変態

普通

 

我々人間には、

どうしても

やり遂げたいことが

あるものだ。

 

それに

つながるヒント

とか、

 

それに

つながる何物か

に出会えば、

 

目の色が

変わる。

 

まるで

自分の命など

捨ててやる!

くらいの勢いで

 

まっしぐらに

動き始める。

 

本人は

意識していなくても

 

ある種、

 

側から見れば、

 

狂人に

映るくらいに。

 

その姿を

ちょっと茶化せば、

 

変態だな、

 

となる。

 

そういった

狂人性

変態性

実は誰にでも

ある。

 

「そこ」に

触れる何物かと

出会うかどうか、

だけだ。

 

真本音度合いが

高まる

ということは、

 

その出会い

への確率が

高まるという

ことでもある。

 

だから、

 

全員という

わけではないが、

 

多くの人達が

狂人的

変態的に

なる。

 

ただ、

 

そう映るのは

あくまでも

側から見ている

人達から

であって、

 

本人は

至って

普通だ。

 

ただ

淡々と進んでいる。

しかし

妙に楽しい。

 

この内側から

湧き出で続ける

エネルギーは

なんだ?

ちょっとびっくり

しながら。

 

そして、

 

変態は

変態を

呼ぶ。

 

そして、

 

いつの間にか

それもまた

普通に

なるのだが。

 

改めて

ちょっと

冷静に客観的に

観てみるといい。

 

自分は

変態だろ。笑

 

それをまた

楽しんでいるだろ。

 

その楽しみを

世の中に

広げたいと

思っているだろ。

 

ぜひ

広げて

ほしいものだね。

 

どうも、

 

我々人間は

変わろうと

している。

 

年々、

その実感は

強くなってる。

 

要するに

変態が

増えている。

 

変態が

普通になる。

 

狂人が

普通になる。

 

人間が

狂人となり、

 

強靭となる。

 

つづく

 

人間は、面白い

 

自分にできる

範疇の中でのみ

生きていたら、

 

人生は

進まない。

 

進化とは

冒険である。

 

人間の本質とは

進化である。

 

だから人は

冒険を求める。

 

もちろん

私達には安全欲求

がある。

 

安心したいし、

安全でいたいし、

安定していたい。

 

しかし

本当の安定を

手に入れると、

 

刺激が

欲しくなる。

 

それが

健康的な人間の

業だ。

 

私のクライアントさんで

とても力を持った

コーチがいる。

 

3年ほど前に

出会った頃は

収入がほとんどなく、

来月からどのように

生活していこうか?と

彼は悩んでいた。

 

ところが今は、

出会う人ほぼすべてから

信頼され、

 

お客様が

増え続け、

 

一度、お客様になれば

皆が「ファン」になり、

リピートが続き、

 

しかも

コーチとしての能力も

直観力も

研ぎ澄まされ、

短時間で仕事に

対応し、

 

収入も凄いが、

時間もたっぷり

あり、

 

人生そのものを

謳歌している、

 

・・・という状態に

なれた。

 

この状態は

これからも拡大し、

 

何をどうすれば、

お客様に喜んで

いただき、

 

どうすれば

自分がさらに

成長でき、

 

どうすれば

これまで以上に

人生を謳歌できるか?

 

それらがすべて

わかるように

なりました、

 

と彼は

目を輝かせた。

 

言ってみれば、

質も量も

人生の成功者と

言えるだろう。

 

自分の望む人生を

手に入れた

のだから。

 

ところが・・・。

 

「僕は、

このまま成長を続ける

人生では

満足できません。」

 

と、

前回のコーチングで

彼は言った。

 

逆に私は

彼に言ったものだ。

 

このままの流れで

行けば、

さらに成長も進化も

できるんだよ。

 

幸せな人生

だよ。

 

調和の人生

だよ。

 

このまま

行っても、恐らく

世界中の多くの人達が

喜んでくださるビジネスが

展開できるし、

 

今以上に

日々の充実感が

増すんだよ。

 

・・・と。

 

ところが彼は

 

「いえ、

やはり、このままの流れの

成長では

満足できません。」

 

・・・と。

 

一般的な意味での

真本音100%の人生を

彼は

手に入れたし、

 

真本音の願いを

実現できる人生の流れにも

入った。

 

にも関わらず、

さらに彼は

「逸脱」

したいのだ。

 

それを見て、

 

あぁこれが

人間なのだな、

 

と改めて私は

感嘆した。

 

じゃあ、私も

あなたへのサポートの

仕方の次元を

変えなければならない。

 

これまでとは違った

質の

コーチングに入るよ。

 

と私は

彼に伝えた。

 

その瞬間からもう

彼の内側から

これまでとは違った質の

エネルギーの波が

放たれ始めた。

 

彼は言った。

 

「恐らくここからの

私の人生は、

五里霧中です。

何をどうやればいいのか、

今は全くわかりません。」

 

と。

 

「五里霧中」。

 

これが

彼の選んだ道だ。

 

真本音の道はもう

観えているのに、

 

さらに

もっと先の次元の

道を行こうとする。

 

するとまったく

何もわからなくなる。

 

それはそれは

不安である。

 

でも、

彼はその道を

望むのだ。

 

こういう人を

私は

 

『変態』

 

と呼んでいる。

 

真本音の道にも

二つある。

 

「普通の真本音の道」

 

 

「変態的な真本音の道」

 

だ。

 

後者の道に

入る人が、

 

一人、

また一人、

 

今はまだほんの

数えるほどだが、

 

増えてきた。

 

面白い。

 

実は、

私の魂が最も

震える瞬間であり、

 

私自身の

コーチング力は

こういった人のためにこそ

活用されるべきではないか、

最近は

思い始めている。

 

面白い。

 

とても

面白くなってきた。

 

今後の世の中の

展開そのものも、

これから

こういった「変態達」によって

 

とても面白いものに

なるのだろう。

 

つづく

 

自分を失うかもよ

 

次の世界に

入ろうとする時、

私達が最も

躊躇することは、

 

これまで培ったもの達を

手放すことだ。

 

これは勇気が

要る。

 

もし

次の世界に入るために

「これまでの自分」

そのものを

手放さなければ

ならなければ、

 

そこで必要とされる

勇気は

尋常ではない。

 

自分が

なくなってしまう。

 

自分が

変質してしまう。

 

もう、元の自分に

戻れなくなる。

 

・・・という喪失感は

半端ない。

 

しかしそれに

立ち向かわなければ

ならない時がある。

 

そんな人が今、また

増えている。

 

・・・・・・

 

そういう人に対して、

 

大丈夫だよ。

実際に次の世界に

入ることができれば、

結果として

これまでの自分も

活きてくるから。

新しい自分と言っても、

これまでの自分を

包含した自分だから。

 

・・・という勇気づけを

することは、

 

したいけど

できない。

 

残念ながら

こういった勇気づけが

なければ進めないようでは、

次の世界には

入れないからだ。

 

だからあえて

言わねばならない。

 

本当に、

これまでの自分は

喪失するかも

しれないよ。

それでも進む覚悟が

ある?

 

・・・と。

 

これに関しては、

引き返すことも

また、人生だ。

 

通常の成長であれば、

引き返さずに進め!

とやるのだが、

 

これに関しては

引き返しても

しょうがない、と

私は思う。

 

だって

人間だから、

私達は。

 

あまりに怖いことは

できないことがあっても

しょうがない。

 

引き返しても

人生は進む。

 

スピードは落ちるが

人生は進むのだ。

 

・・・・・・

 

・・・と、

このように、引き返しOKで

あるにも関わらず、

 

それでも、

 

たとえ自分を

喪失してでも、

 

次の世界に進もうと

する人がいる。

 

そういう人を私は

「変態」

と呼んでいる。

 

残念ながら

こういった意味では

私も変態なのだろう。

 

そして今、

「変態」が

一人、また一人、と

少しずつではあるが、

増えている。

 

・・・・・・

 

変態は

所詮、

変態だ。(笑)

 

しかしもし、

変態が当たり前に

なれば、

それが「普通」となる。

 

そんな世の中に

なるといいな、と

変態は密かに

願っている。

 

つづく

 

変態したかもしれないよ

 

最近の傾向として、

本質的変化、

つまりは

「変質」

をした人が増えている。

 

単なる変化ではなく、

「変質」

である。

 

ところが

当の本人がその事実に

気づいていない

ケースも多い。

 

だから、一度

しっかりと

振り返ってみてほしい。

 

自分を客観的に

見つめてほしい。

 

あなたの

「中心」は

どこだろうか?

 

今の「中心」

だ。

 

体の中のどこ

だろうか?

 

それが特定

できたら、

 

以前のあなた

(例えば、

1ヶ月くらい前のあなた)

の「中心」は

どこだっただろうか?

 

この二つの問いに

直観的に

答えてみてほしい。

 

もし

以前の中心と

今の中心が

別の場所にあれば、

 

あなたは

「変質」

した可能性が高い。

 

・・・・・・

 

「変質」とは、

私の好きな言葉で

言い換えると

 

「変態」

 

と言ってもいい。

 

「変態」と言えば、

昆虫が

幼虫からサナギになり、

成虫になる

あの過程も

「変態」と言うらしい。

 

で、

 

先日、聴いたのだけど、

あのサナギの内部では、

昆虫は一度、

液体になるらしい。

 

液体だよ、

液体。

 

その上で、

成虫になるんだって。

 

凄いよね。

 

そこまで

徹底的にやるんだ。

 

そしてそれを

「変態」

と言うらしいのだけど、

 

確かにそれは

変態的だ。

 

・・・・・・

 

私達人間の体は

さすがに

そこまでの変化は

ないが、

 

しかし、

心という視点で見れば、

それに匹敵する

変態ぶりは

あるのだ。

 

これまでの自分を

一度、

徹底的に液化して、

 

再構築

する。

 

そういった「変質」

つまりは

「変態」

をした人が

最近はとても多い。

 

先ほど直観的に

「中心」が変わった

と思えた人は、

 

まずは

自分が「変態した」という

前提で

自分自身を

見つめてみよう。

 

・・・・・・

 

人の意識は

面白いことに、

 

顕在意識の変化が

最後に来る。

 

顕在意識が

最も変化しづらい

とも言える。

 

顕在意識が

変わらないので、

(つまりは、

頭でものを考える

その考え方は変わらないので)

 

自分は全然

変化していない、

 

と思い込んでいる人は

多いのだが、

実はそれは

大きな間違いだ。

 

顕在意識は

全体の意識の中の

わずか1%と

言われている。

 

残りの99%が

すべて変質(変態)しても

1%が変わらないので

 

「自分は変わっていない」

 

と思い込んでしまっている

だけだ。

 

99%とは言わないが、

自分の心の

かなりの割合が

大きく変わったのであれば、

 

それはちゃんと

自覚した方がいい。

 

「変態」の

意味は大きい。

 

なぜなら、

そこから自らの人生を

「次のステージ」に

進めようとしている

からだ。

 

次のステージに

見合う自分に

せっかく変化させたのに、

ずっと同じステージに

い続けるというのは、

実に

苦しい選択だ。

 

・・・・・・

 

もし

「中心」が変化した

と直観したなら、

 

まずは、

以前の中心に

意識を向けよう。

 

そして、

以前の自分は

何のために生きていたか?

という問いを

自分自身に投げてみよう。

 

そして、以前の中心を

見つめながら、

自然に浮かぶ答えを

認識しよう。

 

それができたら

今度は、

 

今の中心を見つめながら

同じように

問いを投げよう。

 

今の自分、

そしてこれからの自分は

何のために生きて行こうか?

 

自然に発想される

キーワードを

自覚しよう。

 

そして、

以前の「何のために」

思い切って

手放してしまおう。

 

その上で、

今の「何のために」

大事に大事に

胸に抱こう。

 

そうして

新たな一日を

過ごしてみよう。

 

まずは

ここからだね、

 

変態諸君!

 

つづく

 

変態よ、しっかり生きよ

 

通常、

私達人間の

自然な成長の途上では、

 

成長している本人は

自分の成長には

気づかないものだ。

 

例えば、

身長が日々、伸びている

ことを、

本人は、ほぼ自覚しない。

 

成長が自然であれば

あるほど、

自覚はない。

 

ところが、

たま〜に、ではあるが、

本人が

自ら気づくケースがある。

 

あっ、

今、私は大きく

変わろうとしている。

 

・・・と。

 

もちろん

自己満足でそう思い込む

というケースも多い。

 

それはともかくとして、

自分で自分の

本質的な成長に気づく

大半のケースは、

 

特異点にある時

 

だ。

 

これまでの成長の

道のりからは

かなり大きく外れた

成長を

突然、

人はすることがある。

 

それをよく私は

「脱皮」

と表現しているが、

 

ただし今回の話の

特異点とは

脱皮をも超えている。

 

完全に逸脱した

成長。

 

「変態」

 

とも言える。

 

幼虫が羽化して

成虫になるような

ものである。

 

この「変態」の

直前、

もしくは最中、

もしくは直後に、

 

自分のあまりの

変化に

自分で気づくのだ。

 

その場合の多くは、

人は自分の

根本的変化に

 

慄(おのの)く。

 

そして

慄きのあまりに、

せっかくの「変態」が

中途半端になったり、

 

本来とは違う方向に

進んでしまうことも

ある。

 

だから

「変態」の心構えを

ここに書いておきたい。

 

・・・・・・

 

心構えを

一言で表現すれば、

 

「抗うな」

 

となる。

 

「変態」の不安定さは

尋常ではない。

 

自分が

まったくわからなくなる

ケースも多い。

 

私のサポートを

受けてくださっている

人の場合は、よく

 

「自分の真本音がまったく

わからなくなりました」

 

という表現をされる。

 

それはもう、

人生が終わってしまう

のではないか、

という恐怖に近い。

 

いや、

それ以上かな。

 

自分が「無」になるような

恐怖だ。

 

そうなるともう

やみくもにもがいて

もがいて

もがきまくってしまう

のだが、

 

それを

いっさい諦める

のだ。

 

自分自身を

大いなる大自然に

委ねてしまうくらいに。

 

その時の

オススメの心のつぶやき

がある。

 

『どうでもいいじゃん』

 

だ。

 

ある意味、

すべてを投げ捨てて

しまうのだ。

 

川の激流に

飲み込まれて、

もう諦めて

命を投げ出し、

激流のままに流されていく

ような感じだ。

 

これを

続けてほしい。

 

かと言って、

 

日常生活は

ちゃんといつも通りに

すること。

 

えぇ〜っ?

できないよ!

 

と思われるかも

しれないが、

それが

できるのだ。

 

ここが面白い

ところ。

 

「変態」は病気でも

何でもない。

 

むしろ

超健康的な大成長なので

 

どのような状態でも

ちゃんと

日々のすべきことは

できる。

 

ちなみに私は

私自身の「変態」の最中にも

毎日、いつものように

コーチングや研修を

行なっていた。

 

心の中はもう

死んだ状態だったのだが、

 

不思議なことに

いつも以上の

良い仕事ができた。

 

これは

病気ではないのだ。

 

だから、

ちゃんと仕事を

するように。(笑)

 

これが

もう一つの心構えかな。

 

「変態」を理由に

サボるなよ、

という。

 

・・・・・・

 

「変態」の状態は

長く続く人もいる。

 

人によっては

何ヶ月も続く人が

いる。

 

そんなの耐えられないよ、

思われるかもしれないが、

 

何度も言うが、

これは病気では

ない。

 

死にそうな気持ちに

なっている人に

「しっかり生きなさい」

と言うのも

なんだが、

 

でも、

 

ちゃんと

今こそ

しっかり生きなさい。

 

つづく

 

あなたは変態か?

 

究極の人生、

というのは

どのような人生

だろうか?

 

問われたら、

 

究極の人生

とは

「自分にとっての

究極の人生」

各々の人に

あるのだ、

 

というのが

真実だろう。

 

ちなみに、

「究極」を辞書で

調べると、

 

「物事を押し詰めて行って

最後に達する所」

 

とある。

 

最後に達する

所まで、

自分の人生を

進めてみる。

 

これからは

これができる

時代である。

 

・・・・・・

 

皆さんは

どうだろうか?

 

「究極の自分」

を見てみたい

思うだろうか?

 

私は

とてつもなく

強く思う。

 

こういう人間は

単なる

変態だろうか?

 

ただ、

私の周りには

面白いことに、

そういった

変態さん達が

集っている。

 

最近は

そんな人とばかり

出会っている

気がする。

 

本当の変態は

「変態」

を繰り返す。

 

「変態」

つまりは、

「形態を変えること」

である。

 

脱皮どころか、

形態そのものが

変わってしまう。

 

そこまでして、

究極の自分に

近づきたいのか?

という

驚きと共に、

私は彼らを眺める

のだが、

 

かく言う私も

恐らく

同じである。

 

・・・・・・

 

恐らくこれからは、

そういった

変態さん達が

世の中を

引っ張っていく。

 

そして

変態さん達は

若者に多い。

 

しかし

彼らは自分が

変態にも関わらず、

普通の生き方を

しようとしている。

 

普通と言っても、

今の世の中に、

これまでの常識に、

合わせてしまっている

だけだ。

 

私からしてみれば、

「変態」こそが

「普通」であると

思うだが、

 

「普通」である

「変態」が、

普通でない

普通に

合わせてしまい

おかしくなっている。

 

何やら

わけがわからなく

なってきたが、

これが

世の中の現状

である。

 

・・・・・・

 

当然、

変態をコーチング

できるのは

「変態」のコーチ

しかいない。

 

次々に

「変態」を続けるコーチ

こそが、

変態の「変態」を

サポートできる。

 

またわけが

わからなくなって

きたが、

 

ぶっちゃけて

言えば、

 

今の世の中を

一気に正常化

させていくためには、

 

普通のサポート

では

無理である。

 

だから私は

「変態コーチ」

となれる人を

探す。

 

こういった

わけのわからない

文章を読んで、

 

「コーチって

面白いかも」

 

と思った人は、

その素質が

あるかもしれないね。

(→【コーチ探し、始めます】)

 

つづく

 

あなたは変態ですか?

 

完全燃焼しなければ

掴めないものが

ある。

 

すべてが

灰になるまで

力を振り絞り、

限界を超えることで

初めて

わかることもある。

 

でも。

 

本当にそこまで

やる必要が

あるのだろうか?

 

ずっとその答えが

わからぬまま

ここまできた。

 

・・・・・・

 

私はほとんどが

いい加減な

人間だが、

 

でも、

これは!

と思ったことに関しては、

とことん

やり切ってきた。

 

自分が納得するまでは

決して

やめなかった。

 

自分が得たいものは

必ず

得られるまで

やり続けた。

 

ちょっと大袈裟に言えば、

たとえ

自分の命が

尽きてしまったとしても、

それよりも

得たいものを得る

方を優先した。

 

よくここまで

生きて来られたものだ

と、

この歳になって

ようやく客観的に

思えるようになった。

 

私の生き様は

極端だ。

 

人間としての私は

とても

ヘナチョコで、

臆病で気が小さくて

何ともならないのだが、

 

しかし

そんな自分であることを

お構いなしに

突き進む自分も

時々、現れた。

 

ヘナチョコでも

進むんだ、

今は。

 

と思うと、

後先考えずに

突き進んだ。

 

あっ今日、もう俺

死んじゃうな。

 

と思う日が

毎日続いた時期も

あった。

 

ヘナチョコのくせに

そこまで

やってしまう。

 

その捨て身さ加減に

私は

危うさを感じると

共に、

 

他の人にこの

生き様を

押し付けるのは

絶対にやめよう、

気をつけて

生きてきた。

 

こんな生き方、

よほどの

アホじゃないと

無理だと

やはりどこかで

ちゃんと

わかっていたからだ。

 

そういった意味で

私は私のことを

「変態」であると、

認めていた。

 

人に

「変態」を

押し付けては

ならない。

 

それが

私自身への

戒めだった。

いつもいつも。

 

・・・・・・

 

「変態」から見れば、

「普通」の人は

眩しく見える。

 

普通に生きられる

のって

いいなぁ、

いつも羨ましく

眺めていた。

 

普通の人が

普通に

生きられますように。

 

というのが

私の祈りの

一つだった。

 

そして本当に

普通の人が

普通を取り戻して

いく姿は

感動的で、

その人の魅力が

どんどん溢れ出た。

 

いいなぁ。

普通の人は。

 

という、

わけのわからない

感嘆と共に

私の人生はあった。

 

・・・・・・

 

人間は

「普通」であるのが

一番。

 

「普通」の人こそが

人としての本来の

進化を遂げていく。

 

そう思ってきたし、

今でも

そう思っている。

 

私は、

人が「普通」になるために

サポートを

続けている。

 

でも。

 

でも。

 

でも・・・。

 

どうやら

「変態」が

私の他にもいることが

近年、

わかってきた。

 

そういう人と

出会ってきた。

 

そういう人を見ると、

まるで

鏡を見ているようだ。

 

いつしか。

 

私の使命は

「変態」こそを

サポートすることでは

ないか、

 

と思うように

なった。

 

しかし

多くの「変態」は

まだ、

顕在化していない。

 

ある時

ある瞬間から、

 

あっ、この人

まだ完全に

眠っているけど、

私と同じ

「変態」だな。

 

と、

わかるようになった。

 

本当に

近年のことだ。

 

本人は

自分のことを

「変態」だとは

ちっとも思っていない。

 

かつての私が

そうであったように。

 

しかし

紛れもなく

「変態」

だ。

 

あなたは本当は

「変態」なんだよ。

 

と、

私は最善のタイミングで

その人に

伝えるだろう。

 

そして、

「変態」が

変態的に生きることを

サポートするだろう。

それは

とてつもなく

骨の折れることで

あるが。

 

人間として

本当に魅力的なのは

「普通」の人だ。

 

「変態」は、

人間っぽくない。

 

だからこそ、

「変態」のサポートは

私にしか

できないことかな、

今は思っている。

 

つづく