チームパフォーマンスコーチ

果てしないエネルギーと

時々、
外からエネルギー

グワッと
入ってくる。

グワッと。

一瞬で
エネルギーに
満たされるが、

その濃度に
耐えられなく
なることも
ある。

そんな時は
せっかくの
エネルギーを
吐き出しそうに
なるのだが、

そこは
グッと
堪える。

グッと。

私にとって
必要な
エネルギーだ。

私は
私自身が生み出す
エネルギーのみでは
もう
やっていけない。

他力本願

言ってもいい。

私以外から
与えられる
エネルギーを
集約し、

濃密にし、

必要なところへ
必要な
タイミングで

一気に
注ぎ込む。

到底、
私自身の
エネルギーでは
足りない。

というか、
私自身のエネルギー
など、
微小過ぎて
もはや
ないのと同じかも。

それくらい、
私は
いただき、
放出する。

いただき、
注ぎ込む。

その
繰り返し。

それが
私の
やること。

この世は
エネルギーに
満ちている。

でも
そのほとんどは
使われず、

ずっと
漂ったまま。

それを
活用すること
こそ、

私の
やること。

ただ、
私自身は
微小なので、
いつも
呑まれそうに
なる。

そこを
耐える。

呑まれ
流されない
ように。

まるで
一人で
富士山と対峙
するように、

自分よりも
あまりにも
格段に
大きな存在に、

私は
委ねつつ、

しかし
舵取りを
する。

つづく

吐き出し結ぶ

身体の中
から

何かが
吐き出され
そうだ。

とてつもない
何か、が。

きっとそれは
恐ろしい
ものだろう。

ということは
ずっと
私はその
恐ろしいものを
内包しながら

ここまで
来たのだ。

その存在を
知らず。

しかしそれが
人間たるもの。

これまで
何度も
様々なものを
吐き出してきた。

吐き出す
度に

それらから
自由になれた。

軽く
なれた。

今回も
同様なのだと
思うが、

一つだけ
違う気がする。

きっと私は
その
吐き出した
ものを

また
喰らう。

吐き出した
ものには
芯(真)が
ある。

吐き出された
それは
吐き出される
ことで
浄化され、

芯(真)
のみとなる。

そいつを
また
きっと私は

喰らう
だろう。

そいつは
とても
恐ろしい存在
だが、

私に
とっては

私の人生
にとっては

なくては
ならぬもの。

そいつと
私は
再び
結ばれる。

つづく

時間の長短ではない

花火は
一瞬で
消える。

どんなに
美しくても。

一瞬だ。

だから
儚い
という考え方も
ある。

が、

実在レベルで
言えば、

その一瞬
とは
永遠だ。

永遠の
一瞬に

最大の
美しさを

カタチとして

ここに
現す。

こんなに
尊いことは
なく、

こんなに
美しいことも
ない。

もちろん
継続の美しさも
ある。

しかし
一瞬の美しさも
ある。

どちらも
永遠だ。

そこは
変わりはない。

この
3次元世界では
時間の長短が
あるので
ややこしくなる。

本質は、

時間の長短
ではない。

長くても
短くても

美しいものは
美しい。

醜いものは
醜い。

だからこそ
私達は

を美しく
生きよう。

つづく

焦ってはならない

未来の
目指す状態へ
一気に
突き進む感覚が
あるのだが、

現実がまったく
変わらない、

という人も
多いのではないか。

今は特に。

ここで
焦っては
ならない。

ここで
焦って
無駄な動きを
とってしまうから、

せっかくの
チャンスが
遠ざかってしまう。

焦っては
ならない。

一日一日は
どうだ?

今日、
やることは
全部やり、

今日、
やってはならない
ことは
明日以降に
ちゃんと後回しに
する。

この連続を
きちんと
踏んでいるかな?

一日一日の
完了感。

もしこれが
きちんとある
なら、

焦るな。

このままで
いい。

昨日と
同じように
今日も
この一日を
大切に。

明日も
同じように
大切に。

これが
最善最速の
進み方。

つづく

最上の混沌を

様々な旋律が
絡み合う。

一見すると
混沌。

しかしその
本質は

実に
シンプルだ。

絡み合えば
合うほど
シンプルに
なっていく。

それはまるで
いろんな色の
光が
合わさることで
無色透明と
なっていくような。

すべては
在る

・・・という
状態に
向かっている。

その状態への
最短ルートは

混沌

だ。

理路整然と
まとめていくのは
遠回りだ。

混沌こそ
最短の
道。

これは
人の成長も
組織の成長も
実は、同じ。

なので
私はむしろ

混沌を
助長する

という
サポートの仕方を
する。

混沌を
避けるのでは
なく、

最上の混沌


創り出すこと。

そのためには
余分な手を
出さないこと。

じっと
状況を観察
しながら、

ここぞ!
という
タイミングで

混沌の種

投入する。

もうすぐで
理路整然と
まとまりそうだ、
という
瞬間が多い。

もう少しで
というところでの
混沌の種

効く。

顕在意識レベル
では
容量を超えて
しまう。

が、
だからこそ
境界線を
超えられる。

一気に
次のステージへ
進み、

そこから
調和が
始まる。

混沌の後に
調和あり。

混沌の後
だからこそ
調和あり。

いや、

混沌を経ない
調和は、

無いのだ。

つづく

いったん死んで

サッと
鋭い日本刀で
背中から
切り付けられた
感覚だった。

その瞬間。

痛みよりも
ヒヤッと
した。

イメージでは
背骨がそのまま
縦に
割れた。

それは
一般的には
即座に

を意味するが、

実在レベル
では
そうとも限らない。

誰が
こんなことを?


後ろを
振り返れば、

超巨大な
私自身がいた。

また
必要があって
私は
私自身を
殺したな、と
わかった。

私だけでなく、
人は
何度も何度も
自分自身を
殺す。

殺す
と表現するのは
怖い感じだが、

多くの場合は
良い意味で
だ。

もちろん
殺した瞬間に

始まる

のだが。

それにしても
何が
始まるのか?

すぐには
わからない。

ただ、
殺された
という
自覚を持つことは
とても大事だ。

一刀両断。

こんな
一気呵成な
殺し方を
私は私自身に
課した。

こんなことが
できるくらい
私の準備が
整っていたとも
言えるが。

さて。

私は
いったん死んで

何に
なるのか?

つづく

純度はどれくらい?

今、自分の
純度は
何%だろうか?

そう
自分自身に
問うことで

自然に
浮かんでくる
数字は
何だろう?

私の場合、
へっちゃらで

100%だ


軽く、かつ
断定的に
浮かんでくる。

面白いことに、
本当に
そう思えるように
なってから、

外部との
コミュニケーションが
柔軟になれた
気がする。

私から投げる
言葉も、

私の発したい
言葉ではなく、

相手に
自然に届く
言葉を
選べるようになった。

恐らく、
純度99%では
できなかった
ことだ。

やっぱり
中途半端では
ダメなのかな、
特に私の場合は、
と思う。

ところで、

私はもっと
みんなも
堂々と
純度100%を
目指せばいいのに、

よく思う。

もちろん
現実はそうそう
思う通りには
いかない。

でも、
まずは自分の
内面、
もしくは
目指すもの
くらいは
100%に設定しても
良いだろう。

内面的
精神的に
最初から
妥協したり

中途半端で
いいや


やっているうちは
いつまで経っても
満足感や
充足感は
得られないと
思うのだけど。

それに、

純度100%と
自分自身が
自然に思えて
初めて

自分の中から
発せられるものが
あると思うんだ。

滲み出る
空気感も
含めて。

そういう人生に
毅然と
向かっても
良いのではないか?

つづく

戸惑うばかりだとしても

ちょっと前
までは、

年に一度
くらいの
大きな節目が、

マジで
今は
毎日ある、

という
感じだ。

恐ろしい
世の中に
なったもんだ。

実在レベルの
話だが。

ここから
この影響は
立て続けに
現象化
されるだろう。

私達はきっと
戸惑い
ばかりの状態に
なる。

でも、

私達の
中心核は、

真本音の
自分は、

もしくは
実在の
自分は、

もう
すべてを
わかっているよ。

だから
表面的に
どう戸惑おうとも、

中心の
静謐さを
そのまま
感じとろう。

そうすれば、

今ここでの
判断を

見誤ることは
ないだろう。

つづく

10年前と比べる雲泥の差

時々、
ゴリっと
回転する。

回転する
度に

何か
新たな分子の
ようなものが

恐らく
新種の成分が

生み出される。

そしてそれが
拡散する。

世の中
全体に。

それらが
染み渡って
行けば、

最初は
新たな異物を
含んだ違和感が
あったにしても、

自然にそれは
慣れて
しまう。

そして
最初から
それは含まれていた
かのように、

それが
自分自身で
あったかのように
思えてしまう。

しかしこの
本質的変化

大きい。

私達が
気づいていない
だけで。

私達は
鈍感だ。

鈍感だから
やっていけるのだ
ということも
もちろん、ある。

鈍感だから
すぐに
慣れてしまう。

慣れるのが
人間。

適応してしまう
のが
人間。

でも
随分と
変わったんだよ、
私達は。

10年前に
比べるとね。

雲泥の差。

そう感じる。

もし
タイムマシンに
乗って、
10年前に
戻ったとしたら、

この世を
構成している
何ものかの
密度が、

濃密さが、

あまりにも
違うことに
驚くだろうよ。

濃密に
なっている。
日々。

新たな何かが
どんどん
染み渡って
いるんだ。

つづく

それは中毒だろ

世の中
便利に
なればなるほど、

自分自身が
しっかりせねば
ならない。

便利さに
溺れるという
ことは、

環境に溺れる、

つまりは
依存した生き方

なってしまうから。

言葉を
換えれば、

現代は
「中毒」に
なりやすいものが
あまりにも多い。

多過ぎて、
ほとんどの人が
自分が
「中毒」
であることを
自覚しない。

中毒的選択と
中毒的行動を
とりながら、

私は私の
意思で生きている、


思い込んでいる。

ある意味
恐ろしい
世の中だ。

中毒から
出る方法は、

まずは
一歩立ち止まる、
しかないかな
と思う。

一歩
立ち止まり、

これは本当に
私の意志・意思か?


問い続ける
しかない。

私は一日、
起きている間は
ずっと
これをやり続けている
気がする。

そんなの
疲れるだろ?

思われるかも
しれない。

いやいやいや、

こっちの方が
よっぽど
楽だ。

中毒に
埋没する方が、
1000倍も
疲れるよ。

麻痺している
だけで。

自分の意思と
ただの中毒と、

まずは
この区別から
始めなければ
ならない。

なかなか
悲惨な
世の中だ。

つづく

誠実の基本とは

人には誰しも
魂のエネルギー
というものが
ある。

イメージで
言えば、

体の中心軸が
光り輝いている
感じに。

ただし
それだけでは
そのエネルギーは
外には開放
されない。

その光が
全身に
巡ること。

手の先
足の先まで
まるで
血液のように
行き渡り、

循環し続ける
こと。

この状態に
なれて
初めて
魂のエネルギーは
外に向かって

つまりは
現実世界に
向かって

解き
放たれる。

そういう人は
一つ一つの
物事への
取り組みに

魂を込める
ことができる。

心を込める
のとは
次元が異なる。

私は
そういう人の
振る舞いを
見ていると、

私自身の
体の中心が
ジンジンと
痺れる感覚を
得る。

とても
居心地の良い
感覚だ。

一挙手一投足

深いエネルギーを
感じるのだ。

そういう人の
言葉は、
こちらの
心深くに届く。

言霊
という言葉が
あるが、

言霊とは
こういった人の
一言にこそ
込められるものでは
ないか。

魂のエネルギーが
全身に
行き渡るかどうか?

すべて

その人の
日常における
生き方

生活の仕方

による。

いつも同じ
結論に
たどり着いてしまう
のだが、

やはり
今日一日を
どれだけ
大事にできているか?
だ。

この
1分1秒を
どれだけ
丁寧に生きているか?
だ。

私はこれが
「誠実」
の基本だと
思っている。

つづく

腰が抜けそう

腰が
重い。

腰が
抜けそうな
くらい、
重い。

これは
やばい。
また
もらい
過ぎた。

人からの
ストレス、

エンティティ。

下手に
動けば
ギックリ腰だ。

慎重に
自分を
整える。

エンティティを
ゆっくり
着実に
浄化する。

多くの人の
業を
感じる。

人としての
宿命とも
言える、
この苦しみ。

人は
業と共に
生きている。

本来は
自分自身で
向き合うことだ。

が、
それができる
人は
わずか。

ちゃんと
向き合えるように
サポートするのが
私の
役目だ。

そのためにも
まずは
私が
向き合う。

それにより、
今、その人自身が
向き合って
良いかどうか?

それだけ
その人は
強くなれたかどうか?


わかる。

エンティティの
濃さは、

自分自身への
誤魔化し度合いで
決まる。

自分を
自分で
誤魔化し続けるのが

これもまた
人の業か。

誤魔化すには
とてつもない
エネルギーが
必要。

誤魔化すために
使うよりも
前に向かうために
使えばいいのに。

というのは
私の
毎日の感想。
嘆息。

人は
醜い。

一方で

人は
美しい。

その両方を
あるがままに

自分自身が

見つめられると
いい。

見えてしまう
のが
怖い、

人はよく言うが、

自分自身の
ことであれば、
見えてしまった
方が、

圧倒的に
楽になれる。

見るか
見ぬか。

それだけの
違いで
人生の展開は
根本的に
変わるんだ。

つづく

待つか待たぬか

じっと
待つ。

待つ時は
待つ。

余分なことは
一切しない。

ただ
待つ。

すると、
何かが
動く。

そして
その瞬間が
わかる。

「ここだ!」
という瞬間が。

それを
逃さない。

瞬発力が
勝負だ。

一気に
動く。

それにより
調和する。

もし、

待てども
待てども
何も変化しない
時は、

しょうがない
から
こちらから
動き、
波を起こすしか
ない。

ただし、

「こちらから
行くしかないんだ」


100%本気で
思えている
こと。

これが
中途半端だと
自ら発する波長に
澱みが出てしまう。

自ら
動くなら
!00%の気持ちと
集中力で。

そのためには、

「もう待たない」

決め切れるまで
待つ、ことだ。

つまりは
完了感が出る
まで、
ちゃんと待つ。

私は
もう、待たない。
待つことは
完了だ。


100%思える
ことで、
初めて
100%の行動が
できる。

いずれに
しても、

待つ


極めること。

調和への
極意。

つづく

無限チームか

実に
たくさんの
人達の
気配だ。

広い大地に
延々と
広がる
人波。

それらの
無数の人達が
一点を、

私だけを、

凝視
している。

情熱、
というよりも
熱情、
をはらんだ
その
眼差し達。

それらに
応えるのは
実に
億劫だ。

できれば
誰かに
やってもらいたい。

が、
やると決めた
私が
ここにいる。

彼らは
私の力に
なってくれる。

それは
わかっているが、

実際に
行なうのは
私自身なのだ、

誰か
責任を
とってくれるのか?

いや、
責任をとるのは
私だけだ。

この、

圧倒的
なのに

孤独な
感じ。

孤独
なのに、

圧倒的な
後押し。

もはや
自分のみの
意志では
ない。

わかっている。

すべてを
呑んで
やるしかない。

大声を
張り上げながら、

進んだよ。

呼応する
ように、
皆も
大声で応える。

無限に
広がる
チーム。

ここには
いないのに

ここに
いる。

もう
迷いは
捨てたよ。

つづく

超巨大になったのか?

超巨大な
存在に
なれた気がする。

自分自身が。

・・・そんな
感覚を
もし得たら、

それを
おこがましい

解釈するのでは
なく、

その感覚
そのものを
大切にしよう。

たとえ
傲慢で
あってもいい。

それでも
その感覚を、
まずは
自分自身が
信じよう。

そして
超巨大な自分
として

一気に

超巨大な
一歩を
踏み出そう。

そんなこと
できるわけが
ない、

思われる
ことでも。

自分の
感覚のみを
頼りに。

どうしても
怖ければ
やめよう。

しかし、

乗り越えられ
そうな
怖さであれば、

今は、

あえて、

やって
しまえ。

超巨大な
自分として。

つづく

未来に向かうのではなく

スーッと
一本だけ
ロープが
垂れている。

ここを
登るしか
ない。

他は
何もないのだ。

ここから
脱け出す
には。

であれば、
躊躇している
暇はない。

すぐにでも
ロープに
飛びつく。

しかし
たった一本の
細いロープを
腕力だけで
登るのは
キツい。

どう考えても
あんな高さの
出口に
たどり着けるとは
思えない。

でも
他に方法が
ないのだ。

迷っている
暇はない。

勢いで
ロープに
飛びついた。

強引に
登っていく。

本当に
強引だ。

案の定、
すぐに
疲れ果てた。

せっかく
いくらかは
登ったのに、

ズズズッと
ずり落ちる。

しまいには
地面まで
落ちた。

結局
最初にいた
場所、
地面に。

もう
体力は
残っていない。

でも
出口に行く
には
このロープしか
ない。

どうする、
俺?

何か
知恵は?

・・・ない。

知恵が
出ないなら
行くしかない。

もう一度、
ロープに
飛びつく。

しかし
先ほどよりも
もっと早く
落ちた。

もはや
体力は
残っていない。

時間は
ない。

諦めるか?

・・・

普通であれば
もう
間に合わない。

間に合わせる
のは
あきらめて、

それでも
何度も
何度も
挑戦する。

期限には
間に合わずとも
それでもずっと
挑戦しているうちに、

随分と
日にちはかかったが
ついに
ロープを
登り切ることが
できる。

・・・これが
通常の
人生だ。

私達は
何度も
期限に間に合わない
という
体験を続けた。

それでも
登り続ける
うちに
力をつけた。

この地道さが
人生だった。

・・・

・・・が、

ロープを
登らずに、

あの
高い場所にある
出口を
こちらに
引き寄せる、

吸引する、

という
方法が
実は
あったのだ。

もちろん
普通では
ない。

反則技
かも
しれない。

それでも
あったのだ。

未来に
向かうのでは
なく、

未来を
ここまで
吸引する
唯一の
方法が。

もう、
間に合わなかった、
では
済まされない。

それが
今。

ならば、
吸引するしか
ないでは
ないか。

つづく

誰かおらんかな?

固そうに
見えて、
実は
柔らかい。

それが
私達の
発想力だ。

きっかけさえ
あれば、

皆、
自由発想
できる。

思いもよらぬ
面白い発想、
斬新な発想は
浮上する。

しかし
きっかけが
ない。

その
きっかけ
とは、
多くの場合、

良い問い

だ。

しかしこれが
また
難しい。

なぜかと
言えば、

良い問い
とは、

問いの内容
そのものも
もちろん
だが、

タイミングも
大きな要素
だから。

最も的確な
言語を選び、

最も的確な
雰囲気で、

最も的確な
タイミングで、

その人に
投げる。

もちろん
強弱とかも
重要な要素で、

これを言い出したら
キリがない。

でも
私の体験上、
上記の様々な
要素が
ほんのわずか
ズレるだけで、

発想は
出なくなる。

コーチという
役割が
必要な所以だが、

残念ながら
これだけの質の
問いを投げられる
コーチは
なかなかいない。

でも、
そういった素質を
持った人は
いくらでもいる。

いくらでもいる
が、
この問いの力を
養うのは
相当に地道な努力が
必要なので、

ほとんどの人が
途中で
やめてしまう。

誰か、
やり切ってくれる
人、
おらんかな?

私は、
こういった
問いの力を持ち、

そして
私と一緒に
企業等の
サポート現場に
入ってくれる人を
探している。

これから
現場はどんどん
増えるし、

私は
現場以外に
すべきことが
どんどん
増えるから。

誰か
おらんかな?

つづく

足りないのは基本

基本的なこと
しか
できず、

応用が
まったく効かない、

という人は
基本的なことも
実は
できていない

ということだ。

本当の意味で
基本が
わかれば
応用は
効くはずだ。

応用を効かす
のは
楽しいことなので、
ついつい
基本の修得の
前に
応用に入ってしまう。

が、
それでは
ダメ
だ。

そう、

ダメ!

なんだ。

とはいえ、
人の育成に
おいては、

基本もまだ
できないのに、
あえて
現場に出て、
応用的な難問に
立ち向かっていく

という
やり方もある。

実際、
私もそのように
ずっと
やってきたかも
しれない。

しかしその場合も
自分は
基本すら
まだできていないのだ
ということを
きちんと自覚しておく
必要がある。

基本の修得
というのは
本当に
大変だ。

しかも
飽きちゃうし。

でも
一流の
本当に力を持った
人ほど、

常に
基本に
立ち返っている。

基本的な
ことを
しっかり丁寧に
やり続けている。

生半可な状態で
応用ばかりを
効かす。

だから
調和しないんだよ。

やるべきことを
しっかりやる。
毎日。
基本的な
ことを。

道を開く・拓く
最も大事なことだと
私は思うな。

つづく

大き過ぎる小さ過ぎる

本当の大きさ
というものが
ある。

あらゆる
ものに。

あらゆる
人に。

実在の
大きさだ。

私はなぜか
昔から
これだけは
わかった。

何となく
だが。

もちろん
大きければ
いい、
というわけでは
ない。

すべての
物事に、

もちろん
人にも、

等身大という
ものがある。

つまり
最も自然で
ちょうどよい
大きさ、だ。

企業も
そうだ。

ある社長の
ある会社には
その会社
ならではの

ちょうどよい
大きさ、
等身大というものが
ある。

どれだけ
経営力の高い
社長でも、

等身大以上の
規模を
目指してしまうと
途端に
不調和が起こる。

それでも
無理に
経営をし切って
しまう人もいるが、

等身大で
いった方が
もっと
世の中への影響も
お客様も
社員さんも

そして
自分自身も

幸せに
なるだろうに、

思うことは
よくある。

なんでみんな
規模の大きさ
ばかりを
目指すのだろうか?

もちろん
資本主義社会
というのは
大きくなり続ける
ことが
宿命となっている。

しかしそれでも
自分にしか
できない経営を
目指すといいのに、

よく思う。

経営者だけでは
ない。

あらゆる人が
そうだ。

自分の大きさを
小さく
見積り過ぎている
人も多い。

もっと大きな
視野で
もっと大らかに
そして自由に
未来について
発想すればいいのに、

これも
よく思う。

小さく
見過ぎたり、
大きく
見過ぎたり。

あるがままの
自分を
観れるように
なると、いいな。
みんな。

つづく

凄い発想を得たければ

たった一つの
ヒントで
100の発想が
生まれることが
ある。

その人は、
100の発想を
生み出す
凄い人だ!

言われたり
するが、

それよりも、
最初の
その
たった一つの
ヒントを

ヒントとして
キャッチする
ところが
本当は凄いのだ。

何が
ヒントになり、
何が
ヒントには
なり得ないか、

しっかり
判別している。

こればかりは
解釈によっては
絶対に
成されない。

意図や思惑
によっても
もちろん
成されない。

人事を超えた
部分での
働きがあるのだが、
しかし
それと出会うには
やはり
人事を尽くす
しかない。

要するに
普段の生き方
だ。

必要な発想が
ある時だけ
しっかり真剣に
生きるのでは
ない。

普段から
しっかり真剣に
丁寧に
生活をしている
こと。

そう、
日常生活
だ。

日常生活を
どれだけ大事に
できているか?
によって、

人生で本当に
必要なヒントが
目の前に
来るかどうか?

そしてそれが
来ているかどうかを
判別できるかどうか?

大きく変わる。

先日、
ある人が
ご自分のビジョンに
気づかれた。

大きく遠い
ビジョンだ。

でも
その人が
まず決めたのは、

ほんの日常の
些細な習慣を
変える、こと。

毎日をもっと
地道に丁寧に
過ごすこと、
だった。

この感覚が
大切だ。

未来は
今と
繋がっている。

未来を実現
する
ヒントは
今、にある。

それに
きちんと
気づけるのは、

今、を
つまりは
日常生活を
一つ一つ
丁寧に生きている
人のみ。

雑に生きて
いては
何も
手に入らないのだ。

つづく

齟齬はなくならんか

一つの齟齬
が生まれると、

次の齟齬が
生まれる。

ほんの小さな
齟齬、ズレが

気がつけば
手に負えない
くらいに
深刻になっている。

人と人の
コミュニケーションは
難しい。

身近で
あればあるほど
難易度は
増してくる。

齟齬など
ない。

・・・と
思い込んでいる
人は、
思っている以上に
多い。

もっと相手を
理解しなきゃ

わかりながらも
まったくできていない
という人も
思っている以上に
多い。

自分のことは
わからない
からだ。

自分では
やっている

もしくは、
やれている
つもり
だからだ。

本人達が
齟齬だと
思っていない
齟齬を
自覚するためには
どうしても
第三者の協力が
必要だ。

この
第三者の協力が
どうしても必要、
という
事実を、

実は私自身が
ずっと
受け入れて
こなかった。

人と人は
ちゃんと
向き合えば、
必ずいつか
分かり合える
はずだ。

・・・これが
私の信念だった。

が、

どうやら
そうではない
らしい。

と、
最近だよ、

本当に
受け止められる
ように
なったのは。

世の中から
私のような
コーチという立ち位置の
人が
いなくなれば
いい。

・・・これが私の
信念だった。
そのためにも
私は
がんばってきた。

が、

やはり
必要なのだ。

コーチのように
第三者的
立ち位置の人は。

それが
なくても成り立つ
世の中に
するよりも、

本当の意味で
第三者的立場に
立てる人を
しっかり
養成する。

これこそが
必要なのでは
ないか。

逆に言えば、

第三者的立場に
きちんと立てる
人が
増えるかどうか?

これで
私達人類の進化は
根本的に
変わるのではないか。

最近だよ、

そう思うように
なったんだ。

つづく

立っているだけで精一杯

ずっと
曇っていたものが
晴れてきた。

晴れた
向こう側に
観えるものは?

それは
ある意味
予想されたもの
だったが、

しかし
その本質は
あまりに
違った。

想像よりも
ずっと
良かった。

こんなにも
可能性を
感じるもの
なのか・・・。

晴れたことで
初めて
得られる
実感があった。

・・・

私達人間の
空想・想像は

貧弱な
ものだ。

だから、
予測など
意味はない、

くらいに
私は思っていた。

もちろん
正確に言えば、
予測は
大事だ。

これから
何が
起こるだろうか?

丁寧に考える
ことは
何事においても
重要だ。

ただ、
その予測に
自らが
縛り付けられるのは
良くない。

予測は
ただの解釈。
その域は
永遠に
越えられないから。

私達にとって
何がどうあっても
向き合うべきは
「現実」だ。

予測など
意味がない、

わかった上で
しっかり
予測する。

これが
私の進み方
だった。

・・・

ところが、

実際に
晴れてみれば、
その
あまりの違いに、

本当に
予測など
意味はなかったのだ、

呆然とするしか
ない。

これが
現実なのか。

これが
実在なのか。

実在が
現象化するとは
こういう
ことなのか。

わかっていた
はずなのに、

実際に
目の当たりに
すれば、

自分の心など
あっという間に
その迫力に
吹っ飛ばされる。

ここに
立っているだけ
で、
精一杯だ。

つづく

虚無の向こうに

この世の中
は、
儚く消えてゆく
もの
ばかりだ。

どれだけ
強く
見えたとしても。

それらの
ほとんどは
本当は
脆弱だ。

しかも
脆弱なもの
ほど、
強く見せようと
する。

皆、
騙される。

私も随分と
騙されたものだ。

騙されながら
世の中を
知っていった。

虚無。

心が
そんな状態に
何度も
なった。

でも一方で
人間は
虚無には
なりきれない。

徹底的に
虚無に落ちる
ことで、

底に
たどり着いて
しまう。

するともう
浮上するしか
ない。

浮上しても
現実は
変わらない。

でも
現実への
対し方は
変わる。

虚無によっても
絶望
しなくなって
しまった
自分。

麻痺か?

いや
違う。

ちゃんと
痛いし、
悲しいし、
虚しい、
から。

幻滅の人生。

私の人生は
そうだったとも
言えるんだよ、
ある視点から
見れば、ね。

もう
強がりは
よそう。

そのまま

いいじゃないか。

消えるものは
消え、
しかしそれでも
残るものは
残る。

虚無そのもの

そのうちに
儚く消える。

その後に
残るものは・・・?

あとは
本質だけが
残っているだろ。

それはここに
実在
しているだろ。

きっと
これだけは
ずっと
ここにある。

つづく

何としても守るもの

真っ暗な
闇の中

一本の細い
光の直線が

下から上へと
垂直に
続いている。

細い細い
線なのだが、
よく見ると、

細くとも
それは
流れ続けている
一本の
エネルギーだった。

下から
上へ。

細々とした
エネルギーの
ようだが、

でもさらに
眼を凝らして
見つめてみると、

そこには
たくさんの
生命たちが

ひしめき合い
ながら
エネルギーと
共に
流れていた。

下から
上へ。

この暗闇は
どこなのか?

という
疑問は
その時点では
全く
浮かばなかった。

ただ
祈り続けた。

彼ら、

つまりは
たくさんの
生命たち、

彼らが
何とか無事に
流れ続けます
ように。

生命が
続きますように。

なぜこんなに
祈るのか、
自分でもよく
わからなかった。

が、
私は必死
だった。

この世の中
には、
決して
途切れては
ならないものが
ある。

何が
あっても、
これだけは、

守り続けなければ
ならない
流れ
がある。

もしそれを
守りきれずに、

それが
途切れて
しまったら、

何のために
ここに
来たのか?

それこそ
すべてが
意味を失う。

私はきっと
それを
わかっていた。

私の人生、

時々、
後悔の場面が
頭をよぎる。

フラッシュバック
する。

なぜあの時、
私は
あのような
行動を
とったのか?
と。

でも今は
ちょっとずつ
わかりかけて
いるんだ。

私はどうしても
守るべきものを
守りたかった
のだと。

つづく

ちょっと捩れただけ

流れが
捩れてくると、

やけに
不安になる。

激しさは
あまり
変わらないのに。

ほんの少し
捩れるだけで、
まるで
難易度が10倍にも
上がったように。

しかし
よくよく
観察すれば、

ちょっと
ひん曲がっている
だけだ。

複雑怪奇に
なっているわけ
ではないのだ。

ただ、

わずかで
あっても、
捩れるためには
多大なエネルギーが
要る。

本来は
必要のない
エネルギーが
消費、
浪費
される。

だから
捩れを丁寧に
修正しよう。

観察すれば、
どこに力を
どれだけ
加えれば、

まっすぐ


戻るか
わかるはず。

実は
そんなに
難しいものでは
ない。

本質は
変わっていない
のだ。

よーく
観察しよう。

つづく

地球の悲しみは

雲が下の方に
見えるのだが、

それは
今自分が
宇宙に出ている
からだ。

地球も
遠く離れると
小さな存在だ。

しかし
あの
小さな世界の
中で、

毎日
あーだこーだと
生きているのだな。

自分の世界

外側から
眺める。

遠くから
眺める。

そういった
視点や視座の
変換は
有効だ。

しかし
これを
イメージで
行なっても
意味がない。

意味がない、
とは
断定的過ぎると
思われるかも
しれないが、

でもやっぱり
意味がない。

イメージ
ではなく、

実在を
観なければ。

・・・

以前の私は、

実在とは
自分の脳を
介さずに
観たり感じたり
するものだ、

思っていた。

が、
どうやら
私達の脳には

実在を
観たり感じ取る
力が
もともと
あるようだ。

使っていない
だけで。

そういう機能が
備わっている
のなら、

誰でも実在は
わかるはずだ。

・・・

ただし、

実在がわかり
過ぎることで
逆に
心に澱みが
生まれたり、

歩みが遅く
なってしまう人は
多い。

そういう人は
無理に観たり
感じたり
せずに、

ただ、
直観に任せて
生きた方が
いい。

しかし
それにしても
実在を
受け取っている
ことには
違いはない。

要は
顕在化の度合い
の違いだ。

・・・

実在の視点
実在の視座
から
地球を
眺める。

すると
今の地球の
本質的な課題が
手に取るように
わかる。

それは
私達人間全体の
課題でもある。

今の一番の
課題は、

人は
自分と地球を
あまりに
分離して
考え過ぎている、
ということだ。

人と地球が
分断、断絶
されて
しまっている。

あらゆる
不調和は
ここに
根本原因が
ある。

地球は私であり、
私は地球である。

・・・と、
そんなことを
言っても
誰もピンとこない。

それが今の
私達人間の
現実だ。

地球の悲しみ

自分の悲しみ

実は一緒
なんだけどな。

つづく

遊ぶのは後だ

キューッと
中心が
光る。

とても
強い輝き。

中心に
意識を
集中すれば、

それ以外は
まったく
見えなくなる。

それでいい。

今、
大切なのは
あの
中心核のみ、
だ。

私達人間の
弱さの
一つ。

それは、

端くれに
意識を
掬い取られる
ということ。

端っこの
どうでも良い
ことであるほど、

なぜか
気を取られ、

足元を
掬われる。

私達はきっと
余分なものが
好きなのだ。

余分なもの
ほど
好きなのだ。

それをまた
楽しむのも
あり。

でも、
本当に意識を
向けるべき
中心核が
目の前にある時は

そんなことを
している
場合ではない。

中心核に
のみ
全意識を
向けよう。

まずは
本当に必要な
ことを
するのだ。

やるべき
ことを
やる。

遊ぶのは
それからだ。

つづく

ファーストインパクト

頭を
もたげた時、

最初に
見えるもの。

それにより
その後の
運命が
決まる。

ファースト
インパクト。

自分自身に
与えるもの。

人は
弱い。

その弱さを
ちゃんと知る者
こそが強い。

人の弱さの
一つは、

ファースト
インパクトで
ほぼほぼ
歩みが決まって
しまう
ということだ。

これは
とても
脆弱だ。

しかし
それが私達
人間。

そこを
受け入れるしか
ない。

だから
タイミングが
重要だ。

同じ物事に
取り組む場合でも、

最初の
タイミング。

その第一歩で
自分に
何が
降りかかるか?

何を自分は
見るか?

何を感じるか?

こここそが
自己コントロールの
肝。

闇雲に
向き合うのでは
ない。

最高の
タイミングで
向き合い
始めるんだ。

つづく

最短を行くと決めた

雨が降れば
傘をさせば
いい。

濡れなきゃ
いけない
いわれはない。

在るものは
活用すれば
良いし、

避けるべき
ものは
避ければいい。

逃げれば
いい。

すべてに
対して
真正面から
受け取ろう
とする
必要はない。

ただ、

自分が今は
何に対して
真正面から
向き合うか?を

丁寧に
しっかりと
自分の意思で
決めることだ。

向き合うもの
とは
向き合い、

そうでないもの

避ける、
よける、
流す、
こなす、
あしらう、
ということでいい。

人生は
メリハリだ。

真剣さとは
メリハリだ。

堂々と
自分の想い
として
メリハリを
つけよう。

それこそが
覚悟
ということだろう。

・・・

ポチャンと
何かが
池に落ちた。

波紋が
広がる。

その波紋を
見つめ、

その波紋と
共に
生きると
決めた。

その波紋が
広がり続ける
ために、
あらゆることを
私はする。

波紋とは
関係のない
ことは
もう、しない。

もしくは、
流す。

適当に
流す。

もはや
人生の時間が
足りない。

あと
たった
22年。

本当にすべき
ことのみに
立ち向かっていく。

もう
余分なことを
している暇は
ないのだ。

・・・

抜け道や
近道が
もし
見つかれば、

私は
躊躇なく
そこを通る
ことにする。

特異点。

・・・つまり、
一気に
ゴールに近づく
特別な道が
もし
見つかれば、

私はそこを
行く。

活用できる
ものは
すべて活用
するんだ。

つづく

一つの問いがわかった

問いが
一つ。

今、
目の前に
ある。

何かは
わからない。

だから
いつも、

この問いは
何だろうか?

という
問いから
私のセルフコーチングは
始まる。

今、
目の前にある
この
光のような
塊の
問いは
何だろうか?

その光の
中に
入ってみる。

その中心
まで
行ってみる。

人が
観える。

2〜3人。

何か
話し合っている。

その
輪の中に
私も入る。

ゴニョゴニョ
言葉が
聴き取れない。
でもなんか
深刻な感じ。

未来が
どうこう
言っている。

未来?

未来?

未来は今、
どれだけ
ズレている
だろうか?

そのズレは
どうすれば
矯正できるか?

いや、
矯正すべきか、
すべきじゃないか?

なるほど、
そういうことか。

その輪
から
出る。

もとに戻り、
改めて
目の前の光を
観る。

わかった。

「今、私が
変えるべき
習慣は何か?」

・・・だ。

これが
今、必要な
問い。

私だけじゃ
ない。

みんなにとっても
必要な
問いだ。

つづく