原点

揺れるしかない

 

原点。

 

本当は

ここに戻る

だけで良い。

 

でも

それを

見失う。

 

見失うから

彷徨う。

 

彷徨っている

うちに

実は彷徨っていた

ということ

自体を

忘れる。

 

そして

 

他から与えられた

何物かを

原点のように

思い込む。

 

本来とは

異なる

原点もどき。

 

それに依り

生き続けることで

 

完全に自分を

失う。

 

しかしどこかで、

その事実は

自分自身が

よくわかっている。

 

だから

何らかのきっかけで

その

わかっていることを

わかりそうに

なると、

 

揺れる。

 

大いに

揺れる。

 

その揺れは

原点を失っている

事実を

思い出しそうに

なっている

ことによる。

 

その揺れは。

 

まずい。

 

これは

まずい。

 

この揺れ方は

まずい。

 

・・・と

本能的に

感じたら、

 

もう

逃げられない。

 

その場合の

最善の対処法は

 

あきらめる

 

ことだ。

 

揺れに任せ、

 

極度の不安に

呑み込まれる

ことだ。

 

自分自身を

失った私達は、

 

これを経ずして

 

もと(原点)には

戻れないのだから。

 

大丈夫。

 

あらゆる揺れは、

 

それに委ねる

ことで、

 

必ず

いつか

止まるものさ。

 

つづく

 

私は何者か?

 

よく私は

「加速しよう」

という言葉を

使うが、

 

実は、

 

中途半端な加速ほど

苦しいものはない。

 

加速するなら

徹底的に

するしかない。

 

加速してみようかな?

では

苦しいだけで

逆にすぐに止まってしまう。

 

勢いだけで

進もうとしてもダメだ。

 

それも

中途半端さしか

生まない。

 

本当に加速する

ためには、

 

「私は何者か?」

 

という問いと

徹底的に向き合う

ことだ。

 

そしてその答えを

出そうと、

 

完全に

決めることだ。

 

とは言え、

そう簡単に答えは

出ない。

 

下手をすると

一生出ないかも。

 

しかしそれでも

必ず答えを出そう

決めるんだ。

 

私は何者か?

 

私は何者か?

 

私は何者か?

 

これを問い続けながら、

その答えを

求めながら

 

今、やる。

 

思えることを一つ決め、

(完全に決め)

 

その一つを

一切の迷いを捨てて

実行する。

 

それの連続だ。

 

「私は何者か?」

 

とは、

自分の意識を

「原点」に

戻してくれる。

 

その「原点」が何か?

はわからなくとも

少なくとも

原点のその場所には

意識は戻る。

 

原点とは

ゼロの地点だ。

 

いつもいつも

ゼロの地点に

戻りながら、

 

前に進む。

 

これにより、

勢い任せの中途半端な

加速からは

解放される。

 

これを

実直に淡々と

飄々と

 

毎日、

毎時間、

毎分、

毎秒、

 

する。

 

そう決めて

進む。

 

進もうとする。

 

これだけの

ことなんだよ。

 

つづく

 

おいおい、軽いなぁ

 

私のビジネスパートナーの

一人は

今、

自分の会社のホームページを

創っている。

 

どうやらそこに

私も載せてくれる

らしい。

 

「たけうちさん、

たけうちさんの写真を

載せたいのですが、

二つ候補がありまして。

写真Aと写真Bですが、

どっちがいいですか?」

 

2枚の写真を

見せられた。

 

私は迷うことなく、

 

「Aはちょっと変だから、

Bがいいな」

 

返した。

 

「わかりました!

そうします」

 

返事。

 

数日後、

ほぼ出来上がったホームページ

を見せてもらった。

 

そこに載っていたのは

写真Bじゃなくて

写真A。

 

「あれ?

写真Aになってるけど・・・」

 

「あーそれですね。

やっぱ、Aの方がいいかな

って思って。あはは」

 

・・・この軽さ。

 

私はこの軽さを

『真剣』

と呼ぶ。

 

・・・・・・

 

本当に真剣な

人は、

 

軽い。

 

もちろん、

真剣じゃない人で

軽い人も

いっぱいいる。

 

そういう軽さは

私は勘弁してもらいたい

のだが、

 

真剣な人の持つ

その独特の軽さを

私は愛する。

 

それは言葉を

換えれば、

 

『遊び心』

 

とも言える。

 

遊び心とは

柔軟性そのもの

でもあるが、

 

その柔軟性とは、

 

「常に原点に返る」

柔軟性だ。

 

あらゆる情報を

自らにインプットし、

あらゆる経験や

あらゆる試行錯誤を

経て、

 

その上で

原点に返る。

 

そして

答えを出す。

 

こんな情報が

あったから

こうしよう。

・・・ではない。

 

こんな経験をしたから

こうしよう。

・・・でもない。

 

打合せでこう決まった

から

こうしよう。

・・・すらない。

 

あらゆることを経て、

すべてを自分自身に

インプットした上で

 

原点に返るのだ。

 

そして

決断をする。

 

だから一見すると、

突拍子もない答えに

なることもある。

 

しかしそれが

真剣な人の

特長の一つだ。

 

これ、

一歩間違えれば、

単なるいい加減

と見られたり、

独断

と見られたりして、

 

ギクシャクや混乱の

もとになることも

あるが、

 

本当に真剣な人が

これをやると、

 

結果的にはすべてが

調和する。

 

これが実に

楽しい。

 

・・・・・・

 

気がつけば、

私の周りは

真剣な人ばかりだ。

 

だから皆、

軽い。笑

 

軽くて

明るい。

 

しかし、

深い。

 

そんな人達と今、

いろんなビジネスが

展開し始めている。

 

だから私も

ますます真剣に

なる。

 

つまり、

軽くなる。

 

一年後が

どうなっているのか、

まったく予測のつかない

展開になっているが、

 

この

予測のつかなさ

も、

軽やかに楽しみながら

進むつもりだ。

 

つづく

 

満たされないものを満たす人生は満たされない

寂しくてしょうがない。

 

不安でしょうがない。

 

虚しくてしょうがない。

 

悲しくてしょうがない。

 

腹が立ってしょうがない。

 

悔しくてしょうがない。

 

・・・これらの心を

埋めるために、

私達は次の行動を決定

してしまうことがあります。

 

ところがそれをした場合、

 

もっと寂しくなります。

 

もっと不安になります。

 

もっと虚しくなります。

 

もっと悲しくなります。

 

もっと腹が立ちます。

 

もっと悔しくなります。

 

何かを満たすために

何かをする。

 

それをしているうちは

決して

そこから抜け出ることは

できません。

 

・・・・・・

 

満たされないものを

満たしたい。

 

この心は

「反応本音」

です。

 

つまり、

外からの影響

その時の状況によって

その反応として

生み出される心。

 

反応本音の願いとは、

満たされないものを

満たしたい

というもの。

 

それは人として

大事なことではありますが、

しかし残念ながら、

満たされないものを

満たそうとすればするほど、

その「枯渇感」は

ますます増長します。

 

「私はもっと

幸せになりたい!」

 

という気持ち自体は

尊いです。

 

しかし、

それは今、

幸せではないから

幸せというものを

満たしたい

というところから

発せられています。

 

それがいけない

というわけではありません。

 

しかし、

満たしたいものを

満たすためだけに

動いたとしたら、

さらにその「枯渇感」は

増してしまうのです。

 

それが

自然の摂理として

この世の中で

機能している法則です。

 

人間は

反応本音があるかこそ

人間です。

 

でも、

反応本音に対して

反応的に動いても

何も生まないのです。

 

・・・・・・

 

反応本音を否定する

必要はありません。

 

それが

あるがままに

そのままに

受け入れましょう。

 

その上で、

すべてを受け入れ

すべてを感じ取った上で

 

「真本音」に

戻るのです。

 

真本音とは

自らの原点。

 

どのような状態、

どのような状況に

なっても

変わることのない

原点です。

 

こんな状況だから

こうした、

ではなく、

どんな状況でも

原点に

帰るのです。

 

そして、

原点から

すべての判断をします。

 

自分の

行動を決定します。

 

すると、

真本音と反応本音が

結びつきます。

 

真本音と反応本音は

敵対するものでは

ありません。

 

共に

コラボ(協業)するために

存在しています。

 

真本音という原点を

常に大切にすることで

そのコラボは

実現します。

 

満たされないものを

満たしたい、

という心をそのまま

受け取り、

原点に戻るのです。

 

すると、

それらの反応本音も

すべて大切にしながら、

私達は

自身の真本音の次の一歩を

見出すことができます。

 

真本音と

結びついた反応本音は

強いです。

 

それは

道を拓きます。

 

真本音と反応本音の

コラボレーション。

 

これを

創り出すのが

セルフコーチングの

本質です。

 

つづく

 

昨日の自分に縛られてませんか?

当たり前のように

私達は、

毎日24時間という一日を

過ごしていますが、

私はよく思うのです、

凄いなぁ、と。

 

何が凄いかと言うと、

自然の摂理

がです。

 

自然の摂理と言うと、

なんか大袈裟ですが、

でも、

凄いと思いません?

 

必ず24時間サイクルで

一日が終わり、

一日が

始まるのですよ。

 

どれだけ心の中が

荒れようが、

どれだけ悩もうが、

どれだけ叫ぼうが、

時間は同じスピードで

進み、

しかも必ず

「次の日」

が来るのですよ。

 

これって

凄いことだと思いません?

 

この世は

様々な「循環」「サイクル」が

成り立っています。

 

その上で

私達は生きています。

 

「循環」「サイクル」という

存在そのものが

私は凄いと

思います。

 

地球は太陽の周りを

回り続け、

一日は24時間周期で

延々と続いていく。

 

継続していく。

 

循環があるからこそ

継続があり、

循環があるからこそ

進化がある。

 

凄いなぁ。

誰がこんなものを

創り上げたんだろう、

よく私は一人で

感心しています。

 

循環の中においては、

どこを

スタート地点にし、

どこを

エンド地点にするか?

はその人その人の

自由です。

 

でも、

必ず「節目」は

あります。

 

「節目」があるからこそ、

私達は何度も

「再スタート」が

できます。

 

循環がなければ

このようなことは

できません。

 

ホントに凄いなぁ、と

思いますね。

 

・・・・・・

 

人生というのは、

「一日」と「一日」の

コラボです。

 

よく、

一日一日の積み重なりが

人生である

という見方もありますが、

実は私は

ちょっと違った見方を

しています。

 

以前にもこのブログで

書かせていただいたことが

ありますが、

この3次元の世界は

すべてが「分離」しています。

 

昨日の自分と

今日の自分と

明日の自分は

すべてつながっているように

見えますが、

実は、それぞれが

別個の存在です。

 

時間の流れの中に

生きるということは、

それぞれの時間における

別個の自分を

時系列に沿って

一つ一つ順番に体験している、

ということなのです、

わかりづらいかも

しれませんが。

 

つまり端的に言えば、

昨日の自分は

昨日の自分でしか

ありません。

 

今日の自分は

今日の自分という

一つの存在です。

 

明日の自分は

明日の自分という

独立したものです。

 

人生とは、

そういった時系列に沿った

別個の自分達の

コラボなのです。

 

昨日の自分と

今日の自分と

明日の自分の

コラボです。

 

大事なのは、

それぞれの自分達が

良いコラボを

することです。

 

それぞれの自分が

反発をし合って

エネルギーを

打ち消し合っている、

という

そんなことをしている人も

残念ながら多いのですが、

それは実に

もったいない話です。

 

一日一日の

コラボ。

 

そして、

一日一日の

統合。

 

さらに、

一日一日の

融合。

 

そんなことができれば、

人生の展開は

すさまじく加速します。

 

つまり、

人生とは

単なる一日一日の

積み重なりでは

ありません。

 

一日一日の

相乗効果を起こすことこそ

人生の醍醐味であり

面白さです。

 

・・・・・・

 

そのためのコツは

「昨日はこうだったから

今日はこうするしかない」

・・・からの

解放です。

 

昨日の自分によって

今日の自分を

縛らない、ということです。

 

昨日は昨日。

 

そして、

今日は今日。

 

毎日を

ゼロ出発させます。

 

ゼロ発想を

します。

 

そんなことをすると

ちゃらんぽらんな

毎日になるのでは?

と思う人も

いるかもしれません。

 

でも

まったく逆です。

 

きちんと

「ゼロ」から発想すれば、

「ゼロ」は「ゼロ」のままですから、

つまりは、

その人の「原点」ですから、

「原点」は変わりませんから、

「ゼロ」に戻れば戻るほど、

その人には

「一貫性」が生まれるのです。

 

そして、

昨日の自分と

今日の自分の

融合が自然に起こり、

かつ、

相乗効果が起こるのです。

 

昨日のあの事柄が、

まさかこんな展開になるとは!

という驚きと喜び、

想定外の感動、

そんなものが

頻発するように

なるのです。

 

私の言う

『真本音』とは、

その

「ゼロ(原点)からの意志(意思)」

とも言えるでしょう。

 

自らの真本音を知り、

自らの真本音に素直に

行動することで、

一日一日の自分のコラボが

次々に

成されて行くのです。

 

楽しいですねぇ。

 

昨日に縛られた今日。

・・・これは不自由です。

 

昨日に縛られない今日。

・・・そんな日々は

自由です。

 

真本音に生きる人は

自由なのです。

 

つづく

 

目的がわからなくても目的に向かう

「自律」について、さらに話を深めます。

(→前回記事)

 

何のために何をするか?

そして、

何のために何をしてはならないか?

 

自律した人は、

常にゼロからそれを発想します。

 

それまでの過程はもちろん大事ですが、

それまでの過程と、創り上げてきた現実に

執着はしません。

 

「これまではこういったやり方で成功してきたから、

これからもこのやり方で行こう。」

・・・というのは、依存です。

それまでのやり方への依存であり、

過去への依存です。

 

常に原点(ゼロ)に戻ること。

常に「何のために」(目的)に戻ること。

それができるので、自律した人は強いのです。

 

しかしこのような説明をすると、

よく、次のようなご質問をいただきます。

 

「原点とか目的とか言われても、

私にはそれがわからないのです。」

 

実は、コーチング初期の頃の平井さんからも

いつもそのようなことを言われました。

 

平井さんは、

「私には、目的がわかりません。

自分が何のためにこの仕事をしているのか?

それがわからなくなります。

もちろん表面上の目的はありますし、頭では

理解できます。

でも、その目的を頭に置いたとしても

力も湧いてこないし、発想も出ません。

多分それは、私の本当の目的ではないからです」

と言われていました。

 

そして、

「たけうちさん、目的を見つけるためには

どうすればよいですか?」

と。

 

実は、

「目的を見つけるためにはどうすればよいですか?」

という質問は、

依存している人の典型的な質問です。

 

自律している人は決して、

そのような質問はしません。

 

それは、

すでに目的がわかっているから

ではありません。

 

目的がわかっていなくても、

自律している人は、そんな質問はしません。

 

自律している人は、

目的とは自分で見つけるものである、

自分で見つけようとしなければ決して見つけられないものである、

ということを、何となくでもわかっているからです。

 

そして、今はまったく目に見えない目的を

自ら見つけよう、とします。

 

そこが大事なのです。

 

なぜなら、

自ら目的を見つけようと真剣になることで、

私達の「真本音」が発動するからです。

 

真本音とは、

「私達の人生の目的に向かおうとし続ける

揺るがぬ心」

と表現することもできます。

 

その真本音が発動します。

それにより、

「目的はわからなくとも、目的に向かう」

という状態に入っていきます。

 

本当は、

私達の目的は、最初から私達の中にあります。

ただそれが、

顕在化していないだけです。

 

私達の頭が

認識していないだけのことです。

本当は目的は

心の中にガッシリと存在しています。

 

何のために私は生きればよいのか?

何のために私はこの仕事をすればよいのか?

何のために私はこの役割を果たせばよいのか?

何のために・・・

 

自分自身が今、ここにいる理由(目的)を

私達は本当は誰よりもよくわかっています。

ただ、

顕在化していないだけ。

 

ですから、目的は他人に教えてもらうものでは

ありません。

自ら見つけようとするものです。

 

それをすることで、

私達の真本音は発動し、

真本音に素直に行動することで、その先に

自分自身の目的が見えてきます。

 

説明すると、以上のようなことになりますが、

自律している人は、理屈ではなく感性として

以上のことがよくわかっています。

 

ですので私のコーチングは、

その人の真本音が活性化するための刺激のみ

を入れるようにしています。

それ以外のことはできるだけご本人が自力で

進めるようにしています。

 

平井さんのコーチングはその典型でした。

 

私が行なったのは、

平井さんの真本音を活性化させることだけ。

 

自らの真本音を自らキャッチできるようになった

平井さんは、自らの真本音に素直に

すべての道を開いていきました。

 

それが自律状態です。

 

真本音で生きるとは、自律すること。

 

そして自律した人が、

周りとの調和を起こしていきます。

 

つづく