また夢ができた

 

やっぱりこの仕事が

好きなんだな、

と思う。

 

私は人と向き合うのが

好きなんだ。

 

当たり前のことなのだが、

改めて

最近は、一日一日

実感する。

 

以前、このブログでも

書いたが、

私は私の中心核が

入れ替わった。

 

実は、

その時から私は

「コーチ」ではない。

 

これまでは、

「◯◯のできるコーチ」

だったのだが、

 

今は

 

「コーチのできる◯◯」

 

となったのだ。

 

◯◯が何かは

まだ誰にも

喋ってないし、

しばらくは言わないつもりだ。

 

それは私の

新たな夢でもある。

 

ところが、

 

今日またさらに

新たな、◯◯が

できてしまった。

 

新たな夢が

浮上したんだ。

 

だから今の私には

新たな二つの夢が

ある。

 

今日浮上した

その夢は、

 

これまでの私が

最も思いつかなかった

分野のことだ。

 

私からは

最も遠い存在だった

と思う。

 

しかしそれが

ふと、

 

本当にふと、

 

夢になった。

 

あまりに信じられないので、

思わず自分自身に

コーチングした。

 

しかしどうやら

その夢は

私の真本音らしい。

 

ということは

それはいつかきっと

実現するのだろう。

 

やばい。

 

感動のあまり

震えてきた。

 

だけどまだしばらくは

誰にも言わない。笑

 

しかし、・・・

 

変化の激しい

毎日だ。

 

今は。

 

こんなにも

私自身が変化しているのは

いつ以来だろうかな。

 

しかし、

どれだけ変化しても、

 

「コーチ」では

なくなっても、

 

私は「コーチ」という仕事

が好きだし、

 

これからもずっと

続けるだろう。

 

「コーチのできる◯◯」

 

としてね。

 

つづく

 

夢という存在

 

夢。

 

自分の夢は

何か?

 

ということを

改めて真剣に

考えてみよう。

 

まったく

わからない、という

人も。

 

もう完全に

わかっている、という

人も。

 

夢は

進化・深化する。

 

しかも

突然に一気に

進化・深化する。

 

そのタイミングを

逃さないためにも、

自分自身の夢と

向き合おう。

 

向き合った結果、

「何もわからない」

となるかも

しれない。

 

これまで見えていた

ものすら

見えなくなった、

なるかもしれない。

 

それでもいい。

 

それも一つの

進化・深化だ。

 

夢の内容は

わからなくとも、

 

夢そのものと

向き合おう。

 

すると

夢そのものから

メッセージが届く

こともある。

 

夢の内容は

わからなくとも

 

今、

 

何をすれば良いかは、

わかるかもしれない。

 

私自身は

夢とは実現するものだ

と思っているが、

 

夢の捉え方は

人それぞれでいい。

 

ただし

本当にそれを

望んでいるかどうか

が大事だ。

 

夢の中身が

わからなくとも

本当に望んでいる夢の

存在そのものが

わかればいい。

 

その「存在」と

向き合えばいい。

 

そして、

「夢と向き合い続ける自分」

として

 

今に向かう。

 

現実に向かう。

 

これこそが

最も大事なことで、

 

夢を抱く人にしか

起こせない影響がある。

 

それによって現実は

変わっていく。

 

特にここからは、

そんな生き方(行き方)を

してみないか。

 

つづく

 

この炎はなんだ?

 

私の目の前で

何かが

燃えている。

 

強く強く

炎を放ちながら

何かが

一気に燃えている。

 

目を凝らすと

炎の中心に

何かがある。

 

黒い影が。

 

そこに意識を

集中させると

観えて来た。

 

「草原」

 

が。

 

・・・・・・

 

その「草原」は

広く広く

まるで無限のように

続いている。

 

他は

何もない。

 

ただ、

心地良い風のみが

緩やかに

吹き続けている。

 

いつの間にか

私は

その大地に

立っていた。

 

見上げれば

雲一つない

青空。

 

私は一人。

 

しかし

私はその世界と

一つだった。

 

・・・・・・

 

その「草原」が

燃えている。

 

なぜ、

燃えているのだろう?

 

燃え尽くした

後には

何が残るのだろう?

 

私はただ

その燃える様を

茫然と

眺めている。

 

「草原」の

内と

外から。

 

・・・・・・

 

しばらく経って

「草原」は

燃え尽くした。

 

後には

まるで灰のような

白い粉が。

 

その灰を

私は両手で

すくった。

 

すると、

そこから芽が

生えた。

 

その芽は

凄いスピードで

大きくなり、

 

まるで

ジャックと豆の木

のように

巨大化していく。

 

私はまたもや

茫然と

それをただ

眺めていた。

 

・・・・・・

 

いつの間にか、

私自身が

その巨大樹の

根に

なっていた。

 

そうか。

 

私はその巨大樹を

根元で

支え続けるんだな、

わかった。

 

それが

私の役割なんだな、

と。

 

恐らく・・・、

 

あの「草原」は

私の夢だ。

 

あの「炎」は

私の想いだ。

 

そして

「灰」に見えたものは

私が生み出した

「土」だ。

 

その「土」に

私自身が栄養となり

根となり

「夢」を実現していく。

 

そのためなら

私は

何だってやる。

 

もちろん、

巨大樹を育てるのは

私一人ではない。

 

私以外の

たくさんの「力」が

必要だろう。

 

しかし

その「力」達が

ちゃんと活きるためにも、

私は

しっかりとした

「根」となろう。

 

私は

すべてを活かす

根だ。

 

つづく

 

あらゆる人は、中心、にいる

 

同じ人でも

「意思」

を持つと

見違えるようになる。

 

本来の「意思」とは

「自分が中心である」

という意識の上で、

初めて発動するものだ。

 

「自分が中心」

 

とは、

組織上のことでも

立場上のことでも

ない。

 

自分が

すべての中心であり

宇宙の中心であり

世界の中心である。

 

それが

摂理である。

 

感覚的に理解

している状態だ。

 

そして実際に

それは、

自然の摂理だと

私は思う。

 

・・・・・・

 

「中心」に立って

初めて人は

 

「本来の自分」

 

に戻れる。

 

つまり「意思」とは

本来の自分から

生み出されるもの

だ。

 

こうなると

人は

見違えるように

活き活きとし、

 

その人の魅力も

溢れ出す。

 

・・・・・・

 

夢やビジョンも

その状態になって

初めて

浮上する。

 

逆に言えば、

その状態にならねば、

その人にとっての

本当の夢もビジョンも

 

絶対に

 

見つからない。

 

つまり、

夢やビジョンは

人から与えられるもの

ではない。

 

自分の内から

湧き出るものだ。

 

・・・・・・

 

夢やビジョンを

持つと、

 

人はみんな

今の環境を捨て、

会社を辞め、

独立をするのでは

ないか。

 

思われがちだ。

 

いや、

そうではない。

 

むしろ私は

その逆をたくさん

拝見した。

 

真の意思を持ち、

真の夢やビジョンを

持つ人は

ほぼ例外なく、

 

「今、自分のいる

環境を愛する」

 

ようになる。

 

「今ここが

自分の出発点である」

 

という事実を

知り、

受け入れるように

なるからだ。

 

・・・・・・

 

真の意思を持つ

者は、

 

今の環境における

今の「現実」に対して、

 

魂を込める

 

ようになる。

 

「この現実はいや

だから、

この現実には

向かわない」

 

というのが

なくなる。

 

「すべての現実と

誠実に向き合う」

 

ようになる。

 

真に自分の望む道を

開く人は

全員、

 

そうなる。

 

・・・・・・

 

そして、

一人ひとりが

「中心」となり、

 

一人ひとりが

「意思」を持ち、

 

一人ひとりが

「夢・ビジョン」に

向かう、

 

そんな組織は

とてつもない

「調和」

を起こす。

 

「調和」とは

「進化」である。

 

そんな組織を

私は

増やしたい。

 

そんな社会を

私は

実現したい。

 

おかげさまで、

同じ「ビジョン」を持つ

仲間と

今の私は共に

進めている。

 

本当に

ありがたいことだ。

 

つづく

 

夢ばかり見るな

 

大空を見上げることは

大事だが、

 

見上げるのであれば

その前に、

今ここで立っている

自分自身の足元に

意識を向けてみよう。

 

ちゃんと自分は

自分の両足で

ガッシリと安定して

立っているだろうか?

 

立っているつもりが、

自分以外の誰かや

別の何かに

しがみついていたり、

寄りかかっていたり、

 

もしくは

抱っこされていたり、

 

していないだろうか?

 

立っているその場所は

安定した健康的な

大地だろうか?

 

足元のおぼつかない

沼地だったり、

蟻地獄のような

砂漠だったり、

踏ん張りの効かない

場所ということは

ないだろうか?

 

ちゃんと

健康的な大地に

自らの足で

しっかりと立つ者だけが、

 

ちゃんと

健康的に大空を

見上げることが

できるんだ。

 

足元も見ずに

空ばかりを見続ける

人がいる。

 

日々のやるべきことを

やらずに

自分の願いばかりに

意識を向ける

人がいる。

 

・・・・・・

 

今、目の前にある

自分の「現実」に

もしくは「課題」や「問題」に

向き合い、

行動し、

一歩ずつでも道を創る。

 

それができない人は

夢に向かっては

ならない。

 

もっと

極端に言おう。

 

夢を描いては

ならない。

 

なぜならそれは

本当の夢では

ないから。

 

現実に向き合えない

人の心からは

本当の夢は

浮上しないように

私達人間は

できている。

 

夢を描くならば、

真本音の夢を

描いてもらいたい。

 

しかしその真本音とは

まずは「現実」を

とても大切にしている。

 

「現実」を大切にする

生き方が日々できるからこそ、

真本音は

「未来」を観せてくれる。

 

それが本当の

夢でありビジョンだ。

 

・・・・・・

 

今、本当は

何が問題か?

 

自分が

向き合わねばならない

現実とは何か?

 

自分が立ち向かわねば

ならないものとは何か?

 

今、自分は

何をすべきか?

 

目をそらさずに

見つめてほしい。

 

もうそろそろ

本気にならんとな。

 

つづく

 

夢はわかるかい?

 

夢を持つことは

やっぱり

大事だなぁ。

 

でも、

とりあえずの夢

なら

持たない方がいい。

 

ちょっと

極端な言い方

だが。

 

とりあえずの夢

は、

とりあえずの人生

創り上げてしまう。

 

であれば、

本当の夢が

見つかるまでは、

 

「今この瞬間」

 

に集中すると

いい。

 

今この瞬間を

本当に

本当に

大事にするのだ。

 

本当に

本当に

大事にする、

とは

 

今この瞬間を

愛でる

ということだ。

 

愛でる、

とは

満喫すること

だと

私は思う。

 

今ここにいる

自分自身。

 

自分の魂。

 

自分の心。

 

自分の体。

 

さらには

自分以外の存在。

 

周りにある

すべてのもの。

 

周りにいる

すべての人。

 

自然、人工物、

目に見えるもの達。

 

そして、

目の届かない

ところにある

すべてのもの達にも。

 

それらに

意識を向け、

すべてを

あるがままに

感じる。

 

これが

満喫であり、

愛でることだと

私は思う。

 

もちろん、

そこには

自分の嫌いなものも

目を向けたく

ないものも

あるだろう。

 

でも、

その「嫌い」という

気持ちも含めて

すべてを

満喫してしまおう。

 

そんなつもりで

今この瞬間を

大切にして

みよう。

 

そんな一日を

過ごして

みよう。

 

今日

それができたら、

明日も

そうしてみよう。

 

一日一日、

そんな毎日を

積み重ねよう。

 

そうすれば、

自ずから

未来が観えてくる。

 

最初はそれは

漠然としたもの

かもしれない。

 

でも、

だんだんと

具体化してくる

だろう。

 

それが

本当の夢。

 

みんなそれは

必ず出会える。

 

ちゃんと

生きれば。

 

そして

本当の夢が

わかれば、

さらに

今日という一日を

愛でることが

できるだろう。

 

それによりさらに

夢は

具体化してゆく。

 

今と未来の

コラボが

始まり、

 

今と未来が

まっすぐに

つながる。

 

誰もが

それはできる。

 

誰もが

今この瞬間から

それを

始められる。

 

つづく

 

真本音で始めよう

 

人が

人として

最も魅力的なのは、

 

「進もうとする意志」

 

に素直に生きている

時なんだな、

と、

 

やはり私は

つくづく思います。

 

現時点での

自分のレベルが

どうであるか?

よりも、

今、どれだけ自分が

進化に対して

真剣か?

 

やはりここに

尽きるのだと

私は思います。

 

本日、

 

『ザ・セルフ』

 

という新しい講座が

始まりました。

 

始まりというのは、

やはり

いいですね。

 

これまで

進んで来たけれでも、

さらに加速して

進みたい人。

 

これまで

進もうとして来たけれど、

それが叶わず、

自分がどの方向に

進めば良いか?が

わからない、

しかし、

それをとにかく見つけて、

進みたい!と

願う人。

 

いずれにしても

進化に対して

とても真剣です。

 

そういった人達と

共に過ごす場は、

やはり

とてつもなく

私は幸せです。

 

『ザ・セルフ』は

恐らく、

私のライフワークに

なると思います。

 

本当にまだ

始まったばかりで、

これからが

試行錯誤の繰り返し

でしょうけども、

 

この講座自体が

様々なカタチに進化

しながら、

広がり深まって

行くのだと思います。

 

赤ん坊が

生まれた感覚。

 

この赤ん坊を

これから皆さんと共に、

ゆっくりじっくりと

育てて行くつもりです。

 

・・・・・・

 

今年は私は

株式会社真本音を

立ち上げました。

 

そして今回、

新たな講座も

始まりました。

 

さらに、

新しいクライアント企業様での

サポートも

何社か始まっています。

 

今の私のテーマは、

 

「始めよう」

 

なのだと思います。

 

ですから、

さらにこの後も

様々なことを

始めます。

 

実は、

 

最近、一つ新たな夢が

できました。

 

もちろん、本当は

その夢は

私の中に最初から

存在していのだと

思いますが、

 

それがほんの

数日前に

顕在化しました。

 

その夢は

私のもともとの

人生ビジョンと

直結するものです。

 

夢が顕在化

したことで、

新たな理念も

言語化できました。

 

新たな私として

日々が

始まっています。

 

こういった

毎日は、

本当にヒリヒリするくらいに

楽しいですね。

 

つづく

 

思い込みの夢はやめよう

 

あなたの夢は

何でしょう?

 

はっきり

わかりますか?

 

それとも

さっぱり

わかりませんか?

 

はっきり

わかる場合、

 

その夢は

本当に

あなたの夢ですか?

 

さっぱり

わからない場合、

 

あなたは

夢をわかろうと

していないのでは

ありませんか?

 

・・・・・・

 

実は、

夢が

・はっきりわかる場合

・さっぱりわからない場合

 

この二つは、

本質がまったく同じ

可能性があります。

 

つまりは、

 

本当の夢に

フタをしている、

 

という可能性が

あるのです。

 

夢は

はっきりわかる方が

良いではないか、

と言われそうです。

 

もちろん、

はっきりわかる方が

良いのですが、

多くの場合、

その「はっきり」が

自分の思い込みで

あったりするのです。

 

そして

その思い込みに

意識を向け続けることで、

本当の夢に

まったく意識が向かず、

本当の夢に

さっぱり気づかない、

 

という

そういったケースが

多いのです。

 

とても残念な

ことなのですが、

 

「私にはこういった

夢があります!」

 

と元気に語り始める

人の夢を聴いても、

こちらにスーッと

伝わってくることは

ほぼありません。

 

ということは

その人の真本音では

ないのです。

 

下手をすると、

その夢に向かうことによって

現実逃避に走っている

人もいるくらいです。

 

そういった場合、

夢を持つことで

人生に不調和が

起きます。

 

自分には夢があるのに、

その夢に向かおうと

しているのに、

さっぱり現実が上手く

進まない。

 

・・・という場合は

上記の可能性が

高いのです。

 

・・・・・・

 

むしろ、

 

「夢はあるような

気がするけど、

それが何かがよく

わからない」

 

と言っている人の方が

健全です。

 

なぜなら、

私達の真本音は

実は、

そうそう簡単に

「本当の夢」を

明確に顕在化

してくれませんから。

 

自分自身が

成長(進化)し、

ある一定のところまで

準備が整った時点で、

夢の一端を

観せてくれる。

 

そしてさらに成長し、

次の準備が整った

ところで、

さらに夢の一端を

観せてくれる。

 

・・・これが

真本音の行なうこと

です。

 

ですから人生は

まるで

宝探しのようなものです。

 

大切なのは、

自分自身の人生の

テーマ(課題)を

見つけることです。

 

もしくは、

探究したいことを

見つけることです。

 

そしてそこに意識を

向け、

毎日を過ごすことで

本当の夢へのヒントが

現れ始めます。

 

それは一種の

冒険のようなもので、

とても楽しいです。

 

自分は本当は

どこに向かっているのか?

 

何を目指して

いるのか?

 

わからないことを

素直に楽しみ、

だんだんと

わかるその瞬間を

素直に

楽しみましょう。

 

つづく

 

未来とつながった

 

こんなに

縛られた世の中

なのに、

 

自分は実は

完全に自由であると

 

それが

真実であると

 

皆、

そうであると

 

理屈ではなく

「感覚」として

気づけたその瞬間に

 

真本音の願いは

初めて

自分自身の中心から

 

浮上し始めます。

 

それにより、

これまで

「自分の夢だ」

と思っていたことが、

 

根底から

覆ることも

ありますし、

 

さらにその夢の

先が

見晴らせるように

なることも

ありますし、

 

その夢が

全体の中の

単なる一部分で

あったことが

わかることも

あります。

 

私は今日、

 

本当に嬉しい

ことですが、

 

自分のビジョンが

一気に

目の前に迫り、

それがもう

必ず実現するもので

あると、

 

リアルに

感じ取れる瞬間が

ありました。

 

いや、

リアルに

感じ取れる

というよりも、

 

リアルでした。

 

あぁやはり、

真本音の願いは

 

一見

それがどれだけ

無謀だと思えても

 

実現するんだなぁ、

 

と、

腑に落ちました。

 

やはり私は

このまま

私の人生に

委ね続けようと

思います。

 

つづく

 

祈りにも似た夢がありませんか?

昔の私はですね、

実は、

大変におこがましい

「夢」

を持っていました。

 

それは

何かと言いますと、

 

「すべての人々を

幸せにする」

 

というのが

夢だったんです。

 

おこがましいでしょ。

 

でも、

この夢を持ったのは

確か

中学2年くらいの時です。

 

当時の私は、

自分は世の中で

最も劣った人間だ、

と思い込んでいました。

つまりは、

劣等感の塊でした。

 

でも

その一方で、

親父とお袋が小さな

会社をやってまして、

毎日毎日

真剣に神棚に

お祈りをしているのを

見ており、

真似事みたいな感じで

自然にお祈りを

するようになったのですね。

 

普通の

神棚です。

 

でもそこに毎朝、

私も手を

合わせました。

 

その時の私の

心の中のお祈りが、

 

「世の中のすべての人が

幸せになりますように」

 

だったんです。

 

そして

中学3年くらいの時かな。

 

それにもう一文句が

付け加わりました。

 

「世の中のすべての人が

幸せになりますように。

そのための第一歩を

私が踏み出せますように」

 

となったんです。

 

ものすごくおこがましい

ですが、

でも、本当に真剣に

祈っていました。

 

これを毎日毎日

ずっと続けました。

 

続けたからと言って

私は

人のために生きた

わけではありません。

 

自分のことしか

考えない人間でしたし、

お世辞にも

立派な人だったとは

思えません。

 

でも、

自分の実際の行動は

どうであれ、

とにかくその祈りを

毎日毎日真剣に

繰り返しました。

 

恐らくその祈りとは、

自分自身の本来を

呼び覚ますためのもの

であったと、

今の私は思います。

 

毎日の祈りを

繰り返さなければ、

私は私の真本音と

出会えなかったかも

しれないと

今の私は思います。

 

「夢」にも

いろいろあります。

 

でも私にとっての

「夢」とは

祈りでした。

 

・・・・・・

 

夢とは

単なる空想である、

という人もいます。

 

もちろん

そういった夢も

あるでしょう。

 

でも、

祈りにも似た

気持ちを喚起する

夢を

すべての人は

持っています。

 

実現できるかどうか?

ではなく、

今の自分がどうか?

とも関係なく、

ただただ

自然に湧き上がってしまう

祈りのようなもの。

 

そういった

夢もありますね。

 

株式会社真本音を

立ち上げた時、

ある社長さんから

神棚を

プレゼントしていただきました。

 

久しぶりに

神棚と向かい合いながら、

あぁあれは、

私にとっての

セルフコーチングの

始まりだったのだな、と

実感しています。

 

で、

今、神棚と向かい合うと、

当時の私の祈りと

今の祈りは

まったく変わらない。

 

私は今でも

心から真剣に、

すべての人々が

幸せになりますように、

と祈っているのです。

 

なんだ、これは

私の真本音だったのだな

と、

今、改めて思います。

 

・・・・・・

 

すべての人々が

幸せな世界。

 

それは本当に

夢物語のようです。

 

でも

もし本当にそのような

世界を実現できたら・・・、

と思うと、

ワクワクします。

 

幸せは

人それぞれです。

 

それぞれの

幸せを感じればいい。

 

でも、

高い次元では

すべての人の幸せは

「一つ」です。

 

「一つ」の幸せ。

 

「それぞれ」の幸せ。

 

その両方を

大事にしたいなぁと

ホントに思います。

 

そう

思えるから

しょうがない。

 

そう

思う自分に

素直でいようと

思います。

 

自分に素直になるのが

一番ですしね。

 

・・・・・・

 

つい先日。

 

ある一人の人が、

心と魂の中にある

余分なものをすべて

取り払い。

 

そして別のある人が

心と魂の中にある

余分なものをすべて

取り払い。

 

その二人が

向かい合って、

長年のわだかまりを

すべて解消して、

心と魂の絆を

結び直す、

という場面に出会いました。

 

その日は

一晩中、

私は嬉しくて嬉しくて

泣き続けました。

 

やっぱり、

人が本当の幸せを

手に入れた瞬間と

出会うと、

私は自分が「人間」であることに

心の底から

誇りを持ち、

最高に嬉しくなるようです。

 

今のこのお仕事は

そういった機会を

毎日のように

与えてくれます。

 

このお仕事に

出会えたことに

感謝感謝ですし、

でも、

このお仕事に出会えたのは

中学2年からの

私自身の祈りのおかげかな、

とも思います。

 

「夢」

大事にしましょう。

 

祈りにも似た「夢」が

誰にもあります。

 

それが実現できるかどうか?

とか、

今の自分がどうか?

とか、

そんなことは関係ない。

 

祈りにも似た「夢」が

あるならば、

それを毎日、

祈りましょうよ。

 

私はこれからも

毎日

祈り続けます。

 

つづく

 

手に負えないクライアントさんばかりで・・・

次のようなご質問を

いただきました。

 

「私にはずっと以前から

一つの夢があります。

でも、真本音というお話を聴いてから、

その夢は単なる反応本音の夢では

ないか?と思うようになりました。

でも、どうしてもその夢を

捨て去ることができません。

その場合は、どうすれば

よいでしょうか?」

 

以前に、

未来を描くことで

道が閉ざされてしまう、

ということを書かせていただきましたが、

でもやはり、

自分なりの

「捨て去れない夢」

があること自体は

素晴らしいな、と私は思います。

 

捨て去れないのであれば、

捨て去らない方が

いいですね。

 

私が最も良くないな、

避けてほしいな、

と思うのは、

頭で(理屈で)良し悪しを

判断・解釈して、

頭で(理屈で)すべてを

進めてしまうことなんです。

 

特に、

人から言われた理屈を

そのまま鵜呑みにして

無理に「それが正しい」と

自分に思い込ませるのは

良くないですね。

 

私のクライアントさんは

その点、

とてもしっかりした人が多く、

私がどんなアドバイスをしても、

聴いてくれない人が

多いんです。笑

 

「たけうちさんには、

ああ言われたんですけど、

でもどうしても、こうだと思い、

こうしちゃいました。」

 

・・・と笑いながら、

ある意味、自分の思う通りに

物事を進めるクライアントさんが

多いんです。

 

そういった姿を見ますと、

私はいつも嬉しくなります。

 

だって、その人は

自分自身できちんと

判断していますもんね。

 

ですので、

私のクライアントさんで

長くクライアントさんでいて

いただける人は、

私の手に負えない人

ばかりかな。笑

 

私は、私の手に負えない人と

お付き合いするのが

どうも、大好きなようです。

 

なので、

「私の夢は反応本音の夢だと

思いますが、

それでも、その夢を

目指すことにします!」

と断言されると良いですね。

 

その断言が、

道を創ります。

きっと。

 

人生を進むということにおいて、

私が最も大事だなと

思うことの一つは、

「納得」だと思うのです。

 

本人の納得。

 

どれだけ他者から

良いアドバイスを受けたとしても

たとえそれが真理だとしても、

本人が納得しなければ、

その人にとってはそれは

真理ではないのです。

 

納得しないまま、

言われた通りに人生を

進めれば、

それはもう、その人の人生

ではありません。

 

ですので、

「反応本音だろうが、何だろうが、

私はこの夢に向かうんです!」

という人がいれば、

私はその意志をとことん

尊重したいですね。

 

で、本当にその夢が

叶うように

サポートすると思います。

(もちろんその人が

サポートを望むならば。)

 

そして、

本人の「納得の道」を行けば、

必ずそこに「真理」は

待っています。

 

「あぁ、そういうことか!」

という、納得の気づきが

待っています。

 

その道のりこそが、

大事であり、

その人の真本音が

望んでいるものでは

ないでしょうか。

 

人生に

正しい・間違っている

はありません。

 

その人が「正しい」と

思う道を行くことが

大切です。

 

たとえそれで

痛い目にあったとしても

そのプロセスこそが大切であると

思います。

 

ただ、・・・

私が拝見するに、

自分が納得していないにも

関わらず、

その道に進もうとする人が

多いです。

 

その場合は、

私は、それを止めるでしょう。

 

「本当に、

納得していますか?」

と。

 

納得しないままに

進んでしまえば、

それは、「妥協の道」です。

 

妥協の道において

真理に結びつく気づきは

あり得ません。

 

真本音・反応本音とか

関係なく、

その人の本当に納得のいく

道に進むためのサポートを

私はしたいですね。

 

で、それができていれば

必然的にその人は

真本音の道に進むようになりますし、

その結果、

「やっぱりあの夢は違いました」

となれば、

それは大きな「脱皮」です。

 

そういったことをすべて

踏まえて、

私は、これからも

真本音・反応本音の真理について

語り続けるでしょう。

 

真本音の道を

行きなさい、と

言い続けるでしょう。

 

それが私の

役割ですから。

 

つづく

 

無理に夢は描かない方がいい

「夢を持つといい」

とよく言われます。

 

「夢を持ち、それに向かう人生が

素晴らしい」と。

 

確かにそうかも知れません。

 

しかしその「夢」とは

真本音であることが重要です。

 

反応本音レベルの「夢」であれば、

それを大事にし、

それに向かう努力をすればするほど、

ストレスが発生します。

 

そして、「夢」に生真面目に

向かう人であればあるほど、

そのストレスは密度を増し、

いつの間にか、エンティティが発生します。

 

つまりその場合、

夢を持つことで、その人は

苦しみの人生を歩むことになるのです。

 

ですから私はいつも

申し上げます。

 

「無理な夢は描かない方がいい」と。

 

「夢」というものは、

真本音で「今日を生きる」ことの連続により、

自然に「顕在化」します。

 

「顕在化」と書いたのには

理由があります。

 

「夢」とは、もともと私達の中に

私達の真本音の中に、

確かに存在しているものだからです。

 

存在しているのに、自分で気づいていない。

・・・それが多くの人の状態です。

 

逆に言えば、

存在しているのだから、

それを掘り起こせばいい、

ということになります。

 

そして、掘り起こすためには、

今この瞬間を、

今日というこの一日を

真本音で生きることです。

 

これをする人は、

普通に、当たり前に、自然に

夢がわかります。

夢に向かう人生となります。

 

それは決して

力こぶを入れるような

「がんばり」を必要とするものではなく、

ただただ単純に、純粋に、淡々と

そこに向かっていくだけのことです。

 

ただし、

そんな毎日に入れば、

人の心は、常に満たされた状態となります。

 

本当の夢とは、

それを実現できたかどうかよりも、

それに向かう一歩一歩こそが

幸せだからです。

 

しかしそれが真本音の夢であるならば、

それは必ず実現しますけどね。

 

真本音で今を生きれば、

真本音の夢が見つかり、

真本音の夢が見つかれば、

今を、満ち足りた自分として

自然に生きることができる。

 

要するに、そういうことになります。

 

私は、

それこそが「普通の人生」であると

思います。

 

「普通の人間の姿」であると

思います。

 

その「普通」を

すべての人がすればいいのに、

と思うのです。

 

そんな「普通」を取り戻すことが

私のコーチングの目的の

重要な一つです。

 

さて、

エンティティのお話に戻りますが、

エンティティとは、

そういった「普通」ではない状態の時に

発生します。

 

ほとんどの人から私はエンティティを

受け取るのですが、

ということは、ほとんどの人が

「普通の人生」を生きていない

ということでもありますね。

 

西畑さんという人は、

そういった意味で、

「普通の人生」の真逆を行っている

のかも知れません。

(→前回記事)

 

そして木村さんも、

真本音度合いが下がってしまう時は、

「普通の人生」の真逆を

行ってしまう傾向にあります。

 

しかもその二人の「傾向」が

似通っていたために、

悪い意味での「共感」をしてしまい、

西畑さんのエンティティが

木村さんに乗り移る、ということが

どうやら起きているようです。

 

以前に西畑さんと面談した時、

彼は木村さんのことを

「同志です」

と言いました。

 

しかし、木村さんに張り付いた

西畑さんのエンティティに意識を向けると、

木村さんは、

「お前を引きずり落としてやる。

そう西畑のエンティティは言っています。」

と言われました。

 

西畑さんが嘘を言っているわけでは

ありません。

彼は、顕在意識では本当に

「同志である」

と思っているのです。

 

しかし、彼自身が「普通ではない生き方」を

してしまっているために、

「普通の生き方をしよう」としている木村さん、

・・・つまりは、真本音度合いを高めている木村さんに対して

「羨ましい」というところから、

「引きずり落としてやる」

というエンティティを生んでしまっているのでしょう。

 

実はこのパターン、

非常に多いです。

 

組織においては、

このパターンのエンティティを除去するだけで、

チームの雰囲気が大きく変わる、

ということが、これまでは何度もありました。

 

さぁ、ではまずは、

木村さんを西畑さんのエンティティから

解放させてあげなければなりません。

 

私は木村さんに言いました。

 

「木村さん、

その西畑さんのエンティティを

愛せますか?」

 

つづく

 

夢が先か、強みが先か

すべての人には「生まれ持った強み」

つまりは先天的な強み・天性の強みがあります。

 

しかしほとんどの人は

それは眠ったままです。

一生眠ったままの人も多いです。

 

では、どうすれば、生まれ持った強みは

その芽を出し、伸びていくのでしょうか?

 

それには重要な条件が一つあります。

その条件を満たすことで、

生まれ持った強みは発芽します。

 

その条件とは、

 

 

「ある一定以上のスピードで成長する」

 

 

ということです。

 

成長スピードがある一つのラインを

超えるということなのですが、

そこで大事なのは「成長の加速度」です。

 

加速度が臨界点に達することで、

生まれ持った強みは

一気に現れやすくなります。

 

そして、いざ現れたその強みは、

本人にとって、極めて意外なものであることが

多いようです。

「私にこんな強みがあったんだ!」と

当の本人がびっくりし、

しかしそれが本当の自信につながります。

 

では、成長の加速度が臨界点に達するためには

どうすればよいでしょうか?

 

真っ先に浮かぶ答えとしては、例えば

夢を持つとか、志を持つとか、

ビジョンや目標を持つ、とか。

そういったことが必要なように思えます。

 

もちろんそれらは有効ですが、

しかし難易度が高いです。

 

なぜなら、本当の夢やビジョンなどは

通常は、生まれ持った強みが発現した後に

見つかるものだからです。

 

つまり順番が逆なのですね。

 

まずは、”生まれ持った強みを発現”させる。

そして”自らがその強みを実感する体験を積む”。

”体験の中で、その強みの活かし方を学ぶ”。

その結果として、自分の本当の夢やビジョンが見つかる。

・・・というのが自然の流れです。

 

ということで、ではもう一度、

どうすれば私達の成長の加速度は

臨界点に達することができるでしょうか?

そして、

生まれ持った強みを発現できるでしょうか?

 

その答えはズバリ、

ある「スイッチ」を入れることなんです。

 

ある「スイッチ」を入れることで、

その人の成長の加速度は一気に高まります。

 

では、その「スイッチ」とは何か?についてですが、

申し訳ありませんが、ここから先は具体例に即して

ご説明した方がわかりやすいと思いますので、

次回にお話しさせていただきます。

 

お楽しみに。