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- 始まり
多分、
ここを下って
行くのだ。
徐々に
沈んでいく。
わかっては
いる、
最初から。
その覚悟で
ここまで来たから。
しかし
人として当然の
ことであるが、
言いようのない
ざわめきが
心の中心に
踊る。
私も人間だな、
と
小さく笑う。
下るのは
怖い。
健康的な
ことだ。
小さな波の
音にさえ、
少しビクッと
する。
下るのは
怖い。
波長も段々と
確かに
下っている。
これまで
わかっていたことが
徐々に
わからなくなる。
これまで
つながっていた
存在達が
徐々に
別物になっていく。
徐々に
分かれ、
徐々に
孤独になっていく。
この感覚は
久しぶりだ。
この感覚から
今回も
始めねば
ならない。
ここに
降りなければ、
何も
変えられないのだ。
徐々に、
グッと心に
力を入れないと
立っていられなく
なってきた。
皆、ここでは
弱くなるはずだ。
私もすでに
弱い。
人間は
弱い。
でも、
それでも
なんとか
生きていく。
今を
生きる。
それは
変わらない。
遥か上には、
何となくであるが、
ちゃんと
戻る回廊は
その存在を
感じることはできる。
これだけは
忘れないように。
この感覚
だけは。
ちゃんと
戻るために
頑張るのだから。
そう。
頑張らねば
ならないの
だから。
つづく
そろそろ
また、
具体的に何かを
始める時だな。
心の中に
もし
モヤモヤが
あるならば、
そことは
しっかり
向き合おう。
モヤモヤの
奥に、
大事な問いが
あるはずだ。
大事な「?」が
あるはずだ。
それが
初めの一歩に
つながる
重要なヒント
を
示してくれるだろう。
始まりの時
とは、
始まりの時だ
と
しっかり自覚
した方が良い。
なぜなら
これまでとは
違う
判断や行動を
する必要があるから。
あえて
これまで大切に
してきた
判断基準を
壊さねばならないことも
多い。
始まりの時
だからね。
新たな何かを
始めるという
ことは、
自分自身も
新たに
生まれ変わる
くらいの
覚悟は持った方が
いい。
そう。
人間は
生きながらにして
何度も何度も
生まれ変わる
ものだ。
その本質に
素直になろう。
もう、
昨日までの
自分とは違う。
これまでの
私と同じ
ではない。
生き方そのものを
変化させても
いい。
くらいの
柔軟性と、
自然に浮上する
自分の意志。
意思。
そこに
敏感になろう。
始まりの時には
始めるのだ。
ちゃんと。
始めるべき
ことをね。
つづく
起承転結の
「起」。
起こす。
初めの一歩。
スタート。
・・・それを今の私達は
やるといい。
新たなストーリーの
始まりだ。
躊躇は
必要ない。
今の自分の判断と
決断を
誰よりも
自分自身が
信じてあげる
こと。
始めようとする
自分の意志を
誰よりも
自分自身が
尊重してあげる
こと。
私は自分のことを
信じられないですから。
・・・などと、
悠長なことを
言っている場合ではない。
今、始めなきゃ
一生、始まらない。
今、一気に
進まなきゃ
一生、
たどり着けない。
そんな大事な
今この時。
この時のために
ここまで
がんばってきたんだよ。
これまでの日々は
今のための
準備だったんだよ。
ここからのための、
ね。
今、始めようと
する人には
力、溢れる。
さぁ、始めよう。
つづく
「永遠」
にも
「始まり」
がある。
皆さんの
「始まり」
とは
何だろうか?
これ、
自分自身に
問うてみてほしい。
「私の始まりとは
何だろう?」
一見すると
わけのわからない
問いを、
真剣に自分に
投げ続けるというのは
意義が深い。
問いの面白い
ところは、
答えが浮かばなくても
OKというところだ。
問いそのものが
心に残ればいい。
するとそれだけで、
日常における
様々な発想や視点が
変わり始める。
または、
ひょっとすると
上記の問いについて
すぐに答えが浮かぶ
人もいるかも。
そんな場合は、
それを「答えである」
と
決めないでほしい。
まだまだ先が
ある。
とか、
もっと深い答えが
私にはあるだろう。
という風に
捉え、
上記の問いを
投げ続けてほしい。
上記の問いは
実は
この3年間、
私が毎日自分自身に
投げ続けたものだ。
おかげで
随分とこの3年間で
私は進むことが
できた。
この問いの
おかげだな、
と
今日ふと思えたので。
皆さんにも
共有しますね。
つづく
空は真っ暗なのに
なぜか
地上は明るい。
私は
砂漠のような場所に
立っている。
その砂漠の砂が
真っ白に
輝いている。
白砂の輝きと
漆黒の空。
何とも言えない
コントラストの中に
私は一人でいる。
なぜ
ここにいるのか?
ここで
何をすればいいのか?
さっぱり
わからない。
わからないときは
焦りも出るが、
ジタバタしても
しょうがないのも
よくわかる。
だから私は
まぁいいか、
と
白い砂の上に
仰向けに寝転んだ。
大の字になって
黒い空を
見つめる。
大地は
あたたかい。
・・・・・
静かだ。
音一つない。
何もせずに
寝転んでいると、
自分なのか
自分でないのかが、
よくわからなくなる。
存在そのものが
よくわからなくなる。
ふと。
すべての始まりは
ここだったのかな、
と
思った。
私は何度も
ここに戻り、
「始まり」を
思い出しては、
今いる
場所(世界)へ
戻っていく。
今いる場所が
冒険の地だと
するならば、
じゃあここは
帰る場所なのかな、
とも
思う。
・・・・・・
さらに
ふと、
思ったのだ。
私はこの砂の一粒
なのだな、
と。
たった一粒の
この小さな砂は、
同時に
この世界そのものでも
ある。
一粒の砂に
すべては内包され、
一粒の砂は
すべての一部と
なる。
一部であり
全体である。
これが
真理。
これを忘れた時、
私達は
すべてを失う方向に
進んで行くのだろう。
すべてを
失うか?
すべてを
育てるか?
その境目に
今の私達は
あるのだろう。
・・・・・・
うむ。
もういいかな。
・・・と、
私は立ち上がる。
帰ってきて
よかったな、と
思う。
さて、
冒険に戻ると
するか。
どんな冒険を
するにしても、
大事なことを
忘れずに、
帰る場所を
忘れずに、
進みたい
ものだ。
帰る場所が
あるからこそ、
私達は
大冒険が
できるんだ。
つづく
様々なことに
終わりがあり、
そして
それは同時に
次への
始まりである。
完了感。
100%やり切った
時のみに
心と体に満ちる
独特の感覚。
それを得られる
生き方は、
人として
ひょっとすると
最上の幸せなのかも
しれない。
一つのことを
極めようと
するならば、
日々、
この完了感に
こだわるといい。
一日一日の
完了感。
一つ一つの
仕事の
完了感。
一人一人との
会話の
完了感。
99%では
ダメ。
そして
101%、つまり
やりすぎも
ダメ。
ちょうど
100%で
終えることに
真剣になること。
それができる
からこそ、
どこまでも
どこまでも
継続が
できる。
そしてその
結果として
一つを極めることが
できる。
残念ながら
(というか、本当は
幸いなことに、
と言いたいところだが)
私達の人生には
物理的な
限りがある。
大概は、
一つのことを
極めるだけで
人生は
終わってしまう。
だからこそ、
何を極めるか?
に
真剣になれる。
人生は
あっという間に
終わる。
一つを極める
ということは、
自分を極める
ということでも
ある。
自分を極める
には、
一つ一つに
魂を込めること。
それがつまり
完了感を
大切にすることだ。
完了感を得る前に
次に
行くな。
完了感があるにも
関わらず、
ここに
しがみつくな。
よい
終わり方を
しよう。
よい
始まり方を
しよう。
つづく
始めよう!
もし、今何かを
始めようかどうか?と
迷っている人が
いたとしたら、
私はそう
オススメします。
始めよう!
2018年は、
始めるには
うってつけの年
です。
世の中全体の
真本音には
潮流というものが
あります。
今は
その潮流が、
始めよう!という
意志に
力を与えてくれます。
新たに何かを
始めることは
もちろん
勇気の要ること
ですが、
勇気さえ出せば、
最初の一歩を
踏み出せば、
新たな世界が
一気に
広がるでしょう。
これまで、
私はちょっと
真本音の度合いの
低い人生
だったかな?
と反省している人も
ここで思い切って
始めることで、
人生の転換を
はかることも
できるかもしれません。
もちろん
闇雲に
やけっぱちに
始めるのは
オススメできませんが、
心を静かにして
目を閉じて、
自分の心と
しっかりと向き合って
「私が
私自身の人生を
しっかりと創っていく」
という
覚悟の気持ちが
あるのでしたら、
ここは
一歩を踏み出して
みましょう。
・・・・・・
いつも
書かせていただくこと
ですが、
この3次元の世界は
未来に何が起こるか?が
わからないところに
魅力があります。
これは
3次元世界特有の
魅力です。
これがあるからこそ、
人生の難しさも
あるわけですが。
しかしよくよく
考えますと、
私達はまずは
勇気を奮って
この世界に生まれて
きました。
これ以上に
勇気の要る
始まりは
ありません。
そこを
くぐり抜けてきた以上、
私達にはすでに
必要な勇気は
備わっています。
少し前の私は
「勇気とは
遊気である」
とよく
自分自身に
語りかけていました。
おかげで
結構、
いざという本番には
強かったかな。
いざとなると
「遊気」
が働いてくれたので。
でもその「遊気」は、
「始めよう」と
思った瞬間に
実際に始めてしまう、
という経験の
連続によって
育まれるものだと
思うのですよね。
・・・・・・
始まり。
というのは
ワクワクしますね。
ヒリヒリも
します。
人生の
醍醐味です。
毎日が始まり、
というくらいに
人生を楽しめると
よいですね。
昨日まで
創り上げたものを
守る人生も
大事ですが、
毎日、心の中では
ゼロリセットをして、
新たな人生が
始まるくらいの意識で
一日を始められる
というのも
なかなかのもんです。
むしろその方が、
昨日まで培ったものが
結果的にはすべて
活かされるかな。
人生とは
始まりである。
極端に言えば
そんな人生にしても
よいのでは
ないでしょうか。
つづく
準備が万全に整ってから
物事を始めよう
とする人がいますが、
それは決して
良い始まり方とは
限りません。
むしろ、
準備を整えている内に
機を逸してしまった
ということの方が
多いのではないでしょうか。
物事には
タイミングが
あります。
良いタイミングで
始めることで
調和は起こりますが、
タイミングを間違えると
同じことをしても
まったく展開が変わります。
物事は
タイミングで
決まります。
そしてそのタイミングは
私達自身の真本音が
最もよくわかっています。
人と人の真本音は
実在のレベルでは
すべてつながっています。
真本音の望む
タイミングに合わせる
ということは、
すべてとつながった上で
すべての流れを
見極めて上で
「今、ここだ!」
という最善のタイミングを
掴んでいるという
ことになります。
そのタイミングが
来ているのに、
「準備が整って
いないから」
という理由で、
始まりを自分自身が
阻止してしまうのは、
自分の人生を
自分で阻止しているのと
イコールです。
・・・・・・
「何を始めるか?」
これは人生において
とても大事なこと
ですが、
「いつ始めるか?」
これも超がつくくらい
大事です。
この
「いつ始めるか?」
の感性を養う
最も簡単な方法があります。
それは、
「一日を始めるタイミングを
はかる」
ということです。
以下は、私が毎日
必ず行なっていることですので、
とても簡単ですので、
よろしければ皆さんも
遊び感覚で
お試しください。
まず、
私は一日の終わりを
大事にします。
つまり、
いつ寝るか?
のタイミングを大事に
します。
「いつ寝る?」
「いつ布団に入る?」
という問いを
私は自分自身に
投げます。
自分の真本音に
投げる感覚です。
すると、
「もう今すぐ寝よう」
とか
「もう少し後にしよう」
とか
時には
「何時何分にしよう」
などの返事が
返って来ます。
何度か自分に
問いかけながら、
「今、布団に入る
タイミングだ」
とわかったらすぐに
布団に入ります。
ただ、
その直前に必ず
もう一つすることが
あります。
「明日、
何時何分に起きる?」
と自分に問うのです。
すると面白いことに
「6時くらいに起きよう」
というような返事が
返ってくることは
稀です。
いつも
「5時57分にしよう」
とか、
「6時3分にしよう」
など、
かなり細かい答えが
返って来ます。
で、その通りに
目覚まし時計を
かけます。
で、布団に入るのですが、
言われたタイミングで
入れば、
やはり良い睡眠が
待っています。
以前、
わざとこういったタイミングを
ずらして
布団に入ったことが
ありますが、
やはり睡眠の質が
根本的に変わってしまったのが
よくわかりました。
目覚めの気持ちよさが全然
違うのです。
さて、
自分の望むタイミングで
布団に入り、
そのまま眠ると、
大概の場合、私は
目覚ましをかけた時間の
直前に
自然に目が覚めます。
結果としてほとんど
目覚まし時計を鳴らすことは
ありません。
ただし、
目が覚めたからといって
すぐに布団から
出ることはしません。
ここでまた自分自身に
問うのです。
「どうする?
すぐに起きる?」
と。
これも私の場合ですが、
大概は
「もう少しこのままで
いる」
と返って来ます。
ですので、
そのまま横に
なっています。
これをやっていると
時には
二度寝をしてしまうことも
ありますが、
それでも良いのです。
例えば、
ちょっとウツラウツラと
二度寝をしたと
します。
そしてまた
目が覚めたとします。
そこでまた
問います。
「どうする?
すぐに起きる?」
と。
「もう少し」
と返って来たら、
まだそのままでいます。
これを繰り返し、
「今、起きよう」
と自分から返事が
来た瞬間に、
布団から出ます。
すると、
とてつもなく
一日の始まりが
快適になります。
この「快適さ」が
一日を決めてしまう
と言ってもよいのではないか、
とさえ思うくらいです。
・・・・・・
人生において
「始まり」
はいくつもいくつも
あります。
その「始まり」の中で
最も身近なものの一つが
この
「一日の始まり」
だと思います。
ここで
このように最善の
タイミングをはかる
という習慣をつければ、
それが、すべての
「始まりの感性」
を養ってくれます。
「始まりの感性」とは
いつ始めるか?
を決める感性です。
これにより、
人生は劇的に
変化する可能性が
あります。
少なくとも私の場合は
劇的に人生が
変わりましたね。
つづく