかっている
のが
よくわかった。

最初は
責任を
押し付けられている
ような
気持ちがした
ものだ。

だから
随分と
抵抗したのだと
思う。

自分が
思っている
以上に。

自分の人生を
引き受ける、
というのは
きっと

この
肩にかかっている
重みを

その
責任を

引き受ける
ということなのだと
思う。

最初は
とてもとても
できなかったが、
進むうちに
自然に
できるように
なってきた。

人間という
のは
そういうもの
なのかも。

むしろ今は、
その
肩の重みが
心地よく、

もしこれが
なかったならば、
私は私で
いられただろうか?

などとも
考えている。

私達のいる
この太陽系は、
とても小さな
存在で、

現在、
観測されている
一番大きな
ブラックホールの
大きさに
比べれば、

ホコリの一つ
にも
ならないらしい。

ブラックホールに
引き摺り込まれる
のも
いやなので、

少なくとも
銀河系全体の
視野でいようと
思う。

が、
その銀河系ですら、
小さな小さな
存在だ。

私達は
宇宙の中に
いて、

そして
宇宙は
私達の中に
ある。

内宇宙と
外宇宙は
本当は同じもの
で、

内宇宙と
外宇宙の
境目が、

人間
と呼ばれる
存在だ。

私達は皆、
その
果てしないものを
背負っている。

自分という
人間を、
小さな存在であると
謙虚に捉える
のは、
それはそれで
結構なことだ。

しかし
その一方で、
もう少し
自分自身の
果てしなさも
素直に
感じ取ってみては
どうだろう。

荷が重い
かい?

結構、
心地良くなる
もんだよ。

つづく

一ヶ月一生

私達には、
毎月毎月の
テーマがあり、

そのテーマを
クリアするごとに、

その先の
道のりも
クリアになっていく、

という傾向が
ここ数ヶ月で
劇的に
高まっている。

もし、
自分の行く道に
対して、
モヤモヤ感が
激しい場合は、

これまでの
私の歩みで、
私がしっかり
丁寧に
乗り越えていない
テーマは
何だろうか?

とか、

私が
やり残して
しまっている
課題は
何だろうか?

などの視点で、
じっくりと
自分の歩みを
振り返ってみると
いい。

もしそのような
やり残し
が見つかれば、

面倒でも
もう一度、そこを
やり直す、

その時点の
自分の目線に
戻り、
丁寧に
取り組み直す、

ということを
するといい。

一つ一つの
積み上げが
非常に重要。

中途半端な
進み方は、
その後の歩みを
かなり脆弱に
させる、

どころか、

本来、
観えるべきものが
全くわからずに
暗中模索に入る
可能性も高い。

もちろん、
基本の基本は
一日一日
を丁寧に過ごす
ことだが、

その上で、
次に意識すべき
視点が
「1ヶ月間」
というタームだ。

一日一生。
一ヶ月一生。
という感覚で
日々と
向かい合おう。

つづく

恐れる必要はない

竜巻が
見えたとしても、
恐れては
ならない。

それよりも
「事実」を
しっかり
確認すること。

あの竜巻と
自分との
距離は?

竜巻は
どの方向に
進んでいる?

自分には
影響があるのか、
ないのか?

あるなら
どのような
影響か?

自分の解釈
ではなく、
事実を
見つめるように
しよう。

無闇に
恐れ、

その恐れに
基づいた行動を
とれば、

その時点から
人生の使い方が
澱み始める。

むしろその
竜巻を
呼び寄せてしまう
ことになるかも。

どのような
状況でも、

恐れによる
選択ではなく、

願いによる
選択を
し続けよう。

要するに、
これまでと
同じだ。

世の中が
どれだけ
不安定化しよう
とも、

いや、
不安定化する
からこそ、

願いに基づいた
生き方を。

それが
自分の軸を
より強く
しなやかなものに
育ててくれる。

つづく

ちゃんと伝えよう

水は
火にかけられれば、
沸騰して
気体になる。

私達の心も
同じような
ものだ。

中心に
熱を持てば
持つほど、
沸騰して
気体となる。

浄化される。

中心の熱
とは、
エネルギーだ。

自分自身の
持つ
内発的な
エネルギー。

これが
枯渇している
人は、

古い心が
浄化されず
残り続ける。

そして
その心たちが
今の自分の
歩みを
阻害し始める。

基本、
心とは、

今、発生
したら
今、浄化
されるのが
いい。

もちろん
そのように
いかない場合は
多いが、

それでも
できるだけ早く
浄化されると
いい。

心残り、
という言葉が
あるが、

心残りは
できるだけ
ない方が
いい。

心残りは
心のコリとなり、
心の膠着・硬直に
繋がってしまう。

オープンに
生きることだ。

自分の想い
は、
しっかり素直に
周りに伝える。

その反応が
怖い、
という人が多いが、

怖がっている
間に、
私達は疲弊する。

自分の大切な
想いほど、
しっかり
向き合い、
伝えよう。

自分の中に
今、
残っている
この心を

しっかり浄化し
気体にする
ためには、

私は誰に対して
何をすれば
よいか?

これを丁寧に
考え、
実行しよう。

これからの時代
特に
必要なこと。

つづく

休息せんのか

一つ、
大仕事が完了
するたびに、

ホッとする
のだが、

いつもそれは
束の間で、

すぐに次の
大仕事に
取り掛かる。

もっと
休息すれば
いいのに、

自分で自分に
言って聞かせる
のだが、

私は全く
耳を貸さない。

困ったものだ。

時間がない
ことは
わかっている。

余裕が
全然ないことも。

だから
24時間常に
焦っている。

それが
身について
しまい、
普通になって
しまった。

昨日も、
夕方に一つ
大仕事が
終わった。

一晩くらい
休めばいいのに、

4時間後には
次に取り掛かって
おり、
夜中まで。

もっとちゃんと
寝ろよ、
お前!


叱るのだが、
私は全く
耳を貸さない。

おかげで
歳をとっている
感覚がない。

今、57歳なの
だが、
20代の頃の方が
体力はなかった
のではないか、

思うくらい。

もちろん、
実際にはそんな
ことはなく、
体力は随分と
落ちていると思う。

が、
内側から湧く
エネルギー量は、
今でも
年々高まっている。

それはそういう
生き方をしている
からで、
きっとこの
エネルギー量
というのは、
体力とはまた
別物なのだと
思う。

とにかく、
私には
これから
すべきことが
多過ぎる。

目の前に
超巨大な山が
あり、
一歩ずつ
登っていくしか
ない。

昔は、
体を騙し騙し
進んでいたが、

今は、
しっかり体と
語り合い、
協調し合いながら、

何とか
最大速度で
進み続けたいと
思っている。

つづく

ダメダメな時の問い

世界が
揺れている。

まるで
地震が起きて
いるように、
足元から。

この、
足元から揺れる
ことの
不安感。

うわぁ、
人間は脆弱だな、
私は脆弱だな、
と思う。

・・・・・・

現実レベルでの
地震は
そんなに頻繁には
起きないが、

内面的地震は、
日々、毎日の
ように
起きている。

それが今の
時代だ。

皆、
揺れている。

足元から。

・・・・・・

だからこそ
できること
がある。

揺れて
いなければ
発生し得ない
不安定さ。

これが
むしろ変化への
可能性を
広げる。

そういう意味で
私は

もっと揺れろ!

と願う。

自分も
みんなも、
あらゆる
人類が。

・・・・・・

揺れる時に
こそ、
向き合うべき
問い、がある。

本当は私は、
何を
大切にすべきか?

本当は私は、
何にこそ
力を注ぐべきか?

本当は私は、
今、何を
早急にすべきか?

〜したいか?
という問いでは
ない。

かといって
べき論でも
ない。

自分の根幹、
芯の自分が
決めていること。

揺れていなければ
これは
わからない。

揺れ揺れの
ダメダメの
時こそ、

これらの
問いと
向かい合おう。

つづく

まだ休めんな

下から
風が
吹き上がり、

私を
浮上させて
くれる。

とても
助かる。

自力では
もう・・・。

・・・・・・

風の後押し
には
いつも本当に
感謝している。

おかげで
ここまで
命長らえて
これた。

いつ死んでも
おかしくない
日々だったけど。

・・・・・・

もうしばらく
生きる。

できれば
人生、
短い方がいい、

思っている私も
いるが、

やること
あるんでね。

願い、
あるので。

これが
あるうちは、

風が
助けてくれる。

ということは、
風が
なくなったら、
私の役割も
終わりかな。

そう思ったら、
余計に
風が
強くなった。

やはりまだまだ
休ませては
くれないようだ。

つづく

巻き込まれないように

光と闇が
あれば、
皆、
光を望む
だろう。

そう思って
いたのだが、

実は私は
闇を
望んだ。

長い間。

結構、
そういう人は
多い。

闇の方が
安心する
のだ。

闇は
「無」を
思わせる。

この
「無」への
憧れが
私にはずっと
あった。

今でも
死んだら
「無」になっちまえば
いい、
その方がよほど
安心できるのに!

という
私がいる。

自分という
存在を、
消してしまいたい、

なかったことに
したい、

そんな想いに
ずっと
取り憑かれていた
のが、
私の人生の
始まりだった。

当時は
死が怖かったが、
今になって
振り返れば、
よくわかる。

私は
死を望んで
いた。
正確に言えば、
ずっと
「無」
を望んでいた。

・・・・・・

が、
そういうわけにも
いかないのだ。

真実は。

なぜなら
「無」
というものは
ないから。

「無」は
我々人間が生み出した
概念の一つ
でしかないから。

それが
感覚的に
わかってしまった
とき、

もちろん私は
愕然とした。

しかしそこからの
復活は
早かった。

私は
いじけていた
だけだった。

「無」で
遊んでいた
だけだった。
生まれてから
最初の方の
人生では。

「無遊び」

とでも
表現しようか。

で、
だからこそ
よくわかるのだ。

大人でも
「無遊び」を
している人が
多い、
ということを。

あぁこの人は
「無遊び」を
しているな、

すぐにわかって
しまう。

で、
どうするか、と
言えば、

「無遊び」から
脱け出ようと
もがいている人で
あれば、
サポートする。

「無遊び」に
夢中になっている
人からは
離れる。

だって、
他者からは
何もできないから。

それにもう
「無遊び」に
巻き込まれて
遊んでいる時間が
私には
ないから。

残念ながら、
この10年で、
増えてしまったな。
「無遊び」。

いじけている
大人が多い、
ということだ。

私自身はもう
「無遊び」には
巻き込まれないが、

「無遊び」に
巻き込まれそうに
なっている人がいれば、
ヘルプせねば
なるまい。

これからは、
これまで以上
に。

つづく

こんな簡単に壊れるのか

まったく
複雑怪奇な
形に
なったもんだ。

なんだよ、
この形は。

複雑すぎて
わけが
わからない。

これじゃ、
何事も
成せんな。

始まりは
もっと
シンプルだった
はずだ。

いつの間に、
あの
単純明快さを
忘れてしまったのか。

いつの間に、
こんなにも
余分なことに
意識を
奪われるように
なったのか。

こんなこと
なら
いっそのこと
すべてを
リセットしたい。

と思うのだが、
それができれば
苦労はしない。

できないから
こその
悩み。

やれることを
一つずつ
やるしかないか。

・・・・・・

ところが、
余分なもの達は、

一つ、
根幹にある
何かが
少し、ほんの少し
欠け落ちたことで、

一気に
崩れ始めた。

ガガガッと
下半身が
崩れ落ち、

下半身によって
支えられていた
上半身は
それはもう、
無惨なもので。

土台が
なくなるというのは、
こんなにも
脆いものなのか、

今更ながらに
ため息だ。

あれだけ
守ろう守ろうと
してきたものが、

容赦なく
一瞬で壊れる。

守る、
という努力。

その
空虚さを
改めて知ったよ。

・・・・・・

で、
結局のところ、
スッキリ
したんだ。

すべて壊れて
しまったら、
もう何も残らない

思っていたが、

そうでは
なかった。

これまでの
経験は
自分の中に
あるし、

いや、

経験などと
いうものは
小っぽけなものさ、

それよりも
経験を通じて
養い続けた
自分自身のこの
感性。

これだけは
ずっと
ここにある。

これだけは
残った。

だが、
きっと私は
この感性すら
失ったとしても、

それでも
同じ道を
行くだろう。

そう決めている
自分を
理解できた、
というのが
最も大きなこと
かな。

あっそうか、
だからこそ
感性が
残ってくれたのか。

・・・・・・

もはや、
複雑怪奇には
行くまい。
決して。

もう、
面倒臭いのだ。

シンプルに
行こう。

守るものは
最低限でいい。

身軽に
シンプルに。

壊すべきは、
毎日
壊すくらいで。

つづく

時間の本質

一本の細い
糸のように、

無限の過去
から
無限の未来
へと
続いていく。

ピンと張った
糸。

それは
何ものによっても
穢されることは
なく、

何ものによっても
揺るがず、

ただ淡々と
一定の速度で
伸び続ける。

「時間」。

私達はそれを
そのように
捉えている。

「時間」は
絶対であると。

私達が何を
為そうとも、
時間は
進み続ける。

そこに意志は
なく、
ただ淡々と
進み続ける。

ある意味
無慈悲な
存在。

絶対的
無慈悲。

そのように
捉えている。

が、

本当にそうか?

疑問を
持ち始めた瞬間が
ある。

私はある時、
「時間」と
対話をしている
自分自身に
気づいた。

しかもその場面
では、
「時間」そのもの

観えた。

それは
一本の線
ではなく、


だった。

「時間」は
今ここにおける
一点から、

前後左右斜め
すべての方向に
無限に
広がりゆく。

一本の糸が
無限に
分岐し、

それらの
無限の糸が
さらに無限に
絡み合う。

しかしそれは
あくまでも
面、であって、

決して
立体、には
ならない。

なぜなら
「時間」という
面を、

その全体
を、

俯瞰する
客観的な目

存在するから。

その目こそ
私自身、
私達自身の
目に
他ならない、

知ったとき、

私は何かが
とてつもなく
深く
腑に落ちた。

面、
の中にいる時、
私達は
今ここしか
見えない。

しかし
面、から
外れた場所に
移動すれば、

全体を
観渡すことが
できる。

本来、人間
とは、
その二つの目を
持ち合わせている
もの。

だからこそ
ここ
にいる。

私達は
すべてを
知っている。

知った上で
ここに
いるんだ。

つづく

本当の後悔をせねば

後悔は
ないか?


問われれば、

もちろん、
ある、
だろう。

それを
わかった上で
あえて
もう一度、訊くが、

本当に
後悔は
ないか?

目を逸らした
その人は、
かつての
私自身の姿だ。

後悔など
している場合じゃない、
という
生き方をする人は、

本当の後悔
からは
目を逸らし続ける。

そして
言ってみれば
どうでもいいような
後悔に
目を注ぐ。

しかしそれは
後悔なんかじゃ
ない。

後悔ごっこ。

お遊びだ。

止まるための
口実だ。

本当の後悔と
向き合う
というのは

非常な痛みを
伴うが、

それ以上に、
その直後から
自分自身が
加速を
始める
きっかけとなる
ものだ。

その、
加速が
怖いか?
それとも
面倒か?

どちらかの
理由で
本当の後悔には
見向きもしない。

それを一体、
いつまで
続ける気なのだろう?

もうすぐ、
「明日」という日が
くる。

私達はいつでも
「明日」から
生き直しをすることが
できる。

良い「明日」を
迎えるには、

良い後悔を
すること。

本当の後悔と
向き合うことだ。

つづく

なぜそんなことをする

こんなに
広い草原で、

ただ
気持ち良い
風が吹いて
いるだけなのに、

どうして
壁だらけだ、

言うのだろう?

壁など
一つもない
のに。

自分で
創り出した
幻影。

人はそれに
惑わされる。

それは
重々、
わかっているが、

しかし
どうみても、
進まない言い訳を
続けているだけ
に見える。

進まない、

決めている人は、

あらゆる
言い訳を
思いつく。

自分が言い訳を
している、
という自覚を
自ら消すために、

これは
真実である、
という
思い込みを
自分に刷り込み
続ける。

こうなると
もう
他者からは
何のサポートも
ヘルプも
できない。

祈りながら
見守るしかない、
という
状態に入る。

せめて
自分が逃げている
ことを
認識してほしい
のだが、

まぁそれが
できるくらいなら、
ここまでの状態には
ならないだろう。

茫然と
見守るしかない
人。

残念ながら
そういった人達が
何人かはいた。

一度、
彼らの視界を
体験したことが
ある。

世界が
歪んでいた。

とても
気持ち悪い
もの。

その気持ち悪さ
を解消、
または
逆に
それに慣れるため
の選択。

あぁなるほど、
彼ら自身は
そのように
認識しているのか、

驚いた。

世界を
歪ませている
のは、
自分自身だと
知らず。

歪ませること
そのものに
甚大なエネルギーを
費やし、

それだけで
ボロボロに
なり、

残ったわずかな
エネルギーだけ
で生きている。

きっと彼らは
被害者だ。

自らを
被害者として
設定している。

彼らの視界
になることで、
なぜそんな
面倒なことをするのか?
が、
少しわかったような
気もするが、

でもやっぱり
わからない。

もっと
普通に生きれば
いいのに、
と思う。

普通に生き、
普通に進む。

世界を
歪ませるほどの
パワーがあるなら、
もっと
自然に一歩を
出せばいいのに、
と。

あぁやっぱり
わからない、
・・・な。

つづく