怒る

許すために怒る

 

何もない

広大な大地に

私はたった一人で

佇んでいる。

 

頭上にも

広大な空が。

 

今まさに

夜が明けようと

している。

 

雲は一つも

見当たらない。

 

黒から紺、

そして紫色へと

光のグラデーションが

広がりながら、

だんだんと

明るさが増していく。

 

私は風を感じながらも、

ただ一人

無言で立っている。

 

恐らくもう

数刻で、

あの地平線の向こうから

陽が昇るだろう。

 

私は

世界と一つになる

感覚の中で、

自然に

呟いていた。

 

さて、

もう許そうか。

 

・・・・・・

 

許す。

 

・・・これが簡単に

できれば、

人生はもっと

楽に進めるだろう。

 

しかしそのためには、

しっかりと

怒らなければ

ならない。

 

怒りを抑え込み、

怒りに

蓋をすることで、

許したつもりに

なっている人は

多いが、

 

それは

本当は、

まったく

許せていない。

 

許していないのに、

許したと

思い込むのは

とても危険だ。

 

自分にとっても、

人にとっても。

 

怒りとは

解放しなければ、

時間と共に

どんどんと

増大していくものだ。

 

悲しみも

同じ。

 

悔しさも

同じ。

 

寂しさも

絶望感も

すべて同じ。

 

反応本音とは、

抑えれば

抑えるほど

増大していくように

できている。

 

・・・・・・

 

とはいえ、

怒りをそのまま

人にぶつければ、

今度はその人が

怒りにまみれる。

 

そしてその人は

また、

私や他の誰かに

怒りをぶつける

だろう。

 

怒りは人々の間を

循環したり

放浪することで、

さらに

増していく。

 

これも

よくない流れだ。

 

大切なのは、

怒りを

自分の中で

しっかりと

解放すること。

 

自分自身が

怒りにまみれること。

 

まみれさせて

あげること。

 

その瞬間は

とてつもなく

苦しいかもしれないが、

反応本音には

必ず

終わりが来る。

 

怒るときは

思いっきり

怒ればいい。

 

ただし

その怒りは

自分の中だけに

留めておくことだ。

 

・・・・・・

 

広大な大地に

一人。

 

私は夜通し、

怒りに身を任せた。

 

怒りの渦の中に

自分を委ねた。

 

心の中の

話だ。

 

それは

長い長い

怒りだった。

 

しかし

それをしっかりと

行なうことで、

ようやく今、

新たな陽が

昇ろうとしている。

 

新たな

一日が

始まろうと

している。

 

さて、

許そうかな。

 

私はもう一度、

呟いた。

 

そして

真本音に

戻った。

 

本来の私に

戻った。

 

では、

次の一歩は

どうしようか?

 

私は

どう動こうか?

 

その問いを

投げた瞬間に

答えが

浮かんだ。

 

それは、

私自身でも

とても納得のできる

会心の発想。

 

なるほど、

そう動けば

すべてがまた

回り始めるな。

 

ようやく私は

自然ににっこり

笑うことが

できた。

 

と、同時に

太陽の光が

空と大地に

注がれた。

 

あぁ夜明けだな、

とても嬉しくなった。

 

つづく

 

なんですぐに怒るの?

私達人間の心のパワーというのは

二つのタイプに分けることができます。

 

一つは、外発的なパワー。

もう一つは、内発的なパワーです。

(→前回記事)

 

外発的なパワーとは、

外(外部環境など)からの影響によって、

発生するパワーです。

 

例えば、とても嬉しいことがあった、とか。

誰かから褒められた、とか。

好きな仕事に就くことができた、とか。

要するに、

私達の日常の中で、起こる様々な物事(現象)によって

その反応として生まれるパワーです。

 

それに対して、内発的パワーとは、

外部環境によってもたらされるものではなく、

自分の内側から常に湧き上がるもの。

少し極端な表現を使えば、

自分の外部環境(状況・現象など)が

どのような状態であったとしても、

変わらずに湧き続けるもの、とも言えます。

 

単純に言えば、

自らの真本音に素直に生きる度合いが高まれば、

この内発的パワーも自然に高まります。

 

しかし、真本音度合いが低くなれば、

内発的パワーは下がり、

結果として、外発的パワーのみに頼る生き方になります。

例えば、

何か良いことが起きないと元気が出ない、

好きな人と一緒にいないと元気が出ない、

好きなことをしていないと元気が出ない、

みんなから認めてもらわないとやる気が出ない、

給料が高くないとやる気が出ない、

人間関係が良くないとやる気が出ない、

・・・などなど。

自分以外の何かの影響によって振り回される人生

となります。

 

ということは、逆に言えば、

内発的パワーが高まれば、

自ら、外部環境(状況・現象など)に働きかけ、

自ら、外部環境を変えられる可能性も高まるわけです。

 

私はいつもコーチングをする場合、

内発的パワーの高い人かどうか?

という視点を大切にします。

 

そして私のコーチングは、

内発的パワーと高めることをすべての基本

としています。

 

ただし念のために申し上げておきますが、

内発的パワーの高い人、というのは、

表面的に元気とか、勢いがあるとか、声が大きいとか、

そういったこととは無関係です。

 

むしろ(あくまで基本的な)傾向としては、

内発的パワーが高まれば高まるほど、

人は「静か」になります。

「落ち着く」といった方がよいでしょうか。

「安定感」が出るのです。

「自然体」と言ってもよいです。

 

そういった人は、

あぁこの人は、いざという時に凄いパワーが出るな、

という印象を感覚として得ることができ、

それがその人への本質的な信頼感につながります。

 

「この人は、なんか信頼できるな」

という印象は、そういった空気感によって

決まります。

 

あくまでも人の個性によって変わりますが、

全体的な傾向としては、

普段からギャンギャンと叫んでいるようなタイプの人は

内発的パワーの低さを、

大声を張り上げながら誤魔化している、

とも言えます。

 

自分の不安定さを、

元気なふりをして、誤魔化しているのですね。

そういった場合、

本人が、誤魔化していること自体に気づいていません。

自分は常に元気だ、と思い込んでいます。

 

私はコーチングをする際、

そういった人ほど、注意をします。

根底は、とても不安定だからです。

 

しかしどのような人であったとしても、

真本音度合いを高めることで、

内発的パワーは高まります。

ギャンギャン言っていた人も、

「あれ?最近あの人、静かだね」と

言われるようになります。

 

話を平井さんに戻しますが、

平井さんは、まさにそういったタイプでした。

 

平井さんに対して、

「私はあなたのことが嫌いでした」と宣言された

生田さんに私は訊いてみました。

 

「平井さんの、どんな行動が最も嫌いでした?」

 

「何考えているかわからないくせに、

すぐに怒るんです。

多分、自分が社長に叱られるのが嫌で

怒っていたと思うんですけど、

とにかく彼に怒られる時間は最悪でした。」

 

「今はどうですか?」

 

「怒る、ということはほとんどなくなりました。

怒られる場合も、以前は怒鳴られるのに近い感じでしたが、

今は、トツトツと納得するまで語り合うような感じです。

まぁある意味、今の方が数倍怖いですが。笑」

 

なぜあの人はすぐに怒るのか?

 

単純です。

その人の内発的パワーが枯渇しているから。

 

・・・という見方をすることも、

一つの視点としては面白いかもしれませんね。

 

つづく